36 : Day -20 : Akihabara
自分の判断は正しかった、とチューヤは思っている。
ここは秋葉原。
そこを支配する悪魔の境界が「そういうルール」で動いているならば、そのルールに合わせるしかないではないか。
「いいんだな、チューヤ。ある意味、助かるが」
ふらつくサアヤに肩を貸すケートが問うた。
「しかたないでしょ。これだけ寝こけてる女の子、朝までつきあわせるの無理じゃん」
かつて同じことをした気はするが、過ちをくりかえしてはならない。
チューヤは選ぶ。
サアヤとケートを帰し、自分ひとりで解決する道を。
「寝てないよー、ちょっと眠いだけー」
「あ、総武中央線、まだ終電あるから……山手線で渋谷で乗り換えてもいいし」
「やかましい。タクシーで行くわ」
「そですか」
サアヤでも自力で帰れる最寄り駅、久我山に止まる直通電車はない。
それにしてもサアヤは、自力で乗り換えできないのによく東京で生きていられるよな、とチューヤはしばしば感心する。
ケートに連れられて、サアヤがこの場を去る。
ふりかえるチューヤの視線のさきには、憮然として椅子に座る「スライム」が一匹。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
スライム/外道/J/20世紀/アメリカ/架空の生物/秋葉原
1953年、アメリカのSF小説で初登場。確定はしていないが、1931年のラヴクラフトという説もある。
どんな趣味にも合わせて形を変える不定形生物で、RPGの序盤においては欠かせない「経験値の源」ともなっている。
これほど秋葉原にふさわしいモンスターは、ほかにいないといっていいだろう。
それがこの後半に出てくる意味を、チューヤは理解しなければならない。
「殺すのか、いいぜ、やってみなよ、あんたは殺人犯だ」
ふてくされたように言い放つ朽木。
彼は最初から戦おうとはしていない。
レベル1のスライムという自分の役割を、だれよりもよく心得ているかのようだ。
最弱の獲物を、冒険者たちは問答無用に、容赦なく、無条件で殺しつづけてきた。
殺しは罪だと、社会は規定している。
それがどんな人間であっても、罪は罰される。
しかしスライムならばいい、ゲームならいいのだ。
たゆとう「闇」の論理を背景に感じながら、チューヤは悪魔使いとしての選択を重ねる。
「殺しはしない。あんたは殺されたがっているように見えるがな」
「冗談じゃない、死にたいやつなんてそうそういるものか。おれは生きている、生きるためにこうして仕事をしているのに、一方的に邪魔するやつらがいる、殺しにくるやつらさえいる、わるいのはそいつらに決まっている。そう思うだろ……なあ、あんたも!」
常識や良心に訴えかけるのは、よくある手口なので慣れている。
重要な問題提起だが、悪人に悪を語られると、それはただちに違和感となる。
とはいえ、善人しか悪人を裁いてはいけないとなったら、キリストのレトリックに惑わされる無邪気な信徒と同列になる。
チューヤは眉根を寄せた。
──朽木はやっかいな存在だ。
「女の子の服を溶かし、麻酔して、いたずらをするのは罪だ」
「そんなの知らない、おれのせいじゃない、このビルはボロイんだ」
「あんたはそうやって、何人の女の子を……」
「冤罪だ、冤罪だ、冤罪ですよぉ」
ハッとした。
卒然、チューヤは自分がどんなゲームに巻き込まれているのか、理解しなければならないと思った。
この「スタイル」が朽木なのだと、父から予備知識を得てはいたが、チューヤもいよいよ思い知った。
彼は弱者であることを利用し、自分の欲望を満たす狡知のモノだ。
「この弱い境界は、そういう意味か。……あんたを殺したら、ゲームオーバー?」
どういうロジックでそうなるのかわからないが、彼を殺してはいけないという直感は、じわじわと心に沁みあがってきた。
いや、ロジックは明快だ。
