05 : Day -22 : Nippori
ふたりの男女が並んで、屋台でラーメンをすすっている。
「おまえよ、もっと幸せになる気はねえのかい?」
おっさんのほうが、横でとんこつラーメンを食っている女に言った。
「見合いの話なら、断る」
女のほうは顔も上げず、隣でみそラーメンを食っているおっさんに答える。
──おどろくべきことに、ここは境界だ。
彼らは侵食された世界になじみつつ、それに対するみずからのスタンスを示している。
「あいよ、替え玉」
屋台の店主が、間髪を容れず女のどんぶりに麺をすべりこませる。
三大屋台──道具屋のおっさんは、地域によってはラーメンを出すこともあるらしい。
「よく食べるな、ミカ」
若者ぶりたいおっさんにとって、こってりみそラーメンは気張りすぎたかもしれない。
「これから仕事なのよ。カロリーを抑える理由がない。食べないならチャーシューもらうよ、ダディ」
隣のどんぶりからチャーシューを奪いつつ、淡々と目のまえのとんこつラーメンを片づけるミカ。
彼女のふところには、FBIの身分証がある。
隣にいるのは父親で、町工場の社長・城之内。
ケートから最新技術の開発を依頼されている、下町の優秀な技術者でもある。
「……替わってもらうわけには、いかないのか?」
城之内がめずらしく「父の顔」で言った。
しかしミカは、一片たりと「娘の顔」を見せることなく、
「作戦を決めるのは、わたしじゃないからね」
「FBIだろ。国内捜査に専念しろよ」
「国外の連邦人(米国人)保護も、うちらの任務ってことになってる」
基本的にFBIは国内、CIAは国外での活動が主軸だが、クリミナルなマインドに国境はなく、当然に国際捜査も必要とされている。
城之内は箸をくるくるともてあそびながら、
「そもそも日本の警察が捕まえた国際手配犯との員面が、おまえの目的だったんじゃないのか」
「それはそう。これから向かう。ついでにね。まあ、ひとりがひとつの仕事だけやってりゃいい時代は、永遠に終わったってことかな。どこも手が足りないって、悲鳴しか聞こえない。ラングレー(CIA)じゃ、担当していたスタッフがごっそり消えたらしくて。ペンタゴンも絡んでるから、やっかいでね」
CIA本部の所在地はバージニア州マクレーンだが、伝統的にその近隣のラングレーがCIAを意味する隠語として通用している。
ポトマック川をはさんで、首都のワシントンにほど近い。
「ひとが消えるなんて当世、日常茶飯事だろ。対応できないほうがわるい」
「それはそうなんだけど、人員配置のバランスが崩れるのが問題らしくてね。とくに本事案じゃ、海外からは引き気味で絶望的に手が足りない軍との折り合いが、まったくつかないみたいなんだよ。で、ビューロー(FBI)にお鉢がまわってきたってわけ。大統領の命令じゃ、しょうがない。たしかに形のうえでは、国外で犯罪に巻き込まれたことが疑われる米国人の捜査、だしね」
CIAは大統領直属の組織であり、その力が同盟国で一気に弱体化するのは困る。
困難な時局に、同胞である組織を頼るのは当然としても、勢力争いの要素を完全に消すことはできない。
CIAとペンタゴンのバランス崩壊が問題なら、FBIに取り持ってもらう、というのは処方箋としてわるくないという判断だろう。
「このたいへんなときに縄張り争いかよ」
「たいへんなときだから、だろ」
城之内は一瞬考えこむような表情で、コードネームを口に出す。
「……逃げる山羊、だったか?」
「機密だからくわしくは言えないけど、この国の破戒僧、それから連続殺人鬼とも連絡をとってね。敵の敵は味方ってわけ」
「敵の敵、か。どのみち同じことなんだろう。だれが考えたのか知らんが、皮肉な作戦名にあらわれてる」
FBIが策定した「逃げる山羊」作戦は、英語では「エスケープゴート」。
──皮肉な名だ。
逃げる山羊は、経過を含めて生贄それ自体である、という意味かもしれない。
「あの山羊も、それなりにしたたかだよ。なにより山羊には自由がある。やっかいなのは、むしろ連続殺人鬼の囚人のほうだったりしてね……」
ミカの遠い目、その焦眉が奈辺にあるか、父・城之内には知れない。
父には父の、娘には娘の世界があるのだ。
「またあの子どもらに助けられることになると、意外に高くつくんだがな」
「いやな予感かい? わるいけどダディ、対日関係で防衛費にかけるオプションの優先順位は、かなり高いんだよ」
彼女自身、それほど気が進んでいるという表情ではなかったが、本国からの指令がゆるぎない以上、したがわざるをえない。
箸を置き、ナプキンで口元を拭う。
