27 : Day -21 : Horikiri
堀切は葛飾区の地名だが、堀切駅は足立区にある。
かの小菅の拘置所から、すこし南へ進んだあたり。
つまり現在の堀切駅は、堀切にはない。
堀切という地名は各地にあるが、東京で堀切といえば、荒川にまたがる典型的な下町である。
現在の住所表示では、東岸の葛飾区のみを指すが、かつては対岸の足立区などと地続きで、大正年間に荒川が開削されて分割された。
東武伊勢崎線の堀切も対岸にあり、おおむね一帯を指して堀切と呼ばれる。
この荒川沿いは、『3年B組金八先生』のロケ地などとしても知られている。
やっかいな問題ばかりを抱えた生徒たちが集うあの土手、暮れなずむ町はここにあったのだ。
情緒を探そうと思えば見つかるし、すこし歩けば隅田川をわたって吉原に出られる。
JR、東武、京成が絡み合う、東京の下町だ。
「この橋を渡ると葛飾区だよ、おっかさん」
「だれがおっかさんだ、島倉千代子に謝れ!」
中途半端に寄せたつもりのチューヤには、記念の写真を撮るポーズで言うサアヤがなにをやっているのか、さっぱりわからない。
ちなみに島倉千代子『東京だョおっ母さん』は1957年の大ヒット曲。田舎から連れてきたおっかさんと、皇居の二重橋で写真を撮るという歌詞がある。
「さようなら埼玉県足立区! こんにちは千葉県葛飾区!」
チューヤがよけいなことを言った瞬間、河川敷から鋭い視線が向けられた。
たいていこの手の言い回しは、悪意や揶揄する目的で用いられることが多い。
埼玉県足立区という表現は、川に隔てられているわけでもなく地続きなので、意外に納得される向きはある。
ヘル足立という表現は、ダ埼玉のバックアップなしには語れない。
しかし「東葛」を擁する千葉県が、葛飾区をも包含していこうというその表現には、まだまだ抵抗が根強いようだ。
そもそも江戸川に隔てられている時点で、千葉県葛飾区などとはおこがましい。
「元埼玉県民として言わせてもらうけど、べつに足立区も合併されてないでしょ」
「まあな。亀有の公園あたりにいた変なおまわりさんも、松戸なんて原野じゃねえか、と言っていたし。しょせん埼玉や千葉ごときが、なあ」
「怒られるよ! いろんなひとから!」
地域「差別」と騒ぐ輩もいるが、土着の感情は郷土愛と表裏一体でもある。
特定地域に対する一定の思い入れは、ある程度の卑下や自虐も包摂すべきだろう。
──ともかく彼らは、葛飾区堀切に足を踏み入れた。
ここからはサアヤの出番だ、と考えた瞬間、チューヤはゾッとした。
サアヤに目的の場所を探させる……?
ブルッ、と悪寒が走る。
「ところでサアヤさん、ボンバーさんちの住所などはご存じですかな?」
「個人情報でしょ、そんなもん。なんで地下鉄の植栽イベントで出会ったお年寄りの現住所を聞き出してから、交流しなければならないのかね? ん、チューキチ、アホなの?」
飄々と言い放つサアヤ。
言っていることは正しいが、状況に対するアンサーとしては不適切である。
「アホはあんただよ! じゃあなに、俺たちはこの堀切をうろうろしながら、通りすがりの人々に、ボンバーさんご存じですかと訊いてまわらなきゃいけないわけ!?」
「そんな本名のひといないでしょ。そう、あだ名ならあるわ~。ねんねんころり寝転んで、眠りましょうか~♪」
典型的、歌ってごまかすサアヤさん。
しばし固まってから、首を振り、短く嘆息するチューヤ。
ともかく彼らのあだ名、ポンジューさんとボンバーさんから「人探し」をはじめなければならないようだった。
「まあ考えてみれば、本名よりあだ名のほうが通りがいいってこともあるしな」
「そうだよ、だからあたしゃ最初から言ってんだぃ」
手首で鼻先をこすりあげながら、べらんめえ口調で下町の街角、肩で風を切るサアヤ。
彼女といると飽きないことはたしかだ。
──探しているのは老夫婦。
ポンジューさんの本名は知らないが、名前と出身地のダブルミーニングらしい。
嫁さんのほうの下の名前はわかる。「マコ」だ。
「いや、下の名前だけわかってもな……」
知り合いにでも会わないかぎり、苗字のほうが重要だ。
