37 : Day -20 : Awajicho
「どうやら、おひとりのようね」
ケートがいないことを、どこか不満に思っているのだろうな、と被害妄想傾向の強い主人公は思った。
急いでライブハウスにむかうことも考えたが、ここで彼女に会った偶然のほうが、むしろ必然に思われる。
「どうも、えっと……如月塔子さん。ガーディアンはエジプトの魔神トート、ですよね」
窓際の席、塔子のむかい側に腰を下ろすチューヤ。
「説明的な紹介、どうもありがとう。例の少年は……いないようね」
左右に視線を走らせながら言う塔子。
そういえば彼女と最初に会ったのは、ケートに連れられて新宿西口で途中下車したときだった。
二週間近くもまえになるが、あのときの天才同士のやりとりについては、チューヤにもかなりの印象を残していた。
「すいません、さっきまでいたんですが。そうか、ここはケートを残す流れもあったのか」
考えながらつぶやく。
もちろんサアヤたちを帰すにあたって、いくつかの選択肢を考えないわけではなかった。
無理やり3人でイベント継続するか、ケートだけ帰すか、あるいはサアヤだけタクシーにでも放り込むという道も、もしかしたらあったのかもしれない。
「いいえ、五分五分かと思っていました。これはこれで、わかりやすくてけっこう。……あなたはエジプトの助けなくして生きてはいられないことを、もちろんご承知ね?」
塔子はまっすぐにチューヤを見つめ、言った。
いきなり剣呑なフリだと思ったが、チューヤはひとまず善意に解釈することにした。
「太古の四大文明、エジプトに対する敬意を失うことはないですぞ」
「けっこう。──家庭教師センターからの派遣と同時に、予備校の仕事も定期的に割り振られていましてね」
「そういえばお仕事、家庭教師でしたもんね」
張り巡らされていた運命の糸を解きほぐすように回顧するチューヤ。
最初の接点は、隣のクラスの生徒から借りた国語の教科書に、この余白には書くことができないという高度な数学の断片がメモされていたことだった。
「一応、墨東ゼミナールと雇用関係を結んでいるわ。必要になったときは、ぜひ」
「ああ、ボクゼミの先生でしたか。予備校とかかわらずに一生を過ごせればと思いますけど……いえ、べつにディスる気はないですけどね」
墨東ゼミナールは東京圏に一定程度知られた予備校で、家庭教師の派遣からはじまった。現在もメインは家庭教師派遣で、予備校として開校しているのは御茶ノ水校だけだという。
墨東といえば、おおむね墨田区錦糸町界隈。両国、亀戸などと並ぶエリアだ。
隣のクラスの友人がわざわざカテキョを依頼するくらいだから、全東京区の人気を誇るのかもしれない。
「どう思ってくれてもいいのよ。ただのバイトだし」
「墨田区の東からはじまったんでしょうね。名前からして」
『墨東奇譚』で知られるエリアが、いつかメインの舞台としてチューヤの眼前に立ちはだかることもあるのだろう、と覚悟を新たにする。
塔子は注文したばかりのカクテルに口をつけながら、
「永井荷風のご落胤らしいわね、創業者は」
「問題が発生しそうなので勘弁してください。しかしカテキョの派遣だけじゃなくて、予備校もやってたんですね。墨ゼミ。……あれ、でもここ秋葉原ですよ。予備校って高田馬場にしかないでしょ。だってあいつら、馬鹿の束だから」
あまり上品ではない、高田馬場のアナグラム。
とくに予備校が集積している場所なので、皮肉や自嘲の言辞としてよく用いられる。
「そっちのほうがよっぽど問題が発生するわよ。その偏見がどこからきたのか掘り下げる気はないけど、代々木にもあるわね」
「いや冗談です。思いついたら言っておかなきゃいけない気がして。ま、最近はリモートも増えましたし、わざわざ電車に乗って予備校って感じもないでしょうね」
「それもそうだけど、けっこう人気はあるのよ。近くの女子大生がバイトではいってくれること多いから」
「……どういう人気か、察しがつきました」
有名な女子大生は、茗荷谷から御茶ノ水まで丸の内線で通勤してくるという。
