第二話 きっかけのはじまり
翌日、約束通りに屋上に行くと明日乃は既にフェンスにもたれて待っていた。
手にはコンビニの袋。どうやら、ここで昼食にするつもりらしい。
「あ、来た来た。ちゃんと来たね。少し遅いから、心配してたんだよ」
と明るい表情で小さく手を振っている。
「購買でパン買っていたら、揉みくちゃにされて……遅くなっちゃって、なんかゴメン」
学食まである、みいさと高校の購買部が何故にごった返すのかというと、この焼きそばパンが非常に美味いので争奪戦になるからなのである。
「えっと、それと……謝りついでに、これ」
海人は学生服の内ポケットから光沢のある白くて薄いが、しっかりとした箱を取り出して明日乃に手渡した。
「ん? なにこれ?」
箱を開けてみると、丁寧に包装された中から小さな青い花の刺繍と部分的にレースが入った白いハンカチが出てきた。
一瞬、明日乃は目を丸くし、ちょっとだけ上目遣いで海人を見る。
「これ……もしかして」
海人はかなり照れくさそうに二度頷いた。
明日乃はハンカチを手のひらに載せたり、嬉しそうに広げて見ていたりしている。
「血って、洗ってもなかなかとれないだろうから……ごめん」
「そ……」
“そんなことないよ、綺麗にとれたよ”と言いかけて彼女はその言葉を飲み込んだ。
かわりに微笑んで尋ねる。
「ね? どうして、このハンカチにしたの?」
たしかに駅前のバラエテイ―ショップには綺麗なハンカチは幾つもあったのだが、その中でも海人がこれに決めた理由があった。
「青い花の刺繍があって。それが、なんか気になって」
本当は、その花の色が明日乃の瞳の色に見えたからだ、とは恥ずかしすぎてとても言えない。
彼女は「ふぅん」と言って、しどろもどろになっている海人とハンカチを交互に見ながら嬉しそうにしている。
それから、ハンカチを折り畳んで胸のポケットから少し見えるようにして仕舞い、箱もブレザーのポケットに入れた。
「ありがと。これ、大事にするね」というと、そこから雰囲気が変わった。
どうやら、食い気が勝り始めたらしい。
「ね、食べながら話そうよ。座って座って」
フェンス際のコンクリ―トブロックは丁度良い高さだ。
そこに二人並んで座り、明日乃はコンビニの袋から大きめのクラブサンドとカフェオレを取り出した。
一方、海人の方は激戦を突破してなんとか買えた焼きそばパンと小さな牛乳パックである。
明日乃はクラブサンドを軽く半分に割ると、その片方を海人に差し出した。
「それじゃ、足りないでしょ? 遠慮しないで食べてよ」
「いや……でも、せっかくだから頂こうかな」
受け取ってみると、かなりしっかりした生地のパンにキッチリと火が通り、具材も多めの割と歯ごたえがある美味しいクラブサンドだ。
しかし、こんなしっかりしたものを明日乃はこともなげに半分にしたが……本当は案外と怪力なのかと思いはじめたら美味しいのと可笑しいので笑みがこぼれる。
それを見て明日乃は満足そうに自分もクラブサンドにかじりつく。
しばらく二人でもぐもぐしていたが、カフェオレを一口飲んでから明日乃が質問をしてきた。
「あのさ、前から聞きたかったんだけれど、宇宙のことが好きなんだよね? どういうとこが好きなの?」
かなりストレートな質問だ。
普通の女子高生が「前から聞きたかったこと」にしては、やや突っ込んだ話題である。
「宇宙の何が好きってことだよね? え―と、なんか……そこから入るんだ? 明日乃さんて、ちょっと変わってるね」
にこやかに質問を質問で返す海人に、彼女は困った顏で理由を説明しだした。
「だって、宇宙を好きっていう人はいっぱいいるけれど、じゃあ何がすきなの? って聞くと、だいたいの人が壮大なスケールとか神秘的とか言い出すし。綺麗な写真が好きとかならまだ分かるんだけれど、占星術の話とか始めちゃう人もいちゃって。それ、宇宙の話じゃなくて人の話でしょ?」
(あ、この人、僕と全く同じ考えだ……)
それは科学寄りの考え方をする、とても稀有な人である。
とはいえ、この瞬間での海人は、明日乃といえど星座や神話の話が聞きたい程度だろうと思い込んでいた。
「でもね。星野君、そういう感じじゃないでしょ。もっとこう――具体的なところを見ている感じがするんだよね。特に科学誌読んでいる時の目がさ」
そう話す明日乃の視線は、どこか空の向こうを見ている様だった。
まさか自分が明日乃からそんな風に見られていたなんて少々照れ臭かったが、ちゃんと見ていてくれていての話しなので、少し真面目に答える。
「うん。たしかに皆、宇宙が好きっていうと星座絡みの話になりがちだよね。僕の宇宙が好きっていうのは……もちろん好きなんだけれど、正確には知りたい――かな」
それを聴いた彼女はハッとした顏をしてから海人の方に向き直った。
「知りたい‼ 知りたいなんだ⁉ すっごくいいね‼」
そして完全に海人に対峙するように座り直す。
「じゃあさ、何が知りたいの? あの空に浮かんでいる黒いやつ?」
指を差したその先には漆黒の宇宙艦があった。
十年間、ただ、そこに在り続けるだけの謎の空中物体。
世界中の科学者が今も挑み、頭を抱え、匙を投げた存在。
「あの黒い奴を僕がどう考えているのかは置いといて。僕が知りたいのは、宇宙の構造だよ」
それを聴いた途端に明日乃が心底嬉しそうな顔をした。
何故、そんなに嬉しそうになったのかはサッパリ分からないが不快な気持ちになっていないことの方に海人は安堵する。
そして、この話のまま続けて良いものかと思っているうちに、にこやかな顔のまま明日乃は質問をしてきた。
「あそこに宇宙からの来訪者がいるわけでしょ? あれがいるだけで、人類の宇宙への意識に大変革が起きたよね? なのに、あの船にじゃなくて宇宙の仕組みの方が気になるってこと?」
なかなかに鋭い。
だが、どうして、この人はこんなにワクワクした目で僕をみているのだろうか。
質問の内容からしても、ここは普通に不思議そうな顔をするべきなんじゃないかな? と、海人は感じつつも、自分の考えの片鱗を彼女に話せる機会が与えられたことで嬉しくなった。
「そうだね。宇宙の構造、仕組みがどのようになっているのか?
