第十五食 胃袋デスマーチ大祭(後編)
超満員のコロシアム。
地鳴りのような歓声が響き渡る中、私は大食いテーブルの端で、横の祭壇にマグロのように吊るし上げられているカツヤにギリギリまで近づいた。
周囲の熱狂に紛れて、こっそりと声をひそめる。
「ちょっと……なんでこんなことになってんのよ? なんであんたが景品になってんのよ!」
「……ほのかに頼んだ手前、やっぱり女に戦わせるのは無理やろと思てな……。夜中に聖剣を盗もうと運営テントに忍び込んだら……トラップに引っかかってこうなってしもた……」
カツヤは縄で縛られたまま、涙目で情けない声を絞り出した。
勇者パーティの主力アタッカーのプライドは、ユノリアの潮風に吹かれて完全に霧散したらしい。
自業自得である。最初から私を信じて待っていればよかったのだ。
『さぁ、お立ち会い! 泣いても笑っても胃袋は一つ! 選手たちの前に、本日の主役が運ばれてきたァァァ!!』
ドゴォン、と目の前のテーブルに置かれたのは、私の想像を遥かに超える質量を持った物体だった。
『海王類マキシマム・デスバーガー』。
直径30センチ。厚み20センチ。
バンズは巨大なカボチャのようで、そこに挟まれているのは、海に生息するクジラ並みの巨獣「海王類」の肉を贅沢にミンチにした超特大パティだ。肉汁という名の油が、皿から溢れて海を作っている。
『さぁ、本日の命知らずなチャレンジャー5人を紹介するぞォォ!!』
ナレーションが絶叫する。参加者は私を含めて5人。なぜか全員人間だ。
エントリーナンバー1、筋肉が服を着て歩いているような超マッチョ男、前年優勝者の『ゲイル』。
ナンバー2、身長2メートルはゆうに超える、規格外の大男『ガリバー』。
ナンバー3、ただの一般通過マッチョ。
ナンバー4、タキシードに身を包み、不気味な白のフェイスマスクを被った怪しい仮面の紳士。名前を『ルゲイラ』というらしい。
そしてナンバー5、場違い極まりない、か弱い日本の女子高生。私だ。
当然、オッズは私に不利なはず……と思っていたその時、客席の最前列から、聞き覚えのあるパタパタという音が聞こえた。
新聞紙(のような藁半紙)を、ハリセンのように叩く音だ。
「さぁさぁ張った張った! 現在はやはり前回の覇者、ゲイルが倍率1.0倍! 圧倒的一番人気よ! 次に大男ガリバー、そして謎の紳士ルゲイラ! 最後に大穴、元勇者メンバーのほのか! さぁ、賭けるなら今よ!」
拡声器の魔道具を片手に、ノミ屋として暴利を貪っているその女。
……千尋だった。
ワカメを採りに行ったんじゃなかったのかお前は。なぜ大食い大会の胴元をやって資金洗浄をしているんだ。
「ちょっ……お前、千尋ォォォ!!」
吊るされたカツヤが怒りで口を開け、血管をブチ切れさせて叫ぶ。
私はそんなカツヤに対し、フッと不敵な笑みを浮かべ、軽くウインクを送った。
『――レディ・ゴーォォォ(意訳)!!』
凄まじい爆音と共に、大会の幕が切って落とされた。
ルールは制限時間無し。最後まで立っていた者が優勝。
私は目の前の巨大バーガーを両手で持ち上げ、思い切り齧り付いた。
ガブッ。
お……!
味は、美味い!
海王類の肉は、牛肉のようなガツンとした旨味がありながら、魚特有の脂の軽さがある。醤油ベースの照り焼き風ソースがパティによく絡み、バンズの小麦の香ばしさと完璧なハーモニーを奏でている。
いける。これならいけるぞ!
――しかし、それも最初の1個目だけだった。
2個目の中盤に差し掛かった瞬間、私の喉がピタッと拒絶反応を示した。
重い。そして、あまりにも脂っこい。
味が濃すぎて、塩分で舌が麻痺しそうだ。どれだけ噛んでも、咀嚼した塊が胃へと落ちていかない。
『おっとォ!? 大穴の女、早くも2個目で完全停止だァァ!! やはりバケモノたちの祭典に、お嬢ちゃんの出る幕は無かったかァァ!!』
客席から、私にわずかな望みを賭けていた物好きな連中の、ため息と落胆の声が聞こえる。
カツヤも「やっぱり無理やったんや……」と絶望の表情を浮かべている。
だが、私の辞書に「諦める」という文字は無い。
私は足元の鞄から、一本のボトルを取り出した。大会のルール上、アイテムの持ち込みは自由だ。
「お前……こんな極限状態の時に、なんでマヨネーズなんて持ってんねん! さらに脂っこくしてどうする気や!」
カツヤがマグロのように揺れながら突っ込む。
「ふっ……甘いぜカツヤ。これはマヨネーズじゃない。似ていて非なるものだ」
私はニヤリと笑い、ボトルのパッケージをカツヤに見せつけた。
「まさか……それは……日本の、幻の調味料……!」
「そう、タルタルソースだ!」
『さぁ、女子高生が謎の白いドロドロした液体をバーガーにぶっかけたァァ! 何だあれは!? ユノリアの料理学会も知らない未知の物質だァァ!!』
私は海王類バーガーに、これでもかとタルタルソースをぶちちまけた。
そして再び齧り付く。
――美味い!!
