第四話 友達のはじまり
「ちょっと⁉ 星野君、大丈夫⁇」
「えっほっ! だ、大丈夫、大丈夫。何でもない」
海人がお茶のペットボトルを置いてサンドイッチに手をつけると明日乃も安心して自分の弁当を開く。
「あ、手作り弁当だね。お母さんが作ったの?」
すると、彼女は玉子焼きを口に運びながらケロッとした顔で言った。
「ん? ウチ、母親いないよ?」
(しまった……!)
よりにもよって、最もデリケートかもしれない地雷が【手作り弁当】というソフトな話題に仕組まれていたとは、流石に予想していなかった。
謝ろうと「ご……」と言いかけた時に、今度は逆に明日乃が地雷を踏み返してくる。
「そういえば、星野くんこそ今日もパンとかなの? たまには家のお弁当にしないとバランス悪いよ?」
「あ、ええと……ウチ、両親いないから」
今度は、明日乃が箸で持ち上げた玉子焼きを途中で落とした。
玉子焼きはお弁当箱に無事着地したが、明日乃の箸がプルプル震え出す。
「ど、どうしよう……ごめんなさい……」
みるみる顔が青ざめる明日乃を見て、海人は慌てて内情を説明した。
「いやいやいや‼ 全然、気にしないでください! 死んでるのは親父だけで母は海外で仕事しているだけなんで! それより僕の方こそ、お母さんの件……知らなかったとはいえ、すみませんでした」
明日乃はホッとし、少しだけ表情が戻る。
「私のことは全然気にしないで。父はいるし……ね」
そこからは気まずさからか、しばらくは二人とも無言で昼ごはんを食べた。
(片親同士が互いに気使いあっている、これは、どうなんだ? 逆に不自然じゃないか?)
と考えを巡らせているうちに明日乃が先に口を開く。
「あのさ、私達ちょっと似た境遇かもね。だから今のは、これで”おあいこ”ってことにしちゃわない?」
深層心理で自分でも気づかぬうちに引け目を感じていたのかもしれない。
それだけに、同じ境遇と言ってくれたことは救われた思いがした。
それに加えて、致命的な爆弾発言のはずが逆致命的発言のお陰で共通項が出来、しかも無かったことにしてくれると言う。
気持ちがふっと軽くなった。
「うん! おあいこ、いいですね!」
そう返すと、彼女はようやく少し微笑む。
そして弁当箱を片付けると、ちょっとだけ海人に近づいて座り直し、大きな瞳で顔を覗き込みながら宇宙論説明の要求をしてきた。
「それじゃ早速だけれど、昨日の続きを話てくれる?」
「うん、わかった。じゃあ、いきなりだけれどビッグバン以降の宇宙の状態についての標準宇宙論の続きをするから。何か気になる部分があったら途中で質問して。でも、その時点で答えられるかどうかは分からないけどね」
明日乃は、ニヤッと笑いながら腕を組み上目遣いしている。
「ふーん」という感じがゆんゆんする。
どうやら話の内容だけでなく、海人自身の査定の続きでもあるらしい。
「ビッグバン以降の初期宇宙の状態は、ほぼ一様な状態であったと考えられているんだ。
それは極小領域で発生した宇宙がインフレーションで指数関数的に拡大した結果、全体として物理的に均一な条件として広がったと言う解釈がされている。
これはCMBの温度揺らぎが極小さかったことから導き出されたことなんだ」
そこまで言った時に明日乃が手をあげた。
かなりギラギラした目である。
どうやら最初の質問というよりは、彼女の罠の発動のようだ。
「ねぇ。インフレーションって何? それが正しいわけは?」
海人は(きたきた――)と思った。
というのも、自分も同じ疑問を抱いていたからである。
だから、応える内容も決まっていた。
そして、当初、彼が描いていた説明よりも早く種明かしをすることになってしまった。
「明日乃さん。それを答える前に、不本意だけれど僕自身の結論を先に言うことにするね。僕はインフレーションを肯定しない。それどころかΛCDMすら肯定していないんだよ」
その瞬間、明日乃はキョトンとしてから、ゆっくりとニマァ~ッとしだす。
予定通りの答えを待ってました! というところだろう。そして嬉々として聞いてきた。
「それで? どこのどの辺りが、どう嫌なのかなぁ?」
もう、応えの待ち方が尋常ではない。
上目遣いのまま、指を組んでは人差し指同士をすりすりしている。
見ようによっては恋する乙女状態だ。
予定通りの答えだったことに、なんでそんなに興奮しているのかは理解に苦しむが、期待されていること自体は悪い気分ではない。
「インフレーションにはインフラトンが必要とか、赤方偏移の原因は後退速度決め打ちとか、ダークマターとダークエネルギーに至っては分からないって言うのがカッコ悪いんで、この謎に適当な名前をつけました。これらが(あるというという前提)で話を進めている、その考え方そのものが嫌いなんだ。それは純粋な科学じゃなくて既に空想科学だからね」
「あはっ‼」
と、明日乃は声をあげて、とても嬉しそうに目を左手で隠すと右手を広げて話を止めた。
「ちょっと……待って! 今、えっとね、ごめん。ちょっと落ち着くから!」
そう言って、今度は掌うちわで顏を扇ぎだす。
海人は面食らった。
これじゃまるで自分がエロい話でもして恥ずかしがらせているみたいじゃないか。
絵面があまりに悪すぎる。
「ちょっと明日乃さん。僕、そんなリアクションされるような際どい話してます?」
「き、きわどい! この地球じゃきわどいっ!」
ウケまくる明日乃だが、気になる一言が。
ん? この地球じゃ?
