連鎖する悲劇(3)
※ ※ ※
夜明けは襲撃者にとって最も最適な時間である。
夜間、襲撃を警戒して張り詰めていた精神が、昇りかけた太陽を見て一気に緩む。同時に眠気が押し寄せる。
モン・サン=ミシェルに太陽の光が一筋射した。修道院の天頂に止まる大天使が黄金のきらめきを放ち始める。
岩で造られた巨大要塞にも似た修道院の影で、今尚、島の人間は眠りについていた。
それを知っているのであろうか。襲撃者の足取りは軽かった。
島の細部の造りまで完璧に頭に入っている。
そんな歩調で一軒の家に忍び込み、床に転がるものや家具を巧みに避けて奥へと向かう。
簡素な寝台の傍らで、その人物は立ち止まった。
微かな白い光が窓から差し込む。
襲撃者は己の姿が晒されるのを拒むように柱の影に身を摺り寄せた。
後ろ手に持った刃物を何度も持ち直しながらも、視線はベッドに注がれている。
頭から毛布を被って、目指す人物は深い眠りについているようだった。
「………………」
一瞬の躊躇の後、襲撃者はギリと唇を噛んだ。
意を決したように刃物を振り上げる。
──大丈夫。戦い方は知っている。
汗で滑らぬよう持ち手を握り直して、それから渾身の力と体重をかけて振り下ろした。
狙いは過たず、刃の切っ先は毛布の膨らみ、対象の首に吸い込まれる。
しかし、次の瞬間。
──ガッ。
硬質の異音を発して、得物は弾かれた。
衝撃で、襲撃者の体はその場で泳ぐ格好となる。
──何だ、一体?
痺れる腕を庇いながら毛布を剥ぎ取る。
そして襲撃者は驚愕の呻きをあげた。
毛布から零れたのは銀の滝。
薄灰の瞳に大粒の涙を湛えた少女が、じっとこちらを見上げていたのだ。
鋼鉄の右腕で首を庇うような体勢。
衣服は寝間着ではなく黒の長袖である。
眠っていたわけではない。
襲撃を予想し、待ち構えていたように見受けられる。
「なぜだ?」
しかし少女の表情はショックと悲しみに沈んでいた。
信じられない、という風に目の前で凶器を持った男を見詰める。
その時だ。
朝の陽射しが強く鮮やかに窓から飛び込んできたのは。
光は、闇に隠れようと体を縮める襲撃者の姿を否応なく曝き出す。
「ロム、なぜガリル・ザウァーを狙った?」
光を受けて浮かびあがる明るい茶色の髪。
腹の包帯には赤黒い血が染み付いている。
襲撃者──ロム・テクニカはその場で包丁を取り落とした。
「何でアミさんがここに……?」
このベッドには負傷した武器商人が寝かされていた筈だ。
身にしみついた反応で素早く包丁を蹴り飛ばして、それからアミはゆっくりと身を起こす。
「ガリル・ザウァーは、隣りの家で寝かせてもらってる。武器庫を爆撃したやつが、この家も狙ったらいけないと思った。だから、わたしが身代わりにここにいる」
武器商人には敵が多く居る。
育ての親に関しては、その間の抜けた性格からは信じ難いほど神経を尖らせるアミの用心は正しかったと言えよう。
しかしまさか仲間と信じていたロムが来ようとは……。
「まさか、武器庫を襲ったのも……」
「ち、違う……ムグッ!」
声を張り上げて、慌てたアミに口を押さえられる。
「静かにしろ! 隣りの家にはガリル・ザウァーと一緒にシュタイヤーもいるんだ」
「う、うう……」
「シュタイヤーに見つかったら、問答無用で殺される。でも、わたしはそんなことはしない。いいから答えろ。武器庫を襲ったのはロムか?」
いつもの辿々しい口調で不吉な言葉を告げた少女を萎縮した目で見やって、ロムは唇を噛む。
「違う! あの時、武器庫にはおれもいたんだ。とっさにお母さんが突き飛ばしてくれなかったら、おれだって……」
手足が千切れて吹き飛んだ母の死体は今尚、瓦礫の中に埋もれたままだ。崩れた柱と壁の隙間から見えるその顔は、無念を示すように土に汚れている。
仲間も、ほとんどがまだあの下に居る。
早く出してやらなくては。
もう少し明るくなれば、絶望的な救出作業は再開できるだろう。
「ロム……」
母を失った彼の気持ちはアミには恐らく分からない感情だろう。
だが彼女とて、仲間とは十年以上一緒に居た間柄だ。
ロムの母は実の娘のようにアミにも接してくれた女性である。昨日も軽口を叩き合ったではないか。
なのに一切の用心を怠り、気楽に出掛けたことが悔やまれてならない。
「アミさん、よく考えろよ。あれはただの空襲じゃねぇ。誰かに狙われたんだ。分かるだろ?」
「え……?」
自分の頭の回転が早くないことを理解している少女は、疑うような視線を仲間に向けた。
腕力と戦闘力で己が相手を遥かに凌駕するのは知っての通り。
しかし考えるのは苦手だ。
決して口先では丸め込まれないぞと表情を引き締める。
「武器庫は周りの家と変わらねぇ。なのに、あの家だけが狙われたなんておかしいじゃないか」
「何が言いたい?」
「決まってる! 誰かがドイツ軍の治安部隊に情報をリークしたんだよ。レジスタンスの一派がここにいるって」
「それは……そんなこと誰が……あっ!」
アミの中でその犯人はユージン・ストナーであるとあっさり結論付けられた。
あの老人はドイツへ行こうとしていたらしい。
ならば武器商人の隠れ家情報は良い土産になる。
連絡を受けたその実行犯が、恐らく夕方遭遇したドイツ兵なのだろう。
そうだ。全ての辻褄は合う。
自分の中で状況の推理が繋がったところで、アミは考えることを止めた。
今、大切なことはひとつだ。
「なぜ、今ロムはガリル・ザウァーを殺そうとした?」
「アミさん……」
ロムは言葉を詰まらせる。
「よ、よく考えろよ。何かおかしいだろ!」
しかし少女は最早聞く耳を持たない。
薄い灰色の瞳は殺気を孕んで仲間を射抜いていた。
「ガリル・ザウァーは、孤児のわたしやみんなを助けてくれた。ロムだってそうだろ? だからわたしの力も命も、みんなの命もぜんぶ……全部ガリル・ザウァーのものだ」
「アミさん……おれはアミさんのために言ってんだ。こんなことになったのはガリル・ザウァーのせいだろ! 汚い仕事して、あちこちから恨み買って……だから!」
「それ以上は言うな」
少女の右手が拳の形に握り締められる。




