第一話 明日のはじまり
埼玉県みいさと市。
東京都葛飾区に隣接するこの街は、高いビルこそないものの、ショッピングセンターやレストランが多く、高校と大学もあり学生達にとっては住みよい場所だ。
私立みいさと高校三年A組。
朝のホームルーム前の教室では、決まって一角だけ生徒が集まってワイワイとやっていた。
そのすぐ近くの席で星野海人は月刊の科学専門誌を机に半分隠して読んでいる。
毎朝、毎休憩、毎昼休み、挙句に放課後まで、よくもまあ飽きずに話すことがあるものだと集まる彼らに呆れ半分、感心半分でページをめくる。
これもまた、星野海人の日常だった。
そしてクラスメイトだけではなく他の教室からも生徒がやって来る、その中心の席にいるのは、みいさと高校きっての美少女、明日乃未来である。
海人は、三年の席替えで彼女と席が近くなってしまった時から明日乃のファン集団に読書を邪魔されることが続いていた。
ぶっちゃけ鬱陶しいことではある。だが、悪い気まではしていない。
というのも明日乃未来の人気があるのは当前であったし、海人自身も高校一年で明日乃と同じクラスになって以来、ブロンドヘアーと蒼い大きな瞳の彼女に密かな恋心を抱いていた。つまりは、初手で打ち抜かれていたわけだ。
だが、自分は科学好き、アニオタ、学業中程度、スポーツ興味なし、連年ボッチ更新中という客観的にみても三枚目。これ、普通にモテる要素が微塵もない。
なので、もし仮に、あのファン共に紛れて物理的な距離は縮められたことがあったとしても、彼女との関係値は友達へのベンチ入りどころか二軍ですら無理な人間。
その自覚があるがゆえに、たまに彼女をチラ見するので精いっぱいであった。
ホームルーム開始の予鈴が鳴り、集まっていた奴らも各人の席に戻り始める。
海人も科学誌を閉じて机の中にしまい込みながら、ふと明日乃の方を見た。
瞬間、――彼女と目が合ってしまった。
なんのタイミングが合ったんだろうか。
こんなことは三年目にして初めてのことである。
慌てて視線をそらすと、明日乃未来は少し笑ってから前を向いた。
一時限目の授業が終わる寸前に、どこからか非常に小さく折り畳んだ紙が飛ばされてきたことに気づく。
紙片は小さな音をたてて机の上に転がった。
取り上げ、広げてみると「昼休み、屋上にきて」とだけ書いてある。
筆記はシャープペンで書いてあるのに、まるでプリンターで出力したみたいな文字。
誰が飛ばしてきたのだろうとキョロキョロしていると、岡安教諭が注意をしてくる。
「星野。授業はまだ終わってないぞ。なぁにを見ているんだ」
そう言った途端にチャイムが鳴る。"あっ"と表情を崩した後、岡安は指導資料を机上でトントンと揃えて持つと軽く舌打ちをしてから教室を無言で出て行った。
休憩という短い時間ですら、彼女の周囲には数名の明日乃ファンで壁が出来る。
一方、その時間の海人はというと、次の授業で隠し読む本の選定をしている。
キワモノと揶揄されるのが嫌なので、毎度のことながら本の選定はカバンの中で選ぶ。
こういう短い時間に読み切れるものは都市伝説をはじめとしたトンデモ本くらいだ。
昨日、帰りがけに買った本をパラパラと数ページめくって斜め読みしてみる。
(アメリカ軍で作られたヒツジ男か……明らかに宗教系の作り話だな)
こりゃ、しようもない話だと呆れて読んでいると唯一の友人とも言える田浦大地が覗きこんできた。
「また、そんなの読んでんの! お前も飽きない奴だなあ」
「別にいいだろ、息抜きで読んでるだけなんだから」
「あたりまえだろ。そんなもの。本気で読んでいたら俺、友達やめてるわ」
それはそうだろう。
「それより星野。お前、どうなんだこの席」
そう言いながらニヤニヤしている。明日乃の後ろになる一定の範囲は授業中でも彼女を近距離で常に眺めることが出来る特等席扱いだからだ。
「言っている意味がわからないな」
「へぇ、わかんないんだ? そいつは勿体ないなあ」
田浦は基本的にいい奴なんだが、何故か最近、恋バナを振ってくるようになってきてから少々鬱陶しい。恋バナは、海人にとっては何のスキルアップの糧にもならない。