なぜならそれをすれば、チューヤは「殺人犯」になる。
「おれは殺してなんかいねえ、むしろ被害者だ、被害者なんだよぉ」
イラつく口調で、無実を訴える朽木。
これは現代社会に巣くう病巣、病的な「かまってちゃん」ではないか。
「犯罪者あつかいされてでも、かまってほしいんかよ、あんた」
しかも、ほんとうは犯罪を犯していない、という前提つきの悪趣味だ。
ネットでたたかれる自分をみて、ニヤニヤしている。
本当になにもやっていない。が、やっているかのように見せる。ここが要諦だ。
たまたま、ごみが捨てられて散らばっている場所を見つけると、周囲を見まわし、だれかが見ていると気づくや否や、さも自分が散らかしたかのように行動する。
じっさいは蹴散らしているように見えながら、主要なごみは真ん中に集めていて、小さいゴミだけ散らばってるように見えるように残しておく。
とにかく偽悪的な人間で、自分が悪人に見えるように、計算している。
殺人や強姦など、やっていないにもかかわらず重犯罪者に見られることで、一種のエクスタシーをおぼえる。
じっさいは虫一匹殺していない、という事実が、彼の快楽を強めているのだ。
犯罪現場を見つけると、わざと自分の指紋がついたものを落としていく癖がある。
監視カメラを見つけるたびに、奇妙な踊りを踊ったり、怪しげな行動をすることに命を懸けている。
警察すら、最初は朽木が犯人であるという予断と偏見と思い込みで行動する。
捜査関係者の総意として、何度でも父は言った。
──あいつはやっかいなやつだ、と。
「……なるほど、そりゃ警察にもきらわれるわな」
「いいだろ、べつに、この国では、なにをやっても自由だ、犯罪以外は。そうとも、おれはやってない、わるいこと、なんにもしてないんだよ」
いよいよ深刻な病理が、チューヤの脳裏にも刷り込まれた。
なにもやっていないのに犯罪者あつかいされる、という不条理な苦痛を楽しむ──そう、彼は一種のマゾヒストだ。
じっさい殺人事件など、世間で叩かれているような重大犯罪については、まったくやっていないことが、警察でも確認されている。
「芸人の炎上商法ってやつか」
「商法? ひどいな。たしかに名前は売れたが、仕事は減ったんだよぉ。怪文書までまわされて、朽木は鬼畜、だってさ。クチキはキチクだぜ、こんなのまわされたら、商売あがったりだよぉ」
「回文……書?」
「冤罪ですよぉ」
異常な心理だが、説明されれば理解できなくもない。
となると、サアヤにも、べつにいたずらをするつもりなど、なかったのかもしれない。
ただ「そのように見せる」ことに命を懸けている、ド変態であるだけなのかも……。
現にチューヤとケートという「目撃者」や「証人」つきで、弾劾される隙を演出してさえいる。
ネットで極悪人のように評価されること、それじたいが彼の目的なのではないか。
悪人呼ばわりされることが好き。
もっと言えば、悪人呼ばわりされることを全力で否定し、それでもなお責められるのが好き。
そうでなければ、スライムなどやっていられるか……。
「してないなら、してないように見せろよ! わざと捕まろうとするのよせって!」
「べつに犯罪じゃないだろ。ひとの趣味にごちゃごちゃ言うな」
「場合によっては、捜査妨害の犯罪要件を満たすおそれはある!」
「じゃあ逮捕すればいい。そのなんとか妨害とやらで」
にやにや笑っている。
むしろ拘束されるのは、彼にとって喜ぶべきことなのだ。
公務の執行を妨害する罪(公妨)には、さまざまなバリエーションがある。
暴行や脅迫で捜査を妨害すれば重罪だが、単に怪しげな行為で捜査をかく乱したという程度では、刑法による犯罪の要件を構成しない。
蹴る、殴る、奪う、壊す、脅す、押し返す、といった行為を伴っていないからだ。
当然すぐに釈放されるが、無実の罪で拘束が長引くようなことになれば、それじたいがご褒美なのだから、始末がわるい。