もっとも半分は有名ではないほうの学校帰りに、徒歩圏の神保町から寄るらしいが。
有名なほうの大学からきている塔子は、
「浮世の義理でね、なかなか辞められなくて」
「むずかしいですよね、人間関係は」
引きこもりが実感を込めて、ため息を漏らした。
──塔子はいま、有名なほうの大学院に在籍しているという。
女子大学としてはきわめてめずらしい理学「数学領域」専攻の博士後期で、ハイレベルな応用数学を考究しているらしい。
「だけど最近よく思うのよ。人間関係は、計算可能だってね」
「……ケートみたいなことをおっしゃる」
「あの子はホンモノ。びっくりしたわ。人類も捨てたもんじゃないって思う」
「あいつで人類を語られても……。たしかにまあ、あいつだけはガチですけど」
おそらく悪魔の力を借りたのではあろうが、それでも自力で「タイムマシン」をつくったのだとしたら。
……非常識な天才だ。
「新宿会議の話、していいかしら?」
唐突な話題変更は天才の宿命かもしれない。
切り替えながら塔子に視線を集める。
手のひらサイズの小さな悪魔が、彼女の頭上に載っている。肌の白い美女の姿で、その声はインコに似ている──。
「魔神、トート」
「つぎの水曜日にね、踊る会議があるのよ」
塔子がくるくると指を回すのに合わせて、魔神トートも回転した。
エジプト人が、いまさらウィーンに呼ばれでもしたのだろうか。
「なんも決まらん平和会議、ですよね」
「一定の意思疎通ははかられているから、完全に無意味ってわけでもないとは思うけど。そこにちょっと顔を出してもらいたいの」
「いやあの、水曜は鍋の日で……」
謝絶することで、またシナリオが変更されることを覚悟しながら、それでもチューヤが選ぶのは鍋部である。
すると塔子は軽く首をかしげ、勝手に方向性を定める。
「ああ、聞いたことあるわ。楽しそうね。いいわよ、都庁の施設を使えるようにしといてあげる」
「そんなことできるんですか」
「これでも意外に顔は広いから。……来ていただける?」
鍋が成立するのであれば、多少の融通は効く。
すくなくとも直近、サアヤがその前例を更新した。
「拒否する余地はありそうですか?」
「自分で判断して。その代わり、このイベントの助言をしてあげる。……三国一の花嫁を決めるイベント、知ってる?」
「はあ、どうやらそのようで」
「この場合の三国とは?」
チッチッチッ、とタイムをカウントする塔子。チューヤはあわてたように、
「えっと、魏、呉、蜀」
「……あなた冗談のセンスはあまりないようね」
「…………」
どうやら冗談で言ったわけではないようだ、と察した塔子は軽く咳払いしてつづける。
「ゲームのやりすぎよ。日本における三国とは、いまでいう日本、中国、インドのこと」
「ははあ、なるほど」
「当時の日本にとって、という意味だから、つまり全世界を意味します」
大航海時代以前、他の文明圏と隔絶されていた世界では、たとえば日本人にとって、中国とインドが世界のすべてであった。
たとえそうでも、当時の人々にとっては想像を絶する広大な世界であったことだろう。
「決めてるらしいですね、花嫁」
塔子はストローで残りのカクテルを飲み干してから、言った。
「あなたは運命をつなげることができる?」
「……ランクF、天女コノハナサクヤが、このエリアの悪魔ですよね。そいつが善人か悪人かはわからないけど、たぶん俺が探してる悪魔にもつながってるらしいんですよ。で、さしあたりそいつに事情を聞いて話を進めるか、対立すれば倒してなんとかする、ってのが俺みたいな悪魔使いのデフォルトなんですが」
塔子は軽く肩をすくめ、やれやれと首を振った。
「ゲーム脳ね。切り替えて。対立すれば殺して、壊して、ミッションクリア? 敵と味方、倒すか倒されるか、そういう考え方を卒業して。……悪魔を殺して、平気なの?」
どかん、と全身に衝撃が走った。
そうだ、最近血なまぐさい展開がつづいていたから慣れてしまっていたが、どうやら思いちがいをしていた。
敵を倒して、言うことを聞かせて満足。
そんなのは20世紀までの王様と政治家だけに許されていた特権であり、暴挙だ。
