31 : Day -21 : Aoto
「で、ボクなんかしたか、サアヤ?」
カレー色のごはんつぶをほっぺたにつけたケートが、遠慮がちにサアヤに問いかける。
サアヤはぽんぽんと自分の頬を指しながら、
「え、なんかしたの、ケーたん?」
「だってさっき冷たかったじゃん」
代わりに隣のチューヤが、ケートのごはんつぶをとってやる。
これはこれで成立している、いつもの鍋部だ。
「あー、なんとなくケーたんが厳しいご意見を求めていそうだったから、場面で?」
「だから言ったろケート。女子の行動に、とくに意味はないのだ」
「言ってねえよ!」
「知ったふうなこと言うな!」
ケートとサアヤから同時に突っ込まれて、ぎゃふんと言うチューヤ。
人生で一度くらいは言ってみたい言葉、それが「ぎゃふん」だ。
サアヤはケートに向き直り、しかたなさそうに問いかける。
「で、もちろんケーたんは、きのうは親子水入らず楽しんだんでしょ?」
「楽しんだのはプシ子だけだ。カードの制限が解けた瞬間から、アホみたいに買い物してたな。板橋まで帰り着くことができなかったので、紀尾井町のホテルにぶち込んだ。ケーキで寝かせたよ」
「ケーキでおやすみ、プリンでおはよう、だっけか。優雅なママンだね」
「そんな食生活で、よくあのプロポーション維持してるね……」
「ああ、ひと口しか食わんくせに無駄に買い占めて、ボクに食わせようとしてた。ま、消費してくれるやつがいてよかったが」
車中に積んであったケーキの残りも、大半はリョージが平らげたらしい。
すべてのシーンに脈絡があり、そのほとんどが連続性をもってつながっている。
「うまかったよ。さすが5000円のショートケーキ」
「5000円!? ホールじゃなくてピース? あんたらの金銭感覚イカレてんね!」
「いや、イカレた単位で取引してるのは、うちのオヤジだ。──まったく、なんのいやがらせだろうな。第六台場の地下には、ベヒーモスになったオヤジがいたよ」
ケートにとっては厄日のようなものだった。
自分を捨てた……わけではないが、好き勝手やっている親が、いまさら息子のまえに現れて、やっかいな事象を引き起こしている。
「世界有数のヘッジファンドの総帥だっけ、ケートのオヤジさん」
「なんか世界ちがうよね」
パンピー2名の理解は、まだ現場をみた当事者たちに追いついていない。
ケートとリョージは、その意味で対立軸を形成している。
ここにある「世界地図」について、プレイヤーたちは意見を共有する必要があった。
「問題はリヴァイアサンとベヒーモスだ。世界をまっぷたつに二分してる。オヤジはベヒーモスの側だ、というより陸の怪物それ自体だな」
「この国は海洋国家だから、リヴァイアサンが正解、って立場らしいぜ、オレたちは。……聞いてるか、マフユ」
「興味ねえな」
リョージの側には、マフユも含まれる。
もちろんマフユも、サイシに殺しを依頼した「ママ」の正体がリヴァイアサンであることは知っている。
まっぷたつ、ということはチューヤとサアヤもどちら側かにつくことになる。
あるいはこのパンピーのあいだで、意見が分かれるということもあるかもしれない。
「それよ。で、結局なんなの、そのリヴァイアサンとベヒーモスって。聖書の怪物じゃないの?」
チューヤの問いに、聖書のオーソリティであるヒナノが、堂々と解説を買って出る。
「もともとは、そうですね。その後、歴史的に多くの意味が付与されました。現在の文脈では、世界のマネーの蛇口の話に敷衍されています。悪魔たちは当然、自分たちがより多くを支配しようとする──」
「ふん、お金の話はケガラワシイんじゃないのかい、お嬢。利息をとっちゃいけないって宗教からしたら」
通常運転で皮肉を投げるケートに、自分の関係から理解を進めるチューヤ。
「まあイソラさんが関係してる時点で、銀行系の話かなとは思ってたけど」
「オレたち一般庶民は、金持ちに搾取されてんだってよ。で、いよいよ革命勃発ってか」
「ボンバーさんみたいなこと言わないで……」
考えてみれば、陰に日向に世界を二分する脈絡の舞台装置は整っている気がした。
いつか鍋部を二分する抗争の勃発する日が、くるのかもしれない……。
「うまいなあ、このおでん。カレー味、意外に合うね」
食事も中盤を過ぎ、会話も落ち着きつつあった。
「カエレルーの力は偉大だね」
「おでんや綾瀬の料理とかけて、芸能人の訃報を吹聴したがるおっさんと解く」
「そのこころは?」
「美味しんだって!」
おい死んだって!
