08 : Day -22 : Kojimachi
それは最初から、茶番だったのだ。
あくまでも「裏社会」の視点からいえば、という意味ではあるが。
もちろん当人たちにとっては、真剣勝負だった。
プライドをかけて戦う男たち。
そこに裏社会の「利害」が絡んだ場合、優先されるのは──言うまでもない、謀略だ。
このエキシビジョンの背景で、大きな勢力同士の「賭け」が成立していることを、大女将から聞き知った。
そのかわいい女の子に免じて教えてやるけどね、と。
神学機構に通じるカツラは、分がわるいとされるソーギシャに賭けるようだ。
当然、天使たちがその勝利のために暗躍するであろうことが予想される。
どういう手段か? さあね……。
あまりにも漠然とした情報で、それだけでどうこう考えられるだけの能力も予備知識もチューヤにはなかったが、それでも神学機構の影を看取できた事実は重要だ。
客席で暗躍する天使系の悪魔。
試合を壊そうとする彼らのたくらみを、壊さなければならない。
──試合前、リョージには伝えた。
とはいえ具体的にどういう方法かは、その場になってみなければわからない。
すくなくとも事前の検査で、危険物の持ち込みは抑止されるだろう。
重火器の類がもちこまれる可能性はそれほど高くないが、液体爆弾という線はじゅうぶんに考えられる。
リングではリョージが、全身に深刻なダメージを受けて、それでも嬉々として戦っている。
ダメージを受けているのは相手も同様だ。むしろ相手のほうが、より大きなダメージを受けているようにも見えた。
──もう何分、戦っているだろう。
血とアドレナリンとテストステロンにまみれた記憶を走馬灯に載せたリョージは、ふとセコンドにチューヤが駆けもどったのを見て取り、意識のモードを切り替えた。
さっきよりだいぶボロボロになった衣服であるところをみると、どうやらチューヤもそれなりの「成果」を出したと思われる。
リョージは戦闘の流れに任せて後退し、意思疎通できる距離をとった。
間髪いれず、突っ込んでくるソーギシャに吹っ飛ばされ、ポールにめりこんだリョージが膝をついたところで、チューヤは無理やり魂の時間に引き込んだ。
濫用はできない。
自分だけの時間ならともかく、リョージごと周辺の時間軸から引き離すのは、かなり骨が折れる。
「すまん、遠隔爆破は止めたが、爆弾じたいはどうしようもない」
手短に事情を伝える。
どうやら罠が隠されていたのは、デクソース自体だ。
ソースの量からいって、半径数メートルは跡形もなくなる。
敗北が決定的になった場合、遠隔で使用するつもりだったようだが、そちらはチューヤが阻止した。
だが、そんなことで問題は解決しない。
なにしろ爆弾それ自体は、起爆装置とともに、いまそこにあるのだ。
試合放棄して逃げるのが、いちばん賢い。
チューヤの助言は的確だったが、そんな提案をリョージが受け入れるわけがないことは、最初からわかっていた。
彼自身、相手の肉体そのものが「爆弾」に変わりつつあることを、すでに全身で理解している。
それでも相手を倒すのだ、という「意志」は軽んじていいものではない。
であれば、セコンドにまわったチューヤがやるべきは、「爆弾処理」の方法伝達だ。
リョージ(の魂)はしばし考えてから、うなずいて言った。
「わかった。そういうことか。……助かるぜ。マフユのときにやった『逆転写』でいいんだな」
「ああ、だけど4人がかりで手足を同時に、ってわけにはいかないから」
「じゃあ心臓を停めりゃいいさ。液体爆弾を手足に供給してんのは心臓、だろ?」
「……できるのか」
「やるっきゃねえだろうがよ」
弾けるように時間がもどる。
猛然と突っ込んでくるソーギシャの勢いを、リョーリヤが押し返す。
熾烈な熱戦は、現在進行形だ。
さきに心臓を止める。
魔術回路の起動は、たいてい心臓の鼓動に同期する。
死体を動かす魔術もあるが、生きている相手とは異なる術式となる。
心臓を止め、回路への通電を止める。これで致命的な爆発は起こらない。
「おおーっと、なんだこれは、無理やりグラウンドに持ち込んだのは、リョーリヤ!」
「らしくないですね、いつものリョーリヤじゃない。スタンド、リョー!」
「なんだよ、よく見えねえぞ、寝てんじゃねえ!」
暴言とヤジが飛び交う客席。
チューヤは嘆息して首を振る。
「ひとの苦労も知らないで……」
ふだんのリョージは、グラウンドよりもスタンダップのインファイトを好む、派手な打撃系ファイターだ。
そういう戦いの好きなファンは多く、一撃必殺KOシーンを楽しみにしている。
しかし現状、「ニトログリセリンを抱えた相手」に、打撃は危険すぎる。
無理やりにでもグラウンドにして、息の根を止める戦法が正しい。
ボン、ボンッ!
