06 : Day -22 : Kojimachi
「あいや、は、は、あいや」
ふつうの三味線で沖縄音楽を奏でる芸妓の拍子に合わせて踊る、妖怪キジムナー。
「やれやれ、木島さんはほんとうに、毒にも薬にもならないな」
西欧風のローブの袖口と長い髪を揺らし、純日本風の猪口を傾ける座天使スローンズ。
天使の位階としては上から3番目だ。
「そう、きみにはないものを持っている。だからこそ(総理まで登り詰められた)」
含むような言い方で、向かいに座るライオンのような長髪を一瞥する男は、魚のような顔で長い尾を生やしている。
井戸の守護者である日本の妖怪イヒカだ。
「せっかくですから、まずはこの美味しい料理をたしなんではいかがかな」
総白髪、長い眉と口ひげも塩のように純白の老爺は、国つ神シオツチノオジ。
彼がつまんだ刺身には、その瞬間に塩の結晶がこびりつく。
──国家の行く末を決める重要な席を、とくに英国などは好んで「円卓会議」に託すが、極東の島国では「座卓会議」がその役割を果たしていた。
老舗料亭の一室に集う四人は、政府与党で政策決定の最重要権限を握る者たち。
ふつうこのような部屋の座卓は長方形で、ふたりずつ向かい合う配置であることが多いが、この場には特注品の完全正方形に切られた伝統工芸品が部屋の中心にあって、とくにすぐれた意匠の各脚に彫り込まれた四神の彫琢が、四人を東西南北に明確にふりわけている。
麻雀をするにはやや大きいが、たくさんの料理を並べるには小さく、顔を突き合わせて議論を深めるのにはちょうどいい。
ここは割烹・菊ゐ、その核心である、菊の間。
「すこし音楽がうるさいな。……いつまで踊っているのです、総理」
窓の外を一瞥して言うイヒカに、キジムナーはてれてれ笑いながら自席にもどる。
「彼女も踊っているじゃないか。……いやあ、いい娘さんだね、女将」
吹き抜けに面して大きく開かれた大きな窓から、大音量のポップな音楽が流れている。
すこし身を乗り出せばAKVNセンター小菊が歌い踊るシーンが、かぶりつきで見られる──ここはいわば「特等席」なのだが、老人たちのだれひとり、そんなものにたいした興味もないようだ。
コアなファンなら全財産はたいても買い取りたい超VIP席の浪費は、まさに豚に真珠といってよかった。
「不徳の致す拙女の舞、お恥ずかしいかぎり。あのような小娘の踊り小唄、お耳障りであればお閉めしましょうか?」
恐惶謹言かくやと謙遜するムシメヅルヒメギミ。
いやいやわしは喜んで聞いとるよ、というキジムナーの言葉が状況を確定させる。
「今夜はなにやら催しが多いようだね、女将。つぎはなんだったかな?」
黒光りするまなざしを向け、イヒカが抑えた声音で問うた。
「おかげさまをもちまして、マサカド杯のエキシビジョンを招致いたしましてございます。もう小半時……30分ほどでしょうか」
瞬間、約2名の会議参加者の目が光った。
「うわさのマサカド杯ですか。そういえば黒井さんは、リョーリヤとかいう新人を推していましたかね?」
「そう言うカツラさんは、ソーギシャ推しだったかな? まあお互い正々堂々やって、結果を受け入れようじゃないか」
ぬるりと交錯する視線の意味を知ってか知らずか、ムシメヅルヒメギミはよけいなことは言わず、失礼いたしますと小声を残して退室した。
その間際、一瞬、視線をあげて「芸妓たちも引き揚げさせますか?」と無言で問うたが、その必要はないという無言の応答を受けて戸を閉めた。
どうやらまだ、込み入った話をする段階ではないようだ。
秘密会議室を呑み込んだ料亭の夜は長い。
そろそろ出番です、と前室に告げにきたオキクムシといっしょに、チューヤもやってきた。
なんとかリョージの出番まえに合流できたことにホッとする。
リョージは立ち上がり、頼れる親友を迎えて言った。
「どうだった、チューヤ?」
「……ああ、たぶんけっこう重要だと思う」
説明しようとするチューヤに、おい! と声を荒げる丹下。
チューヤももちろん、この試合直前の重要なタイミングは理解している。
ふだんならあわてて引き下がるところだが、だからこそ、彼は真剣な表情でリョージにぼそぼそと耳打ちした。
周囲に聞かれると困る話。
その切羽詰まった感に、丹下すら息を呑んだ。
リョージは真剣な表情でうなずき、
