25 : Day -21 : Daiba
中ボス戦クラスの激闘が連続した。
最後の扉だと思っていた広間は、たしかにそれなりの雰囲気だったが、中継点にすぎなかった。
世界の富豪のセキュリティは、下手な政治家などよりも何倍も厳しい、という事実を彼らは体感的に思い知った。
リョージ、ヒナノという、近接、遠隔とも「攻撃特化」した仲間による申し分のない攻撃力で、戦闘を早期解決するポテンシャルはあった。
ケートはその高すぎる知恵を利用し、魔法防御などで支援にまわればよかった。
チューヤに代わって戦闘管制も担ったが、回復がやや欠ける部分については、その財力にものをいわせた回復アイテム爆買いで支えた。
だれかが欠ければ、だれかが補う。
人類はそうやって、全体として存続、発展してきた。
チューヤの代わりはケートがやるし、サアヤの代わりはカネで補う。
リョージの代わりにチューヤがいても、それはそれで別の戦い方があった。
「なにを考えているのかしら」
横合いからのヒナノの声に、ケートはやや憮然として答える。
「猪突猛進のあの孫悟空が死んだら、お嬢はどんな顔するかなって」
前線ではリョージが、楽しそうに群がる敵を蹴散らしている。
中ボス戦間の短い道中さえも、リョージは楽しんで戦っている。
もし代わりがチューヤなら、彼の召喚した武闘派の悪魔がそこに立ち、チューヤはいまのケートの位置にいて、ケートはさらに後方であくびでもしていれば済んだかもしれない。
「……仲間でしょう。すくなくともここでは」
つねに後方に守られ、遠隔の重爆撃魔法で大ダメージを狙うのが、ストライカー・ヒナノの仕事だ。
「だから防御支援してるだろ。……めんどくせえ」
天才の知能はダメージコントロールに長け、戦闘を最適化はするが、チューヤのようなやり方で戦線を維持管理はできない。
似たような結果にたどり着くとしても、道のりが大きく異なる。
ある部分では手を取り合い、ある部分では対立する。むしろ人間がここまで増えたのはそのためで、さまざまなトライ・アンド・エラーが蓄積されることにより、多様な未来が拓けていくのだろう。
「っしゃオラ! ……着いたみたいだぜ、意外な奥地によ」
リョージが瀕死の悪魔をブチのめして、戦闘終了。
激しい戦闘BGMの消褪に合わせて、悪魔相関プログラムによる自動リザルト。
──やおら目前に、意外なほどふつうの扉。
顔を見合わせる3人。
歴戦の彼らは、すでに直感している。ここが、最後だ。
大ボスが豪華な広間ではなく、虚飾を排した地味な奥座敷に鎮座する、というパターンを認識し、受け入れるべきときだった。
ケートはまっすぐ、そのふつうの扉を見つめ、つぶやくように言った。
「なるほど、そういうタイプか。たしかに、はっきり伝わってくるよ。見た目じゃない、実質だってな。まちがいない、ボス戦らしい。とりあえず各自、回復しとけ」
共有の「持ち物」から回復アイテムが減っていく。
地下通路に軽トラを乗り入れている非常識な道具屋を探すのもおっくうだ。
ケートがうなずくのに合わせ、リョージが扉に手をかける。
ボス戦闘直前に特有の静かな雰囲気のなか、冷たい空気が流れてくる。
そのさきに、台場の悪魔はいた。
質素ではあるが室内は意外に広く、間接照明で落ち着いた「オフィス」の様相だった。
奥の壁一面に世界地図、左右には観葉植物と高級志向の事務系什器。
中央に黒檀の広い机がひとつと、そのむこうに──横たわる巨大なカバ。
最初の印象は、そんな感じだった。
全員が緊張し、いまできることをはじめる。
デビル・アナライズは、チューヤの専売ではない。全員がインストールしている悪魔相関プログラムの基本機能だ。
その基本に「悪魔召喚」と「合体」を追加しているのが、サモナータイプのチューヤ。
リョージはスキルに特化するし、ヒナノは魔法、ケートはその両方をおぼえられる。
各々に特有のパラメータに最適なスキルや魔法をおぼえていくことが、みずからのロールをプレイするという、この「ゲーム」だ。
メタ的に状況を再整理し、あらためてボス戦に向き合う。
敵の強さを把握したうえで、自分たちの力量と比較考量しなければならない。
……厳しいな。
全員の表情が引き締まった。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ベヒーモス/妖獣/B/紀元前/パレスチナ/ヨブ記/台場
