第二十四話 作戦のはじまり
午前六時。
海人は、いつもより早起きするつもりではあったが、結果的には寝る前にセットしたタイマーの電子音が鳴る前に、家の中の気配で起きてしまった。
なんとなくコトコトと何かをしている音がしている。
次にキッチンの方から玉子焼きと味噌汁の香りも漂ってくる。
もやっとしながらベッドから立ち上がり、リビングへのドアを開けるとエプロン姿の明日乃が朝食の支度をしながらチラッとこっちをみた。
「……早いよ……おはよ」
「ああ、おはよう。姫子は……寝てるに決まってるか」
と言っていたら玉子焼きの匂いにつられて無理やり起きてきたようだ。
「お姉、お兄、おはよ……」
そのままフラフラと歩いて、テーブルに突っ伏すと「眠い」とだけ言った後、半ば寝てしまった。
「ほら、姫子。もうすぐご飯だから顔洗って目覚ましてきなさいよ」
姉から言われて立ち上がると、無言で洗面所にまたフラフラと歩いていった。
明日乃は三人分の朝食を並べ始める。
海人は、それを見ながら昨日の確認とも決意ともつかない独り言のようなものを言った。
「さて……今日から、ちょっと違うステージにならざる負えないな」
それを聞き流すでもなく席につくと箸も取らずにまっすぐ海人を見ている。
「ねぇ、学校……どうする?」
なかなか判断が難しい。
学校側からの授業時間の変更の連絡はない。
それは、犯人が捕まっていないとはいえ人間ないしは熊を想定しているからだ。
そんなことでは……
既に周りは頼りにならない。
自分達だけで判断しないと。
数秒無言の時間が過ぎた。
「安全が確保できているとは思えないが、まずはニュースをみてみようか」
テレビをつけてみると全ての朝の情報番組は昨夜の事件をトップで扱っている。
「昨夜七時半頃に発生した東京都葛飾区の水河公園での事件で、警察は付近の住民に外出自粛を呼びかけています。現時点で身元が判明したのは2名で、いずれも二十代から三十代の男性と見られています。残り六名の身元特定を急ぐとともに、事件の詳しい経緯についての捜査を進めています」
ニュースが流れる中、姫子が幾分しゃんとしてテーブルの席につくがニュースを視て不安げに目が揺れている。
「うーん、犯人像についての言及がない。何かつかんでいるのか、それとも検討すらついていないのか。これじゃ分からないな。でも」
明日乃が味噌汁をすすっていた手を止める。
「この報道から何かつかめたの?」
「二つ分かることがある。
一つは、大部分の被害者の身元特定に時間がかかるほどの遺体損壊具合だということ。
本当に酷い状態なんだろうな。そこだけでも、犯人の正体は既知のものではないということが分かる。
もう一つが、昨日から更なる被害者が出ていないこともわかるよね。とはいえ、相手がどこに潜んでいて、いつ、どこから出てくるのかすら分からないことに変わりはない。さて、どう警戒したものかな」
明日乃は静かに頷く。
我々の自衛のことだけを考えるのなら、本来は、この家から出ないことが一番安心なのだが。
姫子とはというと、玉子焼きの半熟仕上げの部分を何に付けて食べようか迷っている。
「姫子、お腹痛いって言って休む気はないか?」と聞いてみたが首を横に振って「ない」と答えた。
「そうか……じゃあ、僕らなりに腹でもくくるか」
ご飯を早々に終えて明日乃が海人に向き合う。
「わたしは学校で普段通りにする。何も変えない方がいい」
「そこは、それでいいと思う。通学も姫子と一緒にするのが良いだろうな。そうなると、むしろ、僕が問題か……」
これは、あくまで”謎の相手の目的地が、この家。
つまり、この家に住んでいる人物が標的だったと仮定した場合、通学時間が一番狙われやすい。そして、三人の関係の隠匿性から海人だけは明日乃の庇護ではなく自衛手段を持たないとならない。
「お兄、考え過ぎってことはないの? わたしが楽観的なのかなぁ?」
そう。姫子の指摘はもっともなのである。
