33 : Day -21 : Keisei-Tateishi
ヒナノとマフユのケータイが同時に鳴って、ふたりが別々の相手と何事か手早く会話しながら、ひと足さきに辞去したのが最初の契機だった。
つぎにケートは、リョージと何事かを話し合い、互いにうなずき合ってそのままリョージだけが出て行った。
残ったのは、ケート……ついでにチューヤとサアヤ。
今夜はどうやら「ケートの日」らしい。
「そもそも最初から、知り合いっぽい雰囲気だしてた時点で、こんなことになるだろうと思ってはいたけどね。さあさあ、はっきりしてもらいましょうかケートくん」
謎解きを強いるチューヤ。
ケートは憮然として、好奇心を集めて固めたようなパンピーふたりを眺める。
「なんでキミがそんな嵩にかかっているのか知らんが……おハナさん、ここで語ってもいいのかい?」
「もっりりーん!」
と、突然素っ頓狂な声がカウンターの端から聞こえてきて、チューヤは思わずスッコケた。
彼にとってもっともなじみがあり、他の面々にとっては、そういえばいたな、程度のなつかしい感じ。
カウンターの端に座って残り物のおでんを食らう、青い服の彼女の名は……テイネ。
「またおまえ、勝手に俺の召喚枠を……」
気づけば周囲が弱く境界化している。
この結界を結んでいるのは、はたして──。
「じゃっかましい! 最近出番が少なくて、ストレスふるふるざんすよ、わっちに触るとヤケドすんぜベイベェ。……あ、ライスは小で」
勝手に注文しているテイネ。
突然、この世のものではない小人が現れて、常識人ならあわてるところだが、べつだんおどろくふうもなく、茶碗に小盛りで差し出すマスター。
どうやら境界初心者というわけではないらしい。
当然だ。彼はオーディンをガーディアンとする、最終盤のキーパーソンなのだから。
なんなら彼がこの境界を結んでいる、と言われてもおどろかない。
「かまわんよ、せいぜい語ってくれ。おれはもう、彼女についておどろかされることは、なにもない」
つまり「すべて知っている」ということだ。
主神オーディンは、みずからの知識のために眼球まで差し出した。
おでん屋の亭主は隻眼ではないが、自分の妻のことくらいはだれより把握している、すくなくとも彼はそう思っているようだ。
「もりりんまんろうのむすめ、ざんすか。なつかしい響きでありんす」
邪教テイネといえば、このエセ花魁っぷりで知られている。
「ここ学校じゃないだろ、テイネ。勝手に出てくんじゃないよ」
「寝言をほざくのもたいがいにするざんす。悪魔使いごときが邪教の上に立とうなど、おこがましいとは思わんかね。わっちはただ、大先輩にあいさつにお伺いしただけざんす」
「ざんすー」
乗っかるフレイヤ。
……廓言葉。
この悠久の伏線を、ついに回収する段階に達したらしい、とチューヤは卒然、理解した。
「どういうことだ、テイネ。……おかみさん?」
「なつかしいのかなー、もう忘れちゃったざんすねー、だいぶ昔のことだからなー」
こういうとき一気に話を進めるのは、天才少年ケートだ。
彼はまっすぐにハナコを見つめ、それからマスターに視線を転じながら言った。
「すくなくとも彼女は、1803年から生きている。そうだな、おでん屋」
ガーン、と効果音つきでわかりやすく表情を変えるチューヤとサアヤ。
しかしこれは、衝撃の第一弾にすぎない。
「おれが知りたいのはむしろ、そんな彼女がなぜきみをなつかしいと思うかのほうだ」
しばらく考えてから、再びガーン、と脳天を打たれたように口を開けるパンピーたち。
いろいろありえない情報量に取り巻かれすぎて、まともに思考回路がつながらない。
「遊女勤めの儀は」
「第一にいつわりをもっぱらとして」
「誠の心あるまじきこと」
フレイヤとテイネが交互に、そして最後は声を合わせて言った。
──吉原掟。
全部で10くらいあり、日本全国の遊郭を通じて、長く実行されていた。
仮想空間が展開し、江戸時代にタイムトラベルしたような錯覚をおぼえる。
