第四十五話 布石のはじまり
「おっと、帰り際にちょっと話すつもりが話し込んじゃったな。さて、今度こそ帰ろう」
「じゃあ、そこの中央階段からお姉とわたしがパルクールもどきで下りるところ、見せてあげるよ!」
二階から下りるとはいえ踊り場があるくらいなので高さはかなりある。
そのまま落ちたら普通は怪我だけじゃ済まない。
海人は明日乃に飛んで運ばれたこともあるくらいなので何とも思わないが田浦にしてみると、何か間違いがあったら大変だと気が気でないようだ。
「これ、けっこう高さあるけれど……本当に大丈夫なん?」
と、やたらと不安がる田浦に「二人とも一階で待っててよ。スタートっていってくれたら下りるから」と明日乃も余裕で答える。
男二人で階段を下り始めるが、この校舎は天井が高い為に踊り場付近から二階の廊下を見るだけでも十四段ある。
さらに一階まで十四段あるので他の高校の階段より高さと段数が多いのだ。
この高さを下りるのに重力を無視してフワリと降りられてしまうと今までの話が台無しになってしまう。
海人的には上手く快活に下りてくれることを祈るばかりだ。
一階の登り口まで下りると、床がブカブカしている部分があり、ちょっと音がする。
(ははあ、これが姫子が言っていた不具合ってやつか。いい感じで利用できそうだ)
こっちの準備はいいよと上から声がする。
「なあ、これ、登り口から少し離れた方がよくね?」
「ああ、そうだな。勢いよくぶつかられちゃ怪我するよな」
階段から廊下側に移動してから
「じゃあ、いくぞ。三、二、一、スタート‼」と声をかけてから二秒でカバンを持ったまま二階までの手すりを片手で支えながら飛び越えて反対側の壁を軽く蹴っているのが見えたかと思ったらスタートから三秒後には女子二人が派手にスカートを舞いあげて一階に着地していた。
「ほーっ‼」
田浦があまりの早さに感心してか感嘆の声をあげる。
「どうだった? これで納得したでしょ?」
「納得したした‼ 白とピンクでフリルがスッゲェよかった‼」
「あ、お前、それは……」と言った時には遅かった
。
「え……」
「もう田浦君だけおいて、もう帰ろ‼」
下着だけ見ていた田浦に二人はめちゃくちゃに冷たくなった。
二人が見せたかったのはパンツじゃない。
男として理解はできるが同情の余地はない。
「冗談だって。二人とも凄かったっすよ! 普通にあんな下り方したら骨折もんだよなあ!」
かなり必死に取り繕うも二人ともプンスカしっぱなしだ。
そのうえ「今度、パフェおごるなら許さないけれどクチはきいてあげる!」とまで言われている。
こうして、帰り道で別れるまで田浦はコテンパンに言われ続けた挙句、スイーツのはしごを約束させられて涙目になっていた。
それでも、別れ際に「俺は何もできないけれど三人とも、気をつけろよな」と言っていた。
(アイツもわかってはいるし、たぶん歯がゆいのだろう)と海人は思いつつ家に向かった。
翌日、三人はかなり早朝から校舎内にいた。
まだ他の生徒がいないうちに旧校舎の部室から山瀬の動きを元にマイクロマシンの位置を調整するためだ。
すでにここ数日分の映像からかなり正確なルーティンがあることは分かっていた。
明日乃のコントロールする改造スマホの画面に皆が注視する。
山瀬は朝七時十分に現在の潜伏先を出て七時二十五分に校内の駐車場に車を停める。
そして七時半丁度に理科準備室のイスに座り、バッグから銀色の弁当箱のような装置と小型の手提げ金庫を机の上に置いてしばらく操作する。
この七時半からしばらくの間が、山瀬が一日の中でもっとも長時間同じ場所にいる時なのだ。
この時にナノマシンを投下すると同時に手提げ金庫のダイヤルのクローズアップや出力された紙の内容を読み取ることが出来るなら一番良いのだが。
車に付けたマイクロマシンの画像に切り替えると予定通り車が動き出していた。
一方、理科準備室のマイクロマシンは今までの経過から既にイスの真上に移動してある。
あとは座った山瀬に対しての微細な位置を調整するだけだ。
予定通りの時間に車は校内に入り駐車。山瀬がバッグを持ち、校内へ入る映像が見えた。
「さあ、来るぞ。頼んだよ、明日乃!」
ガラリと扉が開き、白衣の山瀬が理科準備室に入ってくる。
真っ直ぐに机に向かうと、イスのすぐ脇にバッグを床に下ろして自分も座る。
真上から山瀬を捉えているマイクロマシンの位置を明日乃が少し机寄りに移動させる。
山瀬は床に置いたバッグから銀色の箱を取り出して机に置いてから手提げ金庫も取り出して机の上に置く。
そこから銀色の箱を自分の前に持ってくるとやや前かがみになり操作し出した。
