43 : Day -20 : Iwamotocho
この時期の東京の夜明けは、6時半すぎごろだ。
太陽の光が差した瞬間、号令が発されたかのように、捕食者の群れが散っていった。
昼と夜。この明確な活動時間の分割が、ビジネスライクな「捕食」の時間と場所の売買をやりやすくしている。
秋葉原を支配するのはスライムという最低の外道だったが、この鉄板のザコキャラには上役がいるらしい。
神田川をわたり、岩本町にむかう。
秋葉原からは徒歩数分のところなので、それほどの手間ではない。
──そこは上層階が住居、1階が飲食店になっている、よくある形態のビルだった。
スリミ缶の上にあるスリミ缶。
という、わけのわからないポスターが貼ってあるところをみると、おそらく朽木の勤務するスリミ缶製造の系列会社なのだろう。
日本酒を中心に出す飲食店で、スリミ缶の販売もやっているらしい。
地下は食糧庫になっていて、そこに住み込んでいる地域の「ボス」は、朽木に輪をかけてわかりやすい外道だった。
検品でハネられたスリミ缶を主食に、備品のテレビでエロ動画を眺める生活スタイルは、明け方の「食い残し」処理のときだけ業務モードになる。
飲食店の日本酒を盗み呑みながら、ダストシュートから投げ込まれた人肉の残滓を、業務用のミートミキサーにかける。
うまみの強いスリミ缶は、こうして世界各国に円高によって輪をかけて高価な、しかし競争力の高い保存食品として輸出されていく。
「なぁんだぁ、てめぇはぁ、ここは生きた人間の、くるとこじゃあ、ねえぇえ、ってことはだあぁ、てめえは、死ねえぇえ」
不定形をきわめた生物が、チューヤの行く手を阻んだ。
やはりボス戦なしでミッションを抜けられるなんて甘い、というより、こうして戦えることがむしろカタルシスでさえある。
そんな自分に不安をおぼえつつ、
「スライムの上司は、なおさら醜いな。いいよ、やってやる」
陣容を整える。
物理攻撃への耐性が極端に高い敵に応じて、弾力的に。
相手に合わせて戦えること。
それが悪魔使いの神髄だ。
およそ10時間ぶり、ケートとサアヤに合流した。
「高井戸から45分もかかったぞ。意外に遠いんだな、秋葉原」
もちろん首都高を使い、タクシーの運ちゃんを急かして秋葉原を目指したことを、ケートは主張した。
「電車ならもっと早いよ。ふーん、この時間も混んでるんだ首都高。だから電車を使うべきなんだよ、東京でクルマ移動なんてどうかしてるよ」
なぜかえらそうに応じるチューヤ。
電車の場合、事故などによる遅延でもないかぎり混雑時間帯はあまり関係ない。
久我山から秋葉原なら30分少々だが、駅からの徒歩時間を考慮すれば大差ないだろう。
が、たとえクルマのほうが早かったとしても、どう考えてもタクシーと高速道路を使うよりは安上がりである。
この優位性は譲れないよ!
「やかましい。カネなんかいくらでもある」
「一生に一度は言ってみたいセリフだね! ようサアヤ、おはよう。よく眠れたか」
ケートの横に立つサアヤは、つんと横を向いたまま言った。
「なによチューヤ、あんたが帰っていいって言ったんじゃん。自分が眠ってないからって、えらそうにしないでくれる」
「してねえよ! ……ご機嫌ナナメか、サアヤ」
「どうだろうな。家を出るときは上機嫌だったぞ」
「女の子はむずかしいね……」
ぼやくチューヤは岩本町駅から靖国通りを西へ、一方ケートたちは西からやってきて、万世橋のたもとで合流したばかり。
人通りのなか、北へむかって歩きながら昨夜の顛末を手短に語る。
チューヤが背負い袋から出した「かごめのおふだ」の裏面には、美しい三角形の模様が浮かび上がっていた。
チューヤが一晩かけて、どれだけの女の子を不幸から救い、あるいは幸せへと導いたかの指標だ。
「まあ、よくやった……と言いたいところだが、吸血鬼はどうした」
「それな。最後に黒いスライム野郎が言ってたんだが……」
末広町に裏切り者の巣がある。
罪深い神社だ。神を名乗る悪魔が、そこに棲んでいる。
殺し合って死ね──。
そもそもイカレ気味のシェイクされた頭だったので、よく意味はわからなかったが、とにかく末広町の神社がつぎの目的地らしい。
「神社なんてどこにでもあるだろ」
渋谷、明治神宮にある神社本庁に登録されている、全国の社はおよそ8万。
東京にももちろんたくさんある。
「まあ、行ってみればわかるんじゃないの」
ふわあ、とあくびをしながら、黄色い太陽を眺めるチューヤ。
そろそろ10時、多くの店舗が開店する時間だ。
早朝の閑散期を乗り越え、人通りは大きく回復している。
人口のたった1%のダメージが、人類社会にさしたる影響もないことは明白だ。
表通りの街角に立つメイド服の少女たちと、おのぼりさん。
裏通りにはポン引きと、紙袋を提げた玄人衆。
そんなふうに截然と表・裏を切り分けるのはむずかしい時代になっているが、それでもここが特殊な環境である事実は揺るがない。