そういえばかつて、ケートの「夢」に巻き込まれたことがあった。
あのとき彼は江戸時代を想定し、平賀源内のような姿にみずからの役割を充てていた。
周到に張りめぐらされた運命の糸が、一気に回収されていく。
「やっぱホンモノはちがうざんすね、姐さん。昨今、浮薄な女子どものわざとらしい廓言葉とか、ほんと残念にしか聞こえないでありんす」
おまえだよ、と突っ込む声も出ないチューヤたち。
テイネというキャラクターは、あきらかに後世のイメージによってでっちあげられた、あこがれの花魁道中だ。
しかしハナコは、みずからの足でその道中を歩んでいた、らしい。
じっさい江戸時代の男たちを魅了したであろうフレイヤの姿が、あまりにも克明に想起される。
──なんだ、この連想は。
まるでわざとのように、強い脈絡が結びついてくる。
当のフレイヤは、やや目を覚ましつつあるらしいものの、まだ惚けて、ぷらんぷらんと頭を揺すっている。
畢竟、意識状態の高いテイネに情報収集が偏る。
「教えてくれ、テイネ、おまえたちは……」
「甘えるな! ざんす。女の道が、男なんぞに知れようか?」
「いやあ、おっさんが歌ってるでしょ、だいたい」
思考停止したサアヤが、自分の世界に引き寄せて言った。
憤然として突っ込むテイネ。
「昭和歌謡の話はしてないざんす!」
日本の芸能では、女役を男が演じる時代が長くつづいた結果、女の気持ちを歌うのも男の仕事になった。
女のみちを歌うのは兄弟だし、アリスやかぐや姫などといった名前の正体も、だいたいハゲとかヒゲのおっさんである。
あまりにも「男視点で歌う女の気持ち」が現実を離れすぎて、昨今の演歌歌手など、当の女が歌うにおいてすら、「ちょっとこの気持ちわからないんですが」と作詞家にお伺いを立てなければならない始末だ。
通常の女では理解すらむずかしい「特殊な女」のカテゴリが、世の中には事実ある。
「芸能はともかく、遊郭はシンプルだよな」
「生々しい、と表現すべきだろ。……舎利浜に漂着したのは、偶然ではないな」
ケートが視線をもどす。
ハナコはうつろな視線で、あいまいに笑う。
「あの場所が、線の途中、見上げれば、星の世界」
ケートにはそれでじゅうぶんだったし、チューヤは説明を求めたそうな表情をしていたが、さっぱりわかっていないサアヤに比べればだいぶマシだろう。
──国は、彼らの組織は、科学は、いったいなにをたくらんでいるのか。
「こいつは返したほうがいいのか?」
ケートはなかば憮然として、彼女からあずかった「かごめのおふだ」を差し出す。
するとハナコは嫣然と微笑み、柔らかい手で包み込むように、それをケートの手のなかにもどした。
「女の子、しあわせにしてあげてね。今源内さん、約束したでしょ」
「したよ。約束は守る。……どうしたらいい?」
ハナコは、なにかを裏返すようなしぐさをして、
「裏を返して、お客ははじめて、お客になるのよ。女の子を、しあわせにした証拠は、裏にこそ浮き上がる」
裏を返すとは、一度客になった遊女を二度目以降に指名することだ。
客は裏を返さなければ粋じゃない、という感じのルール……紳士協定のようなものを決めることによって、より利益を積み増そうとしたのが江戸時代の女衒たちだった。
ケートはなにかを考え込みながら、
「要するに、吸血鬼退治すりゃいいんだろ」
ハナコはあいまいな笑みを浮かべて、ただこれだけ言った。
「女の子を、たすけて。女の子を、しあわせにして」
まったくあいまいな、しかし否定しようのないテーゼ。
約束は明確だ。
女の子を助ける。女の子を幸せにする。
それだけ。とてもシンプルな条件は、たったそれだけ。
不幸な少女を生みつづける製造機のような悪魔を、地獄の果てまでも追い詰めて殺したいと願った。
人類創生からずっと、悪魔は少女たちを痛めつけてきた。
寝てでもいなければ、耐えられない苦痛と倦怠。漫然たる日常を塗りつぶせるような新色は、とても見つからない。
そんな悪魔を殺すために、ケートは「かごめのおふだ」を必要とした。
