29 : Day -21 : Horikirishōbuen
彼らは東西南北から、同じ瞬間、ぴったりとやってきた。
中心のおでん屋で待ち受けるチューヤとサアヤも、さすがにおどろいて三度見したくらいだ。
「よう、ここでいいんだよな」
東から軽くランニングしてきたらしいリョージは、おそらく川の手線の亀有駅で降りたのだろう。
「葛飾も堀切までは江戸のうち、か? よう、こんどはおでん屋か」
西からは、どうやらタクシーでやってきたらしいケートが、やや疲れた表情で左手を挙げている。
「あとで迎えに呼びます、下がっていなさい、唐沢」
南からやってきたヒナノが軽く首を振ると、変な仮面をかぶった運転手は頭を下げて、細い路地を半分埋める高級車ごと消えた。
「やべえところに呼び出してくれるじゃねえか、気に入ったぜ、サアヤ」
北からやってきて巨大なバイクを派手にターンさせたのは、もちろんマフユ。
あいもかわらず平気でノーヘルなところがすごい。
──四辻に建つ、その店舗はまさに「下町のおでん屋」。
ここ葛飾区堀切で、何十年とやってますと言わんばかりの古びた店には……「定休日」の看板がかかっている。
「いよう、皆の衆! 時間どおりだね!」
「サアヤってすげえな……」
グループチャットに、サアヤの名前で「本日の鍋、食材準備不要」と「時間」「場所」のデータを添付しただけで、ただでさえいそがしい面々がやってくる。
チューヤにはとても真似できない。すくなくとも女子は、だれもこないだろう。そんな彼でも呼べば来てくれた可能性があるのは、男の友情を尊ぶリョージくらいだろうか。
「定休日ってなってるけど」
店を眺めながら首をかしげるリョージに、
「あ、いいのいいの。私たち命の恩人だから、きょうは特別ね」
謎の言葉を発しながら、店の引き戸をがらりと開けてなかにはいるサアヤ。
当然のようにその背を追いつつ、ケートも小首をかしげる。
「で、なんでこーなってんの?」
「いーじゃん。新しいところで鍋すんのもさ」
軽く肩をたたき合い、想定されるこれまでの健闘を称え合う。
三々五々、場末のおでん屋の、かかっていないのれんをくぐる高校生たち。
「ま、学校よりはマシか」
「ヒーハーくん連れてくればよかったよ」
「だれ?」
「足立のおでん屋で熱いおでん食わされて、溶けそうになったと苦情を言付かった。だいぶまえに、三軒茶屋あたりで」
「おでんが熱いのはあたりまえでしょうが!」
騒がしさが移行する店内は、落ち着いた雰囲気。
とはいえ場末のおでん屋ふぜい、という乱雑感もあるところが、むしろいい。
L字型のカウンターに6席と、奥には座敷もあるようだ。
壁際に立てかけられたテーブルセットを見るにつけ、客があふれた場合、外に店舗を拡張する「ストリートフード」スタイルも取り入れているらしい。
「リョージ、走ってきたの?」
「ああ、川の手線では亀有が近かった」
「微妙にどの駅からも遠いんだよね、ここ、堀切の端っこだから」
うなずくチューヤには、柿の木坂高校のイメージ。
このあたりはちょうど、綾瀬、堀切菖蒲園、お花茶屋の中間地点で、どこの駅にむかっても道なりで1キロ以上ある。
不動産業界では徒歩1分が80メートルと定義されているので、最寄り駅が3つもありながら、すべて徒歩十分以上かかるわけだ。
ちなみに亀有まではやや遠く、道なりで2~3キロといったところ。
「駅まで十分かかる場所で、その駅を最寄り駅と呼ぶと、違和感があるらしいぞ」
「寄ってねえじゃん、てか。じゃあこの店は、最寄り駅なしか」
「いや、まあ最寄りだから、言葉としてはまちがってないんだけどね。足立とか葛飾とか江戸川は、けっこう駅が遠かったりするよね」
500も駅がある東京23区で、最寄り駅まで徒歩20分以上という地域は、おもに上記三区に偏っているが、世田谷や練馬にも空白地帯はある。
地方民に言わせれば、駅まで2キロはふつうなのだが。
「足立なんか地獄だったよ。あ、いまでもか」
「怒られるよ!」
傍若無人な男子たちに、サアヤが突っ込みを入れる。
するとチューヤは冷ややかに彼女を一瞥し、
「新交通システムができてマシになったけどね。ひぐれさと・しゃじんライナー」
「あーっ! 言ったな、言ってしまったな!」
地団太を踏むサアヤ。どうやら恥ずかしいらしい。
「いいじゃん、鉄板ネタでしょ、サアヤの」
「そ、そうだよ、わざとだよ、もちろん、知ってて言ったんだよ」
人と環境にやさしい新交通システム、日暮里舎人ライナーは、2008年に開業した。
──いつもどおり騒がしい鍋部の面々。
なんとなく、かつ必然的に座席が決まっていく。
「お、らっしゃい」
奥から、ふらりと現れる男。
