19 : Day -21 : Daiba
そもそも運転手は、まっすぐ進むことを決めていた感があった。
だれかが「右へ」「左へ」と指示をすればそれにしたがいはしただろうが、結局ここにいる時点で、彼らは決められたレールに乗っている。
ただ、そこにたどり着くまでに、彼らはいくつかの事実を認め、共有しなければならなかっただけだ。
「人生の分岐点、か。線路はどこまでもつづくが、ここにリョージではなく、かの鉄道少年がいた可能性は、これで消えたわけだ」
ケートのつぶやきに、露骨にいやな顔をするヒナノ。
「彼は彼で役割を果たしているのでしょう? われわれがそうであるように」
リョージは笑って、不機嫌な表情のケートから、ヒナノへと視線を移す。
「あいつも役に立つ男だよ。いやマジで、友情ってすげえイイよな」
ケートとヒナノは、互いに微妙に表情で視線をそらせた。
クルマは環二通りを直進、築地大橋を越えて埋め立てられた湾岸を進み、ゆりかもめの高架軌道に合流。
すこしまえに重要な分岐点となった辰巳ジャンクションを左手に流し見ながら、ほどなく右折。
有明──リョージがいずれ殺し合うだろうスタジアムを左手に眺めつつ、右手に見えてくる台場公園。
「デキた運転手じゃないか、お嬢」
わざわざ指示しなくても、行くべき場所を心得ている。
彼がガルーダの仮面をかぶっていることにも、重要な意味がある気がしないでもない。
「どうやら褒められているらしいですよ、よかったわね、唐沢」
「…………」
ルームミラーで目礼が返される。
高級車の静粛性と居住性に隠れてわかりづらいが、たしかに彼の運転技能には、物語の進行をさまたげない「プロフェッショナル」が満ちている。
のぞみ橋を渡り、再びゆりかもめに合流、レインボーブリッジを目指す。
ここはお台場──日本人で知らぬ者のいない、もっとも有名な埋め立て地だ。
台場アンカレイジ。
クルマはハザードランプを点滅させながら徐々に減速する。
左車線に寄り、ぎりぎりで停車。追走車が数台、車線を変えて追い抜いていく。
その視線が運転席の変な仮面をみて、ギョッとしているのをみるのは、けっこう飽きなかった。
──エンジントラブルですか?
一台が親切心で減速し、停止までしたが、運転席から降りてこちらをじっと見つめる仮面のプレッシャーに、そのまま不自然な加速をして去った。
寄せすぎて左のドアは開けられないので、背後を注意しつつ右のドアを開ける運転手は、いつのまにか十メートルほど後ろに三角表示板を設置していた。
随一の「すばやさ」を誇る彼は、プロの運転手だ。
後部をまわってガードレールを越えるヒナノたちを、頭を下げて見送る運転手。
ここからさき、召使の出る幕はない。
主人公たちの仕事場には、いま、魔窟の気配が満ちている。
レインボーブリッジ一般部に沿って走る遊歩道サウスルート。
ここが目的地「第六台場」への最短ルートだ。
さいわい日本の車両は左側通行だったおかげで、直近までクルマで近づけた。
本来想定されていないルートで、遊歩道に合流。
「アラスカ?」
「それはアンカレッジです」
リョージがボケた場合のみ、ヒナノは突っ込む。
アンカレイジは吊り橋のおもり部分のことで、強度計算上、陸上の強固な地盤に立てられのが一般的だが、レインボーブリッジの場合は東京湾の海上部分に造られている。
緑の連絡電話が設置された橋脚の横は歩道が張り出していて、徒歩ルートとして整備されていることがわかる。レインボーブリッジを歩く観光ルートでもあった。
──サウスルートP26橋脚。
もっとも間近に第六台場を見下ろせる場所だ。
「船を探さないとな」
常識的なことを口走るリョージを、ケートは鼻先であざ笑う。
「ここからさきは、もう境界だ。スキルで跳べよ、リョージ」
「手を貸しましょうか?」
顧みればヒナノも、新たにつけたガーディアンの天使ヴァーチャーに支えられ、舞い上がっている。
「……そういうことね。了解した。おさき!」
フェンスを乗り越え、鉄枠を踏み台にして跳ぶ。
間近に見えるとはいえ、100メートルほどの距離はある。どんな幅跳び選手でも無理な距離だが、リョージが新たにつけたガーディアンは──タイホウだった。
漢は好敵手との戦いを乗り越え、友情を育んで仲間となり、手を取り合って新たな冒険に旅立つ。
まさに主人公の風格、彼の名はリョージ。
巨大な羽根をはばたかせ、東方の巨人が宙に舞う。
静かにつづくケートとヒナノ。
舞台は立入禁止の島、第六台場へ。
ポケットには生首、目指すは赤羽。
これだけでもう、いやな予感しかしない。
チューヤはここ数十分で、何十回目かのため息を漏らす。