そんな会話を休憩毎に振ってくるものだから、三時限目の休憩の際には、ついに
「そういうお前はどうなんだ?」とわざと聞くと、途端に遠い目をしながらトボトボと席に戻って行った。
四時限目が終わり、昼休みに入ると一瞬で教室の様相が変わる。
この時間、生徒が最初にどっと走りだすのは明日乃の席にではなく、学食と購買部なのだ。
チャイムと同時に喧騒が走り、その後、教室が静かになる。
海人は朝の紙片の内容を確かめる為に昼食も取らず学食や購買部とは逆方向となる屋上に至る階段へと向かった。
屋上への階段はほぼ誰も使わない。
それというのも屋上には給水タンクや室外機しかないためだ。
やや埃っぽい階段を上まで上がり、外への少々重い鉄製の扉を開けると、墨田区辺りまでが一望できる景色が広がる。
青い空とスカイツリー。
そのスカイツリーの背景には真っ黒な巨大宇宙船……というよりは宇宙艦が浮かんでいる。
その宇宙艦が東京上空に停泊したのは、今から丁度十年前であった。
全長約五キロもの巨大な、明らかに人為的なものが高度八百メートルで降下を停止したことで世界中がパニックになった。
レーダーにも映らない巨大物体。人類は固唾をのんで次に何が起こるのかを待った。
ひたすらに待った。
しかし一ヵ月を過ぎても特段に何も起こらなかった。
続いて、積極的調査ということでドローンによる接近と観測を行おうとした。
しかし、ドローンは船体表面まで、あと二十メートルというところで必ず消失した。
撃墜や破壊ではなく文字通り消えてしまうのである。
そこで今度はヘリによる、上から探査機器をロープで降ろすという方法が取られるが、探査機器が二十メートルに達した部分から消滅し始めてしまい、慌てて引き上げてみるとまるでカットモデルの様になって帰ってきた。
宇宙艦が到来して一年程経った頃、正体不明機が領空侵犯をし長距離空対艦ミサイルをこの宇宙艦に放つという暴挙があった。
しかし、そのミサイルさえも爆発することなく消え去ってしまった。
報道ではこの領空侵犯機は最後まで正体不明とされていたが、当然、どこの国の物かは自衛隊も政府も把握していたはずだ。
しかし、あえてそれを公開もしなければ非難もしなかった。
更に、この暴挙を国連に提訴すらしなかった。
日本政府は、恐らくこれを外交カードに使ったのだろう。
その時から、自衛隊のスクランブルは激減することとなった。
一方で首都機能の最初の一年半は大混乱であった。
謎の宇宙艦の下はもとより宇宙艦の形状に沿った真下より一キロ圏内は、立ち入り禁止となってしまったため多くの企業や住民が締め出されることとなった。
現場は騒然となり「地球の終わりが来た」「宇宙人の侵略だ」等と連日連夜に渡り漆黒の宇宙艦の報道ばかりであった。
しかし、まだ一週間しか過ぎていない時点で、あまりにも影響する人が多すぎて政府が対応を決めかねている中、一部の住民や企業がしびれを切らして警告を無視して立ち入り制限区域内で操業や営業を勝手に再開してしまう。
すると、日陰であること以外は何も変わりない、むしろ暑さや雨をしのげて助かるといった声が次第に大きくなり、それらの声を抑え込むことは難しくなった。
そうなると、国も自己責任という形で立ち入りを許可するしかなくなってしまった。
先の某国ミサイル事件でさえ、誰も気が付かなかったということもあり、おっかなびっくりではあったが人々はどんどんと宇宙艦の真下に戻ってきた。
そして二年もすると、宇宙艦を「黒いの」や「宇宙さん」といった名称で観光資源にしてしまったりといった新たな経済効果すら生み出し始めていった。
もちろん、ネガティブな影響もあった。
電磁波を反射しないため航空機には危険であり空路の変更は余儀なくされた。
また、詐欺まがいの新興宗教がいくつも発生したり、宇宙艦の影の影響を受ける範囲の太陽光パネルは意味をなさなくなった。
だが結局、宇宙艦は十年間、測量で出る範囲だけでも数センチも動かないで停止している。
そして、人類側からの如何なるコンタクトにも無反応であった。
