26 : Day -21 : Shimura-sakaue
道はシンプルだった。
住宅街から環八に出て、あとは道なりにまっすぐ。
17~8キロほどの距離を、マフユのバイクは15分で走破したという。
「遠慮してたみたいだけどね、私にケガさせたくないって」
ヘルメットで蒸れた髪の毛をいじるサアヤのアホ毛が、ぷるんと主張した。
チューヤは、いつもどおりの幼馴染を一瞥しつつ、
「信号のある一般道を平均時速80キロってところか。警視庁はなにをやってるんだ」
いつものマフユなら倍速で走っていた可能性もあるが、そういう命知らずの非常識な女である事実こそ、マフユのマフユたるゆえんだ。
ここにいたるまでに、チューヤはすでに自力でさみし荘を脱出しており、街角を歩いている途中で待つほどもなく、高音のエキゾーストを響かせるマフユを見つけた。
環八のルートとアパートの位置から考えれば、このあたりが妥当だろうというチューヤの判断は、さすがに正確だ。
「しかしサアヤさんも、一晩たっぷり寝てツヤッツヤですね」
朝日を浴びた元気少女サアヤのモーニングスマイルは、いつにも増して輝いてみえる。
疲れきったチューヤとマフユにはさまれると、さらに際立った。
彼女は両手を腰に当て、朝日の似合う健康優良少女を押し売りしつつ、
「チューヤは薄汚れてんね。墓にでも埋まってた? はいはい、あんまり近寄らないでくれるかな」
「それはどうもすいません、ええまあ埋まってましたよ、墓よりひどいところにね!」
そればかりではない、長い一日だった。
というより世間一般、一日はこれからはじまる。
「まあ話は聞かせてもらったよ。ボン婆さんにつなげてほしいというご依頼だね」
「頼む。あたしはちょっと、ほかにやることがある」
マフユはそれだけ言って、たったいま降りたばかりのバイクに再びまたがった。
タンデムシートには、すでにサイシの首を載せたマイク改めレイチェルが乗っている。
「……ちょっとマフユ、まさか俺たちに丸投げするつもりじゃ」
あわてて呼び止めるチューヤに、マフユの応えはけんもほろろ。
「うるせえ、寄るな。──てめえにサイシ任せるわけにもいかねえだろうが」
「任せてたじゃん! ──まあ、そうね。で、どうするの。そのニワトリ娘。生き返るの?」
交錯するふたつの視線。
マフユにとってはもちろん、チューヤにとってもいまやサイシは、一定程度の感情移入をもたらす存在となっている。
「てめえはアホか。死人が生き返るわけねーだろうが」
「そんなことないよ、フユっち、あきらめなかったら」
「いや、たしかにそうだ。俺がわるかった。で、どうする?」
個人的願望を現実に混ぜ込もうとする少女を速やかにオミットし、現実的選択肢のなかから最適解を選ぶというリアルに拘泥する、半分おとなのふたり。
生き急ぐマフユは、タンデムシートのニワトリを愛でながら、
「生き返りはしねーが、生まれ変わることはできる、かもしれん。ここまでつながったら、あとは再起動かけられるのはユグドラシルだけだ。……ま、あたしの最期の望みってことにすりゃ、多少の無理は聞くだろうさ」
「最期……」
マフユはめずらしくヘルメットをかぶる。
もちろん安全のためではない、サアヤの残り香を吸い込むためだ。
「じゃあな、頼んだぜ。田宮だけは殺しておかねえと、あたしも安心してあの世とやらにいけねえ」
「……努力するよ。そもそも必ず相手より強いなんてチート、あっちゃならないことだしね」
チューヤの言葉の終わりも待たず、マフユのバイクが朝日にむかって消えていく。
太陽ほど彼女に似合わないものはないな、とチューヤは思った。
「で、どういうことよ?」
チューヤが決めた方向に、並んで歩きだしながらサアヤが問うた。
「かくかくしかじかだよ」