会社の休憩室などで、ネットニュースの訃報を読んで反射的に口走る、残念なおっさんの姿がほうふつされる。
「うまいかどうかは別として、不快だな」
「思いついたこと全部口にすればいいってもんじゃないよ、チューヤ」
「……ごめんね!」
そんな幼馴染の不始末を過去に押しやるべく、ふと思いついたことを口にするサアヤ。
「なんかさ、フユっちとケーたんて、似てるよね」
唐突に振られ、露骨にいやな顔をするふたり。
この世でもっとも対極に位置していたいと、互いに思っている。
「失礼だぞ、サアヤ。ボクに対して」
「いくらサアヤでも、その発言は受け入れらんねえ」
「だってさ、ケーたんはカレーならなんでもいいんでしょ? フユっちは、食べられればなんでもいいじゃん。あとウィンナーとかカツとかハンバーグとかカレーとか、子どもが好きそうなもの、ふたりともだいたい好きだしさ」
反論するのもバカらしい、という態度を装っても、客観的事実は揺るがない。先刻までにケートとマフユが、もくもくと平らげていたのは、まさにそれだ。
なるほど、と納得するチューヤたち一同。
「……なんと的確な指摘」
「ははは、ぐうの音も出ないようだな」
「舌が子どもなのは、彼らばかりではないと思いますがね」
ついでに、だれかを下げようとするヒナノに、敏感に反応するのはチューヤ。
「お嬢、いまどっち見た!?」
「そうだねえ。チューヤもハンバーガーとか牛丼とかのり弁とか、私がちょっと目を離すとジャンクフードばかり食べてるよね」
「のり弁をジャンクフードに入れるのはどうかな!?」
「こういうのでいいんだよ、とか言いながらカップ麺の残り汁に冷や飯まぜてる、くたびれたサラリーマンみたいなチューヤには、なにも言う資格はないよ」
「…………」
「ははは、ぐうの音も出ないようだな」
ちょいちょいテキトーな合の手を入れるリョージ。
「この部活動のおかげで、だいぶ助かっている面々は少なくないでしょうね」
こっそりリョージを上げるヒナノ。
彼の鍋は一定程度「男の料理」ではあるが、すくなくとも味についてはじゅうぶん吟味に耐える。
チューヤがジャンクなら、リョージはナチュラルだ。
「リョーちんの料理は、なんだかんだバランスいいもんね」
「健全な魂は、健全な肉体に宿ると、師匠が言っていた」
「おまえの師匠って、だれだっけ?」
「精神論とか全般を教えてくれたのは老先生。発勁はケートの師匠の浜田さんに習ったかな。それから格闘技ではタケバヤシ和尚とか」
「和尚! 私も習ったよ、光林寺拳法! アチョー、ハーッ!」
貧弱な拳をドタマで受け止めるチューヤ。
「暴れるな、弱い虫」
「なんだと、チューヤのくせに!」
ぺけぺけと拳を突くが、ノーダメージにもほどがある。
マフユなど、殴られるチューヤをうらやましそうに眺めていた。
「いつもの突っ込み裏拳のほうが痛いんだが。おまえは弱くなる拳法を習ったのか、その和尚に」
「ははは、和尚の拳法はさ、初心者には太極拳みたいなもんで、ただの体操なんだよ。ある強さを超えて応用できると、一気に技の切れが増すんだ」
「ふん、脳筋男め。腕っぷしで歴史が変わるもんか」
とウーロン茶を飲むケートに、リョージの代わりに突っ込むチューヤ。
「そんなもん変えようと思ってるひと、ケートくらいしかいないと思いますけどね!」
「変える必要はない。この世は終わらせる。それだけでいい」
ぼそりと、いやなことを言うマフユ。