予感というより、完全に暗黒ワールド全開の設定に、辟易していた。
南に巨大なターミナル「赤羽駅」がそびえる。
AKVN14の本拠地で、アカヴァネを愛するヴァネッサたちが暗躍する巷だ。
チューヤは東京共同溝経由でむかった赤羽岩淵の記憶を想起しつつ、北赤羽の地に降り立った。
赤羽岩淵との距離は直線距離で1キロ少々。新河岸川に沿って、ほぼ同一エリアである。
環八をすこし進んで、道を曲がった瞬間、ぞくり、と背中に冷たいものが走った。
背負い袋から声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
生首がしゃべるなんて、そんなことは許されないのだ。
「……あれ? ここから、どう行くんだっけ?」
めずらしく人間GPSが動きを止めた。
北赤羽の「不気味なアパート」には一度、マフユに連れられて行ったことがある。
ただの荷物モッチーくんとしてだったが、一応、ルートは記憶していたつもりだった。
一度行ったことのある場所へは迷わずいける、で有名な、というよりもそれしか取り柄がないと自任するチューヤが、よもや道に迷うなどということは、あってはならないのだが──。
「あれえ? っかしーな、ここ曲がって……あれええ?」
迷い道くねくね♪
サアヤの歌声が聞こえた気がして、チューヤはブルブルと首を振った。
ありえないことが起こりつつある。
マフユに問い合わせたいところだが、残念ながら、いやそれほど残念でもないが、彼女に霊界電話がつながることは金輪際ない。
背中から不気味な冷気が伝わってくる。
一瞬、腐臭を嗅いだ気がしたが、いかな生首でもさすがに数時間で腐るほどの陽気でもない。
──暗いほうへ。
ふと、背中からそんな声が聞こえた気がした。
いや気のせいだよ、しゃべるわけないよ、だって生首だから。
自分に言い聞かせつつ、チューヤは脳内地図に分布している立体把握機能、人間GPSをオフにした。
曲がり角に到達するごとに、そのさきの世界の「暗さ」を目視する。
目的地に対して最短距離かどうか、ルート選択の優先順位、そんなものは関係ない。
ただ暗いほうへ、暗いほうへと選んでむかう。
効果はてきめんだった。
やはり方向感覚は無視して、とにかく、いまきた道より暗く感じられる方向へ曲がればいい、ということらしい。
人間GPSにとっては、むしろ高度な意識的行動変容を求められる局面だが、背後から伝わる圧力は確実に、彼に必要なことをやらせた。
一度きたことのある場所ではあるが、あのときはマフユに連れられてぐいぐいと目的地まで直行し、周囲を観察する暇もほとんどなかった。
いまは、見わたせる。
ここが、どれほどおそろしく奇妙な場所であるか。
「お出かけでしたね。クケケケケ……」
謎の人物が不気味に笑いながら箒で掃き掃除をしている。
もちろん笑っている時点で、チューヤにとっては友好人種だ。
「おはよう、レギおじさん」
チューヤのほうから聞こえた声に、レギおじさんと呼ばれた変な顔のおっさんは、一瞬だけ動きを止める。
声は、背中から。
チューヤはその事実を自分自身に言い聞かせつつ、自然に発動するデビル・アナライズに意識を集める。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
レギオン/悪霊/I/1世紀/エルサレム/マルコによる福音書/西永福
ごく初期に、もっぱら敵キャラとして登場し、経験値に変わってくれることの多かった悪魔だ。
一見おっさんだが、よく見ればその表情は「無数の霊魂」によってガリガリと変化している。
明確に悪魔の血筋であるが、この場ではただの枯れ木のにぎわいだろう。
その顔面が一瞬、暗黒の穴に変わる。背筋に寒気が走った。
殺気。油断していれば殺されたかもしれない。
純粋な殺意というものには、気温を下げる効果がある。
しかしすぐに、レギおじさんはギャグ漫画のようなシンプルな表情に変わり、
「……おかえりなさい」
ぺこりと頭を下げて、掃き掃除をつづける。
どうやら戦う必要はないようだ、とチューヤは理解した。
相手の強さを察して対応するのは、全世界共通のルール。
ここでもその鋼鉄のルールが適用された、ただそれだけだ。
「さみ……荘?」
板塀に、昭和としてはおしゃれを意識して、横書きにしたらしいアパート名。
そういえばマフユが言っていた。
さみしそうだ、と。
らしくないことを言うな、と聞き流していたがその意味がいまさら理解された。
なるほど、たしかに看板には「さみし荘」とある……。
所有者は宇佐美という人物で、うさみ荘が正式名称なのだが、長年の風雨で「う」が削れ落ち、荘との隙間が割れて「し」にみえるにいたり、「さみし荘」と呼ばれるようになった。
