17.
いつもの執務室へ、帰る気にはなれなかった。
路地裏。きらびやかな日常から外れ、正道からはみ出してしまった者が行き着く、国の暗がり。
陽の光はどこか遠く、廃棄物は散乱し、生活感は溢れるのに手入れは全く進んでいない。
はぐれ者の、最後の居場所。
「…………」
『剣』にとっては、より多くの命が消える、痛ましい場所でもある。
有事に至って、似たような景色と対面する事は珍しい事ではない。彼らにとってはここが住処であり、隠れ蓑であり、帰る場所だ。
そして。
それを躊躇無く踏み潰す事こそ、彼の仕事なのだ。
(『結果』……か)
ふざけた女との会話を反芻する。
結果はとっくに決まっているのだと。何を行おうと、それは変わりないものなのだと。
その上で、変革を望み、ただ最善を尽くすのだと。
──随分な、傲慢だ。
それに賛同する事は、彼にはできなかった。
「……疲れたな」
壁に体を預ける。
人間として。尊厳を持ち。敬意を払い。希望を抱き。最善を尽くす。
それらを維持する事は、本来相当に難しい。『剣』はそれを知っていた。
何より、その現実と向き合いながら、同時にそれらを斬り捨てる立場である事に、彼の誠実さは耐え切れそうにも無かったのだ。
だから、思考を切り詰め、感情を斬り捨て、ただ「機能」として在ろうとした。
それをもしかしたら、彼女なら変えてくれると。
どこかで、期待していたのだろうか?
(──いいや。俺は、やるべき事をやるだけだ)
現実は、真逆。
どうしようもなく変えられない今日と明日に、ただ振り回されるだけの毎日。
むしろその事実を保証された。これ以上を望めない事を、知ってしまった。
一秒。目を伏せ、思考を寸断。
開かれた目は、冷たい色に染まっていた。
──キミの『結果』なんて、今まで一度だって掴めた事がない。
「そうだろうな。だろうが──」
左手を、強く握る。
彼女に隠していた魔法が、ひとつだけある。あるのだが。
結果を観測し、それらを確定させ、その上で最善を尽くすのだと胸を張った『徽』の姿。
──確かな、覚悟だ。
それを汚す事は、彼にはできなかった。
「なら、俺の人間の部分は──これで、終いだ」
開かれた手には、何も握られない。
当然だ。そんな器用な魔法ではない。
そもそもこんなもの、使わないに越した事はない。墓場まで持っていく秘密のつもりだし、話した所で信用されるとも思えない。
異物である、という程度の自覚はあった。
見透かされている、という確信もあった。
その上で彼は、何も言わない事を選んだ。
「俺は、『剣』だ」
一歩。
心の整理が追いつき、ようやく執務室へ帰ろうかとした瞬間。
死。
「──っ!?」
直感。死の気配。身を大きく屈め、頭を守る。
寸毫の間に、頭上を遮る巨体。僅かな日差しが遮られ、同時にその姿を目の当たりにする。
巨大な、黒い植物。
『剣』の真上、建造物をぶち抜き蠢くそれを、瞳に収め。
「何、だ──これは──!?」
彼がその中に見た魔力は、七種類あった。
否。それはよく捉えてきた物が、しかしあり得ない形で詰め込まれている姿だった。
ねじれ、絡み、歪に重なったそれは。
人間の、魂。




