35 : Day -21 : Ochanomizu
「あれは……湯島聖堂か。なつかしいな」
ケートが湯島のイベントでこのあたりを徘徊していたことは、チューヤの上野のイベントとも若干絡んでいて知っている。
真剣にケートとコミットしていたら、このあたりも「なつかしい場所」になったのかもしれないが、それがなくてもチューヤにとってはじゅうぶんなつかしい。
見下ろせば神田川の水面が、煌々たるともしびを照り返している。
「やったー、旧昌平橋駅と旧万世橋駅だァ……」
なにが「やった」のかはわからないが、鉄オタが謎の言動や興奮を呈するは、さしてめずらしいことではない。
一般人は黙って無視するにしくはない、という鉄壁のルールにしたがい、淡々と歩く仲間たち。
予定どおり新御茶ノ水で降りて、秋葉原駅方面へとむかってきた。
チューヤが選んだB2出口から、徒歩数百メートル圏内には、駅あるいは元駅だった場所がとても多い。
1904年、甲武鉄道は万世橋駅の工事に着手するが、工事途中に国有化。仮駅として設置されていた昌平橋停車場とともに、現在は遺構となっている。
現行で利用可能な新御茶ノ水(千代田線)から近い乗換駅は、小川町(新宿線)、淡路町(丸の内線)、御茶ノ水(JR)があり、巨大ターミナルの秋葉原、神田も徒歩圏内だ。
「いやあ、まさにガンダーラだよね。ここへくれば~、どんな鉄も~、笑うというよ~」
「ガンダーラみくびんな! 天誅!」
仏教徒の放つローリングソバットにひとしきり吹っ飛ばされたチューヤは、神田川にかかる昌平橋を渡る。
このさき、秋葉原だ。
有名な電気街。
アニメショップ、特撮、フィギュア、アイドル、おおよそありとあらゆるアングラカルチャーが詰まった場所──。
「やべえとこ、きちまったな」
「さだめじゃ」
部品市場、アイドルカフェ、メイド通り、ジャンク通り、ラジオセンターなど、西側はディープスペースだ。
秋葉原はオタクにやさしいので、鉄道模型の店もちらほらあるが、チューヤは模型鉄ではないのであまり興味はない。
彼はアイドルやアニメに対しては、ケートと同様、距離を置いている。
一方、サアヤはアイドルにくわしいが、基本的に「昭和の」という枕詞がつくので、現在進行形のアイドル業界についてはそれほどくわしくない。
──よって現状、彼らはアウェイにいる。
「で、どうする?」
「なんで俺に訊くの?」
ここに導いた元凶、ケートに視線を集めるが、堂々たる反論。
「ボクがアキバにくわしそうな人間に見えるか?」
「俺だってくわしくないよ!」
「ここはオタクの街だろ、鉄オタ」
ひとつの言葉で、いっしょくたにできる範囲はそれほど広くない。
チューヤは地団太を踏みながら、
「オタクにもいろいろあんの! たしかにアキバには模型屋とかも多いけど、俺は模型鉄じゃないし……だったらサアヤだって昭和オタクじゃん」
「アキバのどこに昭和があんのさ。渋谷や原宿ならまだしも」
「茶番はいい。さっき、なんか連絡してたろ。もったいつけずに出せ」
ケートにうながされ、チューヤはしかたなく端末の画面を開いて見せる。
「まず、こいつに話を聞こう」
いかにもアキバっぽいメガネの小デブ感満載で、卑屈な笑いを浮かべている男の顔。
ケートは一瞥して、
「だれだ? チューヤの知り合いっぽい顔はしてるが」
「どういう偏見!? ……このひとはスライミー朽木という芸人さんだよ。アキバを拠点に活動してる」
「あー、そういえば見たことあるねー。まだ消えてなかったんだ。がんばってほしいねー」
現在活動中の芸人については、サアヤも多少の知見はある。
ケートは軽く腕を組みながら、
「……で、だれ情報だ?」
「それ訊いちゃう?」
「もったいつけずに言え」
秘密だよ、と抵抗を試みるチューヤに、ケートたちの視線が厳しい。
しばし考えてから、あきらめて言った。
「アキバにくわしそうな男、やっかいな案件絡みで情報くれって、オヤジに」
「警視庁か。なるほど、そいつは正道だ」
にやり、と笑うケート。
このチューヤという男、こういう展開になると意外に役に立つ。
「えー? チューヤいつの間に、お父さんとそんな仲良しこよしになったんさ」
「オヤジには貸しがあるからな。返してもらってるだけだ」
「ふーん。だけどさー、勝手に個人情報まわしたらダメじゃない?」
サアヤの問題提起に、チューヤはあらためて自分の端末に表示された情報を指し示し、
「これは事務所が公開してる芸人のプロフ画面。パブリックな情報なんだから問題ないだろ」
スライミー朽木。お仕事のご依頼は以下に、とリンクがある。
