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42 : Day -20 : Akihabara


♪

 きみとぼくはいつでも、脳(ここ)で会っているのさ。

 ただの空気でしかない、深い嫁の秘密。



 二次の都へ。

 彼らが聖歌とする曲が、遠くから流れている。


「きみとぼくは、フフフフーン♪」


 鼻歌を歌いながら隣を歩くブブ子を空恐ろしげに見つめて、チューヤはなんと言ったらいいものか言葉を探す。


「ブ……部長は、どうしてここに?」


 夜明けの街角を歩いていると、げふぅ、とゲップするブブ子と遭遇した。

 出会い頭にぶつかる、という小ネタをほりこむ気にもならないほど、彼女は満腹のようだった。


「そのまえに、まずはお礼を言っておくですよ。チューヤ部長のおかげでだいぶ腹がこなれたです。アキバの童貞食い放題バイキングに参加できて、うれしいですよ」


 言って再びゲフゥと息を吐くブブ子。

 この場合の食い放題は、おそらく文字どおりの意味だろう、と察した。

 境界化が薄れつつある街路のむこう側には、凄惨な血みどろの惨劇が広がっている。


「お役に立てたようで……」


 ミノタウロスの角という漢方薬によって、悪食をきわめて体調不良だったブブ子の胃腸の具合も改善したらしい。

 結果、人類にとってより大きな不幸を呼んだ可能性については、今回は目をつむろう。


「どうやら地下アイドルとかいうイベント集客だったらしいですが、声優イベントの本質は二次の都ですからね。フンフーンフフフン」


 言って再び妄想ソングを口ずさむブブ子。

 ちなみに元ネタである高野寛『虹の都へ』は、番組のテーマソングやCMソングとして大ヒットした。時代は平成初期、バブル絶頂から崩壊への端境期である。

 彼らは毎週のようにスキー板を担いで、苗場や白馬を転がっていたらしい。


 当時、世界の絶頂を極めた経済だが、その後、安定(低空)飛行に切り替わったことが、失われた時代、という表現をもたらした。

 しかし文化が失われることはない。

 営々と刻み、重ねられてきた歴史の重みが、ここ秋葉原にもある。


「非実在青少年は好きにすりゃいいけど、オタクは実在だからなあ」


 駅前を埋め尽くすポスターも、ほとんどすべてアニメキャラ、つまり二次元だ。

 地下アイドルという側面もあるが、やはり秋葉原は「二次の都」なのである。

 終末を告げる妄想ソングの意味を問われ、ブブ子は平然と答える。


「うちらはちゃんと権利を買ってるですよ。合法的な捕食行為なので、だれにも後ろ指さされるいわれはねーです」


 ……これだ、問題は。

 政府は異世界線による侵食を、一定の範囲内で認めている。


 もちろんそんな交渉、契約、議事録などいっさい表に出ようがないが、実在することをチューヤは知っている。

 既成事実化してから事後承認すれば、だれも文句は言えない、言ったところで後の祭り、という古典的方法はほとんどの国で採用されている。


「そんな、ひとの命を売り買いするようなこと」


 認められない、と言いたいところだが、悪魔の世界に永らく接してきたチューヤは、人間がそれほど特別なものだと思えなくなっている。

 人間が他の動物に対してやっているのと同じことを、ただやり返されているだけなのではないか、とさえ思うこともある。


「やはりアキバのCB個体どもは美味なのですよ。足立や葛飾のワイルドも、きらいじゃないですが」


 遠くに聞こえるブブ子の声。

 それもこれもすべて、人間がやってきたこと。


 われわれは他の動物を捕食するばかりではなく、進化と繁殖をコントロールしたうえで商取引してきたし、これからもそうするだろう。

 動物の販売や飼育などの現場では、WC(ワイルド)とCB(繁殖)という用語が使われる。


 自然環境で捕獲してきた野生生物がワイルド個体で、育成費用がかかっていないため一般的には安い。

 いっぽう人工環境で飼育したCB個体は、人に慣れており寄生虫などのリスクもないため高額だ。


 人類を侵食する悪魔たちにとって、先進国はCB、後進国はワイルドである傾向が強い。

 また同じ先進国の指定された狩場のなかでも、たとえば東京なら中央区や港区はCB、足立区や葛飾区はワイルド、と規定されている。


 こじらせたオタクが多い秋葉原などは絶好の狩り場であり、参入には多額の対価が必要とされている。

 ベルゼブブなどの大物は支払えるが、そうでない並の悪魔は足立や葛飾などの辺遠に押しやられるのが常だ、という。