父と屋台で食事、という義務はすでに果たした。仕事の時間だ。
「……四谷か。死ぬなよ、ミカ」
「そのつもりはない」
ミカの姿が宵闇に消えていく。
アメリカの国益にもつながる、日本の国防計画に沿うために。
「いんがっすんがっすん……」
斜め後方から聞こえた声に、チューヤたちはすべって転がった。
「おい、だいじょうぶかリョーリヤ! てめえババア、なにしやがる!」
相手が老婆だと見て取り、居丈高に拳を振る丹下。
「あたしゃなんにもしてないだろう」
そのオキクムシの総元締めのような老婆は、入れ歯をはめ直しながら言った。
サアヤなら、ふんがーとっと、と合いの手を入れたかもしれない。
そのとき、一同を控室から花道の前室へ導いていたオキクムシが、あわてて頭を下げて言った。
「これは大女将! たいへん失礼いたしました。こちら……」
「ああ、いいんだよ。芸人だろう? 案内してやんな」
ひらひらと手を振る老婆。
どうやら大物らしい、とピンとくるチューヤ。
だれより小物にとって、大物を見分ける目利きこそが、なにより最重要だ。
「丹下さん、下がって。いや、失礼しました、おばあさん。俺らまだ慣れてなくて。ええと、マサカド杯で、女将の琴さんに呼ばれてきました」
自分たちの立場を明かし、ただの芸人ではないとアピールすることも忘れない。
すると老婆は一瞬眉を上げ、瞬時に相手のステータスを読み切ったかのように、
「そうだったかい、これは失礼したね。あたしは琴の母親、小室佳だよ。コンゴトモヨロシク、って? かっかっ」
相手の属性を踏まえたうえで、豪放に笑う。
酸いも甘いも噛み分けた老練のご隠居、という印象だ。
「琴さんの母親、ってことは、小菊ちゃんのおばあさん?」
あきらかに「格が違う」と、チューヤたちは即座に認めた。
そこには抗いがたい「血の呪縛」が感じられた。
佳、琴、菊。
この横溝正史をほうふつさせるジャパニーズ・ゴシックホラーな血族が、日本の行く末に大きな影響力をもっているだろうことは、もはや疑いのないことのように思えた。
「へっへへ、これはこれは、大女将さんでござんしたか」
唐突に卑屈になる丹下を黙らせつつ、人間と悪魔の中間地点を相手にするスタンスで、チューヤは「トーク」を展開する。
──よく見れば、品のいい老婆だ。
昔はミスなんとか、と呼ばれていてもおかしくない美貌だったにちがいない。
「すごい料亭、というか旅館、というか……」
人間相手に、おもねろうとする浅はかなチューヤに対して、大女将はひらひらと手を振って言った。
「なにも出ないよ、ここじゃあね。あたしはもう全権を娘に譲って、楽隠居の身だから」
丹下が再び「なんだただのババアか」と見下す雰囲気を見せた。
リョージは、軽くチューヤと目くばせしつつ、
「オレら、これから試合があるんで」
「そうかい。そうだろうね。そうだろうさ」
「すみません、大女将。それでは……」
さきにたって歩き出すオキクムシ、あとにつづくリョージと丹下。
だがチューヤはその場にとどまり、慎重に老婆の継ぐ言葉を待った。
「そうだろうとも。だれも相手にしちゃあくれないさ。いいんだよ、隠居だからね。この布団部屋の隙間の部屋で、硬う冷とうなるまでおとなしくしてるさね」
ひねこびた感じで、自室らしいリネン室の隣の小部屋に引きこもろうとする老婆。
書き入れ時の料亭で、一片のリソースも無駄にしないためには、家族を甘やかしてなどいられない。
──チューヤの本能が、滞在を選択させている。
ここで大女将との接点を保っておくのは、爾後に有用だ……そんな気がする。
もちろんリョージとの目くばせは、そういう意図を両者が汲んだことを意味している。
「しかしアレですな、大女将。この室には昭和が満ちておりますな、たいへんけっこうですぞ」
トークの策を練るチューヤだが、相手の属性が属性だけに、なかなかむずかしい。
ただの悪魔ならともかく、人間らしさも兼ね備えているとなると、さらにやっかいだ。
なんらかの接点を保つにはどうしたらいいのか、チューヤが考えている間に、そのふところで着信音。
考えがまとまらないなか、なんとなく通話を開く。
「もしもしサアヤ? いま、めっちゃいそがしい。マフユからの伝言なら二度と……」
「フユっちじゃねーよ! おいチュースケ、私は伝言ガールじゃないんだからな!」
午後11時、よいこのサアヤは夢のまた夢のガンダーラにいなければならない時間だ。
チューヤは、目前の老婆に頭を下げつつ、
「ごめんなさい。……こんどはだれだ?」
ここは地下であり、境界だ。そんなところでケータイを手に通話する若造、どういうつもりだ?