マヨネーズのコクの中に、ピクルスの鮮烈な酸味と玉ねぎのシャキシャキ感が加わり、海王類の重たい脂を完全に中和している。圧倒的な味変。これぞタルタリズムの極み。
しかし。
味は変わっても、私の胃袋の容量という「物理的な限界」までは変えられなかった。
3個目を完食した時点で、私の胃はパンパンに膨れ上がり、一歩も動けない状態になった。うぷっ。
周りを見る。
……絶望的だった。
前年優勝者のマッチョ男ゲイルは、すでに12個目のバーガーを、咀嚼もそこそこに水で無理やり胃袋へ流し込んでいる。犬の食べ方だ。
大男のガリバーは、その巨体を活かしてバーガーを文字通り丸ごと口に突っ込んでいる。
仮面男のルゲイラは、この混沌とした会場の中で、なぜかナイフとフォークを使って、パンとパテを美しく切り分け、上品に10個目を平らげていた。ペースが一切落ちない。
全員、10個以上食べている。バケモノめ。
客席の目は、すでに私への期待から、完全な失望へと変わっていた。
だが。
私には、あのスキルがある。
前回の地獄(おっさん貝の毒見)を乗り越えた報酬として手に入れた、私だけのチート能力。
「……スキル発動。オンデマンド・ハングリー」
ピクッ、と私の動きが止まった。
その瞬間、脳内のスイッチが切り替わる。
『おおっとォ!? 女子高生、死んだ魚のような目をしていたのが、急にギラつきだしたぞォォ!!』
世界が変わった。
さっきまで泥の塊のように見えていた巨大バーガーが、黄金の光を放ち、輝いて見える。
満腹で悲鳴を上げていた胃袋が、一瞬にしてリセットされ、からっぽの「無」になった。
溢れ出る肉汁が、まるで砂漠のオアシスに見える。香ばしいバンズ、無添加のみずみずしい野菜……すべてが美しい。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅんッ!!!
私の腹から、コロシアム全体に響き渡るような、盛大で獰猛な虫の鳴き声のような音が鳴り響いた。
『な、なんだ今の音はァァ!? 女子高生の腹から、地響きのような大音響が鳴り渡ったァァ!! 彼女は……信じられないことに、今この瞬間に、極限の餓死寸前(飢餓状態)になった模様だァァ!!』
私は本能のままに、目の前のバーガーを鷲掴みにし、狂ったように食らいついた。
美味い、美味すぎる! 4個、5個、6個! 私の手と口がマッハの速度で動き始める。
『猛追だァァ!! 女子高生、信じられないスピードでバーガーを消滅させていくゥゥ!!』
しかし、相手はバケモノ揃いだった。
私が1個食べる間に、ゲイルやガリバーは3個のペースで食べ進めている。大男のガリバーにいたっては、巨大バーガーを一口で消し去っている。
私はスキルで空腹を維持しているが、食べるスピードの物理的限界により、点差が縮まらない。ジリ貧状態が続く。
その時、私は自分の視界の下の方に、妙なデジタル数字が浮かんでいるのに気が付いた。
【4:00】
【3:59】
【3:55】
カウントダウンが始まっている。
……あ。
私は察した。これ、スキルの「持続時間」だ。
このカウントがゼロになった時、私の胃袋の「本来の満腹度」が、一気に巻き戻って押し寄せてくる。
想像しただけで恐ろしい。現在15個分以上の質量が胃に詰まっているのだ。スキルが切れたら、私の腹は確実に物理的に爆発する。
「や、やばい……!」
焦る。しかし、他の参加者たちは限界を迎える気配すらなく、淡々と食べ続けている。
【2:00】
【1:59】
有効時間のカウントは容赦なく進む。
焦燥感で脂汗が出る。早く脱落してよ、そこのマッチョ!
【0:59】
【0:30】
【0:10】
ついに10秒を切った。死の足音が聞こえる。
私は一か八か、もう一度脳内で叫んだ。
「スキル再発動!!」
ピロン♪
【3:00】
カウントが戻った。……が、私はその数字を見て驚愕した。
4分じゃない。3分に減っている。
なるほど……このスキル、連続で使用するにつれて、最大持続時間が減少していく仕様なのか!
