第四十八話 落とし穴のはじまり
「変なもの?」
山瀬は、その意味を考え始めたらしい。
「えーと。いえ、校舎が古いので業者と言えど危ないから、床を剥がして直すとかは、ちょっと。それに、そこまでする必要はないんじゃないかなあ?」
山瀬の表情が徐々に険しくなっていくのが分かる。
階段の部分が緩くて音がする、程度から床を剥がすという小さな飛躍と、それを止めているような言葉に引っ掛かったようだ。
これはお笑い芸人がやる「絶対に押すなよ!」の逆張りを海人が意図的にやることで、全く関係のない場所に怪しげなヒントがあるように感じさせるための誘導だった。
「旧校舎の階段か。なるほど。ところでキミは、なんでそんなことを知っているのかね?」
問われたタイミングで昼休み終了の予鈴が鳴った。
「あっ、ヤバい! 昼飯、食う暇なかったぁ! 先生、すみませんがまた来ます!」
海人は軽く会釈をすると三年の教室の方に走り去った。
明日乃は、海人が去った後の山瀬をマイクロマシンで監視している。
「お姉、わたし達も一旦教室に戻らないと」
「そうね。録画しておいて、あとで見よっか。座敷ちゃん、放課後また来るね」
そういうと二人は超速で教室に戻っていった。
三人は授業が始まっても口元を手や教科書で隠したり、下を向いたりして、こっそりと話し合いをしていた。
『放課後に部室で映像を見たいのは山々なんだが、山瀬に、またあとで行くみたいなことを言っちゃったんで、すぐ行かないとならない。それに今のままじゃ山瀬が僕に対して余計な疑念を持ったままになっているから、そこをなんとかしないと』
すると『もう星野だけで山瀬に会うの危ないよ! 今度こそキューブラスターくらい持っていってよ!』と明日乃がくい下がる。
『いや、ダメだよ。僕らに関する情報は山瀬という下っ端のうちになんとかしないと後が面倒になる。キューブラスターを持っていけというのはわかるけれど、バレた時は今度こそ相手には決定的な情報になっちゃうし、その場合、直接対決になるだろ。それは僕らの日常を自分で壊すことになる。ここは、なんとかしないと』
幸い、山瀬は海人をただの高校生個人と思っているフシがある。
しかし榊原らからの情報で明日乃や姫子、それに海人が旧校舎に何度となく出入りしていることも掴んでいるはずだ。
女子二人が榊原らの追跡を振り切って行き先不明になっているのと海人が旧校舎に出入りしているらしいことが、まだイコールにはなっていない。
むしろ明日乃や姫子に関心が向いている。
それらは認識阻害と関係があるのか、認識阻害がかけられていると思われる部分にコントローラーの反応が複数ありそうなのは何故か、これらがある程度繋がらないと山瀬は上の者に報告は出来ないだろう。
つまり、今が奴を煙に巻く最後のチャンスかもしれない。
『ともかくダメ元でやってみるよ』
『じゃあ、せめて姫子が突入できるように待機させてよ。いいわね、姫子?』
『そのためにハンマリングミウスを持ってきているんだから。もちろんだよ!』
そう言いながら床置きしていたハンマリングミウス専用ポーチを左手で手繰り寄せると中でこけたらしくゴトン‼ と大きな音が数学の授業で静まり返る教室に響いた。
「まず導関数を出す。臨界点は x=0, 2 この二点で符号がどう変わるかを確認する。
すると、増えて減って増える。だから x=0で極大、x=2で極小 だ」
「では確認だ。なぜ x=0 は極大だと言えるのか」
ゴトン‼
「おわっ! びっくりしたぁ‼ あ~誰だ、Xじゃなく音を極大にした奴は?」
すごすごと姫子が手を挙げる。
クラスメイト達はくすくすと笑いをこらえ、明日乃はおでこに手をあてて下を向いている。
「昴、今のは何の音だ? なんかやってるのか?」
「いえ、その、い、今のとこがよく分からなくて、その、えっと……」
数学担当の村上教諭から聞かれて困り顔の姫子に海人が助け舟を出す。
『姫子、少し強めに、その場で床を蹴ってみろよ』
言われたままに、姫子が床を軽く蹴ると
ズドン‼
さっきよりも数段大きく床自体が振動する程の音が響いて、隣の教室から「お⁉」という声が小さく聴こえた。
それを村上教諭は、自分の教え方に不満があって姫子が先ほど床を蹴ったのだと勘違いしたらしい。
「ああ、そういうことか。いや、これはスマン。ここは大事なところだから理解してもらうのに、もう少し丁寧に説明する。いや、すまん」と謝りながら、同じところをゆっくりと細かく説明を始めた。