ああ、なんか変な比喩なのかと、とりあえず聞き流すことにしておく。
それより、標準理論を肯定しないことがギャグにでも聞こえたんであろうか?
だとすると酷いなあとも思う。
「なんで、そんなやたらと嬉しそうなんですかっ⁈」
「なんでそんなに嬉しそうって、そんなの嬉しいからに決まってるじゃない。
はぁ―、少し落ち着いたぁ。ええと……整理すると──星野君は要するに、既存の教科書となるはずの理論が『わからない』を連発して誤魔化してるのに我慢ならないってことね?」
それには、黙って頷いた。
「——いいね、星野君。でも、その否定は、わりと誰でも考えつくことでもあるよね。
それで? その先は? 続きはあるの?」
なるほど。
彼女はギャグだとして笑っていたわけじゃない。
やっと話が分かる相手を見つけたという嬉しさのあまり興奮したと、どうやらそういうことらしい。
「続きね。……もちろん、あるよ。でも、その前に君の発言で訂正してもらいたいことがあるんだ。僕は標準理論を否定はしていない。決定的な部分を肯定しないといっているわけなんだよ」
「あ、そうね。そこは私が言い方を間違えてた。肯定しない、だよね」
潔かった。
自分の間違いは、すぐ訂正する。
簡単そうに見えてなかなか出来ないことだ。
「でも、星野君が肯定しないと言っているものには観測的事実も含まれているよね? 例えば遠方銀河の赤方偏移はどう説明するつもり?」
そうなのだ。
科学とは、ただの想像の産物を理論とは呼ばないのである。
あくまで観測的事実に基づき構築されたものが理論と呼ばれる。
その理論で何が説明出来るのか、またその理論がどうならば否定されるのか。
それがなければ健全な理論とは言えない。
「明日乃さん。僕の考えはAIの力を借りながらまとめている最中なんで、今はまだ理論とは言えないレベルだけれど、そんな高校生の世迷いごとでも聞く気になるかい?」
「は? 何言ってんの? 本当は最初から、それを聴きたかったんだから勿体ぶらないで話してよ」
いや、勿体ぶっているわけじゃないと説明しようとした途端、昼休み終了の予鈴が鳴った。
だいたい学校のチャイムという奴は、毎回、無粋なタイミングで鳴るようになっている。
「やぁ、話すのに夢中で休み時間終わっちゃったね。この続きは、また明日で――」
そう言いながら立ち上がろうとする海人の左肩を明日乃は掴んで強引に座らせる。
半ば中腰状態からストンと座らせられたので尻をしこたま打った。
痛がっている海人に対し、彼女はにこやかに言う。
「サボろう?」
「え……⁉」
午後の授業から2人揃ってエスケープは、如何にも不味い。
しかも、目立たない自分だけならばともかく、明日乃と一緒にいなくなるのはクラスメイト達にろくでもない想像を描きたたせることにもなる。
日頃は地味な奴がクラスのヒロインをたぶらかしたと噂されるに決まっている。
その流れでは、高校三年で海人の人生が詰む。
「明日乃さん、さすがに二人で一緒にサボるのは、いろいろと不味いよ」
だが、明日乃は、全く意に介さない。
むしろ、最高に楽しそうに見えた。
「星野君さぁ、この話、このまま明日まで私に待てっていうの?」
「いや、だって授業始まるし。どう考えても不自然だし、バレるし‼」
すると、彼女は、またもやゆっくりとニマァ~ッとした。
「そこは、バレない」
何の根拠があってパレないと言っているのかが全く理解できない。
少なくとも午後からの授業欠席の理由は、担任から強く聞かれるだろう。
その時に何という?