しかし、使わないという選択肢は無い。
そこからは地獄の自転車操業だった。
再発動するたびに、最大時間は【2:00】、【1:00】と減っていく。
そしてついに。
【0:59】
最大持続時間が1分を切った状態でスキルを使い切った。もう一度発動を試みるが、システムメッセージが脳内に冷たく響く。
『エラー:本日の使用上限に達しました』
使い切った。
カウントは【0:00】へ向かって一直線に落ちていく。
周りのバケモノどもは、まだ平然と食べている。
最悪の結末(腹部破裂による死亡)が脳裏をよぎる。だが、ここで食べるのを止めたら、その瞬間に破裂だ。食べ続けるしかない。
【0:03】
【0:02】
【0:01】
【0:00】
私はギュッと目を閉じた。
――ティロリロリロリ〜ン♪♪
突然、脳内で信じられないほど軽快で、安っぽいゲームのレベルアップのような音楽が鳴り響いた。
目を開けると、視界に巨大な文字が踊っていた。
【限界突破】
【スキルレベルが上昇しました】
ステータス画面が強制表示される。
固有スキル:『オンデマンド・ハングリーLevel2(任意なる飢餓と満腹)』
効果説明:『自身と他者の胃袋の容量に関わらず、自在に満腹と空腹を操ることができる』
「……あ」
一見、何も変わっていないように見える。
しかし、決定的な違いがそこにはあった。
説明文に、新しく『他者』の二文字が追加されていたのだ。
私はゆっくりと顔を上げ、未だにバーガーを一口で丸呑みしている大男ガリバーを見つめた。
そして、心の底から、邪悪な声で呟いた。
「オンデマンド・ハングリー(ターゲット:大男)」
ゾクッ、と会場の空気が凍りついた。
次の瞬間、バーガーを口に運ぼうとしていたガリバーの動きが、完全に止まった。
彼の顔面が、みるみるうちに不気味な紫色へと変色していく。
「ガ、ガハッ……!?」
ガリバーは両目で自身の腹を見つめた。そこには、今まで食べた数十個分のバーガーの質量が、一瞬にして「限界突破した満腹デバフ」として強制注入されていた。
耐えられるわけがない。
「ブファァァァァッッ!!!」
ガリバーは口から、食事中の方々への配慮として『眩いキラキラエフェクト(星や虹のスタンプ)』で激しく規制された物体を空高く撒き散らしながら、空中を半回転して、ドガァンと白目を剥き、泡を吹いて倒れた。
『な、何が起きたァァァー!? 大男ガリバー、突然の謎の大量噴射により完全沈没ーーーっ!!』
恐ろしいスキルだ。
これ、大食い大会において「相手を強制的に満腹にする」という、完全なる暗殺スキルじゃないか。
私はフフフ……と、いやらしい、悪魔のような笑みを浮かべながら、次に前年覇者のマッチョ男、ゲイルをゆっくりと見つめた。
ロックオン。
「オンデマンド・ハングリー(ターゲット:マッチョ)」
「っ!?!?!?」
ゲイルがガタガタと震えだし、咄嗟に両手で自分の口を強く抑えた。
流石は前年覇者、異変を察知して耐えようとしている。
だが、スキルの絶対的な強制力には勝てない。
ミチミチミチ……ブファァァァッッ!!!
両手で抑えた指の隙間から、大量のキラキラエフェクト(マイルド表現)が滝のように流れ出し、ゲイルは白目を剥いてそのまま後ろへぶ倒れた。ピクピクと痙攣している。
『信じられん! 前年覇者ゲイルまでもが、同じ謎の症状でリバース&ノックアウトォォォ!! 一体何が起きているんだ、このステージ上でェェ!!』
一般通過マッチョも、その光景の恐怖に耐えかねて自ら皿をひっくり返して逃げ出した。
残るは、あと一人。
「お前だけよ……!」
私はテーブルの向こう側に座る、怪しい仮面の紳士、ルゲイラを見つめた。
もはや大食い大会ではない。私の精神は完全に悪の幹部のそれだった。
私は彼を指差し、スキル名を唱えようとした。
しかし。
ルゲイラは、バーガーを持つ手を止めることなく、余裕の表情を崩さなかった。
彼はチッチッチッ、と、私に向かって人差し指を左右に振ってみせた。
「私には、それは効きませんよ」
「……え?」
ルゲイラは、上品にフォークを置くと、自分の顔を覆っていた白い仮面に手をかけた。
ゆっくりと、それを外す。
中にあったのは、冷徹な笑みを浮かべた、青白い肌の端正な男の顔だった。その瞳は紅く光っている。
「初めまして、元勇者パーティのメンバー、ほのかさん。私の本名はルゲイラ……文字を並び替えれば、お分かりでしょう?」
男は立ち上がり、私を見下ろした。
「私は魔王直属・七神将の一人、――『アルグレイ』と申します」
な、何だってぇぇぇぇー!?
なんで魔王の幹部が大食い大会でナイフとフォーク使って上品にバーガー食ってんのよ!!
(最終話へつづく)
長くなってしまいました。
すいません(--;)