姫子は軽く海人の方を振り向きながら先生への申し訳なさからか、笑いとも困ったともつかない表情で前を向いた。
そして誤魔化し半分で話の続きを始めた。
『まあ、だからお姉。心配しなくてもわたしが何とかするということで』
『武器を持った姫子は相当ヤル奴なのは訓練で見ているだろ?』
それでも明日乃は心配して『わかるけれど……モニターで見てて、万一、大事になるようなら……』
それだけは絶対にさせちゃダメだ。
海人の失敗の仕方次第で、明日乃が我慢出来なくなってしまったら全てが終わってしまう。
『もう‼ お姉、わかってるでしょ?』
『明日乃、大丈夫だよ。そうならないようにしないと週末に海に行けなくなるしな。まぁ、静観していてくれ』
『……そう……ね……。みんなで海行きたいよね』
そう言うと、ポケットから何やら取り出したようでコソコソやっている。どうやら両方の袖口の部分に何かをしているっぽい。
『姫子、六時限目が終わったらわたしの席に来て。袖口にナノマシンを付けたから、それを自分の袖口に付けて。皆が集まってきた時に、わたしは榊原に付けるからアンタは鶴見に付けなさい』
なるほど。
鶴見と榊原の動向も合わせて調べるためにナノマシンを付けたいのだが、姫子は榊原に学食で癇癪を起こしたから榊原は恐らく姫子に近づかない代わりに明日乃に近づく。
鶴見は明日乃から姫子に乗り換えた奴だから、それぞれに接近しやすい選択をしたわけだ。
『三分もあれば隙を見て付けられるし、星野が山瀬に接触する時には、何らかの指示がそいつらにも出ると思う。だから、星野は少しだけゆっくり目に理科準備室に向かってくれればいいよ』
『わかった。じゃあ、僕も多少の準備しておくか』
『準備? どんな?』
『いや、くだらない準備だから説明する程でもないよ』と何かポケットやら机の中に手を入れて探し始めた。
教室の窓から東京の空が見える。
あの黒い艦は今日も微動だにしない。
まるで何もかもを見通しているかのように——いや、見守っているのか。
六時限終了のチャイムが鳴る。
教室は明日乃と姫子に群がる奴、クラブに行く奴、ダラダラと帰ろうとする奴らで交錯する。
海人もゆっくり目に理科準備室に向かおうとしたが、どうせならと急ぐでもなく普通に歩いて旧校舎中央階段付近の床のゆるみ具合を再度確認しに来た。
不安になる程でもないが、床板の五枚くらいが、わりとたわむ。
もしかしたら本当に、この部分だけが特別な事情でもあるのかもしれないが、そこは知ったこっちゃない。
下手に掘って不発弾でも出てきた日には部室に行けなくなってしまう。
自分でさえ余計なことを考えてしまうくらいだから仕掛けとしては上出来だ。
そのまま、理科準備室へと向かう。
五分はたっているので、明日乃達は部室に着いているはずだ。
『明日乃、今、どこ?』
『ちょうど部室に入ってスマホ画面見るところだよ』
『わかった。こっちは理科準備室前まで移動するけれど職員室経由で行く』
ここからは慎重にいかねばならない。
あくまで無関係な第三者という立ち位置のアリバイを作りながら進めていく。
職員室のドアを叩き、中に入ると手近な先生に「山瀬先生はいらっしゃいますか」と聞いてみる。
すると当然、その先生は職員室を見渡し「たぶん、理科準備室の方にいると思う」と返してくる。
軽く会釈をして職員室を出ると今度は、走って理科準備室に向かう。
『明日乃。山瀬は?』
『さっき理科準備室の机のところに座って、今は銀の箱と金庫を出してる』
『じゃあ、まだ少し早いな。奴がいつもの作業をやり終えそうになったら教えてほしい』
海人が無関係である演出を完遂するためには、出来るだけ山瀬が自分の弱みが無い時の方が都合がいい。
山瀬自身が立場的に上であり事情通であると思わせることが肝要なのだ。
自分の判断・捜査・選択は間違っていないと自信を深めさせることで星野海人は無関係という間違ったカードを引かせる。
そんなつもりなのだが、果たして上手くいくか……。
『星野。銀の箱をカバンにしまい始めたよ!』
その言葉をきっかけに海人は理科準備室のドアの前に行き、ほんの少しだけドアを開けると、わざと大きな声で「あ、開いてた」と言いながら「失礼しまーす」と普通にドアを開けた。
そこには、今まさに手提げ金庫をカバンに入れた瞬間だったのであろう山瀬が机からかがんでいた。
海人の声で慌ててカバンから手を放し椅子に座り直すと海人を見るなり
「ああ、キミか。星野くんだったか」