「そうか、わかった。……頼むぜ、チューヤ」
「まあ、まだほとんど雲をつかむような話なんだけど、やるしかないね」
言いつつ引き下がったチューヤは、丹下に「ほらさっさと準備して」とうながした。
眉根を寄せつつも、丹下は最後のオイルをたっぷり、リョージの肩にすりこみながら、
「おめえも知ってのとおり、ソーギシャは手ごわいぜ、リョーリヤ!」
前室のボルテージは、いよいよ高まりつつある。
「なにその縁起わるい名前……」
チューヤからの突っ込みは、切れ味いいとはいえない。
料理屋とか葬儀社とか、おまえらのボキャブラリーは将来なりたいものを訊かれた幼稚園児か、と内心でだけ突っ込んでおいた。
「ソーギシャて、もしかして、ソージか?」
はじめて相手の正体について考える、という対戦者当人にしては呑気な口調で問い返すリョージ。
ここでチューヤも、リョージのくりひろげてきたムネアツの来歴について、本格的に共有していく必要に迫られた。
リョージと丹下の会話から、ソーギシャ(炎のアンダーテイカー)の正体について察するところ、以下のようになる。
レッスルマニアであり、リョージより年上でデビューは遅いが、そうとう強い。
見た目の筋肉は異常で、当初は期待の新人だったという。
ところが、すぐに「ノミの心臓」であることがバレた。結局数年来、前座に甘んじる「アマチュア」レスラーであったらしい。
ただ、プロのリングには、よく呼ばれていた。重宝だったからだ。
なにしろ「練習では最強」なのである。
そうとう強いレスラーからも、練習相手として指名されるほどだった。
しかし当人が名をあげることは、ついぞなかった。
たまに「出てみろよ」と勧められても、大事なところで負けた。
トレーナーにも見放されかけていたところ、リョージが現れた。
「まったく、おめえってやつはよ。どんだけ敵を強くしてえんだよ」
「ははは。あれはどう考えても偶然だったよ」
いざというときにビビッちゃって、実力が出せないんだよ。
そんな悩みを打ち明けるソージに、リョージはサアヤの「デクソース」を与えてみた。
直後、ジムは地獄のようになった……。
「え、デクソース? 兵器として開発されたという、人間を木偶人形に変えるほど辛いという、あの?」
「ソージの場合は、木偶どころか狂戦士に変わったぞ」
どうやらデクソースによって恐怖心が消え、強制バーサーカーモードに突入した、ということのようだった。
その後、おどろくべき速度でランキングを上げ、いまやリョージのライバル的存在となったのは、運命の皮肉というべきか。
本名のソージをもじって、ソーギ。葬儀する者という意味で、ソーギシャというリングネームを与えられている。
「え、そいつ強くした犯人ってリョージなの……」
「なんか、そうらしいな」
「まったくおめえは、なに考えてんだ。敵に塩を送りすぎなんだよ」
リョージは拘泥なく、少年漫画の表紙になりそうな笑顔でこぶしを握った。
「もっと強えやつと戦える!」
「……わくわくしねえよ」
ドアが開き、おねがいします、とオキクムシが頭を下げた。
彼女はドアを開けたまま、出番を迎えた出演者を待っている。
リョージはチューヤを一瞥し、彼らを率いて歩き出した。
「まあさ、たぶん後半、なんか重要なイベントの発生フラグとかになんじゃね?」
リラックスした表情で、会話をつづける。
その胆力に感心しつつ、応じるチューヤ。
「メタ発言やめろ」
「お金ももらえるぞ。なかなか行けないところに行けたりもする」
「行きたいかどうかは別だけどね……」
ともかくリョージは、このさきのリングに「行きたい」と願った。
だから彼のこれからの戦いは、望むところなのだろう。
そしてチューヤは、それを支える道を選んだ……。
総理大臣には、いくつかのパターンがあって、実力者タイプはほとんどいない。
トイレに行くため、大臣たちの集う特別室をふらりと出たキジムナー。
その姿を多くのSPが認識したが、彼らに走った緊張感はそれほどでもなかった。
なにも気づかない魯鈍を装い、達筆で「厠」と書かれた個室へむかう小柄な老人。
──総理大臣には、神輿型、というパターンがおどろくほど多い。
貢献もせず損害も与えず、永らく多数を占める派閥に乗り、すくなくとも裏切らず、だれからも文句が出づらい。
