010 大奥様が残したもの
ネネはティーセットを、マーガレットの執務室へと運んだ。
「奥様、お茶の準備ができました」
書類と睨めっこしていたマーガレットは微笑んだ。表情は昨日より柔らかいものになっており、ネネは安心した。
「失礼致します」
かちゃと小さな音を立てながら、ネネはお茶を淹れていく。
アッサム茶にミルクと蜂蜜を添えて彼女の前へと差し出した。
その時、ネネは机の上の書類が目に飛び込んできた。
『遺跡の報告書』と書かれた1行目を思わず凝視してしまう。
マーガレットの視線に気付き、ネネはすすっと後ろへと下がった。
「文字が読めるの?」
「か、簡単にですが……」
メイドごときが報告書を勝手に読むというのはよくないことだ。
マーガレットの中でネネの評価が一気に変わってしまったかもしれない。
「昔はね、文字を読める女性が少なかったのよね」
マーガレットは特に怒っている様子はなかった。世間話を始めるかのように穏やかな声である。
「大奥様が学校や学舎を整備してくれたおかげで領地内の識字率があがったわ」
そのことは知っている。
ネネ自身が行った事業だからだ。
ネリーネイオミは女性の識字率の低さに着目していた。
女性は子供を産み家事さえできれば問題ないと言われて、ろくな教育を受けず文字書き算盤ができる者は少なかった。
その為、契約書を読めずに騙して搾取する者たちが後を絶たなかった。
文字さえ読めたら、そのリスクは抑えられるかもしれない。
契約内容がわからなくても、相談する窓口さえあれば違うかもしれない。
ネリーネイオミは女性が生きていく上で必要な知識を与える場所を作った。
「少しは女性の暮らしは変わったでしょうか?」
今はどのようか、変わったかわからない。
2年前から、足腰が立たずに寝台から離れられなくなったから。
「ええ、女性の雇用が広がったわ」
マーガレットの言葉にネネはほっとした。
自分のしてきたことが無駄ではなかったと思えたから。
「その、勝手に書類をみて申し訳ありません」
遅れながらも、ネネは先ほど書類を眺めていたことを詫びた。
「いいのよ。あなたが来た時に片付けなかったのは、見られても問題ないものだから」
マーガレットは先ほどの書類をまとめて、とんとんと揃えた。
「遺跡……というのは」
「忘れ去られた土着神の遺跡よ。国外からロマ教ノンナ派が入って、国教に制定されて、土着神は邪神と呼ばれるようになった。壊されたり忘れ去られたり……本当に邪神になり、土地が呪われた例は多くあるわ」
マーガレットはネネの反応を見た。情報が密でわかりにくさがないか、ネネの目を見て判断しているようだ。
「大奥様はその遺跡を見つけ出す探索者だったわ。遺跡を見つけて、神の怒りを鎮めて、眠りについた神を呼び覚まして……」
マーガレットは遺跡のひとつひとつを指差した。どれもネネ——ネリーネイオミが発見した遺跡である。今は、新しく整備し直して公爵家で管理を呼びかけている。
「公爵代理になってからはさすがに探索者の仕事はできなくなったけど、探索者を雇って公爵領の遺跡を探索、管理し直す仕組みを作られたわ」
「大変ですね」
自分の仕事を、マーガレットが請け負っていた。
(公爵夫人の仕事だけでもたいへんなのに)
ネネはマーガレットの負担が大きくないか心配した。
「大変だったのは大奥様だわ。でも、おかげで恩恵を賜ったのよ」
それは何か、すぐに予想がついた。
もう誰も口にはしないが、まだ忘れられた訳ではない。
「かつてはこのラニテル公爵家は『呪われた公爵家』と呼ばれていたわ」
「今では考えられないことです」
実際はネネはそう呼ばれていた時代を知っている。
「大奥様が遺跡を見つけたおかげで公爵領の土着神たちは目を覚ましてくれて、各々の権能で土地を守ってくれるようになったわ。邪神だった神も今ではすっかりと怒りを鎮めてくださった……おかげで『呪われた公爵家』ではなくなったわ」
マーガレットは大事に書類を抱きしめた。
「光栄なことだわ。大奥様が残されたものを私が引き継ぐのですもの。私は大奥様のような能力はないけど、しっかりと公爵領を守らないと」
マーガレットは張り切っていた。
まだ若いからこそ挑戦したい心意気もあるだろう。
「あまり根を詰めないでほしい……いえ、その」
思わず彼女の義祖母の口調で喋ってしまい、ネネは慌てて口を閉ざした。
その様子にマーガレットは笑った。
「ありがとう。でも、大丈夫よ。私が負担にならないように大奥様が分担して、部下に割り振りやすくしてくれたし」
ネネの安心した様子をみてマーガレットは目を細めた。
「何だか、嬉しいわ。誰かに、大奥様のことを話したくてたまらなかったの」
その言葉にネネは気持ちが揺らいだ。
(コンスタントとカレンがいるのに……?)
今は話せる状況ではないということは、やはりコンスタントの浮気のことがあるからだろうか。
聞きたいことだが、さすがにネネの身で聞くわけにはいかずネネはマーガレットの笑顔に笑顔で返す他なかった。
◆◆◆
コンコン。
ノックの音がして、マーガレットは扉の方へ呼びかける。
「どうぞ」
ガチャリと音と共に現れたのは騎士団副団長のカレンであった。
「カレン、どうしたの?」
「挨拶に参りました」
彼は頭を下げた。
「大奥様の喪の最中、しばらく彼女を偲びたく休みを願いました。今し方公爵閣下より許可を得ました。そのため夫人への挨拶を……」
「そう……葬儀には来るわよね」
カレンは苦く微笑んだ。それが頷きなのか、ネネにはわからない。
「あなたは随分と休みなしだったし、喪があけるまではしっかりと休みなさい」
「ありがとうございます」
カレンは頭を下げて、部屋を後にした。その後ろ姿を見つめてマーガレットはため息をついた。
「大丈夫かしら……彼が大奥様の信者だから」
マーガレットの言葉にネネは微妙な表情を浮かべた。
(何だか嫌な感じがするわね)
「奥様、カレン卿は……確か、領地都市内に家を」
「ええ、2年前に大奥様に勧められて家を購入したわね。確か場所は……」
マーガレットはおおまかな家の位置を口にして、ネネは頭の中で領地都市のどのあたりかと把握した。