「いやぁ、何処に行ったのかと探しましたよ先生」
「うん? 探した? ほう……何をだね?」
この取り違え方は奴の軽い誘導だ。
この部屋のことから他のことへ軌道修正をしないとまずい。
海人は、すっとぼけた顔で「何をって、先生を探していたに決まっているじゃないですか。まさか授業が終わっているのに職員室じゃなくて理科準備室の方にいらっしゃるなんて思いませんでしたから。他の先生に聞いて、ここに来たんですよ」
「ああ、そうか。で、何か用事でもあったのかね? 私でなければ分からないような聞きたいこととかね?」
からめ手に持ち込んでボロを引き出そうとしている意図が見える。
「先生は……確認されたんですか?」
眼鏡の奥の目が細くなった。
「確認というほどではないがね。なんというか違和感があったんでね」
「違和感ですか。やはり、そうですよね」
すると山瀬の目がさらに鋭くなった。
「キミ……開けたんだろ? 見たね?」
金庫の中身を見られてもどうせ分からないという自信からか、薄笑いを浮かべながら目線を海人に向けもせずカバンをヒザの上に置くとベルトを締めた。
このやりとりを聞いた明日乃が『姫子、マジに突入してもらうかもしれない。準備室の横の廊下で待機』と指示する。
その会話は海人にも聞こえていたが、それを全く無視して話と態度をおかしな方向へ接続し始めた。
「開けて? みた? 業者でもないのにですか?」
すると山瀬は海人を見て
「誰が業者の話をしているんだね? キミがやったんじゃないのかね?」と多少イラついたのか、言葉が早口になっていた。
そこをさらに、チカラが抜けた言葉で返す。
「先生、学生の僕が業者を呼んで勝手に床を剥がすなんて、やれるわけないじゃないですか。そんなの無許可でやったら下手したら退学させられちゃいますよ!」
ここにきて、どうも急に話がすれ違っていることに気づいた山瀬は、細く鋭くしていた目を見開いた。
「床? 床を開けるのか?」
そこで海人は大きなため息をつきながら、困り顔で山瀬から目線を外した。
「先生……疲れているんですか? 話しましたよね、旧校舎の階段のところ。なんかさらにブカブカするようになっちゃって、やばそうなんです。腐っちゃったのかなあ……。で、山瀬先生が、なんか僕にいってたじゃないですか。見ておくとかなんとか。それ、思い出して探していたんですよ。いっしょに行ってみてもらうことって出来ますか?」
「あ、ああ、その話だったか……明日にでも見ておくよ」
「今から一緒に見てもらって職員会議にかけてもらうことは出来ませんか?」
「今⁉ 今からか⁉」
これには山瀬は渋い顔をした。
いつもの奴のルーティンからでは、定時に帰る必要があるのだろう。
それに、どうも自分の勘違いによる勇み足だった可能性が出てきている。
時間があまりないことをアピールするためか腕時計を見だした。
それを拾ってやり「忙しいですか? ダメなら別な機会で結構ですから、見て必ず職員会議にかけてくださいよぉ。危ないんでお願いします!」と元気にお願いしたあと「先生、僕もう帰りますから。先生、いつもどこいってんですか……全然つかまらないじゃないですか、もう‼ じゃ、帰ります、失礼しまーす‼」
とやや怒った演出をしながら山瀬を全く見ずにペコリと頭を下げて足早に廊下に出ると背中に気配を感じながらも廊下を曲がり、姫子の横を足早のまま通り過ぎた。
『姫子、そのまま家に帰って待機。明日乃も姫子と時間をずらして帰宅して待っててくれ』
『お兄、さっきのあれ。ギリギリだったね』という問いに海人は手短に答えた。
『まだ、済んでいない。あと一つ』
恐らくどこかから山瀬本人か手下が海人の行動をみていると仮定していた。
その場合、山瀬の注意をどこに向けるか。
予め用意しておいたポケットの紙切れとペンで、適当に山瀬への悪口を書いてから、中庭に出た。
そして理科準備室から、ギリギリ見えるか見えないかくらいの場所の芝生を少し削り、落ちていた短い木の棒で地面を掘る。
そこに、交通系ICカードを買った時についでに購入したビニールのパスケースに悪口を書いたメモを入れて、わざとキョロキョロと周りを見る。
パスケースを埋めて、芝生を元通りにして急いで走り去る。
どこかで山瀬本人か手下の誰かが見ているなら、必ず食いつく。
そしてカバンを取りに教室に戻ってから、校門まで走った。
走ったせいで息が上がっている。
振り返る——尾行はない。