「旦那さんのほうは、マコちゃんマコちゃんって呼んでたけど、知り合いのひとはみんなボンバーさんって呼んでてさ、なんか変だったよ。ポンジューさんの奥さんだからかなーとも思ったけど、ポンじゃなくてボンなんだよね。言われてるおばあちゃんは、べつに文句も言ってなかったけど、けっこうキツイ感じで、私はおじいちゃんのほうとばっかり仲良くなってたかな」
「サアヤさんでも苦手とするタイプがあるんスね」
「なんでボンバーなん? っておじいちゃんに訊いたらさ、奥さんは肥料をみると爆弾がつくりたくなるタイプなんだって。なるほどーって思った」
「なるほどじゃねえよ! なに、そのデンジャラスなばあちゃん!」
硝酸アンモニウム(硝安)や燃料油など、簡単に手にはいるものから爆弾はつくれる。
硝安は、おもに高窒素肥料として農業で使用され、数千万トンが生産されている。
これに対し警視庁などは、もちろんさまざまな対策をとってはいるが、肥料を完全になくしたら農業者は成り立たない。
結果的に、官憲はなんとなく仕事してます感を出すだけの通知や措置を発する程度しかできず、本気で爆弾をつくろうとする者にとって実効性はあまりないのが実情だった。
「もともと植物は好きだったみたいだけどね。現在は絶賛ビーガン中らしいし」
「植物が好きって、そういう意味?」
「健康にいいでしょ、野菜」
駄弁りながら堀切を、小菅にむけてしばらく歩いていたときのことである。
不思議な光景を見つけた。
綾瀬川の上流から、大きな桃がどんぶらこどんぶらこと……。
チューヤは隣のサアヤのほっぺたをつねって派手な苦情を受けつつ、彼女の目を上流に向けさせた。
しばらくぽかーんと眺めていたふたりは、それが桃ではなく尻であることに気づいた。
顔を赤くするチューヤ。
その目に突きを入れるサアヤは、目が、目がァア、とのたうちまわるチューヤを残して、河川敷にむかって駆けだす。
後方から追いかけてくるチューヤに、
「冗談いってる場合じゃないよ! ともかく助けてあげて、チューヤ!」
「……はい」
状況からして、最悪のケースも考えられる。
都会の川なのできれいというわけにはいかないが、それでも一時期に比べれば魚が泳いでいる程度には浄化されている。
第二機動隊(水難救助などを担当)の勇姿については遠くから眺めたこともある。
土左衛門を回収したことはないが、死体を覚悟しつつ触れてみると……暖かい。みれば後部を流れる板切れに頭を載せて、呼吸もしている。
最大限の注意を払って、チューヤはその女を川岸まで引き寄せた。
河川敷に引き上げ、あおむけに転がす。
──年齢は30歳前後といったところ。
この寒い時期にランジェリーのような薄い服装は、ぴったりと身体にひっついて蠱惑的なラインがよくわかる。
「人工呼吸を」
しようとするチューヤの横っ面をはたくサアヤ。
「どう見ても呼吸してるでしょうが、このバカチン! とにかくだれか呼んで、暖かいところへ……」
言いかけたサアヤの表情がくもる。
チューヤもその意味を理解した。
──境界化。
「このたいへんなときに、どこぞの悪魔が」
言いかけて、チューヤの身体が凍りついた。
おそるべきプレッシャーを放つモノが土手のうえ、こちらを静かに見下ろしている。
「あいつの境界みたいだね」
おなじ意図をもって、おそろしげにそれを見上げるサアヤ。
シルエット的には、巨大なイヌのように見える。
「サアヤの好きなおイヌさまだよ。話し合いでなんとかしてくる?」
「あんたネコ系の悪魔全部と話し合いで解決してきた!?」
ともかく境界は境界で、便利な点はある。
サアヤの回復魔法が使えることだ。
その力を使い、速やかに川を流れてきた女を回復させて、意識の回復に努める。
一方で、おそるべきプレッシャーの主は敵か味方かと、視線をむけた──その手前の横合いから、奇妙なものが現れた。
それは、ごろごろとリヤカーを引く巨大なネコ……。
チューヤたちは一瞬警戒するが、ネコは戦闘の気配もなく、そのまま女の横にリヤカーを横付けしながら言った。
「無理して起こさんでいいニャ、どうせただ寝てるだけニャから」
「……ケットシー!?」
「おう、だれかと思えばニシオギのアクマツカイ。ナカマが世話になったニャ」
悪魔業界は、同族の横のつながりがとても強い。
序盤3シーの一角として、ケットシーにはだいぶ世話になった。