それでも自分たちがこの場に立っているということは、勝ち目があるか、それとも……別の道があるかだ。
必ず戦って勝たなければ、つぎのステージに進むためのフラグが立たない。そんなゲームばかりプレイしていると陥りがちな、思考の罠に溺れてはならない。
チューヤはよく「戦わずになんとか」している。
悪魔と会話できるのは、彼だけではない。
「とりあえず戦ってみるか?」
リョージの言葉に、ケートは意識的に、
「ああ、話してみよう」
慎重に相手の出方をうかがいつつ、まえへ出る──その足が、ぴたりと止まった。
巨大な黒檀の机のむこうに横たわる巨大なカバは、あくまで「彼のガーディアン」であることを理解する。
豪華な「社長椅子」に腰掛けて、壁のむこう一面に貼られた世界地図を眺めていた悪魔が、ゆっくりとふりかえった。
その表情に、ケートはどうしようもない違和感。
「……ダディ?」
「おう、ケートか。ひさしぶりだな、わが息子よ」
くるり、と社長椅子をまわして立ち上がるベヒーモス──西原豪介は、西原慧人の父親である。
「なんで、あんたがここにいる?」
ケートは最初の驚愕から抜けきれず、なかば呆けたような声で言った。
「ご挨拶だな。わたしの母国は日本だぞ」
すべてを知悉するかのごとき富豪、西原はアメリカナイズされた挙措で肩をすくめた。
徐々にもどってくる、いつものクールでシニカルなケート。
「……なるほど、そういやプシ子はあんたの嫁だったな」
「契約上な。ただし古典的な〝結婚〟という形態はとっていない。それでもわたしはおまえの父だし、彼女はおまえの母だ。この事実は変わらんよ」
「ふん。あんたの契約嫁は、紀尾井町のホテルに放り込んであるぜ。とっとと回収して行きな」
「そうしよう。マンハッタンで約束しているランチには、彼女も連れて行きたい」
リョージ以外の面々の脳裏には、その場合に必要な行動計画が瞬時に立てられている。
ニューヨークとの時差は13時間。直行便でほぼ同じだけの時間がかかるので、計算するまでもなく答えはシンプルだ。
「どうやら戦わなくて済みそうだな。ベヒーモスを倒して島を奪え、ってピンクのカエルは言ってたが、友だちになって譲ってもらってもいい、とも言ってたぞ」
期せずしてフラグ回収、とでも言いたげなリョージ。
だがケートの表情はすぐれない。なぜなら相手の正体を、だれよりもよく理解しているからだ。
「いや、それは……」
「あのー、ケートのオヤジさん。どうも、オレ、ダチのリョージっていいます。これ、後藤田さんからあずかってきた紹介状……」
リョージがふところから取り出した紙が、西原の動きに合わせて空中に浮かび、飛んでいく。
自動的に開いた中身を一瞥した西原は、
「ふん……献金だの談合だの、勝手にやっていろ。そう簡単に世界のマネーが動くと思うな」
ぐっ、とこぶしを握り込んだ瞬間、紹介状は燃え上がって消えた。
どうやら日本のフィクサー後藤田の影響力は、世界のヘッジファンド西原に対しては、あまり大きくはないようだ。
ケートはリョージよりまえに出て、
「だが、これからあんたのやることも簡単だぜ。この島……第六台場の権利をボクに譲れ。そして境界を解いて外に出せ。そうしたら、あんたは立ち去る。プライベートジェットまで見送るつもりはない」
西原は最高級スーツの襟元を軽くもてあそびながら、息子のかわいらしくも怜悧な、そしてこざかしい視線を正面からとらえて言った。
「なぜこの島を、あの海の獣が欲していると思う?」
「知るかよ。だいたいここは日本の国有地だろ」
「現世側ではな。境界での所有者は、わたしだよ。そもそもなぜわたしが、こんなケチな島を手に入れなければならなかったか? それは理解しているかな」
「……密輸の拠点だからだろ」
第六台場のダンジョンを降りてくるに際して、この島の役割、目的らしきものはいくつか判明している。
島は側面のひとつがはしけになっていて、地下には「ドック」もある。
ときおり「特殊な船」がやってきて、プランターらしき荷物を搬入している姿があった。
地下の倉庫の過半を埋める、両手で支えるくらいのプラスチックの鉢には、人間だか植物だかわからないものが埋まっていた。
いずれ、まともな目的に使われる場所とは考えられない。
西原は不敵に笑い、
