18 : Day -21 : Toranomon Hills
ガルーダの仮面をかぶった運転手は、プロらしい丁寧な手さばき足さばきで顧客を目的地へと連れて行く。
外堀通りから環二通り(都道405)へわかれ、もぐる築地虎ノ門トンネルは「地下をワープ」する道だ。
さしあたり、ゆっくりと湾岸へ向けて走る車中、少年少女らの議論はかしましい。
「まだホッブスは決めていない、か。なかなか含蓄ある言い回しだな、お嬢」
モバイルモニターにむけてなにやら作業しながら、ケートは言った。
彼のような天才にとって、マルチタスクは上等だ。
「銀行関係とは浅からぬお付き合いですからね。まさかあなたとつながるとは思いませんでしたが……いえ、考えてみれば当然なのでしょうね」
「どういうこと? バカにもわかるように頼む。gotoだ、含めて」
軽く肩をすくめるケート。
ヒナノはリョージに向き直り、事ここにいたる経緯を手短に説明する。
「われわれが開始した新しい戦いは、市場経済が核心なのですよ。ひとことで言えば、マネーです。結局のところ、大金をもっている側が有利であることはまちがいない。ユダヤが銀行というものを生み出して以降、ことさらね」
「イソラさんは銀行員って話は、チューヤからも聞いたよ。なんかすげえ戦いに巻き込まれてるんだってね」
「古式ゆかしいマネーゲームではありませんが、戦場に直結する意味合いは深いでしょう。お金がなければ、戦争はできません。そして戦争を起こすことは、強制的に多くの変革をもたらします」
ケートがキーボードを撫でながら割り込んで言った。
「平和なときに十年かかっても決められないことが、軍事侵攻後の1か月で決まる。よくあることさ。だが戦争をはじめたら、もう引き返すことはできない。はじめるまえなら、まだやめられる。──ホッブスはまだ決めていないってのは、そういうことだろ」
ケートの視線に静かにうなずき、
「開戦を引き延ばしたことに、意味があると信じましょう」
答えるヒナノ。
リョージは問いを重ねる。
「で、だれとだれが戦ってるの?」
「海のヘビ、リヴァイアサンと」
「陸のカバ、ベヒーモスだよ。リョージくんのオトモダチだ」
揶揄するようにケートが言った。
リョージはさして興味もなさそうに、
「まだ友だちじゃねーけど。……ふーん、リヴァイアサンか」
この聖書に出てくる名高い怪物の名は、17世紀の哲学者トマス・ホッブスが、同名のタイトルで二冊の国家論を著したことでも知られている。
『リヴァイアサン』が理想であり、『ベヒーモス』は失敗作、という世界観だ。
当時キラ星のように居並ぶ、汎神論のスピノザ、社会契約のルソー、経験論のロック、三権分立のモンテスキューなど、そうそうたる近代思想界の一角に君臨する大御所が、なにを書いたか。
21世紀の現代に受け継がれる意味とは、なにか。
理性、合理主義など、現代につながる哲学項目が整えられた時代が、われわれに教えてくれること。
どんな国家がありうるか。
国家を選ぶのは、だれか。
その権能に期待すべきものと、受け入れなければならないリスクは。
つまるところ海の怪物と、陸の怪物、どちらを選ぶのか。
そんなシンプルな二元論に単純化していいわけはないが……。
「どこかの頭いいフリしてるやつがさ、リヴァイアサン2.0って概念を深化させたわけ。ベヒーモスのほうも同様。世界のマネーはこの2軸を中心に流れてる。でもって、ボクたちはベヒーモス側に属することになってる。あのヘビは言うまでもなくリヴァイアサン側だし、たぶんリョージもそうなんじゃないか」
理系のケートが、截然として世界を分割してみせる。
その分水嶺は厳然として、鍋部のどまんなかも貫いて流れていた。
「どういうことだ?」