「そうかい。じゃ、まあしょうがないね」
「わかったの!?」
「私がいつも簡単に突っ込んでやると思うなよ。ちょっと泳がせてやればその程度の返しで、あたしゃ情けないよ」
朝っぱらから騒がしい、いつものふたり。
チューヤはいままで元気に泳いでいた人間が突然、足がつっておぼれたかのようなゼスチャーを示しながら、
「溺れる人間に漬物石を投げてくれてありがとう。どういう理屈でディスられてるのかもわからんが……まあ説明するとだ、植物系の悪魔の力を使ってチート行為におよんでいる大悪人がいるんだが、そういう系にくわしい爺さんだか婆さんだかと、サアヤ親しいだろ。とりあえず、そことつなげてくれ」
「ふーん。まあ、いざというときにお年寄りの知恵を頼るというのは、わるくない選択肢だね。そんじゃ行こうか」
軽く腕をまわし、サアヤはそれ以上の質問をやめた。
チューヤは足を止め、
「どちらまで?」
「植物といったら、堀切でしょうが。あんたバカ?」
「いや、小石川とか、水元公園とか、このまえ行った白金台だってあるじゃん」
「うっさい。ともかくボン婆さんは堀切なの。行くよ」
さみし荘からすこし歩くと、川の手線との接続駅である志村坂上に出ることができた。
すこし早いが、通勤通学時間の街並みを歩くアホそうな高校生カップルに見えないこともない。
──堀切。
終盤にもっとも重要な地名のひとつが、ついに解放された。
西新井から東武伊勢崎線に乗り換え、南へ。
あいかわらず迷いもなく路線を選ぶチューヤの横で、サアヤは情報過多だったらしい一晩の模様を、チューヤから回収する。
「李ばあさん?」
サアヤのとぼけた反問に、いつもの調子で切り返すチューヤ。
「リヴァイアサン! 桜新町で振られたろ。おぼえてないのか、イソラさん」
「ああ、エネルギーとエレクトロニクスのフンガートットがお送りしたやつね。……いたしまーしゅ」
ドン、と太鼓をたたくような動作。
サアヤとの共通点を見つけ出すのは、チューヤにとってあいかわらず難題だ。
「……なにそれ」
「いいの、チューヤに理解してもらおうと思ってないから」
「あんた、だれと会話してるつもりなんスかね!?」
お互いの意識がそうとうすれちがいながらも、どうにかやっていくのがこのバカ夫婦だ。
サアヤは今朝がた、ケートから「新しいケータイの霊界電話具合確認」のため着信を受け、ついでに昨夜の話をちょっとばかり聞いてもいるらしい。
いずれにしろ情報をすり合わせておくことは、このさい重要だった。
「海岸じゃあ、なんかいろいろたいへんだったらしいよ」
「なんだ、原潜でも見っけたか」
「うん。潜水艦のドックもあったし、密輸の倉庫も見つけたって」
冗談のつもりで言ったのだが、現実はチューヤごときの想像力の斜め上を滑走しているらしい。
チューヤは短く嘆息し、
「そーいや月島にもあったし、現実でもおかしくはないのか。ツッコミどころ満載の都市伝説だと思っていたが……」
「なんで横須賀の米軍の原潜が、東京湾の奥までくる必要があるんだろうね?」
「いや、たぶん日本の原潜だ」
「アッとおどろくタメゴロー! あ、スイースイーと」
妙なリアクションをするサアヤに、突っ込むべきかどうかしばらく悩んだが、知らないものを突っ込みようがないことに気づいてやめた。
たぶん昭和のネタだろう。むしろその反応じたいに疑義を呈すべく、
「わざとらしく、おどろかなくていいんだよ」
「ホンダラホダラカ、ホイホイと」
早く突っ込めよ、とばかりにボケを重ねるサアヤ。
チューヤは再びため息を漏らし、しかたなく言った。
「……なにそれ?」
「日本国民のくせに、ハナ肇とクレイジーキャッツ知らないの!?」
「いや猫は好きだけど……キャッツってミュージカルかな?」
「無責任男のくせに、そんなことじゃーハイそれまでヨ!」
