41 : Day -20 : Ogawamachi
店を出て、南にむかって歩く。
ネクターいわく「家に帰る」らしい。
まさか徒歩で警視庁まで歩くつもりだろうか。
もちろん距離的にはまったく問題ない。
小川町から桜田門は、皇居半周程度の近場だからだ。
「だけどあんたは神じゃないだろ」
チューヤは言ってから、しまったと思った。
彼は神なのだ。ディオニュソスという名の、一定の信者を抱えた神──すなわち、異なる宗教にとっては敵。
敵を殺し、その罪を敵にかぶせよう。
そうして啓典の民はここまできた──残念ながら、これは史実だ。
ネクターはにやりと笑った。たとえ彼が笑わなくとも、その論理じたいにチューヤは親近感をおぼえている。
「だから好きなんだよ、わたしは多神教の国が。エジプトも、ギリシャも、インドも、そもそもすべて多神教じゃないか。むしろ異端は一神教のほうだ。そう思わないかね?」
思わずうなずきそうになって、警戒する。
何度も経験してきた、これは悪魔の弁論だ。
「……敵は、神学機構か」
結局のところ、ここが核心だった。
ネクターは慎重に言を継いだ。
「彼らはけっして、統一されてはいない。不協和音だらけではないかね?」
脳裏をよぎるイスハーク。彼はかなり重要な「獅子身中の虫」たりうるが、すでに内部的に排斥されている。
「どうする気だ、あんた」
「法律によって縛られている立場のわたしが言うのもなんだが、律法は破壊されてしかるべきだと思うのだ。この国には、そのために有用な手段もある」
「……なにを、たくらんでいる?」
「やるのはわたしじゃないし、わたしがたくらんだわけでもないよ。ただわたしの愛する植物たちが、その役に立っているらしいことは、知っている」
まるで少女漫画のように、ネクターの背景に花が咲いたような気がした。
植物のネットワークを使って、究極の動物である人間を罰する……という「思想」で動いているらしい、ただの「殺人者」。
それがこの男、ハンムラビ・ネクターだ。
「……教えてくれ。頼む」
しかし本能的に、チューヤは言っていた。
おそろしく重要なことを、この博士は知っていると気づいたからだ。
FBI捜査官が、凶悪な殺人者を捕まえるために、最悪の殺人者にすがりつく気持ちが理解できた。
人間はすでに植物の生存圏を6割がた、削り取っている。
反撃を受けてしかるべきだ、と考える人々もいる。自然保護団体の多くは、このような発想のもとに行動している。
もちろんより穏当な手法から、さらに厳しい規制を模索する勢力まで、さまざまな考え方がある。
そんななか、より過激な爆弾を投入してやる手段を、彼はもっているということだ。
植物のネットワークを使った、爆弾を。
「末端の活動家に頼るのも、わるくはないのかもしれない」
メズキ、ゴズキという老人たちにすがって、道のりの一端は見えてきた。
その核心にあるテロルに最接近するために、どうしてもこの連続殺人鬼の力が必要だとしたら。
「けど、彼らは脅されてやっている。よくないよ」
「わたしの知ったことではないが……そうだな、わたしの愛でる植物をあのように使うことは、べつに批判はしないが、同意もできない」
ぶつぶつとつぶやくネクター。
彼がどのような意図で語っているのか判然とはしないが、直感的にチューヤは「田宮の影」を読み取っていた。
彼らはいずれも「ただの人殺し」だが、ひたすら破壊衝動にしたがうだけの壊し屋・田宮と、高邁な思想によって殺人をくりかえすネクターでは、殺人の趣旨も質も大きく異なるだろう。
おもしろいから、邪魔だから殺すという田宮と、植物界からの復讐、高尚な趣味としての殺人を自任するネクター。
ある種の近親憎悪を、いまは利用すべきかもしれない。
「世界樹……バロックをハッキングして、田宮って殺し屋がチート行為に及んでる。テロの計画もあるらしい。知ってることを教えてくれないか」
「下賤な行為だ。植物のすがすがしいありようを、ひたすら汚す行為だ。発想じたい、けがらわしい。……まさか〝花粉〟を、あのように使うとは」
「……花粉?」
「度し難い孫ではある。自己愛の到達点だ。しかし哀れを催しもする。──糀谷のトラネットだ」
チューヤの脳裏に刻まれるフラグ。
前方を歩いていたネクターが、ふと立ち止まる。
いよいよ訊いてもいいタイミングだ、とチューヤは了解した。
「最後にもうひとつ、教えてくれ、博士。……ラクシュミを、どうしたらいい?」
ネクターは目を閉じ、しばし考え込んだ。それからゆっくりと言った。