「あれはバスタード・プラントといってな、人間と植物の混血だ。海で遭難した人間の魂や肉塊が、材料としては最適らしい。それを集めた船が、この島に集まってくる」
「陸の獣が、水死体を集めているのですか」
貴族の子女として当然に与えられるべき発言の機会を、彼女はめずらしく、みずから割り込んで勝ち取った。
西原はヒナノに視線を移し、
「これはお嬢さん、息子から話は聞い……たことはないが、どうやら学友らしい、仲良くしてやってくれ。……きみたちはすでに、陸と海の戦争に巻き込まれている。どうやら海の獣の手先となって、わたしに対峙しているつもりのようだが、よく考えろ。きみたちはわたしと同じ側の人間だ。そっちの大きな少年はわからんが」
リョージは状況をよく把握できず、なんと言っていいのかわからない。
とにかくケートの父が、あっさりとこの島の権利を譲ってくれるつもりはないことだけはわかった。
場合によっては戦うことになるのだろうか、とケートに目顔で問うと、彼は自分の父親に向き直りながら、
「まあ、この金の亡者が、そう簡単に不動産を手放すわけがないよな」
にやり、と笑う西原。
「理解が早くて助かるよ、わが息子。もちろんきみたちが戦って、無理やりわたしから奪い取るというなら、止めはしないが」
「うるさい、条件を言え。こちとら急いでる。時間がないのはお互い様だ。聞けるもんなら聞いてやる」
すると西原は大仰に肩をすくめ、
「交渉術としては最低だぞ、わが息子よ。そんなことを言ったら、簡単に足元を見られるではないか」
「やかましい、さっさと言え」
「時は金。そちらの考えも、わるくはない。いいだろう。わがクオンツよ。日本に食い込んだおまえの情報網で、日銀の動きを送れ」
「……日銀?」
壮大なマネーゲームに巻き込まれる予感。
顔を見合わせる高校生たち。
そもそもクオンツの意味がわからないリョージから、ヘッジファンドと日銀というワードに漂うマネー戦争の臭いまでは嗅ぎとるヒナノ。
当のケート自身は、さらにその数歩先までを予見している。
銀行員イソラさんのイベントからはじまって、ここまできたのだから、なるほど脈絡としては整合する。
認可法人・日本銀行。言わずと知れた日本国の中央銀行である。
「ご存じのとおり、現在は極端な円高だ。わがファンドも、強力に円買いドル売りを進めている。これまでも何度か、そしておそらくこれからも、定期的に起こるだろう……いまは戦争中なのだよ」
「あんたでも、やっぱりおっかねえのか。……日銀砲は」
幾多のヘッジファンドを吹っ飛ばした、この手の「戦争」ではいまのところ最強兵器といっていい、日銀砲。
すくなくともイングランド銀行やスイス中銀などより、はるかに強力な破壊力と実績を誇る「武器」が、日本にはある。
「ここでぶっ放されると、すこし痛いのでな。その点で、わたしの役に立つなら、代わりにこの島はくれてやろう」
この島の価値がいくらかは知らないが、日銀の動きから搾り取れるマネーの量に比べれば、しずくのようなものであるにちがいない。
──西原の脳裏にも、あの日のアメリカの関連業者の惨状は、こびりついている。
日銀が介入する日本市場は、悪夢のようなものだ。
あの日、無敵の最終兵器「日銀砲」が放たれ、業者たちにトラウマを植えつけた。
自国通貨高。
その局面では、スイス中銀をはじめ、いくつかの先例がその国の選択肢の広さを、まざまざと見せつけてきた歴史がある。
逆に自国通貨安、日本でいえば円安での介入は、あまり大規模には行なわない。
基本的に外貨準備高が勝負を決める戦場へ、かつてイギリスが踏み込んだときには、世界のヘッジファンドを相手に大恥をさらしたこともある。
その轍を踏むまいと、日本ではむしろ円安誘導かと思われるような「指値オペ」が実行されたことすらあった。
一般に長期金利をコントロールするのに使われる手法だが、自国の通貨を刷ってできる無制限な介入のおかげで、市場は「麻痺」した。
どちらが正解という話ではない。
イギリスは病気と戦って負け、日本はその疼痛に対して非常識な量の麻酔をぶちこむことで、問題を先送った。
敵はいつも、ヘッジファンドだった。
マネーの歴史についてそれなりに知っているケートは、目のまえの「ザ・ヘッジファンド」に向けて言った。
「この狂ったような円高は、やっぱあんたらのしわざだったか」