あくまで仮説に基づいた懸念であるし、この仮説も外れている可能性の方が高いだろう。ただ、ゼロではない。
それと、謎の殺人犯の要素を外しても、海人が姉妹と一緒に登校するのは、学校内での余計な懸念材料が増えるだけなので好ましくない。
「朝の通学時に、謎の怪物なんだか怪人なんだかが出ない保証はないけれど、日中は出ないと踏んで学校に行こう。僕は君ら二人の五十メーターくらい後ろを歩くよ。学校の敷地に入ったら、まず一周してみて”なりすまし宇宙人”がいるかをサーモで撮影してくる。もちろん僕らの教室も撮影することになるよ」
「怪しまれない?」
「お兄、レンズだけ出して盗撮っぽいのって、見つかったら即アウトだよ?」
「なんか僕だけ、どんどん怪しくなるなあ……でも、しかたがないよ」
他に方法が思いつかないんで、苦笑するしかない。
「全校生徒だと七百人近くいるから、ちょっと頑張れば全員なんとかなるんじゃない? ほら、わたしも手伝うし」
「お姉はお兄に甘いなあ。あ、玉子焼きは丁度いい甘さだね」
朝食の食卓が作戦会議室と化していた。時刻は既に七時を回っている。
登校まであと一時間。
「実は考えていたことがあるんだけれどさ」
結論には程遠い仮説ではあるが、何も考えてなくて行動するよりは、指針になるかもしれないと思い言うことにした。その海人の言葉に二人とも耳を傾ける。
「こう考えてみた。
もともと明日乃は、外星人から目をつけられていた公算があるとして。
だが、明日乃は捕獲できる様な相手じゃない。そこに姫子が現れた。
それが学内的にセンセーショナルなことは理解できるが、僕が思っていた以上に学校中が大騒ぎなのが引っ掛かる。これは、たきつけた奴がいるんじゃないかと感じた。
その騒ぎに紛れてディープファンを装って明日乃か姫子の捕獲するつもりで追いかけてきた奴らがいる。
ところが放課後に僕等が部室に逃げ込んでしまうんで捕まえられない。
だから今度は僕等の家を探しあてたので襲うつもりが認識阻害が強力で分からなくなり、付近をウロウロしているうちに目撃されてしまった為に次々と瞬殺した……そんな仮説なんだが」
「あ…………」
そういうことか、とでも思ったのだろうか。姫子が口に手をあてている。
「これは、最初から明日乃や姫子の捕獲を狙っていたわけではないんだと思う。
君らの特殊な能力を狙っての誘拐画策にしては無手勝流すぎる。
むしろ、特に優秀な材料としての地球人と勘違いしての行動だとした方が納得できる。
君らの何を見て、何に利用するつもりなのかまでは現時点だと分からないけれど」
明日乃は暫く黙っていた。それからゆっくりと口を開く。
「……概ね、正しい感じがするよね」
海人も頷く。
「だから、実はわりと危険な状態に僕等はいるんじゃないかな」
「それでもね。わたしの認識阻害がかかっている以上、この家は見つからないよ」
その言葉には絶対の自信が滲んでいたが、同時に、とある事実を避けてもいた。
認識阻害の内側にいる人間──海人、姫子、そして明日乃自身が周囲に注意をはらっている人物に自ら近づいてしまうと阻害は意味をなさなくなる。
「家は大丈夫でも通学が……飛んで行くわけにもいかないし……わたし、まだお姉みたいにも出来ないからさぁ」
「それについて星野に相談があるんだけれど。ここの地下に部屋を作りたいの。特訓するための部屋と、あとシミュレーターを置きたいのね。ダメかな」
自宅が本当に秘密基地になってしまいそうな話だ。
「別に構わないけれど、特訓の部屋は分かるがシミュレーターとは?」
「それは、またあとで説明するから。じゃあ、姫子は今日から帰ってきたら、わたし特訓するよ? いいね?」
「お手柔らかにお願い」
「とりあえず今朝はどうするかなんだけれど、今日だけは何もないことを祈って登校するしかないのか?」
半分諦めて登校する気でいる海人に明日乃がなかなか良い提案を出してきた。