その前かがみ姿勢で、頭部がマイクロマシンの真下にきた。
明日乃がすかさずナノマシンの投下を指示するとマイクロマシンからナノマシン十機が離脱し、降下を始めた。距離百二十センチ。
秒単位でナノマシンは、どんどん山瀬に近づいていく。
あと八十……六十……
そこで山瀬は、ふと机の左側にあったリモコンに目をやると手に取り、スイッチを押した。
エアコンが稼働し、部屋の中に強い気流が生じ始める。
リモコンを押す一連の動作の為に頭が降下位置からずれる。
エアコンの気流の影響も出始めた。
十機のナノマシンのうち一機は後頭部の頭髪、もう一機は右の襟部分、もう一機は白衣の背中に辛うじて着地したが残り七機は机や床に落ちてしまった。
だが三機だけでも十分だ。
続けて真上からはマイクロマシンが、手元は襟のナノマシンから映像が届けられている。
銀色の箱の表面に今までよりも分かりやすい映像で文字らしきものが現れた。
やはり見たことがない文字だ。
その時、姫子が文字を読み出した。
「定期観測、どのサンプルもこの単位での変化なし、新たな観測対象、この単位での変化なし……何のことかなぁ?」
意外なことに海人は驚いて尋ねる。
「姫子、読めるんだ?」
「なんとか読める言葉でよかったよ。わたしだけじゃなくお姉もこれくらいなら読めるよ」
それには明日乃は反応せず、じっと画面を見ている。
銀の箱からプリントされた紙の内容を見ようとしていたのだ。
その後、手提げ金庫の二つのダイヤルを回して金庫を開けると早々に紙を中に入れ、金庫を閉めてしまった。
「どうだった? 何か有用な情報とか書いてあったかい?」
だが、どうやらダメだったらしく首を横に振りながら悔しがった。
「銀の箱に表示されていた内容と同じみたい。そうなると、あの金庫の中にある以前の記録の資料がないと相手の狙っているものの正体が掴めなさそう。それと金庫の番号も袖が邪魔で分からなかった。金庫自体は安物みたいだから姫子なら楽勝で壊せるだろうけれど……」
それはダメだ。
金庫を破壊して中身を取り出してしまうと僕らが明らかな敵対勢力として認識されてしまう。
「あの金庫については、ぼくに任せてくれないか。あれならオモチャに毛が生えた程度だからなんとか開けられると思うんだ」
「星野が⁉ 簡単な仕組みだけれど組み合わせは百四十四通りあるから、限られた時間内で試すのはリスクが大きすぎるよ!」
心配する明日乃と姫子に苦笑いしながらも、そこは任せてくれと言う。
海人が明日乃に自分の能力に関することで任せろと言ったのは初めてかもしれない。
それがたとえ、オモチャの金庫を開けることでも明日乃にとっては嬉しいことだった。
他の誰もがくだらないと失笑するようなことでも自分にはできなくて海人にはできるものがあることが、彼女にはかけがえがないほど重要だった。
「わたし……今の星野が凄くすき……」
隣で山瀬との攻防のはじまりを固唾をのんで、しかも真面目に参加していた姫子は姉の突然ののろけにガクッとなり半コケした。
「お姉~、なんなの? いきなり女子ださないでよ、まったく!」
この時だけは明日乃と姫子の立ち位置が完全に逆転していた。
これも初めてのことだ。
姫子にしてみれば、何のきっかけで姉が一瞬で骨抜きになったのか全然理解できなかったが幸せそうに海人の傍らに立っている姉を見て、ちょっと羨ましいとも思った。
海人は照れながらも
「このあと、昼休みに山瀬と話をしてみる。そこで特別、引っかかることがなければ明日、予定通りドローンによる受信機輸送と理科準備室の捜索を実行するよ」
とマイペースで話す海人に「お兄も、お姉にこんなこと言われてるのにその反応? はぁ~、なんでこの二人がカップルでいられるのか理解不能~」とお手上げポーズをした。
「でも、星野。山瀬にちょっかいだすのに素手で会うの? キューブラスターくらい持って行ったら?」
それは海人も考えたのだが、そんなに小さな銃じゃないので、どう携帯していても目立ってしまう。
いっそ標識おじさんガンのように目立ってナンボな仕様のものもあればよかった。
「今回、武器の携帯はちょっと無理かな。でも学生と先生として話すだけだし問題ないだろ?」
割と軽いノリの海人に対して明日乃はかなりのマジモードだ。
「もし、星野になんかあったら、わたし、いろいろバレようが突入する!」
「まあ、落ち着けって。そんなことにはならないよ。でも、万が一の為に待機してくれるのは嬉しいかな。山瀬は昼休みにも理科準備室に向かうから、その時に話しかけるよ。まずは今日。そして明日が本番だ」
そこで姫子が明日乃をたしなめた。