もっぱら地下アイドルのイベントに、司会や幕間芸人の役でブッキングされることが多いようだ。
──くわえて警視庁情報によると、それだけでは食えないので、本業だかバイトだかわからない「缶詰の配送業」をして食いつないでいるらしい。
情報元はともかく、サアヤは納得してうなずいた。
「まあ売れっ子芸人も、下積み時代は飲食とか清掃とか、いろんなバイトするみたいだしね」
「秋葉原にスリミ缶を流行らせたのは自分だ、って豪語してる。……問題はさ、名前の売り方がけっこう炎上商法っぽいところみたいね」
うなずくチューヤに、ケートは的確な合の手。
「ま、クリーンじゃないだろうな。警察に手配がまわってるくらいだし」
「うーん、そうなんだけど、それが逆らしいんだよね」
「逆?」
顔を見合わせるケートたち。
チューヤは、司法警察関係から手に入れた情報を背景に、
「スライミー朽木は、自分が被害者だって訴えてるのさ。いろんな犯罪にかかわっている状況証拠がたくさん出てて、捜査対象にもなってるんだけど、たしかに当人は犯人じゃないみたい。警察にとっても状況を混乱させる存在みたいで、困ってるっぽいよ。誤認逮捕や違法捜査で警察と、名誉棄損や業務妨害で一般人とも、けっこうモメてるって話」
両手の拳をぶつけて、角逐・炎上のイメージを出す。
どうやら、めんどくさそうな人物らしい……。
「冤罪ですよぉ」
開口一番、彼は言った。
ひねこびた中年の小男で、ちょうどビルから駆け出してきたところ、サアヤとぶつかった。
素っ頓狂な声を上げるサアヤの空気から、どうやら「触られた」らしい。
怒るケートを抑えながら、チューヤは慎重に相手を見定める。
「スライミー朽木さんですね。……警察のほうからきました」
消防署のほうからきました、と言って消火器を売りつけようとするセールスマンのような物言い。
高校生らしい制服で警察もクソもないが、危機管理本能に長ける朽木は、速やかにみずからの態度と言動を慎重に考え直すことに決めたようだ。
「最近は学生も警察官になれるのかい?」
「いや、警察官なわけないじゃないですか。身分詐称は刑事罰ですよ。……さっき警察に相談に行ってきたんだけど、ダメだったんです。あいつら税金泥棒ですね。警察が頼りにならないので、朽木さんに協力してほしいと思って。ひとを探してるんです。朽木さんなら、たぶん知ってるんじゃないかと」
こいつ意外に姑息な策を弄するな、と思いながらサアヤとケートはチューヤのお手並みを拝見する。
悪魔的な思考回路であるとしたら、籠絡することは可能なのかもしれない。
朽木はあごをひねって、相手を値踏みしながら、
「ふーん? お仕事の依頼、ってことでいいのかな?」
「ええ、もしお時間あれば」
しばらく考え、いやらしい目でサアヤの身体を一瞥してから、言った。
「事務所のほうで話を聞こうか。そのまえに連絡先、教えてくれる?」
居心地のわるい雰囲気のまま、雑居ビルにもどる朽木のあとにつづくチューヤたち。
彼はエレベータのボタンを押すことなく、その横にある防火扉を開けて階段へ。
目指すは──地下。
まさに「地下芸人」の住処へ、彼らはむかっている。
もともと秋葉原界隈にくわしく、アイドルのイベントなどで司会やショートコントなどの芸風で食いつないでいた。
発するハッスル、スリミ・スライム・スライミー! など意味のよくわからない掛け声で、一部に知名度がないこともない芸人、スライミー朽木。
彼が一躍世間に名を馳せたのは、殺人事件の容疑者になってからだった。
のちに真犯人が検挙され、冤罪であったことが確定するのだが、それまでに行なわれた世間からのバッシングはすさまじかった。
掲示板には「やってない証拠を出せ」という悪魔の証明を求める声や、「おまえが殺してないなら死んで証明しろ」という謎の書き込みまであった。
殺した人間に死んで詫びろというのはわかるが、殺していないのに死んで証明しろというのは画期的すぎて、さすがに多くの人々が鼻白んだ。
ある意味「ネットの闇」が具象化した一例だ。
「じゃあ、おまえも殺してないんだろうから、さきにおまえが死んで証明してくれよ、と言ってやりたいんだけど、彼らはそうしないんだよね。自分は特別で、正義だと思っているんだよね。ひどいよ、ほんとに」
朽木はぶつぶつと苦言を漏らしている。
彼は事実、体験してきたのだ。ネットの闇が滞留し、発酵した結果の「正義の暴走」を。
──自分は「正義」だと思っている人々の一定数は、世の不幸、不条理に対して「懲罰」を執行する権能を有していることを、ネットへの書き込みによって証明しようとする。