「何をいってるんだよ? バレないってわけないよ!」
そして、二度目のチャイムが鳴ってしまう。
今から教室に駆け込んでも、間に合うかどうかというデッドラインまできてしまった。
海人は半分駆け出すようにして明日乃を急かすが、彼女は落ち着いて座ったまま言った。
「ねぇ、星野君。あなたは私のことを信じられない?」
そう言われると、何だかよく分からないが全く動じない明日乃に対して一人で焦っている自分がちょっと滑稽に思えてきた。
それに明日乃がここまで言うからには、自分が知らない方法で何か手を打ってあるのかもしれない。
そんなことを暫く考えているうちに、完全に授業が始まっている時間となってしまった。
もう腹をくくるしかない。
海人は、ゆっくりと元いた位置に座り直すと
「わかった。というか、本当はなんだかよく分からないけれど、何とかなるって言う明日乃さんを信じるよ」
「わたし、何とかなるなんて言ってないよ? 明確にバレないって言ってるの」
「だから、それはなんで……」
言いかけてやめた。
にこやかに海人を見つめるその顔は(ひみつ)としか答えるつもりがない顔だ。
海人は、小さくため息をひとつついてから、もう逆らうのをやめようと思った。
「はぁ~、わかった、わかった、わかりましたぁ。もう、降参するから何でも聞いて。
時間はあるんだし。こんなにアグレッシブルな人だとは知らなかったよ」
明日乃は腰に手をあててエッヘンとばかりにポーズをとった後、急にスイッチが切り替わった様に表情が変わっていった。
同時に普段の雰囲気も消える。
「やっと参ったね。それで星野君は、今の理論物理学を肯定しないんだよね?
でも、あなたの嫌うΛCDMは、膨大な観測情報とそれを解釈する補論の塊で守られている。
それをSFじゃない別な方法で、あなたは宇宙を描けるの?」
「ん~……」と、しばらく考えると、海人は空を見上げながら独り言のように言い出した。
「ひとつ、質問していいかな? 光って、どうして真空中は秒速三十万キロなんだと思う?」
明日乃は、少し驚いた様子だった。
それは意外な角度からの話の振られ方に対してだろう。
おそらくワザと深く考えているふりをしている。
それが証拠に、やっぱりどこか楽しそうなのだ。
それを横目で確認して、これは大丈夫だなと悟った海人は自分の考えを先に口にすることにした。
「光速が三十万キロなのは、空間の構造応答が許す、空間自身の最大の変化伝播速度だからだよ」
聴いた瞬間、明日乃の目が見開かれた。
それから、じわりと細くなる。
笑っているのでも、怒っているのでもない。
何かを噛み締めているような表情だ。
「構造……変化……空間の……ね……」
復唱するように呟き、空を仰いだ。
「つまり、光の速度とは、エネルギー変化が空間の何らかの構造にそれ以上の速度で影響を及ぼせないため、最大が秒速三十万キロという一定値になるってことだと言ってるの?」
驚くべき理解の速さだ。
高校の物理では教わらない概念を、一言の説明で本質まで掴んでみせた。
「へぇ──そうだよ! その通り。つまり、僕は空気に粘性があるのと同じように空間にも何らかの抵抗があると考えたんだ。それが、空間の情報処理速度という粘性なんだよ。この考え方だと重力は空間の傾斜ではなく、粘性の違いとして解釈されるんだ」
明日乃の手は無意識に膝の上で握られていた。
目はマジである。
なのに態度は、どんどんキャピキャピになっていく。
「じゃあさ、じゃあさ! 巨大な質量の近くは空間の内側と外側で粘性が違うから光も曲がる──だから、重力レンズと呼ばれる効果が起きる。そういうこと?」
「そういうことになるね」
「じゃあ、遠方銀河の赤方偏移はどう解釈するの?」
その疑問には間髪入れず応えた。
「それは宇宙空間のあらゆる物質が刻んだ空間構造に対して、光はエネルギーを預けながら進むから波長が長くなるんだよ」
階下の教室から微かに教師の声が聞こえる。
二人きりの屋上。
貯水水タンクの影が明日乃のブロンドの髪にかかり、蒼い瞳だけが妙に鮮やかに光っている。
明日乃は、しばらく黙って何かを考えていたようだが、やがて──
「いいね。星野君、高校生でそこまできたのは凄いよ」
ぽつりと、それだけ言った。声が少し震えている。
もうさっきまでのキャピキャピした感じは消えてしまっていた。
「あとひとつ、簡単でいいから答えてほしいんだけれど。あなたは、私達が普段【力】と呼んでいるものを全て説明出来ると考えているの?」
声が上擦っている。
もう教室でみせる優等生の顏ではない。
純粋な知的興奮がむき出しになっている。
「そうだねぇ……」
海人は考えをまとめるのに暫く時間をかけた。
というのも、言葉にしてしまうと物理学的には、所謂アタオカ。かなりとんでもないことを言うことになるからである。
それでも、ここだけの話なのだから――と割り切った。
「空間とエネルギーの相関関係から全て説明出来ると思っているよ。空間が違う反応や角度みたいなものを変えて見ているだけ……のような感じかな」
今度は明日乃の方が間髪を入れず応える。
「星野君が言いたいのは、同一空間のレイヤー違いと視点違いということでしょ?」
これには、さすがに心底驚いた。
自分の好きなことを理解しようとしてくれている人がここにいる。
言いたいこと、考えていることが完全に噛み合っている。
もう、目の前にいる人が誰でもいい、この人となら友達になりたいと初めて自分から思った。
「明日乃さん。君は凄いな!