なかなかコミカルなサアヤの動きは、世が世なら多くの同調者を得ているのだろう。
が、いかんせんここは、老人ホームではない。
「あのー」
「そこは遺憾に存じますでしょ!」
「何歳だとわかるのか、それすらわからんのだが。サアヤさんは17歳なのに、時代を超越してるね……」
最近の歌はちっとも知らないくせに、昭和となると知らない曲がない。
まさに、昭和の歌娘。
「チューヤだって、だれも知らん謎の駅知ってるじゃん」
「秘境駅だね! いろんな定義があるんだけど、たとえば新幹線だと」
「うるせぇえ!」
「ひ、ひどい。俺はちゃんとキャッツの話聞いたのに」
と、ひとしきり昭和ネタに満足したのか、サアヤがぱちんと手をたたいた。
ほっ、と嘆息するチューヤ。
編集点の合意がとれたところで、あらためて話を転がすサアヤ。
「でね、潜水艦とか補修するドックを見つけたついでに、人間と植物が合体してたらしいよ」
「とりあえずむこうも、いろいろたいへんだったらしいね」
──また植物か。
チューヤの脳裏に絡みあうシナリオも、だいぶ根深くなってきている。
これはもう、わざとやっているにちがいない。
サアヤによると、お台場あたりではベヒーモスとリヴァイアサンの戦いが激しくて、ケートがどうにか仲立ちをして、リョージはベヒーモスとオトモダチにはなれなかったものの、米原潜を巻き込んだトモダチ作戦らしきものは開始されたのだという。
政治に興味のない能天気な女子高生の説明ではよくわからなかったが、いずれにしろ、ろくでもない予感しかしない。
リヴァイアサンと呼ばれる象徴的な「海の悪魔」は、日本にどんな災厄をもたらそうとしているのか。
「すげー階級闘争がはじまってるらしいよ。21世紀にもなって、マルクス主義もないもんだ。GAMAガエルの騎士が世界を支配して、ぐるぐるロシアンスープレックスだよ!」
ベヒーモスは陸の富豪で、リヴァイアサンは貧困な海を象徴している、らしい。
かつては資源と生命と恵みに満ちた海も、現在は陸に搾取された貧困な「塩水の砂漠」と化している。
復讐しなければならない、と立ち上がったのがリヴァイアサンだ。
「なるほど、サイシの動きはそことつながるのか」
意外なリンクに、貧弱なチューヤの脳髄も多少の知的興奮をおぼえていた。
この場合、リヴァイアサンは日本を武力革命の渦に巻き込んで、場合によっては崩壊させようとする「共産党の大量虐殺者」に近い存在だ。
一方のベヒーモスは、地上の富を一手に握る魔術「グローバリズム」によってさらに大金をかき集め、その他大勢の人々を貧困のなかに置いて、わが世の春を謳歌している──というのが、革命の闘士にとっての図式だろう。
「海は怒ってるんだってさ! だから第七艦隊ぶっつぶすし、それに手を貸す日本のくそったれな大臣もシメるんだって!」
「サアヤの怒りはよくわからんが、ともかく海はお怒りなんだな」
ウミヘビのようなマフユの意思が、ぬるりと心の隙間にはいってくる感覚をおぼえて、チューヤは少しくゾッとした。
「潜水艦以外も動いてるってよ。自衛隊に注意しろだってさ。そういえばチューヤ、きのう海自の音楽隊で、なんかとってきたよね?」
「ああ、海のものは海に返した」
リヴァイアサンとつながるマフユは、将来、李ばあさんになるのかもしれない。
それにしても海自は、アメリカの太平洋艦隊、いやホワイトハウスにまでつながる「計画」のどの部分を担っているのか。
殺し屋が日本の国防に対して、どのようなインパクトを与えようとしているのか。
パンピーの高校生が、そのような事柄を忖度しなければならない事態そのものがおかしい……とは思うのだが、文句ばかりも言っていられない。
危機はいま、そこにあるのだ。
電車はゆっくりと、堀切駅に停車した。