一瞬、場が静まって流れが止まる。
この店の主人は、全員の注目を集めるに値する逸材だ。
長身の筋肉質はいいとして、整った顔立ちを決定的にかすませる、刀傷。
昔から時代劇などで身体の各所に刻まれた傷痕については、キャラづけのために多用されてきたが、左目を上から下へ、ざっくりと割る刀傷というのはなかなか古典的だ。
ひと目で、彼が「堅気の衆」ではないことがわかった。
──ここは堀切のおでん屋。
のれんに「おでん」と名乗ってはいるが、常連客からは「めしや」と呼ばれている。
小菅の東京拘置所からちょいと歩いた堀切界隈に、ひっそりとたたずむ「食堂」だ。
ああ、出てきたんですか。おひさしぶりです。
おうマスター、なつかしいな。やっぱシャバの空気はうめえや。
そんな会話でなごむ店。
だから「月曜(定休日)には出たくねえ」と駄々をこねる囚人(広義)までいるという。
堀切のめしやは、ちょいと踏み外した連中のオアシスだった。
「めしやのマスター。みんなそう呼ぶ。……ですよね?」
一応、チューヤが紹介する。
だれも聞いてはいなかったが。
──めしやにまつわるエピソードには、枚挙にいとまがない。
全員がマスターを慕っていて、たまに事情を知らない外部のチンピラがイチャモンをつけたりすると、ひどいことになる。
袋叩きに遭って簀巻きにされ、泣いて謝るチンピラを荒川の土手で眺めながら、常連たちはこう言ったらしい。
オレらにシメられて、てめえ幸運だよ。
ああ、マスター本気で怒らせてみろ、命はねえぞ。
──若いころは竹ノ塚あたりでブイブイ言わせ、「足立の魔王」と恐れられていた店主は、しばらく売れないバンドマンだったが、いまは葛飾の片隅でこつこつと飲食店を営む中年に育った。
カワサキ国からの侵略者、ロキというトリックスターについていけないハンパ者たちを受け入れて、いまでも下町のオアシスでありつづけている──という。
見た目は40代後半だが、もっと下にもみえるし、上かもしれない。
チューヤたちが拾った「女房」は若いので、じつは30代という可能性もある。
左目の刀傷は、どこかのスジものが足抜けしてケジメをつけた……そんな可能性も考えられたが、あまり立ち入ったことを訊くのも失礼だろう。
「深夜ドラマの1話分くらいありそうなボリュームの概説だったでしょ」
もっぱら主催者のサアヤが語って、チューヤが補完するスタイル。
──メニューはおでんだけだが、言われたらつくる主義。
ヤクザが大きらいだが、とくに半グレと呼ばれる非常識な連中は嫌悪している。
昔気質のヤクザについては認めている人物もいるが、そこはケースバイケース。
「要するに下町の食堂だよ」
調理器具の準備をしながら言う店主。
「たまにメシアもくるらしいよ」
悪乗りしたチューヤが、
「無駄な冒瀆はやめなさい」
ヒナノの眉をひそめさせる。
いわゆる「救世主」は、キリスト教では唯一無二の三位一体だ。
──ともかく、こうして互いの紹介もなんとなく済んだ。
生まれも育ちも足立区綾瀬、現在葛飾堀切在住のおでん屋店主、綾瀬ハルオの店が今夜の鍋の舞台だった。
「それで、えっと……綾瀬さん」
「言ったろ、マスターでいいよ」
おでん屋、めしやのマスター。
それだけで、地域でははっきりと人物特定される。
定休日だがこぎれいにされた店内は、いつでも料理にかかれるよう整っていた。
ジャパニーズ・ストリート・フード、という番組でも紹介されたおでん屋だ。
厳密には屋台ではないのだが、だいぶ道路に張り出した店舗運営が「ストリート感」を出しているため、採用されたらしい。
餃子やフランクフルトも出す、多国籍料理の店。
ゆえに「めしや」。
突き出しに、ざるいっぱいの枝豆。
ここが「飲み屋」であることに議論の余地はないが、当人は「飯屋」を自負している。
各自、ゆでたての枝豆をハムハムしながら、
「おでんとポン酒なんて、たまらねえ組み合わせじゃねーか」
「おい女子高生、不穏なことを言うのはやめろ。きょうは飲ませないからな!」
駄弁る高校生たちと対照的に、カウンターのむこうではテキパキと動く店主。
「鍋部の集会らしいね。おでん鍋でもつくろうか?」
「いや、それは前回やったかな。同じ鍋はやらないというのが、うちのモットーでして」
「いいね。その考え方は好きだ。……なんでも注文してよ、そこにメニューがある」
店主の指し示す壁一面、ただの落書きスペースかと思われるところに、さまざまな字体で料理名が並んでいる。
その右側に、添え物のように「おでん各種」とある。
「どういうメニューだよ、マスター」
