013 アレクサンダー
ネネは夢の中で昔のことを思い出していた。
◆
「明日は屋敷へ来ないで欲しい」
昨日アレクサンダーから言われたことを思い出した。下宿の入り口に騎士たちが配置されていた。
(何があったの?)
ネネは窓を開けて、公爵家の屋敷の方をみた。大きな音、兵士たちの号令が聞こえてくる。
あまりの物々しい雰囲気で、まるで戦争を思わせた。
(アレクは無事なの?)
それを考えると、このまま下宿で過ごすなどできなかった。居ても立っても居られずネネは裏手口から出た。
「ローザン令嬢、待ってください」
騎士たちはネネを見つけて追いかけた。だが、ネネはうまく人の往来を利用して騎士から逃れた。
◆
屋敷の敷地へと足を踏み入れると、中は騒然としていた。
至る所で押さえつけられた人、それを囲う騎士たちが見られた。
「アレク」
ネネは必死でアレクサンダーの姿を探した。
どこにも彼の姿は認められず、本邸の方へと近づこうとした。
(私が近づくのも……)
一瞬躊躇したが、扉が開かれて建物から壮年の男が現れた。
くぼんだ瞳で何かしら叫んでいる。
「放せ! 無礼者。お前たちの主君は誰だと思っているのだ!!」
以前、遠くから見たことがある。
ラニテル公爵だ。
愛人と一緒に薔薇園で睦まじくしている場面を覚えている。窓から二人の様子を見て居た堪れない気持ちになった。
アレクサンダーが両手でネネの目を覆った。
——「あんなものを見なくていいよ」
耳元で囁く彼の言葉が冷たくて、不安になった。触れられたくないもののように思えた為、ネネはあまり口にはしなかった。
あの時の公爵が、今は罪人のように連行されている。
ふと、公爵はネネの姿をみた。
くぼんだ目で睨まれて、獰猛な獣に標的にされたような感覚が襲ってきた。
「お前、アレクサンダーの女だな」
突然の断言にネネは背筋が震えた。
「アレクサンダーに何を吹き込んだ。この淫売めが!」
あまりに汚い言葉を浴びさせられてネネは硬直した。
「その口を塞げ。ネネの耳を汚すな」
後から出てきた男の命令に騎士たちは公爵に猿轡をかけた。公爵は不服そうに叫ぶが、声がくぐもり言葉にはならない。恨めしげにネネを睨みつけていた。
「アレク」
騎士姿のアレクサンダーがそこにいた。
アレクサンダーはネネの傍に近づき、肩を抱きしめて自身の後ろへと隠した。
ネネに不要なものを目に触れさせない為に。
喚き立てる人物が消えて、ネネはマントの影から顔を出してアレクサンダーの顔を見た。
血で頬が汚れていた。
ネネは思わず、両手でアレクサンダーの頬に触れた。
「大丈夫。私の血ではないよ」
優しい声で応えられる。いつものアレクサンダーの声なのに、強い不安が襲う。
「一体何が」
「父を幽閉して、私が公爵家を継ぐ……」
今起きたことをアレクサンダーは言った。
「父は、他国の諜報員に籠絡されて、国への背信を認めた。このままでは公爵家は、私も、父と共に崩れ落ちてしまう……だから、大事に至る前に父を幽閉し、膿を削ぎ落とす」
アレクサンダーの家で起きたことはネネは知らなかった。いや、知らないふりをしていた。
公爵家へ出入りしているうちに、予想がついていた。
この公爵家は内面が腐敗していた。
呪われた公爵家と呼ばれて、領地外とのつながりが疎かで、奸臣が生まれて、外国から諜報員が入り込み、柱である公爵は堕落していった。
「あの時の女の人が諜報員? あの女性は……」
アレクサンダーは苦虫を潰したような表情で首を横に振った。
「逃げられたよ。指名手配はするが、もう公爵領にはいないかもしれない……」
彼の言葉が震えていた。
「私は父を幽閉した冷酷な男だ。ネネのおかげで領地の呪いは薄れたといっても、まだ『呪われた公爵』の名は健在だ……」
アレクサンダーはネネの手を握りしめた。まるで壊れ物のガラスを触るかのような手つきだ。
「せめてこんな姿……ネネに見られたくなかった。実の父を幽閉しようとする姿など……」
「……」
「私が怖いか? 側にいるのは嫌か?」
アレクサンダーの声にネネは何も答えられなかった。何を答えるのが正解かわからなかった。
「でも、私はネネを離したくない。……私にはネネが必要だ」
その時、アレクサンダーの瞳が強く光る。公爵のくぼんだ目とは違うが、目の前の存在を逃したくないと言っているようでネネは震えた。
こんなに強く、誰かに求められる経験など今までなかった。
「私は、没落子爵家の人間で……公爵家にはもっと相応しい方が」
「ネネでないと嫌だ……ネネが欲しい」
言葉が遮られる。ネネ以外を拒絶する言葉に、ネネは震えた。
「どうして、私? 私は何も持っていませんよ」
アレクサンダーを支える力など皆無だ。実家の力なんて皆無だ。
「ネネが好きなんだ」
「そんな貴族にあるまじきこと……」
貴族の結婚は基本政略で決まる。家同士の契約で、個人の意思が反映されることは少ない。
「ネネが笑うと嬉しい。ネネが私の言葉で表情を変えるのが愛おしい……ネネの温もりを手放したくない」
アレクサンダーの手が震えていた。
弱々しい力で、振り払えばいくらでも逃げられる。
だが、ネネはそれができなかった。
彼の一挙一動に思わず期待してしまう自分がいたのも事実だった。
「そんなことを言ってずるいわ」
ネネはつぶやいた。
「私もアレクのことが好き……そんな言葉を言われたら、勘違いをしてしまう。あなたに愛されていると、自惚れてしまうわ」
アレクサンダーはネネの顎を捕らえて顔を近づけた。
唇が触れる。
ネネはその瞬間、目を閉ざした。
彼から与えられる口づけを受け入れた。それがネネの答えだった。
◆
公爵家のお家騒動が明けて、アレクサンダーはラニテル公爵となり、ネネは夫人として迎えられた。
「没落子爵家の令嬢を娶るなど……」
「一体どんな手練手管で公爵様を落としたのかしら」
「『呪われた公爵家』に取り入るなど賢いですわね」
予想通り、世間では批判が強く出た。
だが、ネネが数多くの功績——公爵家の呪いを緩和したと知れ渡り、次第にネネへの批判は薄れていった。
領地外との外交もネネは意欲的に活動して、遺跡探索・管理についての相談もいつでも請け負っていた。
慈善活動にも精力的で、ラニテル公爵夫人として誰もがネリーネイオミを称えるまでになった。
その頃には、『呪われた公爵家』のあだ名は過去のものとなった。