遠位端である手足のさきで、小さな爆発が起こった。
小さいとはいえ、近接していればそうとうなダメージがある。
つぎの瞬間、リョーリヤの腕が相手の首を締めあげつつ、もう片方の腕を手刀に変えて、ソーギシャの胸にめりこませた。
客席がいっせいに息を呑む。
「ひっ……」
「てめえ闇堕ちしたんか!?」
「ひゃっはー! それでこそ裏闘技場だぜ、黒く染まれリョーリヤァア!」
両極端の悲鳴と声援。
ソーギシャの顔面が赤黒く変色していく。
手足の爆弾をぶつけて反撃するが、みずからのダメージを考慮していないリョージの腕は、1ミリもゆるまない。
相手の首を絞め、心臓を停めることを第一義に、戦いを集約する。
「うそだ、こんな戦い、リョーリヤじゃねえ! いつものおまえは、もっと正統派だろ!」
「てめえ、ラフもやれんのかよ、じゃあ認めるぜ! そうだ殺せ、コック野郎!」
観客のボルテージも変な方向に捻じ曲げられつつある。
チューヤは舌打ちしながら、
「くっそ、やりたくてやってんじゃねえよ……リョージのおかげで生きてられるんだぞ、みんな」
すくなくともリングにかぶりつきの位置にいる面々は、大爆発が起こればただでは済まない。
相手のセコンドさえ、いざというときに備えて逃げ腰になっている。
リョージの戦い方が、すべての命数、明暗を分けるのだ。
リング上、バーサーカーモードだったソーギシャが、ふいにかすれた声で言った。
「そうだ、リョーちゃん、早く殺してくれ……」
「……ソージ、なにがあった」
命を奪い合いながら、目と目で会話をする格闘者たち。
「たいしたことじゃねえよ……結局、世間はカネなんだなあ」
「言えよソージ、場合によっては、オレは……」
「やめろ、リョーちゃん。あんたは負けちゃダメだ、あんたがあんたであるかぎり、勝ちつづけなきゃならねえんだ」
「オレにその価値があるならな。教えてくれソージ、なにがあった」
致命傷を賭けた男の祭りは、互いの仁義と格を量る。
血煙に沈むグラウンドの中心、男たちは過去を思い返していた。
寺西宗次は地元の農業高校を卒業後、バイトをかけもちしながらレスラーを目指していた。
小さな事務所に所属して、いくつかの格闘技の興行にかかわった。
もっぱらプロレスだったが、その手の格闘系エンターテインメントの世界で生きていく選択肢は、マッチョな男ならだれもが夢想する。
鳴かず飛ばずで数年たったころ、リョージに出会った。
世界に境界化の波が広がっているなか、ついにプロレスラー・ソーギシャとして、生きる道を見出した……その矢先だった。
ある日、タイガーの仮面をかぶったプロモーターがやってきた。
──調子いいですね、ソーギシャさん、炎のアンダーテイカー、じつにカッコいい。
さて、エキシビジョンがあるんですがね、あなたもよく知っている人物が相手だ、昨今売り出し中の若手格闘家、リョーリヤ。
いやあ、つかみはOKですよね、料理屋が最強とかなんだよと、だってしょうがないじゃない、無敵のコックは実在するんだから、ってか?
一方あんたも、それなりに積み上げてる。
わざわざ噛ませ犬になる理屈はない。それこそ、あんたの踏み台になるべきコックだと、思いませんか。
いえ、こいつはごく内輪の話ですがね。
……この爆弾を呑むだけでいいんだ。
それだけであんたは勝てるし、あんたの家族も幸せになる。
唯一神系を敵にまわすのはバカですよ、そりゃそうだ、世界の半分を支配しているんですからね。
劣悪な環境に置かれている子どもたちの、あんたは夢なんだ、希望なんだ。
助けを求めましょうよ、教会にね、もちろん助けてくれますよ、慈善の団体ですから、それはもう永久に、キリストは神なんだから。
守りましょう、児童養護施設、あんたの家族が運営する孤児院を。
──そんな仮面の堕天使が、客席のどこかにいるという。
「そいつなら、うちのセコンドがぶっ倒してきた、見ろよ、あいつだ」
リョージの肩越しに、悪魔使いが両手に差し出しているのは、破壊された遠隔爆破装置。
ソーギシャは一瞬安堵したようだが、すぐにあきらめたように弱々しく笑った。
「だったら、すぐに離れるんだ、リョーちゃん。どのみち、おれは死ぬ。死んだほうが、みんなも助かるんだ」
「死んだほうがって……まさかソージ」
「おれの心が弱かったせいだ。金はいくらあっても足りない。福祉がカバーしてくれる範囲はかぎられている。おれは戦って、勝って、あいつらの希望になりたかった、ならなきゃいけなかった。……実力もないのに、そいつはまちがってる、おれはまちがった」
ソーギシャの吐いた赤黒い血が爆裂し、衝撃波となって両者に甚大なダメージを与えた。
だがふたりは、まるで痛みを感じないもののように、微動だにしない。
「ソージ、おまえはまちがってねえ、おまえの考えは。ただ、おまえにそれをやらせた連中が、ちょっとまずいだけだ」