「だぁめだよ、お姉。お姉は部室から監視と指示してよ。突入する場合はわたしがやるから。お姉が頭にきたら校舎なくなるくらいじゃ済まないでしょ。それに」
といってカバン以外に持ってきた大きめのきんちゃく袋をぷらぷらさせて「安心してください。持ってますよ!」というお笑い芸人のようなセリフを吐いた。
どうやらハンマリングミウスを持ってきたらしい。
「よく、そんなものきんちゃく袋で耐えられるな?」
重量三十キロ超のものが入っているきんちゃく袋は、それだけで既に凶器だ。
「紐は鋼鉄製ワイヤーに樹脂をディッピングして、内袋はケブラーを使っているから」
という説明を聞いて(もうこいつら、なんでもありだな)という感想しか出なかった。
昼休みになり、各自、速やかに予定の行動に移る。
『山瀬が今、職員室を出たよ。一分後には理科準備室前に到達するよ』
部室でモニター監視している明日乃から通信が入る。
海人があらかじめ待機していた廊下を歩き出す。
明日の予行練習も兼ねているので山瀬が鍵を開けたタイミングで声をかけるつもりだ。
海人が廊下の曲がり角を過ぎるとちょうど正面から細身で白衣を着た山瀬がやや足早に向かってきている。
そのまま理科準備室の前まで行き、鍵をポケットから出したところで海人が声をかけた。
「あ、ちょうどよかった! あの、山瀬先生ですよね?」
カギを捻って開錠した瞬間に見知らぬ学生から声をかけられ、山瀬は多少驚いた表情で海人を見た。
「ああ、そうだが。キミは?」
「あの、ぼくは三年なんですけれど、一年の時に習ったかもしれないんですが光の性質について疑問があって、それを林先生に聞きに行くか迷っていたところなんです。そしたら一年担当の山瀬先生を見かけたんで、林先生に恥を晒しに行くより山瀬先生に教えてもらえればと思って」
山瀬は開けかけた扉から手を離してメガネをかけ直した。
「ほう……林先生にいまさら聞くには気が引けるということか。キミは素直なんだな。よろしい。では、恥をかかずに済む私が答えてあげようじゃないか。それで?」
(ふうん? こいつ、教師としては真っ当じゃないか)
「ありがとうございます! ええと、疑問なんですが光の屈折と反射の違いというか、そこがいまいち納得できていないんですよ。屈折をどんどん極端にしたものが反射なんですか?」
その質問に山瀬の教師としての側面を刺激したのか、穏やかに答え始めた。
「ほうほう。なるほど? 簡単に言ってしまうと屈折と反射は根本的に違うんだ。そうだな……ボールがここにあったとする。それを壁に投げると跳ね返るだろう? それが反射だよ。屈折は投げたボールの端の片方だけが壁にこすれて一瞬ブレーキがかかる状態に似ている。ボールはこすれた側に曲がるというのがイメージできるかね?」
このやりとりを明日乃は固唾をのんでモニターを見つめていた。
姫子はきんちゃく袋を手にしたまま廊下の曲がり角で海人に付けられたナノマシンからの音声を聞きながら明日乃の指示を待っている。
「あ~、なるほど! あ、でも光というボールが水に入るのは部分的にではなく全部入っちゃうんだからブレーキはボール全部にかかるんじゃないんですか?」
「うん、いいねえ。実によい。こう考えたまえ。ボールが着水するのは全ての面が同時じゃないだろ? 斜めの角度をとることで先に水に着いてしまう部分がある。そこにブレーキがかかってボールは水中に入ることになる。水中ではボール全部にブレーキがかかるからボールは直進する。つまり、光というボールも角度が変わるのは水と空気の境目の一瞬だけなんだよ」
そこで海人は疑問が解けて良かったという満面の笑みをした。
「なるほど! そういうことですか! やっと理解できました!」
生徒が理解を示したことで山瀬も満足そうだ。
「キミは理科とか科学とかが好きそうだね? また疑問があれば私でも林先生にでも聞くといい。ああ、林先生にはキミは聞きづらいんだったっけか。まあ、私でもよければ声をかけたまえ」
(よし! 布石は出来た!)
「本当ですか⁉ いや、正直、習ってもいない先生に声をかけるのって勇気いりましたけれど、聞いてよかったです! また、よろしくお願いします!」
それだけ言うと海人は、もと来た廊下を走り去ってしまった。
「あ、キミ! 名前は……」という山瀬の声が聞こえたが無視して走った。
名前を言わずに済んだのも都合がよかった。
途中で待っていた姫子と合流すると「お兄、上手くいったね」と言われグーサインを出した。
「ついでにメシでも食うか。明日乃、こっちに降りてきて、たまには学食で食べないか?」