「ま、終わらせるってのはアレだけど、終わらせたほうがいいもんもあらーな」
リョージらしくない剣呑な物言い。
和尚の哲学に当てられたかな、とサアヤがぼやくように言った。
「仏教哲学は深い、かのように言われているが、ボクは哲学なんて全部、時間の無駄だと思うね」
「ははは、ケートは手厳しいな。──まあ、たしかに和尚の導きは重要になるかもな。このワラをもって東へむかえ、って感じか」
「わらしべリョージ!」
「またそんなことやってんのか、おまえの人生おもしろそうだな」
サアヤを除けば、マフユの興味はリョージに対して強い。
もちろん「料理人」としての評価が大半だが、それ以上に評価をしているヒナノは、あたたかいまなざしをリョージに向け、
「じつに興味深いですわ」
「むかーしむかし、そこにリョーちんなる旅の者、おったげなー、じゃったと」
「無駄な昔ばなしテイストやめろ。考えてみりゃ……ってか、だいぶまえから思ってたけど、こっちはリョージが受け持つべきだったんだよ。だってさ、上流から桃が流れてくるんだぜ、桃が」
現在、この店の貸し切りにいたる流れの回収にはいるチューヤ。
昔ばなしテイストの泰斗リョージは、ひとつうなずいて、
「それな。で、なにがどうなったのよ」
「流れてきた桃は、マスターの奥さんの桃尻だったんだよ」
「変な言い方すんな、バカチンチューヤ!」
ともかく上流から流れてきた奥さんを助けて、おでん屋まで運んできた。
その恩に報いるため、店主は現在、育ち盛りの高校生たちにタダメシを食わせてやっている、という流れのおさらいからはじまり、
「で、その奥さんは?」
核心部分。
──ここには重大な契機がひそんでいる。
マスターは軽く店の奥、階段のほうを顧みながら、
「よく寝る嫁でね。二階で寝ていると思うよ。裏から出て行っていなければ、だけど」
「放浪癖でもあるんですか、奥さん。ちゃんと管理したほうがいいですよ。もうちょっとで溺れて死ぬところだったんですから」
「いや、よくあるよ」
「よくあるの!?」
綾瀬川に流される、がデフォルトらしい。
綾瀬の嫁になった以上、ここから旅立つのだ、などと言っている。
「堀切菖蒲園まで流れたら勝ち確なんだってさ」
「意味わからんけど」
堀切菖蒲水門が勝負で、ここをパスするにはよほどの幸運が必要らしい。
このあたりは河川が入り組んでいて、流されるにもそうとうの慣れが必要だという。
「流されるプロなんだね」
「いやなプロだな」
「放浪癖っていうのかな、いや旅人ってわけじゃないんだけど、よく道には迷うよね。自宅まで200メートルほどの側溝で寝ていたこともあったな」
近所のネコにも評判の体たらくだ。
事実、ネコに助けられてもどってきている。
全員の視線が、なんとなくサアヤに集まった。
「……サアヤみたいなもんか」
「いや、サアヤでも自宅周辺では道に迷わないよ、さすがに」
一応フォローするチューヤ。サアヤは憤然として立ち上がり、
「失礼なこと言わないで! 私はともかく、奥さんは、ちょっとボケてただけなんだよ!」
「失礼なのはおまえだ」
「なんのフォローにもなってねえな」
その「奥さん」について、知見のないヒナノは当然の疑問を投げる。
「お婆さん、なのですか?」
「ううん、ことし30くらいの美奥さんだよ!」
「トンチキな話になってきたな……」
月曜の鍋は、いよいよ佳境を迎えている。