「花嫁イベントに集まってる童貞狙いか」


 チューヤは自分を顧みてぺろりと舌なめずりをするブブ子に一瞬恐怖をおぼえたが、彼女はすぐに興味を失って視線をもどした。

 なぜか。チューヤの妄想はもっぱら動く鉄の塊に向かっている。そんなものは正直あまりうまくない。以上。

 しかして、童貞の脳内で生み出される「理想の嫁」というものは、すさまじいパワーを秘めている……らしい。


「そんな発酵した食品が、ぼくたちは大好物なのですよ。死んだほうがマシなやつらを片づけてもらっている日本社会にとっても、この取引はWINWINですよ」


 全力で反論したいところだが、チューヤには「最高の空気嫁」なるものを育んだ日本社会の暗部についても知見がある。

 生きやすい部分はあるが、息苦しさもそうとう感じてきた。


 ここにあるものは、人類史の縮図だ。

 人類は他の生物をその生存圏からことごとく駆逐してきたが、同時にお互いを排除し合ってもきた。

 理由は簡単だ。

 彼らは敵だから、そこにいると邪魔だから。


「そんな、まるでムシケラみたいに……」


 言ってから、ふりかえったブブ子と視線が合って、立ちすくんだ。

 全身を貫く恐怖は、ある種の「理解」に基づいている。


 ベルゼブブの背後にきらめく神々しい光は、もちろんただの夜明けを告げる太陽の光なのだが、きわめて意味深く、かつ象徴的な「歴史的背景」をまとっている。

 ──ベルゼブブは、かつて神だった。


 永劫回帰のようにくりかえされてきた、価値の転倒。

 直近のイベントからでも、チューヤはその事実を思い知っている。


「ディオニュソスの秘密を嗅ぎ取ったチューヤ部長なら、わかると思うですよ。正(・)義(・)な(・)る(・)も(・)の(・)の正体がね」


 まずいことになった、と思った。

 ただでさえやっかいだった夜の明け方に、このような大物に捕まってしまう不運。……いや、もちろん必然だったのだろう。

 この議論に正解はないが、個人としては解決をつけなければならない。


「ブ……部長の敵は、神学機構だよね」


「もちろん、やつらに容赦する理由はねーです。徹底的にブチのめしてやりますよ。やられたらやり返すのは、みんなが守ってるルールなのです」


 秋葉原での捕食も、きちんとルールを守っている。

 彼女はそう言いたいのかもしれない。


 ベルゼブブの歴史を顧みれば、ブブ子の言いたいことはハッキリしている。

 かつてイスラエル人が、ペリシテ人(パレスチナ)に対して、なにをやったか。現在も同じことをやっているので、とてもわかりやすい。

 だれかの住んでいる土地を力ずくで奪い取り大量虐殺、という行為は歴史的にはよくあることだ。


 ベルゼブブは、ペリシテ人の神バアル・ゼブルが前身とされる。

 ご多分に漏れず、イスラエル人が異教徒の神であるバアルを悪魔に仕立て上げた結果、ハエの王ベルゼブブが誕生した。


 バアル信仰は当時、オリエント地方に非常に広く浸透しており、豊穣を祈る儀式が、性的だったり残虐だったとして、イスラエル人は批判した。

 しかし彼らが残虐に「滅ぼし尽くし」たのは、カナンに住む一部の先住民だけであり、そうして自分らの土地を切り取って満足したイスラエル人はその後、もっぱら頽廃と内輪もめに終始した。


 『旧約聖書』でもっとも血なまぐさい巻として知られる「ヨシュア記」には、神の命令によってイスラエル軍による大量虐殺が行なわれたことが記載されている。

 士師ヨシュアによって、自分たちに「約束された」土地から先住民族を追い払い、聖なる民イスラエルによる国づくりの顛末を記したものだ。


 あまりにも冷酷な命令で、血なまぐさく、旧約の神がそしられる理由ともなっているが、これを擁護する人々ももちろんいる。

 一般的なのは、これはあくまでも軍記物としての「誇張」であり、現実に殺し尽くしたりなどはしていない。当時の記録文書に一般的にみられる形式にもとづいて、ヨシュアが文章を「修飾」しただけのことである、という言い訳だ。

 一言一句を聖なる真実として受け止める「信徒」をして、誇張や修飾といった単語でしか擁護しえない残虐文書、それが「ヨシュア記」である。


 もちろん「皆殺し」になどできるはずもなく、周辺に生き残っていたペリシテ人と、その後も一定の関係をつづけている。

 そもそもバアルを信仰する民族を皆殺しになど、物理的にできない。

 ただその「土地を奪え」ればよく、体よく追い出した異民族と、ほどほどに利害調整をつけながら交易や友好関係なども築いていたことが、「士師記」や「サムエル記」などにも記されている。