「ハリウッドで成功するんだと大言壮語して渡米した芸人の顛末をみても、むしろ成功するほうが奇跡だ。激烈な不幸に見舞われるリスクは、国内にいるよりよほど高いだろう。だったら最初から日本にとどまり、小さくても幸せな家庭におさまったほうが、全体的な幸福度は大きいかもしれない」
彼が「博士」であることを差し引いても、とても説得力のある言葉だ。
人生とは不確定なもの。
夢をとるか、現実をとるか。
人類全員が、みずからそれを選ぶ。そういう社会のほうが、健全であると教わった。
あとは結果責任を負うだけだ。
「だけど彼女の夢は……彼女は強いんじゃないのか」
強くない、ぶっちゃけ弱い、責任を負いたくない人間は、ある程度、周囲や社会から「決めてもらう」ことを望む。
「社会主義だったころのほうがよかった」と、「解放」された一定数の「人民」が思っていることは事実だ。
将軍さまにすべて縛りつけられていたころのほうが、よけいなことを考える必要がなくて楽だった、という層も一定割合で必ずいる。
「そうだな、そう見える。だがもしかしたら、彼女も弱いかもしれない。ただ、きっかけを待っているだけなのかも」
「きっかけ?」
「アメリカで成功するんだと、大見栄を切った。だが現実に気づいて、小ぢんまりとした幸せを、心の底では求めているかもしれない。それを与えたら飛びつく可能性はある」
「……なにが言いたいんだ、ネクター博士」
「彼女の幸せを決めるのは、彼女自身だということだ」
チューヤが、なにをやっても、やらなくても同じこと。
ならば……やろう。
やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい。それが「チューヤの幸せ」だ。
「俺はやりますよ。どうすりゃいいんスか」
ふっ、とネクターは笑った。
今回ばかりはチューヤにとっても肯定的な意味合いに受け取れた。
「永劫回帰という言葉を知っているかね」
「……はあ、中2病の子どもたちが、一度はかかるニーチェという病でしょうか」
こちらが深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見返している、という例のアレ。
「祇園精舎の鐘の声」という『平家物語』冒頭と双璧をなすカッコよさ、とされるおかげで、少年少女の心をとらえて離さない和洋の鉄板フレーズ。
すくなくとも日本の中2の心は、しっかりとわしづかみにされることが多い。
「ははは、日本のサブカルチャーはおもしろいね」
たいてい熱病はすぐに醒めるが、まじめに掘り下げていく者も、たまにはいる。
そうしてたどり着くのが、ディオニュソスの発見だ。
ニーチェがギリシャ哲学を乗り越えるため、ソクラテス以前にあった狂乱する神学を見出した。
永劫回帰は、人間の主観的な意思によって、同じ世界がくりかえされるという思想である。
当然、その知り尽くされた世界において、ひとは「超人」になれる。
退屈でどうしようもない、という破滅的な意味も含みはするが、うまいこと切り張りすればテクニカルなタームとなりうる。
そう、悪魔相関プログラムにおいて。
「下手な真似はせず、関係の悪魔を召喚して話したまえ。男か、夢か。その後、どうするかは彼女が決める」
「なるほど。……え、ちょっと待ってください。ラーマとかクリシュナとか、ヴィシュヌ関係ですよね、ラクシュミって。もうそのへん最高神レベルで、ランクAとかBとか、俺にはどう考えても無理なんスけど」
「きみのレベルの都合までは知らないね。では、さらばだ」
立ち去るネクター博士。
取り残されるチューヤを、さみしく取り巻くつむじ風。
……なんたる無責任!
もちろん責任はチューヤ自身に帰するのだが、たいてい三流の低能な人間は、ひとのせいにする。
しばらく地団太を踏んだが、すぐに思い直し、あらためてラクシュミを精査した。
三流の人間が、ぎりぎりで二流になった瞬間だ。
ヒントは悪魔全書にあった。
ヒンドゥーの女神ラクシュミは、仏教に取り入れられ吉祥天となった。
母は鬼子母神、夫は毘沙門天──。
「毘沙門天ってことは、タモンテンか? おおお……これだ」
中盤を支えるランクFの鬼神で、いまのチューヤならなんとかあつかえる。
なぜか合体条件解除されていたのもさいわいした。
邪教にレシピを投げ、ナカマにする。
道で待っていると、帰宅のラクシュミと鉢合わせた。
やおら悪魔を呼び出し、立ちはだかると、目前には最強の女神が武装展開。
戦闘BGMが流れそうになったので、あわててトークを開始。
「己が信じた道を進め──!」
それだけ言い、脱兎のごとく逃げ出す。
毒気を抜かれたように街角に立ちすくむダンサー。
その後、彼女がアメリカにわたってどうなったかは、また別の話。