「そうだ。おれだって知ってる。だから殺してくれ、リョーちゃん、おれを殺してくれ」
そのほうが、自爆よりも保険金が高い。
そういう意味かと気づいたリョージは、決断しなければならない。
「……ソージ」
もちろん彼は、勝ち負けにこだわらない。
それが必要なら、負けることだってある。
全力で戦えれば、それでいい。
だからソーギシャに勝ちを譲るという選択肢も、あっていいかもしれない。
だが、それ自体がすでに大きな「敵の思惑」に乗っているかもしれない可能性にも、気づかざるを得ない。
そういう「策略」を大の得意としているのが、あらゆる謀略を駆使して生き残ってきた巨大組織。
善意を支配して利益を吸う、という完璧な構造をつくりだすことに成功した「宗教」だ。
彼らは心の隙間を狙う。
負けてもいい、と思わせる。
自分はいいことをしているんだ、と誤解さえさせられれば、人間をどれだけ自由に動かせるかを知っている。
宗教、一神教、教会、神学機構。
彼らの生み出したノウハウは、容易に人間をコントロールしうる。
「堕天使の罠に気をつけて。──そういう意味か、お嬢」
リョージは理解した。
神学機構は敵だなどと言うつもりはないが、その中枢に立つ彼女自身、みずからの所属する組織を信頼しきってはいない。
だとしたら、チューヤ式の是々非々を、その場その場で積み重ねるしかないではないか。
「いいんだ、リョーちゃん、はやく、壊してくれ」
「ああ、そうするよ。……いったん死んでくれな、ソージ!」
だれがみても致命的な深さまで、リョーリヤの腕がソーギシャの胸に埋まる。
膨大な量の鮮血があふれて、リングは血の海だ。
少数の裏格闘技ファンは歓喜しているが、多くの「正統派ファイター・リョーリヤ」を期待している人々からは、ブーイングの嵐が巻き起こる。
「リョージ、おまえ……」
たしかに一般客の目には、意想外としか言いようがないだろう。
あのリョージが、ここまで徹底的に相手を破壊するのは。
血みどろの舞台で、みずから悪役を買って出たリョージは、まさにソージの肉体を破壊した。
──大爆発が、起こらないように。
鳴り響くゴング。
表の格闘技界であれば、このようなファイトで対戦相手を死にいたらしめるような格闘家は、追放される。
だが裏格闘技界であれば、そんな心配はいらない。
むしろ「悪役という主人公」を任されるに値する戦い方だった、とすら評価できる。
そうして起爆装置を失った爆弾は、沈黙した──。
「雑色に運んでくれ。駅に近い、神田川整体院ってところだ」
息も絶え絶えのリョージが、まっさきに言ったのはその言葉だった。
相手のセコンドには、だれの姿もなくなっている。逃げたのだろう。
一見して致命傷に見えるタイホウをリング外に運び出したリョージと、それを受け止めるチューヤ。
「整体院?」
さすがの悪魔使いにも、にわかに理解できない。
「ああ、神農ならなんとかしてくれる。そういうふうに殺した」
……仮死状態?
ハッとしてソージの死体に目を止める。
……いや待て、HP0なら生き返るが、HPは-だ。
だから周囲も蘇生をあきらめて逃げた。
「だけど破壊がひどいぜ。HPも……」
するとリョージは首を振り、パンツの裏から一枚のオフダを取り出した。
武器は厳重に確認されるが、オフダは武器とはみなされなかった。
人体に貼りつける呪詛の例については、式神から操屍術まで、東洋に一日の長がある。
「蘇生不可能にみえる呪いだ。これで敵の目をごまかせる。こいつは予備だが、同じものをソージの心臓に貼りつけた。神農にみせれば、わかるはずだ」
相手を殺すことが条件。
そういう無茶な要求を突きつけられた、正義の主人公。
殺したくはないが、どうしようもない。やるしかない。
ついに振り切って、殺す。
それでも主人公か、というそしり。
目のまえに横たわる死体。
もうおまえなんか応援しない! 主人公は最大のリスクをとった。
横たわる、ライバルの死体。あきらかに死体に見える。
黒幕は満足する──が、じつは生きていた!
少年漫画でよくあるパターンを、リョージはやり遂げた、らしい。
「あんまりしゃべるんじゃねえ、てめえも重傷なんだぞ! おい、もっと回復魔法エキスパートいねえのか!」
叫ぶ丹下に、この場は任せていいだろう。
チューヤはうなずき、
「雑色……神田川整骨院か、わかった。超速で行ってくる」
東京共同溝を使えば往復30分もかからない。
菊ゐのスタッフが動いてくれた。いつもは閉鎖している南門を開いて、共同溝への最短距離に導かれる。
JRの特快(特別快速)も京急の快特(快速特急)も、境界のハイパーループ(真空チューブ列車)にはかなわない。
転がる石は、さらに加速度を増していた。