おまえが無罪なら、死んで証明しろ。
そう書き込んだ彼は、死ねば自分が殺していないことを証明できる(と自分で書き込んでいる)が、殺していない彼自身は同じ方法で証明しなくてもいいと思っている。
おれはいいけど、おまえはダメ。
古来から「誹謗中傷」に携わる人々の用いる、代表的な論理だ。
曹操など、いわゆる英雄による濫用もあるため、自分もやっていいと誤解している人々がそれなりにいる。
たしかに曹操は、自分が裏切るのはいいが部下はダメ、と無茶なことを言い放った。
さて、では中傷者は英雄なのかといえば、一般人だ、と法廷でみずから主張している。
有名人は有名税として、誹謗中傷など一定のダメージは受け入れるべきだが、自分は一般人なので誹謗中傷によるダメージを受けるべきではない、というロジックである。
もはや崩壊している論理構造の渦中にいて、平然としていられる人間が、けっこうな数、実在するのだ。
「ひどかったですよね、中傷。冤罪なのに」
チューヤは朽木のご機嫌をとってみるが、本心では思っていない。
しょせん朽木も、同じ穴の狢だからだ。
ネットでの誹謗中傷に、みずから飛び込んでいく「炎上系」の人々は、事実いる。
すでに功成り名遂げた有名なプロデューサーさえ、炎上しなければおもしろくない、と煽る始末だ。
だったらしょうがないね、と警察も「有名税みたいなもの」として、真剣に取り組まない事案もあった。
朽木は事実、そうやって「有名」になったのだ。
「そうだよ、冤罪なのにね、みんなひどいんだよ」
闇が、闇を利用する。
世間の連中は、ほんとうにひどいんだ、と彼は言う。
自分は被害者だから、補償を受けるべきだと。
しかしそういう環境を、彼が「意識的につくった」と、警察は判断している。
チューヤが父から伝え聞いた短い情報によれば、それが朽木の「スタイル」なのだという。
事実無根にもかかわらず、当人が否定しない、あるいは煽っていくかのように対応したものだから、もっぱら激しくたたかれ、それじたいを利用して再生回数を増やした。
純粋に被害を受けている芸能人からさえ嫌悪される、スライミー朽木の芸風は、警察にとってもかなりやっかいなものだった。
一般人は彼を犯人だと思っているので、誹謗中傷はするし、ときには殺害予告さえも出てくる。
告発を受けているので、警察としても警備しないわけにはいかない。
殺人予告や脅迫らしきものは、たしかにネット上に散見されるが、すべてを取り締まるわけにもいかないし、やりすぎれば「検閲」あつかいされかねない。
──警視庁から届いた情報を読むかぎり、たしかにそれはやっかいな「事案」だった。
「冤罪ですよね……」
チューヤは考える。
罪とは、なにか。
罪深きもの、汝の名は女? いや、人間すべてだ。
気がつけば彼らは、地下室にいた。
地下に降りてきたのだから当然といえば当然なのだが、そこは事務所というよりは倉庫、倉庫というよりは……現場だ。
一応は業務関係の段ボールが積み重なり、小型のパレットで管理されている。
先入先出のルールにもとづいて、出荷検品作業中のロットが手前に積んである。
そのなかで、どうやら外観検査でハネられたらしい商品を手に取り、
「食べたことあるだろ。いま大人気のスリミ缶だよ。おいしいよね、スリミ。みんな大好きだ。いいよ、あげるよ、食べて?」
チューヤたちに1個ずつ、スリミ缶なる缶詰が手渡される。
秋葉原では一時「おでん缶」なるものが流行ったが、どうやらその二匹目のどじょうを狙っているらしい。
「いや、さっきごはん食べたばかりなんで」
「スリミはヘルシーだよ、女の子ちゃんの大好きな味付けになってるから、食べて食べて」
とくにサアヤに食わせようとしているらしい、と察する。
顔を見合わせるチューヤとケート。
さっきからスライミー朽木の態度、様相は明確に不穏だ。
「ひゃあぁあっ」
瞬間、サアヤが奇声を上げてその場に跳びあがった。
ハッとして顧みると、彼女の背中に粘液のようなものが垂れている。
朽木はいやらしい笑みを浮かべ、
「ボロビルでね、なかなか水漏れが直してもらえない。気をつけてね」
見上げれば、たしかに染みだらけの天井のところどころから、ねっとりとした「なにか」が垂れてきている。
顧みたところで、サアヤが居心地わるそうに身をよじっている。なぜか肩から服がずり落ちかけていた。
「……服が、溶けてるぞ」
サアヤの背中を確認したケートが、厳しい表情で言った。
目前ではにやにや笑っている朽木。
チューヤはしばらく考えた末、判断した──。