話し合いで解決する、という選択肢は昨今ヒーローもののドラマでさえ、エクスキューズとしてとってつけておかなければならないご時世になった。
じっさい悪魔使いというタイプには、できるだけ殺さずにクリアする、という戦い方が用意されている。
最低限、倒さなければ話が進まないボス敵もいるが、敵だからといって必ず殺さなければならない、という考えはまちがいだ。
──こいつ強い敵だ、倒して経験値をためよう、やつを殺せばもっと強くなる、お金もいっぱいもらえるぞ。
──どんなRPG脳だよ、民家のお金勝手に奪ったらダメだろ。
と、前者に批判的で後者のように考えるユーザーは、それなりに増えている。
「耳が痛いっス。で、このステージはどうすりゃクリアっスか」
「まだゲーム脳だけど、いいでしょう。彼女たちは、三国一の花嫁を目指しているのよ。地獄の地下アイドルとしてね」
「地下アイドル……目標はメジャーデビューですか?」
アイドルにあこがれる女子というものは、必ず一定数いる。
おおむね中・高・大学生までで、ダンスサークルやアイドル同好会に所属して、地上アイドルを目指す。
もちろん陽の当たる場所に出られるエリートは一握りで、それ以外は古来連綿、掃いて捨てられる。
ほとんどの地下アイドルは、最初は地上のアイドルを目指している。
多数のオーディションを受けて落ちつづけた果てに流れ着くのが、地下アイドルだ。
受け入れてくれる年齢層の幅も広く、30を超えても地下アイドルとして現役というつわものも、少数ながらいる。
彼女らを称して、熟女系アイドルという言葉があるという。
「熟女、ですか」
「ええ。彼女らはもう、ジョブチェンジの選択肢が少ないの。もちろんキャラが立っているとか、一芸に秀でるとかで、芸能界で生き残る道がないわけじゃない。ただ、そのほとんどは上を目指すよりも、事務所の社長やマネージャーとつながって、狭い範囲での地位を築きたいと願っている」
「なんか生々しいですね」
チューヤは口をへの字に曲げて言った。
理想と現実の罠は、あらゆる場所にクモの巣のように張りめぐらされている。
「現実って、そういうものよ。事務所内での地位を築いて優遇されるか、金持ちの太客を捕まえて貢がせる。そのほうが自分にとってのメリットが大きいの。紅白に出るとか、地上波の番組をもつとか、そんなことは夢にも思っていないのが地下アイドルよ」
「夢ならいいと思いますけど……くわしいですね」
「友だちの知り合いの話。……彼女らは現実を知っている。同じ地下アイドルで、比較的人気のあるグループやユニットに対しては、嫉妬やあこがれをもっている。でも地上には目をむけない」
地下アイドルというものの属性を理解したうえで、進めなければならないミッション。
チューヤは脳内を整理しながら、適切なルーティンを模索する。
「それじゃ目標は」
「地下アイドルのなかでも大手と呼ばれる事務所から声をかけられるのを待つか、小さくてもその事務所で一定の影響力をもつか。そのために彼女らは、好色な社長やスタッフとの枕営業に走る。……太客ごかしの犯罪者の餌食にもなりやすい」
ごくり、と息を呑んだ。
彼女らは倒すべき敵ではなく、守るべき味方だ──そう、理解した。
たしかにケートも言っていた。彼女らを狙っている「吸血鬼」が、この界隈にはひそんでいる、と。
「だったら俺は、彼女らを守ればいいんですか?」
「もしくは彼女らの欲しているものをあげて」
「欲しているもの?」
模範解答が得られなければ満足しない、マスプロ教育の犠牲者。
そんなムシケラ底辺タイプを眺めるような目でチューヤを見下しながら、未知の数学を探求することに至上の喜びを見いだすタイプの塔子は言った。
「言ったでしょ。彼女らには選択肢が少ない。この業界に居場所がなくなれば、つぎの人生を選ばなければならないの。──足を洗って正業に就くか、結婚でもするくらいしか道はないのよ」
「……結婚」
厳しい現実。
三国一の花嫁。
新しいシナリオが、チューヤの眼前にひらけていく。