そんなどうでもいい来歴を聞いた気がするのは、たぶん気のせいだ。
「なんかのギャグかな……」
もう受け入れるしかない。突っ込むのも意味なさ荘だ。
事実、あまりにさみしそうなたたずまい、ここは呪われたアパート……。
荷物を運びこんだのは、たしか一階奥の……と先回の記憶を掘り起こす以前に、鼻をつく肉が焼け焦げたような臭気。
建物から視線を転じると、その横がちょっとした中庭になっている。
暗がりに沈んだ、その中央にちろちろと赤いものが見える。
なんとなく足を踏み出して、そこにいる人影に気づく。
真夜中の庭でゴミ燃しをしている迷惑な住人、という先入観は微妙な修正をくわえられつつ、より非現実的な視覚情報によって上書きされる。
この世界に慣れてくると、頭のおかしい状況というのにも慣れてくる。
環境要因ももちろんだが、彼女の頭がおかしいという点については、だれに保証してもらうまでもなくチューヤ自身が全身全霊、先刻承知だ。
それにしても小さなアパートの中庭で、床几に腰を落として片膝を立て、かぶきまくった戦国武将のようないでたちでプカプカと煙を吐き出している姿は、まったくもってエキセントリックという以外に表現するすべはないな、と思った。
しばらく呆然として眺めていると、どうやら産業廃棄物を燃やしているらしい炎を背に、ゆっくりと立ち上がる女。
その手に「ドクロの盃」があり、ぐいっと飲み干してからそれを炎に投げ入れ、再びキセルをくわえてチューヤにむかって歩いてくる……やはり女だ。
まったくもって、彼女がマフユではないと証明することは、チューヤには不可能だった。
「……変なねーちゃん歩いてくるよキセルくわえてランランラン」
この空間に満ちる奇妙なガスが、高校生の彼をして言わしめたのかもしれない。
一応、自分も勉強していた時期があったな、と思い出した。
するとマフユは、ヤンキーふうの文字どおり変な顔をして、
「あ? しばくぞてめえ、変なねーちゃんってのァだれのこった」
「あんただよ。てかマフユも高校生だよね、一応」
変な(ヘリウム)ねーちゃん(ネオン)歩いて(アルゴン)くるよ(クリプトン)キセルくわえて(キセノン)ランランラン(ラドン)。
高校化学で周期表右列、希ガスの覚え方としても知られている。
奇妙なガスを吐き出していたマフユに対する、チューヤにとって精いっぱいの批評精神だった。
「そうか、きょうは月曜だったな。どんな鍋が食えるだろうな」
「……おまえの曜日感覚には脱帽だよ。で、なにやってた?」
「キャンプファイヤーにみえるか?」
「アパートの庭のドラム缶で焚火してた理由? うーん、もうね、考えることすら拒否したい!」
マフユはしばらく、いつもどおり侮蔑するようにチューヤを見下ろしていたが、すぐにもっと重要なことに気づいて、ぷはあ、とチューヤの顔にキセル経由の煙を吐き出しながら、
「で、あたしの伝言はちゃんと守ったんだろうな、チューヤン」
「その呼び方やめて。……サアヤお怒りだったぞ。爆睡中に伝言ガールすんなって」
マフユは眉根を寄せ、その赤毛の内部に収まる小さい脳内いっぱいに満ちた、愛すべきアホ毛に対してのみ頭を下げた。
「申し訳ねえ……サアヤにだけは」
「はたらいたのは俺ですけど」
「はたらいたと言ったなてめえ。じゃあきっちり……」
「お届けします」
背負い袋からサイシの生首を取り出し、マフユの眼前へと差し出す。
一般的には衝撃的すぎる構図で、何重にもオブラートに包んでしかるべき事態ではあるが、闇の極点に位置するこの場所では隠すこと自体に意味がない、と判断した。
──闇の女王マフユ、そのほとんど唯一といってもいい親友、だったように思われる殺し屋サイシ。
彼女のことを頼む、と言われたチューヤがマフユのところに持ち帰ってきたもの。
生首。
さあ、どうなる。
チューヤとしては一世一代の賭博のつもりだったが、しばしサイシと見つめ合っていたマフユは、ほどなく胸いっぱいに吸い込んだ、おそらく麻薬だろう煙をサイシの唇に吹き込んで、小声で何事かつぶやいた。
チューヤにはよく聞こえなかったが、睦言のようなものらしいと認識した。
そのまま彼女はサイシの生首を手に取り、ぺろりとひと舐めして、肩に乗せた。
「最善じゃねえが、最悪でもねえ。……来い、悪魔使い」
そもそもチューヤがひとりでここまでやってきた時点で、ある程度の予測はつけていたのかもしれない。
もう帰りたいんだけど、と来るまえから思っていた言葉を口に出すことはできなかった。
アパートにむかって歩き出すマフユの背を、黙って追いかける。
化学ならぬ化け物学の道へ、悪魔使いの闇はつづく。