 あくまで当時の国際関係を淡々と記しているだけの「歴史文書」として、聖書はたしかに価値が高い。

 聖書考古学などが広く普及していることを考えても、第一級の記録文書であることは事実だ。

 問題は、これを宗教に利用しようという考えのほうだろう。


「ぼくたちは、日本人に親近感をもつです。なぜなら日本人には、海の民の血が流れているからですよ」


 ペリシテ人の神の視線が、チューヤには一瞬やさしく感じられた。

 その起源については諸説あるが、紀元前13~12世紀ごろ、地中海を支配した謎の民族「海の民」との関係が指摘されている。

 周辺を海に囲まれた民族である日本人にも、海の民の血は受け継がれているのだ、とブブ子は言った。


「また壮大な歴史絵巻もってきたね」


「と、バフォメットが言ってたです」


 脳裏によぎる、中東ふうのイケメン。

 あの破戒坊主なら、なにを言ってもおかしくはない。

 ダテにウラマーではなく、膨大な知識・知見にもとづいて、反駁しづらい檄文を発したりするからやっかいだ。


「神学機構から裏切り者あつかいされているイスハークさんもそうだけど、ブ……部長も彼らを破壊する気、満々みたいね」


「そもそもキリシタンとパレスチニアンとヘービアンが、おなじ釜の飯を食えるわけがねーんですよ」


 キリスト教徒、イスラーム、そしてユダヤ。

 同じ聖地をもつ「啓典の民」。


「それをやったから世界最強なんでしょ、神学機構は」


「幻想です。ぶっ壊してくれるですよ」


 ハエの複眼が闇を放つ。

 彼らにとっても当然に最強の敵である神学機構の破壊は、なによりも重要なミッションだ。


 ──何世紀ものあいだ使い古されてきた標語に「三人のペテン師」というものがある。

 モーセ、キリスト、マホメット。


 モーセは原始的なトリックで朴訥な羊飼いや山羊飼いを口車に乗せ、キリストも漁師や徴税吏に同じことをした。

 さらに賢くペテンを組んだマホメットの偉業は、現代まで通用している各制度によって証明されている。


 地中海地域に勃興した一神教的宗教の創始者たちは、こうして欺瞞とペテンの伝統組織を築き、多数の追従者たちによってそれは凶悪な既得権へと昇華された。

 彼らに向かって「三人のペテン師」の話をすれば、その破壊力についてはただちに証明されるだろう。

 たとえば異端審問所や、カーディーといった裁判官たちによって。


「結局、チューヤ部長がどれを選ぶか、ですよ。もちろん、ぼくとおなじ道を選ぶに決まってるですが」


 チューヤは短く嘆息し、シンプルでよかった子ども時代のゲームの設定など思い出す。

 ──王道RPG。


 暗黒の世界から魔王がやってきて、美しいこの世界を支配する。

 善なる王国を守らなければならない王様から、100円玉と硬い棒をもらって、正規軍に代わり魔王の討伐を命じられる勇者。

 味方は全部正しくて、敵は全員邪悪。だから倒して奪えばいい。

 そんなシンプルな世界に暮らしていた時代が、とてもなつかしい。


 だが、いまや「魔王とは人間」であり、既存の生命にとってもっとも邪悪な存在が人類である事実が、つまびらかにバレてしまった。

 われわれとは、なにか?

 悪魔です、あなたたちこそが、悪魔なんですよ。

 そんな言葉をまっさきにむけたくなる男が、路上に立っていた。


「……朽木、さん」


 チューヤは足を止め、彼を見つめた。

 腰を低く、ひねこびて揉み手をする末端芸人、スライミー朽木。

 ブブ子は腕組みして、下僕スライムが這い寄ってくるのを待った。

 チューヤは斜め後方で、朽木のいやらしい追従笑いを眺める。


「へへへ、今夜も毎度どうもです、ベルゼブブの旦那」


「ルールは守ったです。すこし食い散らかしすぎたかもですが」


「安心してください、狩りすぎても安心、うちには工場があります、余剰はちゃんとスリミ缶に加工するっす」


 両手でモミモミとごまをすり、ひたすら魔王に媚びる外道、スライム。

 卒然、理解するチューヤ。

 ……あいつ、仲間(ニンゲン)を売ってやがる。


 たしかに秋葉原はスライムの巷であり、強い悪魔たちの草刈り場になっている事実はあるが、それを彼は商売に変えているらしい。

 悪魔にも理屈はある。

 それでも人間の理屈のほうが、悪魔もはだしで逃げ出す、そんな気がした。


「こんなとき、人間のルールではどうするですか?」


 ふと顧みられて、チューヤはあわてた。

 朽木を制裁したい、という衝動が沸き起こった事実を否定できない。

 彼を殺せば、たくさんの人間が助かる気がした。だが彼を殺したところで、べつのだれかが代わりになるだけという気もする。


 仲間を売って、自分が儲ける。

 そんな彼を殺すことは……すくなくともいま、チューヤを縛るルールのなかでは、できない。

 するとブブ子は、なんとなくつまらなそうに笑って、言った。


「それじゃまあ、これはサービスです。……代金を払うですよ、外道」


 ブブ子の腕がしなり、朽木の首が落ちた。

 ひねこびた笑いを貼り付けたままの首を拾い、ブブ子はその生々しい中身をすすりながら踵を返す。


 あぜんとして言葉も出ないチューヤ。

 やるべきことを、さまざまな理由でできないだれかに代わり、消し去るべきものを消し去ってくれる、だれか。


 そういう殺(・)し(・)屋(・)が(・)必(・)要(・)なのかもしれないと考えてしまうことじたい、闇にとりこまれすぎているのではないかと自省する。

 だがこれは、現実だ。


「こいつの親玉が岩本町のほうにいるです。あんな黒いスライムは、マズそうなので食べたくないですが。……それじゃまた、地獄の釜の底で待ってるです」


 ふっ、と姿を消すブブ子。

 彼女は悪魔だが、悪ではない、そんな気がする自分をどうしようもない──。



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