物理学の標準理論において空間自体はあくまで舞台であり、そこに物理的意味はない。
でも重力を説明しようとしている時点で空間への影響を持ち出すんだ。
それは矛盾しているんじゃないかって考え始めた時に、今の理論物理学で言われている宇宙の姿と宇宙の見え方が変わってきてしまってさ。
それが正しいのかを知りたくなったんだ。
もし、僕の仮説が正しい方向ならば、あの宇宙艦も」
と一気にまくし立てて、はっと我に返る。
やってしまった。
自分の好きなジャンルになると止まらなくなるオタク特有の早口。
ひかれたかもしれない。
「――」
明日乃は黙っていた。
数秒の沈黙が屋上に流れていく。
目線を合わせるのが怖かったが、そ―っと横をみると
「いいじゃん‼ めっちゃいいね星野君‼」
明日乃は、ひくどころか目を輝かせて喰いついてきた。
その時、一瞬だが明日乃の髪がブロンドではなく、何か別なものが重なって見えたような気がした。
(えっ⁈ 星⁉)
驚いた拍子に瞬きをしたが見間違いだったのか、普通に美しいブロンドだった。
そんな海人の微妙な反応などお構いなしに明日乃は質問を畳みかけてくる。
「空間そのものに意味があるって考え方だよね? 凄くいい! ねえ、その考え方はどこから? 具体的にどういうアプローチで考えているの? それと独自の仮説とかは作ってないの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ明日乃さん! さすがに女子高生に話す内容じゃなくなるよ」
海人はかなり困惑していた。
宇宙の構造の話をするということは、標準理論に至るまで多岐にわたる観測事実との整合を語ってからじゃないと、自分の仮説はどこが違うのかを説明出来ない。
つまり、ある程度は分かる人相手じゃないと、とんでもない量の話をすることになる。
「いいよ? 全然。全部、話して」
即答だった。
まるで最初から、それが聞きたかった様に一切迷いがない。カフェオレのストローをくわえたまま海人の横顔をまっ直ぐ見ている。
それでも、話あぐねている海人の様子を察したようで
「つまらなかったら寝るから。専門用語とか気にしないで星野君の普通で話をして」
そこまで言われると、海人の中で何かが小さくカチンと音を立てた。
なので、ちょっとこの女子の実力を測るのも兼ねて話をしてみようと思い始める。
「まず、端折って話をしても昼休みに全てを語るのは無理だから、今日のところは標準理論の部分だけを軽く話す感じになるけれどいいかな?
それとも君は核心だけ先に聞きたい派? どうする?」
「両方」
といって、にっと笑った。
「まず順番で。気になった部分があったら言うから、そこを掘り下げて話してもらえる?」
「わかった。じゃあ、出来るだけ簡潔に話すようにするよ。ビッグバンってのは知っている?」
「ちょっと待って、星野海人君。あなたのそういう確認とか要らないから。わたしは、あなたの普通で話をしてって言ったよね? わたしの知識の確認じゃなくて自分の復習のつもりで話をして?」
これには、海人が驚いた。
最初の一言で彼女は自分が査定されていることを察したのだ。
確かに彼女は学年順位でも上位なので頭はいいのかも知れない。
でも、それはあくまで教科書ベ―スの話だと思っていた。
ところが、今、起きたことは地頭の良さがないと出てこないセリフだ。
深読みされた以上、こちらも態度を改めるべきだろう。まず姿勢を正した。
「ごめん。では、もう一度最初から。
現在の宇宙論では、この宇宙は138億年前に非常に高温かつ高密度の状態から爆発的な膨張したことに始まったとされている。
そして現在も空間そのものが膨張することで拡大していると言っているんだ。
これは遠くの銀河ほど速く遠ざかるという現象を光のドップラー効果などから導き出し観測されている事実だ。この後退速度つまり膨張係数のことをハッブル定数と呼ぶよ」
「まあ……標準理論でそう言われているってところよね」
「え⁉ あれ? おや? 明日乃さん、今、なんて……」
「気にしないで続けてもらえる?」
そう言ったところで昼休み終了前の予鈴が鳴った。
「あ! 残念! 星野君、続きは明日の昼休み。また、ここで。必ず来てよね」
明日乃はそう言って立ち上がりスカートを手ではらうと、軽く手を振って、屋上からさっさと降りて行ってしまった。
数分の間に幾つも気になる部分が海人の頭の中を巡っていた。
彼女は真面目に聴いてくれていた。
だが、それは知らない知識を吸収する為でもなければ感嘆するわけでもない。
まるで海人が何かの面接でも受けて試験官に対して話をしているような、そんなイメージだ。
(なんだ、この変な気持ちは⁉)
そして、誰もいない屋上でつい口に出してしまうのだった。
「……なんなんだよ、明日乃さんて……」




