04 : Day -22 : Shinagawa Seaside
京浜運河を臨む品川シーサイドの高層マンション。
女は長い爪を振って、深紅の唇から「死」を吐き出す。
「そろそろ決めるべきなのよ。お願いね、サイシ」
決められた願いはいま、日本が誇る稀代の殺し屋に伝えられた。
「オーケー、ティアママ。カツラ、とかいうやつだけでいいんだね?」
女はソファに沈めた巨体をかすかに揺らし、軽く首をかしげる。
「そうね、いまのところは」
神学機構につながる道さえ消してしまえば、他のメンツにも意図は伝わるだろう。
いたずらに政局を混乱させても、得るものは多くない。最低限の行動で、最大限の結果を導くのが、殺し屋の使い方としては正しい。
サイシはひとつ、コクリとうなずいて、
「それじゃ行ってくる。リクエストは?」
「行ってらっしゃい。いつもの標準パックでお願い。……あなたのお友だちにも、よろしくね」
サイシは一瞬だけふりかえったが、その意味を問おうとはしなかった。
彼女に友だちはいない。ただ、それについて他人に納得させる必要も、また感じていなかっただけだ。
名前だけ伝えれば殺してくれる、殺し屋。理由は必要ない。
殺し方のリクエストもできる。映像つきで請け負うが、別料金だ。
証拠のカタマリである映像をつけるのは、自信があるからだろう。
──通りに出、タクシーを拾う。
彼女は一見、どこにでもいそうな「女の子」だから、社会に溶け込んでもそれほど違和感はない。
「四谷。迎賓館の北で止めて」
「はい」
話好きの運転手に出会うと不幸だが、バックミラーをひとにらみするだけで黙らせることができる程度には、サイシも「威圧」を心得ている。
その道の大家で「威嚇」を得意としている「お友だち」から、そのとき偶然、着信があった。携帯電話を取り出し、通話を開く。
「もしもし、マフユ? どうしたの」
小声で話すが、不自然なほどではなく、運転手の耳には届く程度だ。
もちろん届いたところで、断片的な言葉から不穏な現実が浮き彫りになるような下手は打たない。
万一の場合、運転手ごと「消す」だけだ。
──自分の都合のために、だれかを殺すことは「悪」とされる。
しかし正義のために殺すのは「善」という常識が、多くの世界で流通している。ここに、巨大な欺瞞と軋轢の源泉がある。
すくなくとも聖戦を戦った者には、天国への扉が開かれている。
こっけいな善悪の彼岸だ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ヴィゾフニル/霊鳥/B/中世/北欧/エッダ/北赤羽
世界樹の頂点で、雄鶏はあざ笑う。殺しは殺しだと。
だれの都合でも、欲望でも復讐でも、理由はなんでもいい。
結果に対して、代金を支払う。
罪の半分を彼、あるいは彼女が負う。
ごく短いやり取りを終え、通話を切る。
そのままケータイを操作して、別の番号へかけなおすサイシ。
「……もしもし、小菊さん? うん、わたし。バイト紹介してくれて、ありがと。アイドルにはなれなかったけど、尊敬する小菊さんに知り合えただけでうれしい。営業までまわしてもらえて、すごくよかった。……うん、もうすぐ着きます。あと15分くらいかな」
そう話す後席の少女を眺め、運転手は少しくゾッとした。
ちっとも「うれし」そうでも、すこしも「よかった」ようにも、見えなかったからだ。
ただ機械のように、予定された文言に相応の抑揚をつけて発声する。
彼女は機械だ、という運転手の印象は是か非か。
湾岸通りから都道へ、そこから四谷まで。
短い道のりのさき、待ち受けるのは広壮なダンジョン。
丹下が、ちょっと便所いってくらあ、と戦う当人よりも緊張した面持ちで部屋を出たとき、こんどはチューヤのケータイが鳴った。
リョージの例を鑑みるまでもなく、ここは境界だ。かけてくる相手は決まっている。
「もしもし、サアヤ? いいかげん子離れしろよ、俺はいそがしいんだからな」
リョージの手前、やや乱暴な物言いをしてみたが、倍の勢いで苦情が返ってきた。
「私だって大忙しで爆睡中だったよ! 伝言頼まれたから、しかたなくだよ!」
チューヤは反射的に、鉄道時計を取り出してみる。
「爆睡……まだ10時だけど」
「8時に全員集合したら9時に寝るに決まってんでしょうが、このバカチンが!」
「お年寄りか……」
年をとると寝るのも起きるのも早くなる。
お年寄りとの親和性がマックスのサアヤは、あらゆる意味で年齢を超越した存在だ。
「そうだよ! だから寝なくて平気なジャンキーどもの連絡網に、私を組み込むのは遠慮してもらっていいかな!?」
「すいませんでした! 朝4時に迎えに行くから、よく寝とけ。で、どこのジャンキーから連絡あったの?」
問いかけつつ、そういえば俺、いつ布団で寝たっけな?
と考えはじめて、記憶を掘り起こすのをあきらめた。
睡眠じたいは、切れ切れにとっている。
電車移動という細切れの時間が、いまの彼にとっては生命線のようなところがあった。
いつもなら移動を楽しむことやぶさかではないのだが、最近は目を開けたまま寝ていることがよくある。
乗り換えの駅に到着した瞬間、身体が勝手に動く。
ハッと気づいたときには目的地に着いている、というチューヤの「鉄道オートマトン」ぶりは、それはそれですさまじい。
そして、これでいい、と思っている。
寝たければ、どうでもいいときに、いくらでも寝ればいい。
いまは、大事なときだ。
大事なときに動けなくて、生きている意味があるか?