毒にも薬にもならない、そういう人間が選ばれる。
かつてキングメーカーと呼ばれた政治家は、「神輿は軽くてパーがいい」と言ったという。
現職のキジムナーは、その代表格といっていい。
つねに支持派閥の意向を忖度し、権限行使も遠慮がちで、強化された内閣府の力ももてあまし気味。
つなぎ型の前任から、うまく切り替えを果たした。
急死やスキャンダルなどで、とりあえず立てられる総理大臣が「つなぎ型」だ。
急場しのぎで、数の後ろ盾もない。党内の「真の権力」に手足を縛られ、結局はなにもできない。
要するに、両者は同じだ。
──真の権力者が、国家を運営する。
総理大臣はその「邪魔をしない」ことが仕事になる。
「おつかれさまです、総理」
手を湿らせて厠から出てきたキジムナーを、ムシメヅルヒメギミがふんわりとしたタオルをもって迎えた。
彼は意想外に好色な目で、店の女将を凝視した。
内閣総理大臣はある種の頂点だが、そのぶん自由はない。
秘書官やSPに見つからないでは、どこへも移動できないといっていい。
本来業務においても、たんに権限内の最終「承認」権があるだけで、好きなことができるわけではない。
閣議で総理大臣の発言権は明確にされたが、いい意味でもわるい意味でも結局、全員一致でなければ物事は決まらない。
反対したら罷免すればいいだけではあるが、それもいろいろなしがらみに縛られる。
キジムナーは女将の手ごと、タオルを握りしめながら言った。
「幹事長は、きみの立てた馬に乗っているらしいね」
日本の治安を牛耳るのはイヒカだし、外交はスローンズだし、防衛はシオツチノオジだ。
キジムナーはその権力闘争に、この「夢殿」がどういう役割を果たしているのかを知っている。
優艶な笑みで、如才なく手を握り返す女将。
「今夜は、官房長官はお越しではないんですね?」
眉根を寄せるキジムナー。
ここにいる大臣たちはもとより、任命権があるはずの総理大臣よりも、官房長官のほうが強い。
それが現在の日本という国のシステムだ。
「伝言があれば伝えておくよ」
そもそも閣議にかけられる時点で、その枠組みは、事前に開かれる各省庁の事務次官会議で決まっている。
マスコミでいうところの「アジェンダ・セッティング」だ。
どのニュースをトップに取り上げるか、という選択権──政治の世界で、この権限をもつのが(極端な話)官房長官である。
彼は事務次官会議の主催者であり、事務次官OBである事務担当の官房副長官を支配している。
「いいえ、総理。官房長官だけはお味方ですよ。どうかそこは、お忘れなく……」
その瞬間、キジムナーは魅了されたかのようにボーッとした。
日本でもっとも強い権限をもっているのは、たしかに官房長官かもしれない、という思いを新たにする。
その官房長官が味方だと、「夢殿」が保証してくれたとしたら。
そもそも総理大臣を支えているのは、官僚だ。
よほどの人物でもなければ、結局は官僚にコントロールされる。これが、日本の戦後政治が出した、ひとつの答えである。
その官僚にもっとも近いのが、内閣官房だ。
総理大臣は無数の人間に取り巻かれているが、そのなかにどれだけの味方がいるかは、はなはだ疑問である。
キジムナーの脳裏を、無数の取り巻きたちが通り過ぎていく。
政務担当の総理秘書官。
これは味方かもしれない。ここから疑っていたらきりがない。
味方としよう。
官僚たち。
彼らの頭にあるのは、省益だけだ。
利害が衝突しないかぎりは味方といえるかもしれないが、きわめてあやしい。
おそろしいのは「党」だ。
日本の政治は「一致団結」が大好きで、ほとんどの法案に「党議拘束」をかける。
党が決めた方針に反対なら、軽いものは注意処分、重い場合は除名される。
そして、官房長官。
総理大臣の補佐役として、最強の味方にもなれば、場合によって敵にもまわる。
ここをどう乗り切るか。総理大臣の権力の成否は、まさにこの官房長官との関係にあるといっていい。
「松岡くんか……わかった、おぼえておこう」
蠱惑的に笑い、部屋のまえまでつきしたがい、そこで足を止める女将。
名残惜しげに手を放すキジムナー。
「どうぞ、リョーリを楽しんでくださいませな」
その瞬間、部屋から響いてくる歓声。
どうやらマサカド杯のエキシビジョンが、はじまったらしい──。




