第十三食 胃袋デスマーチ大祭4日目
――炎が、街を舐め尽くしている。
オレンジ色に染まった夜空の下、逃げ惑う人々の悲鳴と、建物が崩れ落ちる轟音が重なり合い、不協和音のシンフォニーを奏でていた。
私はその燃え盛る街の広場の中央で、ただぼんやりと立ち尽くしていた。
つまらない。
ひたすらに、つまらない。
「貴様ァ! 何故こんな事をする!」
私の前に、一人の男が立ちはだかった。
この街の騎士団長だろうか。他の兵士たちが無残に転がっている中で、彼だけが豪華な銀の甲冑を血と煤で汚しながら、私に剣を向けていた。
激しい口調。憎悪に満ちた瞳。
何故?
おかしな事を言う。
そう言えば……人間を襲うのに、理由など考えたこともなかった。
私は、燃える家屋を見つめながら、しばらく考えた。
魔王様に命令されたからだろうか?
……違うな。あの偉大なる魔王様は、そもそも人間という種族に欠片ほどの興味も抱いていない。ただ玉座に座り、世界の終焉を静かに待っているだけだ。我々幹部に「街を滅ぼせ」などと具体的な指示を出したことなど、ここ数百年、一度たりとも無い。
ならば、私は何故、こんな事をしているのだろうか?
「人間が貴様に何をしたと言うのだ! なんの恨みがあって、大勢の罪なき人々を……答えろ、魔族!」
騎士の男が、剣を私に突き立てて叫ぶ。
恨み……?
無い。全く無い。私は彼らの名前も、この街の歴史も知らない。
答えに窮していると、男は私の沈黙を「侮蔑」と受け取ったらしい。
「もういい……魔物に言葉など不要! 何を言っても無駄だったな! 我が渾身の刃の前に、無様に散るがいい!」
騎士が、雄叫びと共に私に向かって突進してくる。
甲冑の擦れる音、風を切る刃の軌道。彼なりに洗練された、美しい剣技だった。
……。
………。
…………弱かった。
一瞬の交差。
私は指先一つで彼の剣をへし折り、そのまま彼の胸当てごと肋骨を粉砕した。
「ガハッ……! ば、かな……」
血を流し、地面に倒れ伏す騎士の男。
事切れる寸前の彼に向かって、私はようやく見つけた「答え」を口にした。
「退屈だったから」
そうだ。私は暇だったのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
*
私の名はアルグレイ。
魔王軍幹部『七神将』の一人。名前や肩書きこそ立派だが、実際のところ、我々の日常は虚無そのものだった。
特にすることがない。
魔王様はただ玉座に座っているだけ。我々が何を報告しても何も答えないし、何も言わない。特に命令もない。
ただ、薄暗い魔王城で、膨大な時間をすり減らすように過ごすのみ。
圧倒的な、暇。
そんな我々にとって、唯一の娯楽と呼べるものがあった。
何年か……あるいは数百年に一度、人間の世界に『勇者』なる存在が生まれ、魔王城に戦いを挑んでくるのだ。
それは魔族にとって、数百年ぶりの「祭りごと」だった。
『おい、聞いたか? 下界に勇者が誕生したらしいぞ』
『ほう……今回はどうだ? どんな武器を使っている?』
『今回は……弓らしいぞ』
『弓か……チマチマしてそうだな』
またある時は。
『勇者が生まれたらしい』
『ほう……今回は?』
『棍棒だ』
『……棍棒か……蛮族かな?』
年々、勇者の質が落ちている気がした。
人間の国も不景気なのだろうか? 予算不足なのだろうか?
そんな愚痴を七神将の円卓でこぼし合っていた、ある日のこと。
『今回は、剣だ!』
索敵担当の魔将が、興奮気味に報告を持ってきた。
『おお! やっと来たか、剣!』
我々は浮き足立った。
待ちに待った剣! 勇者と言えば、やはり光り輝く剣だろう!