星野海人は、その経緯を小学校のころから見てきた。
この宇宙艦がある東京の景色もいまや見慣れてしまった。
屋上には、そよ風が吹いている。
春の風は、まだ肌寒かったが気持ちよい。
それに何と言っても眺望が素晴らしい。
高い場所は苦手だが、地平線まで見えるとなると話は別だ。
「うーん……これなら天体観測がやり放題だな」
すると背後から声をかけられた。
「へぇ、天体観測もやるんだ?」
振り返ると、そこには明日乃未来が立っていた。
憧れでしかなかった女子が突然、目の前に現れたことで海人は固まってしまい言葉が出なくなった。
「ねぇ、星野君。私のこと、ず―っとチラ見してきたでしょ?」
そういって彼女はいたずらっぽく笑いながら、うつむき加減な海人の顏を覗く。
教室での机同士の距離より遥かに近い。
「あ、あの……紙……」
「そうだよ? わたしだよ?」
「え……あの……僕が見ていたのは、す、スト―カ―しようとか、そういうんじゃないから……さ」
それが今の精一杯で出た言葉だった。
彼女は大きな瞳を一瞬大きくし慌てて手を振り否定する。
「え⁉ やだ、そういうことじゃなくて!」というと一歩近づいて、柔らかい声で言った。
「星野君さ、今日が初めてだよね。私と話したの」
ヤバいくらい綺麗である。視界に入れると自分の顔が勝手に熱くなっていくのがわかる。声が喉にひっかかりそうなのを無理やり絞り出す。
「あ……そうだね」
「ねえ、どうして今まで話しかけてくれなかったの?」
「どうしてって……明日乃さん、人気あるから。僕じゃ近づけないよ……」
すると明日乃は、「あっ」と小さく声を漏らし、すぐに困ったように笑う。
「やっぱりそうだよね。私もわかる」
それを聞き、海人は明日乃未来という人物が少しわからなくなった。
(自分のファンの人垣があるのに人見知りの僕にどうしろと言うんだろうか。もしかして、からかわれているのかな)と思ったら少し悲しくなった。
「ん……? わかるという意味は? 君がボッチオタな僕の状況を理解できるということ?」
彼女は至って真面目な顏でこう告げた。
「わかるよ。わたしだって、あの人垣を避けて星野君に話しかけに行けないもの」
どうやら、からかっているわけでもないらしい。
「ああ、なるほ……いやいや‼ 君が? 僕に? 明日乃さんから話しかけに来るの? なんで?」
途中から、向こうが自分に興味を持って話しかけに来るということに薄々気がついてしまい、とっちらかってしまった。
慌てる海人に明日乃は更に驚くことを言う。
「そんなに驚かないでよ。少なくとも一年くらい前からは、わたしの方から話しかけにいこうとは思っていたんだよ? でも、強引に星野君の席にいったり帰りを待っていたり、そういう素振りをしたら後が面倒くさいし……」
秘密の意中の人から海人への、まさかな話だった。
一体、何が起こっているのか、頭の中を整理しようとしたが興奮して考えがどうにもまとまらない。
「で、でも、僕のことを少しでも知っているのなら話をしたくなる相手じゃないって、普通は思うと……」
すると明日乃は、意外な角度から話を切り込んできた。
「星野君さ、今朝も科学雑誌読んでいたでしょ。その前も。たまに都市伝説の本なんかも読んでいるよね?」
(バレている)
あの人垣の中からどうやって見ているのか見当もつかないが完全にバレていた。
「え⁉ いったい、いつから⁉」
「ず―っと前から。というか、いま認めたよね?」
しまったと思った。
海人は言質をとられてしまったのだ。そして明日乃はそれが何故か嬉しそうだ。
慌てて相手の作意を探る。
「え‼ いや、そうなんだけれどさ? あっ、わかった! なんだよ! 先生にいいつけるのかよ⁈ それとも、これ、何かの脅し⁈」
その返しは、あまり良作とは言えなかったようで、どうもチャンスを与えてしまったようだ。
彼女の目が細くなり、笑みがこぼれる。
「あ! その手あったよね! うん‼ わたし、星野君を脅すことにした‼」
完全に明日乃のペースだ。
そして次には満面の笑みで、彼女は嬉しそうに海人の手をとり――