「ベヒーモスは新自由主義に近いグローバリゼーションの権化、リヴァイアサンはその反対、ってのがわかりやすい構図だろうな」
陸上生物であるカバをモチーフに生み出されたモンスター、ベヒーモス。
果てしない海の彼方で想像力の限界まで巨大化されたウミヘビ、リヴァイアサン。
その陸と海を象徴する「おそろしいもの」として『旧約聖書』に設定された強大な生き物は、いまやただの「古典の化け物」では済まない概念へと展開している。
「古い形式にしたがえば、階級闘争の枠組みが近いでしょうね。富をため込む陸に対し、しいたげられた海が復讐する。富の5割を握る1%のベヒーモスと戦うため、リヴァイアサンは99%から選ばれた殺し屋を差し向けた──」
文系のヒナノは、象徴的なレトリックを交えて実相を表現する。
リョージにとっては、いずれにしてもめんどくさい話だ。
そもそも「カネ」とは、できればかかわりたくないタイプだったが、それでも義務感に駆られて問うリョージ。
「大富豪のカバと、大貧民のヘビが戦争をはじめた、ってか? いつから?」
頭のいいケートたちですら、まだよくわかっていない「戦機」である。
ケートは軽く肩をすくめ、
「チューヤがうまいことやってりゃ、まだ開戦前の小競り合いってところだろうな。が、遅かれ早かれこの戦いは過激になる。ボクたち支配者層と、きみたち貧民の対立という構図は、永久不変のテーマだからな」
「……そうだとして、だったらオレ、ベヒーモスとオトモダチになってる場合じゃなくね?」
「物事はそう単純じゃないんだよ。貧民が全員、リヴァイアサンに同意するわけがないし、逆もまたしかりだ。──腹を割って話そうぜ」
一瞬、車中を満たす静寂。
リョージ、ケート、ヒナノ、それぞれに正義があり、目指すべき未来がある。
目的地は異なるとはいえ、途中の道筋に協力できるポイントがないわけではない。
「オレらごときが、どっちに転んでもたいした意味はないような気もするけど」
「そう思ってるのはキミだけだ。リョージはじゅうぶん、核心に近い。後藤田や黒井と話が通じてるんだろ?」
「ただのイベンターの仕事だったけど」
リョージのこなした戦いが、大きな流れのひとつを決した。
これは事実だ。
ヒナノは静かに、目のまえの男子2名を比べみながら、
「そこであなたは、じゅうぶんな役割を果たしたではありませんか。その意味では、あなた方は共闘関係なのでしょうね。欧米勢力を排除する、というのが共通の立場だと思ってよろしい?」
とくに苦言を申し立てるという雰囲気でもない語調だった。
リョージとケートは視線を交わしつつ、まずはケートが口火を切った。
「ボクはそれでもよかったが、リョージがお嬢のことを気にしててね。基本的に日本の行く末は、リョージの胸先三寸だ」
「おいおい、勝手に変なもん背負わせるな。オレはただの高校生だぞ」
リョージの反応は素だったが、ケートはなかば冗談めかしつつも、なかば本気で、
「手遅れだよ。後藤田や黒井が、ただの政治家じゃないことくらいわかってる」
「だから後藤田さんは財界人だって。……まあ、そうな。老先生も言ってたが、いつか日本の天皇さんになりそうな坊ちゃん含め、いくつかの君主国には、同調者ってやつがけっこういるらしい」
ぴくり、とヒナノは反応した。
ケートはふんと鼻を鳴らし、何事かを考えるまなざしをスモークガラスの外にむける。
じっさいリョージは、かなり重要なことを言っている。
ただのケンカ好きな高校生が、東洋の神秘というドメスティックな殻に閉じこもった勢力の一味にすぎない、などと思ったら大まちがいだ。
日本の右翼でも、中国共産党でもない、リョージの世界は普遍的な力をもっている。
ヒナノが一神教という人類の半分を掌握し、ケートが数学なかんずく科学という世界の最先端を突っ走っているように。