「当局のようなことを言うな。彼らはすぐ人のせいにする。急激な円高(円安)は好ましくない、か? ははは、片腹痛い」
当局者の発言は、毎度、決まっている。
財務大臣がよくやる口先介入だが、もはや介入の意味もなしていなかった。
対する受け手側、たとえば最大の貿易相手国であるアメリカ、FRBや財務庁長官は、自国にとって都合がよければ無言を貫くし、さすがにヤバいとか、どこかから鶴の一声が届けば「協調介入」に踏み切ることもある。
日本は基本的に、円安を容認する傾向が強い。
あかんやろ、とブチ切れて動いた欧米の主導でプラザ合意がなされて以降、円は高くなっていったが、変動相場制の宿命として上げ下げはつねにある。
80から160の幅で動く(多少のオーバーシュートはある)のが、直近の円相場だ。
95年の米国のドル安放置では80を割ったし、日本の異次元金融緩和末期には160さえも突き破ったが、これらは一時的に行き過ぎた例でしかない。
相場はけっして、一方向に行きっぱなしにはならないことになっている。
いま、揺れる振り子は、ついに再び80の壁をぶち破ってきた。
2011年、サブプライムの悪夢を想起させる展開だった。
マーケットは必ず行き過ぎる。そのとき冷静な人間は一定の反対売買を入れている。
計算可能な範囲の過熱を織り込んで、高値や安値で仕入れることをもくろむ──いわゆる「逆張り」だ。
どこまでが行き過ぎかは状況による。それを正確に判断できるのは「天才」だけだ。
ほぼまちがいなく言えるのは、価格は必ずもどってくるということ。
直感での逆張りは素人がやりがちだが、「本物」は計算ずくで底値を拾う。
「過熱を煽る側の人間が、乗っかる人間を見捨てて自分だけ助かろうってか」
ケートは父親を見つめ、その思惑を剔抉する。
無表情に金勘定をするタイプの父親は、
「口がわるいな、わが息子よ。もちろんそうだ」
必ずもどってはくるが、史上初の「ショック」には、どこまでが「行き過ぎ」なのか、判断基準があまりない。
世界が滅びると叫ぶ陰謀論者が力を増すなかで、そんなわけねえだろ、という正常性バイアスは現状かなり劣勢だ。
……劣勢の側にこそ、大儲けのチャンスが転がっている。
「優勢の利益を吸いながら、劣勢の大逆転劇が期待する利益まで吸い取ろうってわけだな」
「ベヒーモスとは、そういう意味だ」
ふいに、高らかに笑う父。バケモノが、と吐き捨てる息子。
相場がどちらに動いても儲ける算段が立てられなければ、世界の富豪などやっていられない。
分散投資によるリスクヘッジは、いまや末端まで行き届きつつあるが、富豪のそれは「桁外れ」だ。
それも政府日銀まで巻き込む「マッチポンプ」のインサイダーとなれば、貧富の格差など広がる以外にない。
「なぜボクが、そんなことに協力すると?」
「さあ、知らんな。どうすればいいかは、自分で計算して決めろ。きみはクオンツだろう」
高度な数学によって投資判断を左右する、経済界が誇る最先端の数学者の群れ、クオンツ。
しかし数学というより、これは政治、なかんずく軍事(諜報)だ。
それでも当局が無茶をしていると思えば、反対に賭ければいい。
イングランド銀行もスイス中銀も、各国の政策担当者それぞれ、それなりに大失敗をしている。それが「マーケット」というものであり、どこかのだれかが賭けた金が、結果、勝ち負けの判定にしたがって吐き出される。
やっていることは、たったそれだけのシンプルなゲーム。
しばらく考えてから、ケートは言った。
「わかった、契約しよう。……話は終わりだ。出るぞ、リョージ、お嬢」
動きが早すぎる。
そう考えてしまうヒナノや、まだ理解の端緒にすら達していないリョージは、高速売買が頂点を極めているこのご時世、投資には向いていないかもしれない。
「よいのですか、話し合いは……」
「ん? なに、終わったの?」
もたもたする仲間たちに背を向け、とっくにドアを出かけているケート。
「ボクたちが親子の語らいをするような関係に見えたか? いいんだよ、必要なことはやった。なにより……ボクはいそがしい」
おそらく父親よりも。
そう言いたいかのように、さっさと出ていくケートのうしろ姿を見送る父親の表情からは、感情を読むことはむずかしい。
だれもが、生き急いでいる。
このご時世、止まったら終わりなのだ。