「星野君。君は毎日、昼休みはわたしとここで話をすること! しかも、科学とか宇宙の話を。してくれないとホームルームの時、星野君がいかがわしい本を読んでいるってばらすというのは、どお?」
「えっ⁈ ええ――っ⁉」
憧れからの脅迫とは言えない謎の申し出に海人は、ただ戸惑うしかなかった。
明日乃にとられたままの手に、勝手に全神経が集中してしまい言葉が出ない。
暫く無言の時間が続いたが明日乃は海人の手をとったまま、ポツリと言う。
「だってさ、学校でそういう話。出来る人いないでしょ、お互いに」
確かにそうなのだ。
単純に宇宙の話が好きという人がいても星が綺麗だとか、知っている星座があるとか、酷い時など結局は星占いの話だったりと、まともに話が出来る相手は皆無だった。
中学校辺りから、そんなことが続いてきたので海人はすっかり周りに対して冷めてもいたし諦めてもいた。
だから、海人は学校では専門書を読み、話し相手はAIとなったのだ。それは本人的には非常に満足であったが客観的にみると寂しいことなのかもしれない。
「……うん。そこは確かに。気が付いたら教室で、みんなの話題についていけなくなってて。まあ、ついていく気もないけれど」
海人が弱音とも本音ともつかないものをポツリと漏らしたのに対し、明日乃は明るくこう言い放った。
「だよね――。でどうなの? 脅しに乗るの、乗らないの?」
風が明日乃のブロンドの癖毛を揺らし、蒼い瞳がまっすぐに海人を見つめている。
断るはずがなかった。
「わかった‼ 積極的に脅されることにするよ!」
その言い方に明日乃は一瞬ポカンとしてから笑い出す。
「やった! あははは、なにそれ! 積極的にって!」
それは教室では見せたことがない、恐らく彼女の素の笑い声だ。
「じゃあ、明日からね。あと、これ。一応、LINE交換しよ?」
スマホを差し出す彼女の指先がその時、僅かに震えていたことに、海人は気づかなかった。
(LINE交換……明日乃さんと⁉ これ、本当なんだろうか)とスマホを見る為に下を向いた。
「これでいいのかな? ん? なんだ、これ?」
スマホ画面に二滴、三滴と赤い液体が落ちて拡がる。
鼻血が垂れていた。
「あっ、ヤバい‼」
「えっ、ちょっ――大丈夫⁉」
慌てた明日乃は、ポケットから慌ててハンカチを取り出し、海人の鼻に押し当てる。
距離が一気に縮まり、彼女の髪の匂いがふわりと届く。
「も――何やってんの! LINE交換くらいで鼻血って!」
「いや、だって、君は明日乃未来さんでしょ! 鼻血くらいでるよ‼」
「はぁ⁈ どういう理屈よそれ!」
呆れながらも、海人をハンカチで優しく押さえてくれている。
そして、聞こえない程の小さな声で――「そんなに意識してくれてたんだ……」
本人は呟いたつもりだったようだが、屋上に風以外の音はなく海人の耳には微かに聴こえていた。
「どういう理屈で鼻血が出たって……」
文武両道かつ比類なき美人という隙が無さすぎな女子高生のオ―ラの前に、存在感が基底状態のオタク男子が曝された結果ですとも言えず、う―んう―んと唸るしかない。
「もういいよ。ほら、止まった?」
海人が頷くと、明日乃はようやくハンカチを離した。
「明日もここで、ね。約束。破ったら本当に先生に言うんだから」
そう言い残して、彼女は階段を降りていった。
鉄扉が閉まる重い音がして、屋上には海人だけが残された。
風がまた吹く。
東京上空に浮かぶ巨大な宇宙艦が午後の陽光の中、黒々と見える。
誰にも何も語らない巨大物体。
海人はそれをぼんやり眺めながら、ポケットの中の紙切れの感触と、手に残った彼女の温もりを反芻していた。
「……あっ、鼻血ついたハンカチのまま持っていっちゃった‼」
軽い衝撃に思わず声が出た。
(どうしよう、買って返そうか?)
海人は物凄く嬉しいのと、彼女への申し訳なさが入り混じった複雑な気持ちで屋上をあとにした。
その日の放課後、帰り道に海人は駅前のバラエティショップでちょっといいブランドのハンカチを選んでみる。
似合わないことをしている自覚はあったが、他に選択肢を思いつかなかった。