「夕方のごはん時、食べたいもん全部出す、って感じかな。おでん屋に決めてからも、べつに縛られてはいない。隣に24時間のスーパーあるだろ。材料買ってくれば、なんでもつくるよ。できるもんはね」
「ドラマみたいな店だね!」
「それでこのメニューの数か……」
一同、なんとなく壁に視線を走らせた。
どうやら、たいていの食いたいもんはつくれるらしい料理人。頼もしい。
「毎度、材料買ってきてつくらせる、酔狂な客もいてさ。味が合格ラインだったら、その壁に書いていいことになってる」
「右下の、仕入れは各自、ってそういう意味なんだね」
「だいじょうぶ、けっこう材料あるから、好きに言ってみて。なにしろ嫁の恩人だからね。できるだけのことはするよ」
嫁の恩人。本日、この店が貸し切りになった理由だ。
それについて掘り下げる流れは、ひとまず注文する流れに呑まれた。
L字のカウンター席に二列で横並び。
端からケート、チューヤ、リョージ、ヒナノ、サアヤ、マフユの順。
3人ずつに分かれて中央で直角なので、男女とも相手の顔はよく見える。
たんに男子と女子でわかれて座っているだけ、のようにみえるが、霊界電話のつながる組み合わせ順、という見方もできる。
つまりこの順は、いろいろと座りがいい。
注文の口火を切ったのは、リョージ。
「マスター、ネギラーメン、チャーシュー大盛。あと餃子ね」
「あいよ」
「おでん屋でラーメンて」
チューヤの突っ込みがうつろに聞こえるほど、注文に応じるマスターの口調は慣れている。
その壁を崩さんと、マフユの注文がつづく。
「あたしはミートボールナポリタンとウインナーチャーハンとマヨ唐揚げ丼に、おでんありったけトッピング」
「ツッコミどころ多いけど、なにおでんありったけって……」
「あいよ。おでん屋だからね。おでんトッピングは全メニューOKだよ」
雑なマフユの注文さえ、平然と受け止めるマスター。
ケートは底辺の流れに飲まれまいと自己を保ちつつ、
「ふざけた店だな。まあいいや。カツカレーうどん、しらたきトッピングしてくれ」
「まずそう……」
チューヤたちが「うげ」という表情でケートを一瞥する。
彼は憤然とテーブルをたたき、
「失礼だぞ! カレーと組み合わせてまずいもんが、この世にあるか!」
「ちゃんと市販のカエレルーを使ってるから、まずくはないと思うよ」
市販品。ある意味、日本の「食」を支える、安心安定の味覚ラインだ。
もちろんレトルトそのままではない、プロの料理人が一定の手を加えることで、飲食店は成り立っているのだ──と誤解している人々は多い。
現実は、多くの喫茶店などで「業務用」のレトルトの封を切り、温めるだけで出てくるカレーライスやスパゲッティがデフォルトだったりする。
そういう世界線と一線を画するヒナノは、
「わたくし、よくわかりませんのでお任せしますわ」
「ここでマスターお任せはチャレンジャーとしかいえないよ、ヒナノン。私が代わりに頼んであげる、ふたりで食べよ。えっと、オススメ櫛おでん3種セットと、ミニチーズおでん鍋、あとポテサラね」
「あいよ。それじゃご注文くりかえ……」
マスターがにこやかにオーダーをシメようとした瞬間、猛然と立ち上がる一般ピープル約一名。
「ちょっとマスター! 俺まだ注文してませんけど!? 言っとくけど、あんたの奥さん水に飛び込んで助けたの俺だかんね!」
「ごめんごめん、どうぞ」
「庶民の店ですら存在感ないのかよ。さすがチューヤだな」
「モタモタしやがって、グズが」
部員たちの苦言暴言を受けつつ、あくまで自己主張をつづけられるだけ胆力を、チューヤは貴重な高校(鍋部)生活のなかで培ってきた。
「うっせえわ! ええと、わかめおにぎりと、だいこん、ちくわぶ、もちきん、あと牛すじとロールキャベツね」
「すまないけど、きょう定休日でね、煮込む系のおでんの仕込みができてないんだよ。できるのはサッとできるネタのセットと、ざっくりした注文だけ。隣でレトルトパック買ってきてくれれば、温めるけど」
はじめてのオーダー拒否。
あぜんとするチューヤ。部員だけでなく、世間までもが厳しい。
「最初から言ってよ! てか、おでん屋で選択の幅がいちばん狭いのがおでんて、どういう了見!?」
「おまえ、なんとなく厨房を見て注文するという気を利かせろよ。定休日なんだから」
「定休日でこれだけできれば、りっぱっス」
ケートとリョージが、的確な観察眼を披露する。
どうやら失態を演じたのは自分らしい、と認めざるを得ない。
「みんなけっこう自由に頼んでたように見えたけど、気を使ってたんですね!? じゃあいいよ、もう残りものお任せで!」
「あいよ」
そのときサアヤの目がキラリと光った。
彼女はメニューのなかに、見つけてはいけないものを見つけてしまったのだ……。