「こういうのどお? 姫子は、わたしと一緒に登校するから問題ないよね。問題は星野ね。短時間での殺傷能力がある相手だし複数人の可能性もあるから手ぶらってわけにもいかないのでぇ……亀町の廃ビルの時に使おうとしたキューブを星野に持たせるというのは?」
キューブというのは、ビルを利用した研究施設を攻略する際に明日乃がその場で生成したパラライザーだ。
外星人を一発でマヒさせられるらしいが射程が十メートルしかないと言っていた。
そして、いつの間にか、その黒いキューブがコロンとテーブルに載っている。
「扱い方が分からないのと、確か射程が極端に短かった覚えがあるけれど?」
「射程は倍までは出来るから。それと使い方は簡単。そうね……姫子、ちょっとカーテンの横に立ってくれる?」
姫子は嫌な顔しながらもカーテンの横に立つ。
「それ、わたしで試すってことだよね……」
「大丈夫。あんたは、わたしなんだから。星野、こっちにきて。ここに立って。で……これを持って。どの面でもいいから姫子に向けて」
3×3のルービックキューブくらいの大きさの立方体を姫子にかざしてみる。
別に何も起こらない。
「何でもいいからキッカケが必要なの。発射! とか考えるなり言ってみてくれる?」
言われるままにやってみる。
「こうか? 発射!」
すると! やっぱり何も起きないように見える。
「……今のでいいのか?」
「うん。ちゃんと作動してたよ。撃ててたよね、姫子?」
「あ、きてたよ。一瞬ピリッとしたから」
どうも、全然実感がない。こんなんで役にたつんだろうか?
「星野、姫子相手だと分からないと思うけれど、これ、地球人だろうが異星人だろうか殆どの生物に使うと二時間くらいは平気で行動不能どころか重体みたいな状態になるから気をつけてね?」
「え、そんなヤバいのコレ⁉」
「そりゃそうでしょ。曲がりなりにも拠点を制圧するのにわたしが作ったんだから。本当に気をつけてよ?」
キューブの威力にも姫子の頑丈さにも驚いた。
でも、これである程度の自衛能力を確保したことになる。
あとは学校内ではどうするかだけだ。
「通学もこれでヨシとして、話が最初に戻っちゃうけれど、学校内では全員、いつも通りにしよう。それに部室もあるしね」
「旧校舎って部室があるせいかな。あそこってなんか安心するんだよね。座敷ちゃん、かわいいし」
姫子は座敷ちゃんがお気に入りらしい。
本人は言わないが可愛いだけじゃなくてお菓子を無限に出してくれるところが特に好きなのだろう。
「あの旧校舎自体が少し特殊な空間になってるようね。座敷童がいることで場が強制的に安定してる」
「とにかく、何かあったり、長い休憩時間の時は旧校舎の部室に逃げ込むのが良さそうだな」
明日乃がコクリと頷く。
「それが最善ね」
方針は決まった。
「よし、じゃあ、異分子はどいつなのかをまず探ろう」
気が付くと時計は七時半を指していた。
そろそろ支度を始めなければならない時間だ。
「おっと、丁度いい時間だ。じゃあ行こうか」
三人共、立ち上がってそれぞれカバンを取りにいったりした。
玄関で靴を履きながら、ちらりと海人に目配せしている。
「五十メートルね」
海人は、ただ頷いた。
三人が家を出た。
朝とはいえ初夏に入りつつある陽で、既に暖かいを通り越し始めていた。
通学路にはいつも通りの住宅街が広がっている――ように見えた。
ただし、人通りが明らかに少ない。昨夜の事件の影響だろう。
姉妹は並んで歩きながら「お姉ちゃん、今日のお昼どうする?」「今日はお弁当用意していないから久しぶりに学食だね」などと他愛もないことを話しながら歩いて行く。
それより半丁ほど遅れて歩く海人は既にサーモグラフがカバンの中で録画を始めている。学内に入るまではアクションカムとスマホも使い、四方を警戒ながら歩く。
学ランのポケットには殺傷能力こそないが未知の武器キューブが潜んでいる。
だが、たまにスマホをいじりながら歩く高校生の姿は、傍から見れば何の変哲もない朝の風景。
そして同じ方向へ向かう三人の背中を初夏の風が押していた。