よく、話を理解して的確な提案をしてくるね。君の指摘はその通り。
僕は宇宙の構造が知りたいって言ったよね。それは、つまりミクロスケールからマクロスケールまで、何らかの共通した構造で説明できるかもしれないって意味でもある。
だから、これは量子の振舞いや波動関数にももちろん関わることだ。
そこをレイヤー違いって一言だけで君は済ませたなんて!」
明日乃の唇が微笑みのままだ。
風に巻かれた髪が頬にかかるのも構わず、海人の目をじっと見つめている。
あまりに、ずっと見つめられているので流石に海人もどぎまぎし始めて、何か話かける言葉を探し始めた。
「で……どうなんだろ。この話に午後の授業をサボった甲斐はあったのかな……?」
そんな海人から目線をずらすことなく彼女は満面の微笑みと一緒に、ゆっくりと返す。
「あるに、決まってる」
「あ、あのさ。こんな話ばかりだから、飽きたら教えてほしい」
「飽きるわけないよ! そんなことより! そんなことより……さ……」
何かと思い、明日乃を観察してみると顏がなんだか赤い気がするし、それに少しもじもじしている。トイレを我慢しているのかと一瞬思った。
「お花摘みなら気にしないで行ってきなよ」と言った途端、彼女はバッと立ち上がった。
「ち、違うわよっ! デリカシーないなぁ! そうじゃなくて!」
立ち上がったまま座ろうともしない。
そのまま座ったままの海人の正面にきて話し出した。
「——正直に言うね。今まで誰と話しても、ここまで噛み合ったことがないの。学校の授業とか、先生とか、ネットの議論とか全部。だから、わたしには理解者が、友達がいないの」
かなり意外だった。
だが、同時に疑問もわいた。
あれだけの人気者である彼女に友達がいないというのは不自然過ぎる。実際、女子同士で学校帰りにみんなで寄り道をした時の話などしていたのが休み時間毎に聞こえている。
「え、あれだけ皆が集まっているし、女子会みたいにして遊びにも行っているんだから友達いるでしょ」
そう指摘すると少し寂しい顏をした。
「そこ、認識の違いというか……クラスメイトはクラスメイト。みんなはどうかは分からないけれど、わたしは友達とは違うと思ってる。どんなに周りに人がいても、わたしはいつも独りなの。そこ、分かってほしいな」
分からないわけがない。
自分だって話したいと思っていても話が通じる奴がいない。
明日乃と唯一違うところは、好きでもない話をすることを自分は一貫して拒否していることだ。
興味がない話に迎合するくらいなら専門書を読んでいる方が時間を溶かさないで済むくらいの感覚なのである。
だが――明日乃は、そうはいかない。
勝手に集まり話しかけてくる人達を全て無視するわけにもいかない。
だから話もするし、たまには付き合いもするが心の底から楽しんでいるわけでもない。
それらは想像に難しくなかった。
「分かるよ。ある意味、僕も同じ想いはしているからさ」
「そうでしょ。だから」
コンクリートに座ったままの海人に明日乃は右手を射し伸ばしながら
「だから、わたしと友達になってよ……」
ロングヘアーからちょっぴり見える耳の先がほんのり赤くなっている。
さっきまで宇宙論を語り合っていた人間とは思えない初心な反応だった。