「なんかこのマチくると、いつも勝手に異世界転生した気になるよな」
「東京のなかでも特殊な環境であることはたしかだね」
大都市の風景というものはだいたい似通っていて、そこが新宿なのか品川なのか池袋なのか、特徴的なランドマークや地名などが映っていないかぎり、短いお散歩動画から判別するのはむずかしい。
渋谷は道幅や傾斜の感じでなんとなくわかったりするが、もっとわかりやすいのが秋葉原だ。
瞬時に「ああ、アキバだな」と理解できる。
猫耳の少女に手を振られ、へらへら笑っているチューヤの耳を引っ張るサアヤ。
「あんたああいう店いったら身上つぶすよ」
「誤解だろ、看板にも1発1000円て書いてあるぞ」
「ねえよ!」
1ドリンク1000円なら、まあふつうだ。
手を振りながら小さなチラシを配ったり、ラミネートされた厚紙を胸の高さに掲げたりして、客を呼び込む少女たち。
「ちゃんとバイトして稼いでるんだね、えらいね、女子」
「……俺もバイトしようかな」
「黙って歩け」
ケートに背後から蹴られ、謎のキャラが並ぶ街路を進む。
路傍に停車しているクルマも、なにやら痛い感じになっている。
しかしここでは、これがふつうだ。
フィギュア、生写真、アイドル、ゲームソフト、この地を訪れる者どもの精神をつかみ、離さない魔物の巣。
秋葉原は、世界の秋葉原である。
「じつに興味深いマチだな」
「東京は、掘れば掘るほど、なんか出てくるよね」
メイド通りを通り過ぎ、ちょうど地下鉄1駅分くらいを歩くと、銀座線神田のつぎの駅、末広町が見えてくる。
地下鉄なのでもちろん駅舎は見えないが、チューヤの目には東京を縦横無尽に貫いている地下鉄の路線が、立体的に目に見えた。
「チューヤがいると道に迷う気はしないな」
「ま、それだけは保証するよ。……あのわるい癖さえなかったらね」
ケートとサアヤが眺める視線のさきで、チューヤは交通標識に手をつけてうっとりしている。標識を伝わって地下から響いてくる、鉄道の走行音を聞いているのだ。
本来は地面に耳をつけたいくらいだが、さすがにそれは自重していた。
「いやー、やっぱり銀座線は浅いなあ。ここまで聞こえてくるよ、海中を走る1000系6両編成のしらべ……」
このあたりの標高はほぼ2~4メートル程度なので、いかに浅いとはいえ銀座線は海抜ゼロメートル以下を走っている。
日比谷線、有楽町線はさらにその下なので、東京は海中都市ともいえる。
「あれさえなければ、いいやつなんだがな」
「いや、なくてもべつにいいやつではないけどね。……おいチューキチ、とっとと歩け!」
サアヤに蹴飛ばされて、しかたなく歩き出すチューヤ。
「いいけどさ、どの神社とかまだわかんないんだし、まずどこ行く?」
「近いところからだ」
「江戸時代からこっち、お稲荷さんはどこにでもあるよ。有名なのは神田明神、すこし行くと湯島の天神様もあるね」
「そういや湯島がすぐそこだったな。……こっちも本職を呼んである。そろそろ着くころなんだが」
「本職?」
「ああ、吸血鬼退治といえば、こいつら……ヴァンパイアハンターだ」
ファンタジー業界では、よく話題になる職業。
実在するとは知らなかった。
と、そのときチューヤは見知った顔を見つけて、思わず手を挙げた。
「あれ、猿島さん? おーい」
手を振るチューヤに気づいて、猿島と呼ばれた男がひょこひょこと寄ってきた。
「やあ、きみか。昼間からアキバうろうろして、学校はどうしたの」
「あなたこそ、会社どうしたんですか。もしかして締め切り飛ばしすぎてクビになったとか?」
「むしろクビにしてほしいね、あんな会社。デスマーチが過ぎるよ。……やあ、どうも」
順に挨拶していく面々。
猿島は、株式会社タイタンでチーフプロデューサー室井の部下であり、武闘派のプログラマーとしても知られる逸材だ。
サアヤとはすでに面識がある。理数系人材なのでケートもすぐに打ち解けた。
「そうか、『デビル豪』をつくったスタッフか」
「ま、あれは室井さん渾身の傑作だとは思うけどね」
「パッチがデカいで有名ですよね」
そんな和気あいあいたる会話をぶった切る、事件が降ってきた。
文字どおり、人間が降ってきたのだ。
チューヤはすでに上野でビルから飛び降りてくる人間を見たことはあるが、今回は横から吹っ飛んできた。
街路樹にバウンドし、そのままビルの壁に「めしゃっ」といやな音をたててぶつかる。
唖然とするチューヤたちの視線のさきで、銀の杭を手に、倒れた人間に襲いかかる金髪の白人。
倒れたほうは褐色の肌だが、やや日本人離れをした顔立ちだ。
そんなふたりをみた瞬間、ケートとサアヤが同時に声をあげた。
「ニック!」
「クドっち!?」
殺そうとしているほうと、殺されかけているほう。
どうやら彼らは、いずれかと知り合いのようだ。
複雑な人間関係のドラマが、またひとつ。