古く強い魔力回路を秘めたおふだをもった、最後の記録は原初神フレイヤだった。
──その代わり、今源内さん、あんた力ァ貸してえよ。
かなしい娘ら、救うてェよ。
「約束する。ボクは一生かけて、不幸な女の子を助けるよ」
彼は言った、江戸の吉原で。
そう、ケートは江戸時代からそのおふだを借りてきたのだ。
当時としては、あまり重要に考えてはいなかった──「先取り約束機」じみた、あの約束の意味を。
いま、同じ唇で紡ぎ直す。
「安心したァ。そしたら寝るねえ」
ハナコは言いながら、しあわせそうに階段をあがって消えた。
──カンバンだ。
「あのときの本人が、ここにいる」
異世界線以上に突拍子もない、ほとんどばかげた伏線が回収されていく──。
「さて、そろそろ仕事をやっつけようか。──悪魔を倒す」
ケートは言いながら、暗闇に沈むおでん屋を顧みた。
午後10時をまわり、閉店したおでん屋の灯は落ちている。
「まあ、最初からやってることだけどね。仲良くなれない悪魔とは」
嘆息するチューヤ。
さきほど店を閉じたおでん屋の亭主は、すぐに家から飛び出してきて夜の街に消えた。どうやら深夜徘徊を開始した妻を探しにむかったらしい。
はじめは寝ようと決めていても、気がついたら徘徊している、それが彼女のようなタイプの特徴なのだという。
「心配だね、奥さん、だいじょぶかな」
「だいじょうぶだよ。おハナさんは、だいじょうぶだ……ぜったい」
ある種の確信が、ケートをしてそう言わしめる。彼のようなタイプが「絶対」などと口にするとしたら、そういう意味だ。
古美術などと同様、時間の洗礼を長く受ければ受けるほど、多少のトラブルなど問題にならない「運命」に、それは守られているという意味なのだ。
そう、彼女は時代を超え、ケートも時空を跳んだ──。
すこしふしぎな『ドラえもん』の未来話には、それなりに穴が多い。
「おはなし」のパラドックスを厳密に追及するのは、視聴する態度としてはむしろ不正解だ。
未来の自分が、過去の自分を助ける。
それじたいはよくあるタイムトラベルものだが、ケートの場合はちとちがう。
「だけどさあ、そんなことってある?」
サアヤはまだ納得していない。
もちろんチューヤもだ。
ケートは理解力の低い、無駄に常識に縛られている素人たちを顧みて、やれやれと肩をすくめた。
「まだわからんのか。彼女は吉原の遣手ババア、森林萬楼の娼婦なんだよ」
「……名前のインパクトがありすぎて、ちょっとケートがなに言ってるかわかんない」
「そうだよ、ケーたん! 彼女はどう考えても、おでん屋の亭主の奥さんでしょ。もしかして以前、夜の商売をしたことがあったとしても、いまさら」
まだサアヤの理解は、若いころにちょっと道を踏み外して、いまはカタギにもどっている女の一代記の域を出ていない。
ケートは不興げに、ふてくされたように言った。
「もちろん、いまは娼婦なんかじゃないだろうが、あの蓮っ葉なヤリマン気質は、何百年たっても変わらないらしいぜ」
「お口がわるいよ! チューヤもなんか言って!」
しばらく考え込んでいたチューヤは、悪魔相関プログラムと相談しながら、慎重に言った。
「女神フレイヤ。北欧の有名な豊穣神だな」
「原典は『エッダ』あたりか? 女神としての性格が固まったのは、おそらく10世紀前後だろうな。だがもちろん、その神格はより古い時代から受け継がれてきた」
ノルマン、ゲルマン、フランク、ローマ──「世界史」はどこまでもさかのぼる。
当然、「キリスト教以前」の長い歴史を、ヨーロッパも持っているはずだ。
「ヴァイキングの神話だよな」
「掘り下げるのは悪魔使いに任せるよ。ボクが興味あるのは、より新しい時代のほうだ。むしろ未来にしか興味がない、と言いたいところだが」
世界史は「過去」にすぎない。
若者がより留意すべきは、いうまでもなく「未来」だ。
「……いまげんないさん。なんで、そう呼ばれてた?」