「チューヤにばかりシナリオを選ばせるのも酷だろ。たまにはボクらで未来を決めようぜ」
ケートは皮肉な笑みを浮かべ、同級生らに視線をもどした。
「意見が合致するとも思えませんが、共通の敵を見出すくらいはできるでしょうね」
ヒナノは短く嘆息し、思慮深いまなざしを前方に投げる。
「雪が谷大塚、品川シーサイド、それから……代々木公園、だったか?」
考えることの苦手なリョージは、やるべきことを探した。
仮面の運転手がバックミラーに向けて問う。
「どちらまで?」
トンネルを抜けると、そこは分岐点。
左は日本橋、まっすぐ進めば築地から湾岸、右へ曲がれば品川だ。
自分たちの進む道を、決めなければならない。
──異常なほど長時間、チューヤはその場に立ち尽くしていた。
そうせざるをえないくらい、あの田宮という男が残した印象は強かった。
お岩を引き連れている以上、その原型は日本が誇る最凶の悪役のひとりといっていい、民谷伊右衛門だろう。
伊右衛門といえば、仁木弾正や蘇我入鹿といった、歴史上の「大悪人」に匹敵する存在感で、歌舞伎でも人気がある。
あくまで「物語」であることはもちろんだが、もしそこからあらゆる悪のエッセンスを抽出して、具現化したサイコパスが実在しうるとしたら──おそらくこうなる。
一見してそれほど人外の変化はなかったので、タイプRではない。
だが、見た目は人間でも、あきらかに「人間をやめた」空気をまとっている。
さきほどのスキル「お岩ぶっこぬき」は、あらゆるダメージをガーディアンにかぶせて、自分だけは助かろうという邪悪なプロトコルに立脚している。
チューヤはあらためて、あのような敵と戦わなければならない立場を憂いた。
──いや、もう二度と会わないという選択肢があるじゃないか、なぜそれに飛びつかなかった?
なにを考えているんだ、俺。
自問する複雑な年頃の少年の足元から突然、声がして飛び退いた。
「わたしを、連れて、いって」
ぶざまに数メートルほど退いて、その場に腰を抜かしたまま、声の出どころを注視する。
いつのまにか取り落としていた──そこには、サイシの生首が転がっていた。
わずかに動いているのは、どうやら機械部分らしい。
どうみても致命傷ではあるが、
「だいじょうぶ、なのか?」
サイシはふるえる唇で、かろうじてつぎのようなことを言った。
「データ、マフユに、届けて」
そして、動きを止めた。
これ以上、大量のデータ処理を必要とする大脳を動かせるほど、バッテリーがもたないということか。
そもそも彼女の肉体そのものには、まだそれなりに生体部品が使われていた。
だから田宮に引き裂かれた肉体は「グロ注意」の様相を呈したし、パーツなら取り換えはきくが、生体だと回復は不可能ではないにしろ、かなり困難だろう。
首を切られ、憑代によって守られていたであろう心臓も、保護を失った。
彼女が生き返れるとは思えなかったが、それでも奇跡はあるのだろうか。
「また生首のお使いかよ」
ぼやきながらも、必要なことはやった。
何枚かガメておいたイシフで切断面を覆い、首をバッグに入れる。
肉体は、もう無理だ。ステータス「-」は死体だが、すでにナノマシンが、対象を生物として認識しないレベルまで壊れてしまった。
かろうじて生物だった痕跡を残すのは、この首だけ。
いまは、これをマフユに見せたときの反応が……おそろしい。
──いつか、あたしが殺すか、殺されるかだ。
卒然、いつかマフユがそんなことを言っていたことを思い出した。
田宮。形のうえでは北の勢力に属するが、いちばんやっかいな「敵」であり、一度も「味方」と思ったことはないという。
サイシの首。
最悪のお使いイベントを、こなさなければならない。