朽木の場合、公妨よりは、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪が近いが、それも立証しづらい部分が大きい。捜査の邪魔をするために嘘の証言をするなどは、公妨ではなく、偽証罪などに問われることになる。
犯罪の証拠を「奪って壊」したりすれば公妨だが、単に隠すだけなら証拠隠滅罪であり、しかもそれを立証するのはかなりむずかしい。
「あくまでも最弱の……被害者かよ」
いわゆる代表的小悪党。
スライミー朽木は、その小さな犯罪さえ、できれば避けて通るほどの小心者。
無実の罪で投獄される『レ・ミゼラブル』が座右。
ジャン・ヴァルジャンほど優秀で広闊な心を、もちろんスライムごときが持ち合わせているわけもないが。
「くくく……まあ、あんたは見所がある。ふつうなら、おれをボコボコにして自分は正義だと満足する、そんな連中ばっかりだ。きちんと撮影して、あとで告訴はするがね。あんたは手を出さなかった。仲間を帰したのは慎重すぎたが、気に入ったよ。……ようこそ、世界の秋葉原へ」
朽木が笑っている。
秋葉原の闇は、まだまだ深く広がっているようだ。
朽木は、たしかに秋葉原を知り尽くしていた。
最弱のモンスターが、途中で脱落した冒険者がたどり着けない後半のモンスターに比べて、はるかに多くの冒険者たちのことを知っているように。
──陽の当たる場所で活躍するアイドルは、AKVNにでも任せておきゃあいい。
ここは秋葉原、地下アイドルの巣窟だ。
そこんとこ理解して、真夜中のイベントをこなしていきゃあ、目的の悪魔にも出会えるかもしれねえなあ──。
いくつかの情報を得て、チューヤは夜の秋葉原へ吐き出された。
ここには、こなさなければならないイベントがいくつかある。
朽木によると、さしあたり展開されているイベント名は「三国一の花嫁」ということだが、詳細は不明。
イベント的には「お嫁さんにしたいアイドル」に投票するだけの自主イベントらしきもののようだが、ここには「女の幸せ」が大きく絡んでいるという。
「女の幸せ……」
なんとなく、ケートから託されたアイテム「かごめのおふだ」を手に取ってみた。
三角形が互い違いに並ぶ、いわゆる「カゴメ文様」で、古来から魔よけの文様ともされてきた。六芒星などが浮き上がって見え、それを丸で囲んで紋章としても使われる。
イスラエルの国旗にも使われ、多くの陰謀論のトレードマークともなっているが……。
深夜イベントといわれるだけあって、他の街とは比べ物にならないほど、人通りが多い。
そろそろ終電も終わる時間だから、彼らはまちがいなく朝帰りコースを選択しているのだろう。
もちろんチューヤも他人のことは言えない。
「ええと、このさきのライブハウスでミッドナイトイベント開催中と……」
「遅刻遅刻ぅ~」
と、駆けてきた女の子と曲がり角でぶつかった。
彼女はトーストをくわえてはいなかったが、どうやら……アイドルらしい。
「待ってよぉ~う、サクヤちゅわ~ん」
典型的なデブ声のほうに視線をむけると、毎度おなじみドルオタのモムノフが、紙袋を振りまわしながらドテドテと走ってきている。
つぎの瞬間、周囲が境界化した。
悪魔が本性を出し、アイドルに襲いかかる。
しかし直後、アイドルの腕が魔力を帯び、モムノフの肉体を切り裂いた。
チューヤのデビルアナライザは、欲望に忠実な低レベルのモムノフを、中盤に重要な天女コノハナサクヤが蹴散らした戦闘だ、と一連の事象を理解した。
このまま、あわや天女と戦闘か、と思った瞬間、まだらになった境界はもとにもどる。
チューヤに一瞥もくれず、ライブハウスにむかって駆けていくコノハナサクヤ。
追いかけるべきだ、と一瞬考えたチューヤの視線が、目前にあるビルに吸い込まれる。
24時間営業のカフェの窓から、ひとりの女が、自分をじっと見つめている。
彼女の顔には、おぼえがあった──。