「平賀源内が死んだのは1780年。フレイヤが──便宜上その名で呼ぶが──この国に流れ着いたのが、1803年だ。虚舟と呼ばれる奇妙な舟に、奇妙な衣装を着せられてな」
「うつろぶね……」
1803年、常陸の国の海岸に流れ着いたという「うつろ舟」。
そこには奇妙な服装の女がひとり乗せられていて、言葉も通じず、やがて同じ舟に乗せて流されたという。
『水戸文書』が有名だが、『伴家文書』などもある。
地名がはっきりと記されており、常陸原舎り濱、とあった。
伊能忠敬が1801年に測量した「伊能図」に記されている地名で、現在の茨城県神栖市波崎舎利浜にあたる。
現在は海水浴場にもなっているが、もうひとつ、ここには重要な施設がある……。
「さっきリョージとも話したが、ここにある施設には問題がある。まあそれは、おいおいわかるだろうから、いまは説明しない。……詰め込みすぎたパンピーの脳が破裂しても困るからな」
「それはどうも。……けっこう重要情報に触れてるつもりだったけど、まだケートやリョージのほうが深いところにいんのか」
ぼやくチューヤ。
もちろん情報の質により、たとえば警察情報などはチューヤのほうがくわしいだろうが、最新の兵器や世界規模で蠢く陰謀の話などになると、知らないこともずいぶんある。
「彼女はその後、再びその船に乗せられて海に流されたという伝承が多いが、じつは男に略奪され、流れ流れて吉原に遊女として売り飛ばされた。ボクはそっちの説を支持するよ」
もっともらしい可能性として、舎利浜に漂着し、地域の網元の慰み者となってしばらく過ごした。
ある日、江戸からやってきた人買いに売られ、その容貌を気に入った楼主に買い取られて吉原へ。
「人身売買……」
「当時そんな言葉はない。……野間のお大尽が連れてきてね、しばらく人気だったが、そのうち北國(吉原)の森林萬楼に売られたらしい」
チューヤたちが気になったのは、ケートの語り口だった。
どの視点から、彼はモノを言っているのだろう……。
その後、吉原の遊郭森林萬楼で、野間のお大尽、野間の尽、野間尽として、人気の花魁になった。
このころの遊女の源氏名は、出身地の地名や、地域の有力者の氏名などからとられることが多かった。
それも吉原が格式の高い妓楼だからで、それ以外の下々の遊郭(ただの遊女屋)では、そもそも源氏名などというしゃれたものは与えられていなかった。
「歴史の授業で、なんかちょっとやった気はするね」
サアヤが複雑な表情でつぶやいた。
彼女にとっては、女性による性の売買は、たいへん「ふしだら」で「けしからん」ことである。
──このころ、すでに利根川の東遷事業は完了しており、現在の野田市の関宿には現役で大規模な分岐点の「水閘門」が稼働していた。
その下流からさかのぼり、江戸へやってきた、野間尽。
ケートはそれを見てきたように言う。
「吉原でしばらく現役でやってたが、そのうち遣手ババアに格上げされた。楼主にそうとう気に入られたらしくてな。ボクが森林萬楼を訪ねたのは、1810年ごろ。50年間、将軍をやっていた家斉の中盤、いわゆる大御所時代だな」
文化文政時代。
町人文化が顕著に発展し、いわゆる化政文化が極みに達した、まさに「文化」の時代。
「あのう……ケートさん……」
「映画でも観てきたのかな?」
顔を見合わせて、自分たちは突っ込んでいるんですアピールをするパンピー2名。
ケートはイライラした口調でなじる。
「いいかげん現実から目を背けるのはやめろ。ボクたちは事実、8万6千年まえにタイムスリップしたじゃないか」
あれは完全な事故だったが、それを自力でやったとしたら?
もちろん彼なら、できるような気がする……。
「まさかケート」
「完全に同じロジックではないが、方法論として再現することはできた。知ってると思うが、ボクは天才だからな」
「タイムマシンつくったの!?」
ピョン、と飛び跳ねる一般ピープルたち。
これは一般ピープルでなくても、飛び跳ねていい案件だ。
やはりケートは天才だった──。