我々のテンションは最高潮に達し、私が代表してその「剣の勇者」の様子を見に行くことになった。
しかし。
辺境の森で待ち構えていた私の前に現れた勇者は、剣を持っていなかった。
いや……持ってはいた。
腰に、やけに茶色い、木刀のようなものをぶら下げていたのだ。
「それが、貴様の聖剣か?」
私は落胆を隠しきれず、勇者に問うた。
「よくわかったな、魔族! これはただの剣じゃない! エルフの里に生える『聖なる木』で作成した剣だ!」
勇者は得意げにそれを構えた。
……木刀だった。
間違いない。いくら「聖なる」と箔をつけようが、材質は木だ。鉄すら買えないのか。やはり人間の国は予算不足なのだ。
私はその瞬間、彼らへの興味を完全に失った。
勇者とその仲間たち(生意気な剣士や、やかましい女魔法使い)が一斉に私に襲いかかってきたが、欠伸を噛み殺しながら適当にあしらった。
彼らの木刀が私の腕を掠め、少しだけ血が出た。チッ、木のトゲが刺さったか。鬱陶しい。
私は彼らを殺す価値すら見出せず、「覚えていろ!」と喚く勇者たちを放置して、その場を去った。
期待した分、絶望は深かった。
海でもいい。山でもいい。
とにかく、少し一人になりたかった。
*
当てのない放浪の末、私は海沿いの港町、ユノリアへとふらっと立ち寄った。
潮の香りがする、魚人と人間が混在する奇妙な街。
そこで私は、市場の屋台で偶然、ある少女の姿を見つけた。
見覚えがある。
彼女は、あの「木刀の勇者パーティ」にいたメンバーの一人だ。
名前は知らない。だが、彼女は勇者パーティの中で一切戦おうとせず、私が仲間を蹂躙している最中も、ずっと物陰で「木の実」や「携帯食料」をモグモグと食べていた、ひどく変わった娘だったので記憶に残っていたのだ。
あの娘が、なぜこんな海辺の街に?
私は気配を消し、少し離れた席から彼女を観察した。
彼女は、魚人の店主から受け取った「得体の知れない物」を、とても嬉しそうに、そして美味しそうに食べていた。
それは『深海ヘドロ・ウツボの丸呑みグリル〜暗黒沼ソース仕立て〜』という代物だった。
紫色に発光する粘液。無数に蠢く触手。そして、腐乱死体のような強烈な悪臭。
どう見ても、人間が口にしていいものではない。魔物である私ですら、本能的に顔をしかめるレベルのグロテスクな物体だ。
周囲の人間たちは、彼女の食事風景を青ざめた表情で遠巻きに見ている。
しかし、彼女は気にする素振りも見せず、その紫色のヘドロをフォークで掬い、恍惚とした表情で口に運んでいた。
……これは、食べ物なのだろうか?
人間は普段から、こんな……こんな冒涜的な物を食べているのか?
私の内に、数百年間忘れていた「好奇心」が湧き上がってきた。
私は顔を認識阻害の魔法で隠し、店主に銀貨を投げ渡した。
「彼女と同じものを、私にも」
運ばれてきたのは、やはり紫色に蠢く地獄の釜の底のような一皿だった。
臭い。酷い匂いだ。
私は恐る恐る、フォークで端の方を切り取り、口に入れてみた。
……。
…………!?
衝撃が、私の脳髄を突き抜けた。
口に入れた瞬間、ゴムのような不快な弾力が、突如としてトロリと溶け出したのだ。
溢れ出すのは、極限まで濃縮された『肝』の強烈な甘みとコク。
磯の荒々しい香りが鼻に抜け、それに続く『暗黒沼ソース』のピリッとした香辛料の刺激が、退屈しきって腐りかけていた私の味蕾を、暴力的なまでに叩き起こした。
うまい。
なんだこれは。見た目の醜悪さを完全に裏切る、圧倒的なまでの美味。
私は魔族としての矜持も忘れ、無我夢中でそのヘドロ料理を平らげた。
「……素晴らしい」
私は空になった皿を見つめ、震える息を吐き出した。
そして、ふと顔を上げ、先ほどの娘を見た。彼女もまた、完食した皿を前に幸せそうなため息をついていた。
私は、その日からこの娘に強烈な興味が湧いた。
彼女は、世界の「美味」を知っている。
彼女の行く先には、私がまだ知らない、未知の美食の体験が待っているのではないか。
退屈な魔王軍の幹部生活など、もうどうでもよかった。
私は彼女のストーカー……いや、美食の探求者として、彼女の後をこっそりと追い続けることに決めたのだ。
そして数日後。
街の喧騒の中で、彼女がとあるイベントに参加するという情報を耳にした。
『年に一度の収穫祭! 大食い対決開催!』
大食い大会。
ほう……己の胃袋の限界を賭けて、未知の食材と戦うというのか。
素晴らしい。それこそが真の闘争。木刀を振り回すガキのお遊戯などより、よほど血湧き肉躍る戦いだ。
ならば、私も参戦しよう。
私は仕立て屋で純白のタキシードと仮面を買い求め、自身の名前のアナグラムである『ルゲイラ』という偽名を名乗って、大会のエントリーシートにサインした。
待っていてくれ、名も知らぬ美食の乙女よ。
今夜、同じテーブルで、究極の晩餐を楽しもうではないか。