「おまえ、なにやってんだ?」
「フェンリルに呼ばれてニャ。この女、おでん屋の女房で、よく側溝で寝ていて近所のネコがあきれるくらいの、ふだつきニャ。まあ、おでん屋の旦那には世話になっているので、気づいたら助けにくることになってるニャ」
「……フェンリル? おでん屋?」
どうやらこのネコに訊くことは多いらしい。
ネコはネコのペースで、さっさと女をリヤカーに乗せると、土手のほうにむかって引っ張りだした。
「ひとつ引いてはタマゴのためー、ふたつ引いてはちくわのためー」
田舎の大将が歌いそうなメロディに乗せて、いい調子を奏でるケットシーに、あよいよい、とサアヤも合いの手を入れている。
チューヤはしかつめらしい表情で、
「……しかし、ニャンコや。気をつけなければいけないよ?」
老婆心ながら、ささやくように言った。
彼にとって「ネコの健康」はとてもたいせつだ。
どうやらおでん屋にエサを与えてもらっているようだが、基本的に人間用につくられたものは塩分過多なので、ネコに与えてはいけないことになっている。
ペットに与えてはいけないものとして有名なネギやチョコをはじめとして、はんぺんや青魚(!)など、与えすぎると命にかかわるものがたくさんある。
もちろん肉食動物なので練り物や肉・魚じたいは与えてもいいのだが、人間用に調理されたものは味付けが濃かったり、偏食によって不飽和脂肪酸過多やビタミン欠乏などに陥ることもある。
よって基本的に、ネコには未加工の肉や魚、あるいはネコ用につくられた缶詰などが推奨される。
「ケッ、そんな味のねえヌルいもんばかり、食ってられるかってんでいべらんめえ。アツアツのしょっぺえチクワにハンペンが食いてえんだよ、オイラぁ」
健康を気遣うチューヤの指摘に、ケットシーは肉球で鼻先をこすりあげながら言った。
あくまでも悪魔の発言なので、ふつうのネコにはなるべく与えないほうがよい……。
「江戸っ子だねえ、葛飾のケットシーは。寿司くいねえ!」
「それはいいが、だいぶ年季のはいったリヤカーだな」
ケットシーの引く木製の車は、タイヤも木でつくられていて、ネコ車ならぬ「箱車」とでも呼ぶべき代物にみえる。
すると鋭い視線で、チューヤの動きを制するケットシー。
「触るニャ。わが武装せしランボー・ル・ギーニャには、激しい戦闘に耐える装甲が施されておるニャぞ」
「ら、らんぼるぎーにゃ……」
拝一刀が大五郎を載せている箱車には、江戸時代という設定にもかかわらず、分厚い装甲板が張られマシンガン(斉発連発銃)まで装備されている。
人気が出たためいろいろ(とくにドラマ版)やっているうちに、時代考証は完全に無視されるようになった名作、それが『子連れ狼』だ(ちなみに原作にも、ワンタッチで飛び出す槍や、ソリ、船にもなる万能の箱車、という設定はある)。
キラッ、とサアヤの目が光ったのは必然だった。
「ちゃーん!」
元ネタを完全に把握しているのは、おそらく昭和の申し子サアヤだけだろう。
そんなリヤカーを中心に、土手を登りきってしばらく歩くと、件の巨大なイヌの姿が、いよいよ近づいてきた。
敵対的な気配はないが、味方のようにも思われない。
チューヤたちは慎重に相手のようすをうかがう。
「おう、フェンリルの旦那。回収してきやしたぜ。……お、雨か。女もずぶぬれだし、かまわねえ。霧雨じゃ、濡れていこうかい」
江戸っ子のネコが威勢よく言い放つ。
フェンリルと呼ばれたイヌは、じっとチューヤたちを見つめている。
一見、ただのグレイハウンドのようだが、もちろんそんなわけはない。現世側の皮をいまだ脱いでいない理由は、敵意のない証だろうか?
「わが兄弟をふたりまで殺した悪魔使いとは、おまえのことか」
やおら鋭い視線で睨まれ、チューヤはビクッとふるえた。
──フェンリル。
考えてみるまでもない、そういうことになる。
「あ、いや、その……それは、流れで……」
フェンリルの妹ヘルは渋谷で、弟ヨルムンガンドは北千住で倒している。
唯一生き残ったフェンリルにとってみれば、チューヤは兄弟の仇敵。ここで噛み殺し、食いちぎって復讐を果たす動機が、彼にはある。
チューヤは、ごくりと息を呑む。
戦わざるを得ないのか──。




