21.
雨はとっくに止んでいた。
左胸の真上。彼女の命を断つ為に、その剣は構えられている。
あと僅か、ほんの僅か。致命に至るであろう切っ先は、しかし迷いに揺れる事は決して無く。
二人の視線は交錯する。
或いは想い人に見せるような、恍惚とした瞳で。
或いは救えない悪鬼を見るような、冷徹な眼で。
「……殺さないの?」
言葉が浮かぶ。
彼女の期待を込めた高揚感が、その端には滲んでいた。
「キミなら、私を殺せるよ。確信がある。不死身の魔女なんて、生かしておく理由が無いんじゃない?」
「……理由が無い」
『剣』は動かない。進退は許されない。
生殺与奪を握る側が、言葉で追い詰められている。二人を除いて音を発するものが消えた静寂で、それは何とも奇妙な光景だった。
「理由を俺は作れない。この惨事を呼んだのはアンタだろ。……だから殺す? とっくに手遅れで、解決の余地も無いのに? ここでアンタを殺した所で、何がどう好転するんだ?」
確信。見てきた地獄を思えば、その結論しかあり得なかった。
魂の捕食。そんな魔法は聞いた事が無い。研究として行われているなど、僅かにも耳に挟んだことはない。
あの巨大な植物が行っていた事は、少なくとも『剣』にとっては未知のもの。そしてその未知に最も近いのは。
「キミの気は晴れるだろうさ」
「違うだろ──」
心を冷たく研ぎ澄まし、彼は会話を続けていく。
眼前の『徽』を殺める為に振り上げられた拳が、行き場も無いまま落ちそうになる。
迷いでは無く。状況の整理による、確認。
人の心では無く。機能めいた、冷徹さ。
それが彼の手から、殺意をゆっくりと解いていく。
「──俺がどうなった所で、この事態は何も変わらない」
「…………」
「ここでアンタが死んでも、俺にしか変化は無いんだ。だから、殺す理由が」
「生かしておく理由も無いのに?」
雨はとっくに止んでいた。
二人の体を濡らすのは、その他大勢の返り血だけ。
……正しくは『剣』が受けた血が、いつの間にか彼女にも落ちているだけなのだが。押し倒されていた『徽』は、はじめから濡れてなどいなかった。
「それは、キミの願いなんじゃないのかな。私を殺したくないって情が絡んだ。……少し嬉しくて、そして少しだけ残念だ」
「俺は、」
「私の魔法。どういう物か、もう知ってるでしょ?」
ゆっくりと剣が退けられる。
体躯で劣る筈の彼女は、特に力む様子もなく、軽く『剣』を小突くだけ。
そうして命に手がかかっていた距離は、また少しだけ、開いていった。
「手遅れなら、手遅れなりに」
埃を払う彼女の動きに、彼は目をやる事すらできないまま。
『剣』の手に力は無い。剣を離さないだけで、何をしようという気力も残っていないようだった。
──国内の植物は全て絶たれた。そこまでに駆けた道に、生存者は見つからなかった。
『剣』という役割は──既に、機能する目的を見失っている。
雨はとっくに止んでいた。
背中からまばらに聞こえる音も、勢いがひっきりなしに変わる雨も、全身に浴びる血液も。既に聞こえてはいなかった。
それはただ、雨だと思いたかっただけだった。悲鳴も怨嗟も一緒にして、無価値な物だと断じていただけだったのだ。
雨なんて、はじめから降っていなかった。
「この『世界』とやらを、なんとか終わらせてみようじゃない」
──ようやく満足に、耳が声に馴染み始める。
表情とは裏腹に、彼女の声色は、諦めに満ちていた。




