016 マーガレット①
マーガレットは物心つく頃には孤児院で生きていた。
孤児院は、あまり良い環境とはいえなかった。
食事は貧相なもので、大人の機嫌を損ねれば食べ物は与えられない。
いつもマーガレットはお腹を空かせていた。
「ほらほら、マーガレット! お前だけ仕事が遅いよ!! なんだい、この縫い目は。ふざけているのかいっ!」
孤児院の先生は10歳のマーガレットに針仕事をさせては、マーガレットの仕事を責め抜いた。
周りではくすくすと笑う声。
孤児院の環境は荒んでいて、子供たちでもお互い蹴落とし合う間柄だった。
マーガレットは要領悪く、いつも不満の捌け口にされていた。
(疲れた……お腹すいた)
ようやく眠りにつけたマーガレットは布団の中で涙を流した。
(お父さん、お母さん……どうして私を捨てたの?)
涙で布団が濡れると、ふと花の香りがした。同時にじんわりと口の中が甘くなった。
あまりの空腹に、五感が狂っているのかもしれない。
だが、この花の香りと甘さは、マーガレットをほんの少しだけ慰めてくれた。
◆
ある日、孤児院に貴族がやってくると朝からてんやわんやだった。
「さぁさぁ、張り切って掃除をしなさい! 貴族様に気に入られたら引き取ってもらえるかもしれないよ」
先生はいつもより上等なドレスを着て、子供たちに指示を出した。
お気に入りの孤児に衣装を着せては満足そうに微笑んだ。
「マーガレット! あんたはどんくさいからね。恥になる。屋根裏部屋に隠れていなさい」
先生はマーガレットをそう責めて、屋根裏部屋へと追いたてた。
周りから馬鹿にされて、誰もマーガレットを助けようとしない。マーガレットは屋根裏部屋で涙を流した。
◆
貴族が来たようで、外から声がする。
しばらく賑やかな雰囲気だったが、少しずつ騒がしくなるのを感じた。
先生の慌てた声が聞こえた。
「お待ちください。夫人……そちらは屋根裏部屋で何もありません」
こつこつと足音が近づいてきて、マーガレットは怯えた。
扉が開かれて、そこから現れたのは綺麗な女性だった。
亜麻色のふんわりとした髪を三つ編みに結っていて、赤い果物の飾りのついた帽子を被っている。
翠の瞳はくりくりとして愛嬌があった。
「あなたはマーガレット?」
女性はマーガレットの方へ近づいた。
「あ、はい……マーガレットと言います」
「家名は?」
女性からの質問にマーガレットは顔を赤くした。
先生は後ろにまわり代わりに説明した。
「この子は捨て子ですわ。家名などございませんわ」
「捨てられた? どこにですか?」
質問が次々と出たが、先生は首を傾げた。
「どこだったかしら……昔のことで。ああ、その子は孤児院の前で捨てられていましたの。ぼろぼろな布に包まれて、口減しにされたのでしょう」
思いついたようにべらべらと語る言葉に、女性はポシェットから布を取り出した。
「これを……」
ポシェットから出たのは古い布。だが、上質なもので、肌触りがよさそうだ。
「古物商から見つけ出しました。売ったのはこの孤児院の女性と……あなたでしょう」
布が広げられると、端の方に模様が見えた。
コマドリの絵に、『マーガレット』という名前が刻まれている。
「これは私の嫁——エリザベスの作品だわ。エリザベスの友人のモンベル伯爵夫人に贈られたおくるみです」
エリザベス。モンベル伯爵夫人。
マーガレットには縁のない高貴な女性の名前で、胸の奥が熱くなるのを感じた。もしかしたらという期待があるが、同時にそんなことはありえないと否定する自分がいた。
「そして、この子は私が探していたモンベル伯爵家の子・マーガレット」
女性はマーガレットを示して、断言した。
「いいえ! その子は孤児院の前に捨てられていた赤ん坊でした! マーガレットは他にもいますわ。さぁ、おいで」
先生は手頃なお気に入りの女の子に声をかけた。
突然マーガレットと呼ばれて女の子は動揺していた。マーガレットという名前でないのは、マーガレットも知っている。
「本当に?」
見かけない子供が姿を現した。着ている服から貴族の子だとすぐにわかった。
黒髪に青い瞳をした少年は、マーガレットと呼ばれた女の子の方へ質問を投げかける。
「貴族に嘘をついたときの罪を知っているの?」
その時、女の子はさぁっと青ざめた。
貴族に嘘をついてはいけない。
赤子の頃から口酸っぱく教えられることだった。
貴族に嘘をつけば、右の薬指を切り落とされる。
女の子は思わず右の薬指を隠した。それが、何を示すかすぐにわかる。
「本当に君はマーガレット?」
少年に問われて女の子は首を横に振った。半分涙ぐんでいるようだった。
その様子を見てネネはため息をついた。
「コンスタント……自分より幼い子を脅すように言ってはダメよ」
少年は肩をすくめて女性の傍へと近づいた。女性は少年の肩を撫でながら、震える女の子に声をかけた。
「大丈夫よ。指を切り落とす話は前の時代の話よ。それに、あなたはまだ嘘をついていない」
そう言われて女の子は泣き出して、その場に崩れ落ちた。
女の子の泣き声を聞きながら、女性はあたりを見渡した。
「どうやら色々と調べた方がいいわ。後で憲兵を呼びましょう」
「もうすでに呼びました」
少年は予想していたかのように伝えた。
「あら、コンスタンス。早すぎよ」
「元から怪しいのは明白です。後で違っても、それはそれで良かったと思えば良いでしょう」
感心した女性はマーガレットの方へ向き直る。
「さぁ、行きましょう。マーガレット」
女性から差し伸べられた手を見て、マーガレットは躊躇した。
「お、奥様の手が汚れます」
自分の手はお世辞にも綺麗とはいえない。
こんな綺麗な手に、自分が触れてはいけない。
「マーガレット……あなたは私の大事な子よ。そのようなことを言わないで」
優しく声をかけられてマーガレットは思わず涙ぐんだ。