と、老婆の興味を引いたのは、結果として幸甚だった。
ケータイから流れてくるのは、サアヤの苦情。
「あんたの父親だよ! どうして息子に直接連絡しないで、私に伝えてくるのかね!?」
たとえ父親に霊界電話をもたせたところで、チューヤとはつながらなかっただろう。
そのくらい希薄な親子関係だが、仕事が絡めば関係せざるを得ない、ということか。
「ご迷惑おかけします……。で、オヤジなんだって?」
「四谷に赤坂の市ヶ谷が、FBIの合同捜査だって。財務の警備がうんたらかんたらで、チューヤの写真がシチョーの四課に回覧で、桜田門に報告しろってさ!」
彼女がなにを言っているのかはわからなかったが、なんとなく察するところによれば、おそらくアメリカ大使館経由で警察庁に内々、活動方針が伝達されたのだろう。
市ヶ谷はもちろん自衛隊、おそらく防衛関係の装備品にまつわる予算が、財務省との駆け引きで国際関係に影響を及ぼしている。
警視庁の警備部は実務上、ここ四ツ谷の警備にも一定の機動隊を派遣しているだろうが、その情報が組対にもまわったのだと思われる。
蓄積されるデータベース上、なにげに息子チューヤの写真を見つけた父ケンゾーが、FBIの関係する事案であることを示唆し、くわしい情報をよこせと言っている……。
「めんどくせーな。いいよ、ほっといて」
高度な察しを発揮して言うチューヤに、サアヤは怒りを募らせて叫ぶ。
「あんた自分で言いなよ、血のつながりあんでしょ!?」
「残念ながら、そうらしいね……」
そこでようやく、チューヤはこの通話がわるくない契機であることに気づいた。
老婆から話しかけてくれたのを幸い、
「ほう? その電話はつながるのかい?」
大きくうなずいて、画面を強制的にビデオに切り替えた。
「もちろんです。はいサアヤさん、新しい夜がきましたよ。胸を前から上にあげて、背伸びの運動から~ハイ!」
「あんた、いそがしいんじゃなかったの、子離れしなよ! あたしゃこれから寝るんだって言ってんでしょ、新しい夜とかふざけてんの、なんで真夜中にラジオ体操しなきゃなんないのさ、だいたい胸を上げるってなんだよ、夜くらいリラックスさせろ、寄せて上げるのは昼間だけ!」
きっちり突っ込み、お怒りながらもビデオに応じるサアヤ。
やおら画面に老婆オキクムシを出されては、気を使わないわけにもいかない。
ついたばかりの寝ぐせをピョンと立てながら、愛想笑いで軽く手を振る。
「おやまあ、かわいい女の子だね。あたしの若いころにそっくりだよ!」
「いやー、かわいいおばあちゃん、そんなふうに年を取りたいものですなあ」
老人ホームのアイドル、無敵の対人関係マスター。
如才なきサアヤに、老人の相手を任せるチューヤの策略は、奈辺を目指すか。