「で、みんな今週はどうすんの?」
以後の流れを決めるべく、部長らしいふりをするチューヤ。
「オレはいよいよ、悪の親玉にたどり着きそうだぜ。エンディングも近いな」
リョージの答えに、何人かがうなずく。
「赤いおじさんとか黒いおじさんとか、そのへんの話だっけ」
どうせリョージのことだから、たいがいひとりでなんとかするのだろう。
その首の動きに合わせ、一同の視線は横のケートに。
「ボクはまあ、お嬢との協調シナリオっぽいから気は進まんが、来週までにベヒーモスとリヴァイアサンの件を進める必要があるだろうな。……固有の問題としては、ヴァンパイア狩りがある。クソ吸血鬼の生き残りがいるらしくてな、こいつらを根絶やしにしなきゃならん」
「ケート吸血鬼きらいだもんね」
みなの視線は自然に流れ、ヒナノへ。
「わたくしは、東郷くんたちの協力で大叔父の件は片づきましたので……」
チューヤは複雑な表情で彼女の言葉を聞いた。
重要な選択肢だったことは理解している。リョージがこっちへくれば、必然的にチューヤが代々木公園の案件を処理することになったはずだ。
それも片づいて、しかもリョージの手助けを得られて満足そうなヒナノを眺めながら、チューヤは再確認する。
「とくにないんだね、急ぎの案件は」
「まあ、わたくしは日常的にいそがしいですが、そういえば弟が……」
超絶歌ウマの「神の鈴」、キリスト教の誇るマルコメくん、南小路ミツヤスは中学生で、たしか寮生活を送っていると聞いた。
「ミツヤスくん? またなんかあんの?」
ヒナノはやや不快そうにチューヤを一瞥し、
「あなたに発田さんがいるように、ミツヤスにも幼馴染がいましてね」
「ああ……やっかいだよね」
ちらりと投げた視線のさき、チーズ鍋の残りを飲み干していたサアヤのアホ毛がぷるんと揺れた。
「おばあさまが施設にはいるのを待っていたわけでもないでしょうが、ちょうどいま寮から帰っています。機会があれば訪ねてほしいと言っていましたよ。……ちなみに幼馴染は先祖代々の仏教徒で、ミツヤスとはいつも信仰について戦いをくりひろげています」
「宗教戦争に巻き込まないでほしいんだけど……」
見透かしたような視線で見下ろすヒナノ。
チューヤが本日、キリスト教系の星天使と仏教系の神将との「坂道対決」に深くコミットしてきた事実は、すでに周知となっている。
「あなた、そういうのは得意でしょう。それにミツヤスも、どうやらあなたのことは評価しているようですし」
チューヤが弟と親しくすることについては、べつにヒナノも文句はないらしい。
「それはうれしいけど、べつに得意では……」
「苦手でなければじゅうぶんです」
ヒナノ自身、弟を苦手としている感ははしばしに見受けられる。
苦手な者どうしがくっつくのも離れるのも、さして興味はないということなのだろう、と察した。
さっきからマフユの口数は少ない。
ひとしきり腹も膨れて満足しているのか。あるいは、いまさらながらここがロキにとって敵地にあたることに気づいたのか。
もちろんマフユが直接「おでん屋」とコトをかまえる理由はない。
フェンリルも「黄昏」までは静観すると言っていた。
「あとは田宮を殺すだけだよ、あたしは……」
それでマフユが日本にいる理由はなくなる、らしい。
だとしたら、結末をつけないほうがいいのではないか?
もちろん、そういうわけにもいかないだろう。
チューヤは考え込んだ。