それが彼の生き方だが、もちろん夜になったら寝る子として育つ予定のサアヤには、サアヤの生き方がある。
「なんかね、フユっちが伝えといてくれって。サイシのやつがやべえ仕事請け負ってるから、見つけたらなんとかしろとさ」
「なんとかってなんだよ」
「知らないよ! チューヤが知らないならね!」
チューヤは一瞬考えてから、昨夜からの顛末を思い出し、
「いや、サイシについちゃ思い当たるところはある」
「じゃ、おまいが説明しろよ!」
「あとでな。いま、いそがしい。善処すると伝えといてくれ。じゃな」
騒がしいサアヤとのつながりを、静かに切断した。
サアヤを使ってまで、チューヤに連絡をとろうとしたということは、マフユのほうもだいぶ切羽詰まっている可能性がある。
サイシが請け負った仕事というのは、それほど「ヤベエ」のか。
いや、そもそも殺し屋の仕事が「ヤベエ」のは、当然といえば当然なのだが。
そのとき、ちょうどもどった丹下が、
「なんかキナくせえことになってんぞ。忍者が潜入したらしいや。とばっちり受けねえように気ィつけねえとな」
「それより手ェ洗ったんスか丹下さん」
「あん? 洗ったよ、しかも石鹸で、先月ちゃんとな」
「……トイレ、どこスか?」
場所を聞いて外に出るチューヤ。
──忍者が潜入した、か。
もちろんそれを探しに出たわけではないが、そんなささやきがバックヤードにまで広がっている割烹・菊ゐの状況を、とりあえず見極めておきたかった。
「忍者だ、忍者のニオイだ」
その「うわさ」の発信地となっているらしいカエルの顔をした妖怪と、まっさきにすれちがった。
剣呑なことお言いでないよ、と通りかかったオキクムシにたしなめられている。
すると、つぎの瞬間、ごろん、とカエルの首が床に落ちた。
オキクムシが悲鳴をあげて飛び退く。
倒れたカエルの身体は、その場でしばらくじたばたもがいていたが、ほどなくひっこめた首をニュッと出して、ゲコゲコと笑い出した。
床に落としたつくりものの首を拾うカエルに、悲鳴をあげたオキクムシが罵詈雑言をぶつけている。
そんなシュールなやりとりを眺めながら、チューヤはしばらく考えこんだ。
このカエル、どこかで見たことが……いや、カエルに会ったことはないが、取り憑いた人間とは会ったことがあるような、名前教えてくれないかな……。
しかし悪魔に「本名を訊く」に等しい要求は突きつけられず、彼の正体を思い出すことはできなかった。
それでも、コテコテの昭和ギャグを連発するカエルの言動から、きっかけは得られた。
サアヤという伝説の昭和娘に近しく接する機会をもつ彼をして、いまどうすべきかの指針は明確だ。
やおらチューヤは、ポケットから「イモリの生写真」を取り出し、振ってみる。
東京を冒険していると、各地で謎の「遺物」を回収することが、ままある。
なぜこの生写真に効果があると判断したのかはわからないが、冒険者の直観とでもいうしかないだろう。
カエルはぴくりと肩を揺らし、ゲコッ、と鳴いてチューヤに這い寄った。
「イモリだ! くれ! だれのもんでもない! オレのもんだ!」
そして皮膚の色を水色に変え、謎の踊りを踊るカエル。
どうやらイモリが大好きらしい。
「くれてやってもいいが、教えてくれ。……忍者って、なんだ?」
カエルは、チューヤが空中で揺らす写真にむかってぴょんぴょんと跳ねながら、
「完済天使だ。くれ!」
「完済天使? くわしく」
「関西じゃ、そう呼ばれてた、と知り合いのトノサマガエルが言ってた。東日本じゃ、サイシって呼ばれてる。殺しの天使、忍者だよ」
眉根を寄せるチューヤ。
いろいろと符合はするが、問題はそれほどの情報を、なぜこのカエルごときが知っているかだ。
やはりある程度のステータスの人間で、わけあってこの料亭でバイトをしている、といったところだろうか?
「おまえ、なんで……」
「なんでもクソも、ここには殺す価値のある人間が、あまりにも多く集まってるからだろうよ。日常なんだよ、ここじゃあな」
ちがいない。
極端な話、この料亭を爆破してしまえば、かなりの物語が路線変更を余儀なくされるのではないだろうか。
やおらカエルは高く跳ぶと、チューヤの手から「イモリの生写真」を奪い取った。
それを変態的な表情で、ぺろぺろと舐めはじめる。
いや、文字どおり彼は「完全変態」なのだろう(学問的には昆虫以外に用いないが)と理解した。
そのとき、
「あんたァーッ!」
ピンクの着物を着たカエルが、横滑りしながら吹っ飛んできた。
「ゲコッ! おまえ……っ」
瞬間、緑のカエルは横っ飛びで去っていく。
その軌道に沿って、ホーミングミサイルのようにピンクのカエルが追いかけていく。
唖然とするチューヤに、これ以上、カエルの事情を忖度している余裕はない。
階上からは、女の子らの嬌声とともに、ぱたぱたと移動する音。
宴席は各所で花盛りだ。
いずれ機会があれば、また会うこともあるだろう……。




