17 : Day -21 : Kojimachi
ゆらり、と細長い男が弛緩した笑みでサイシを出迎える。
チューヤをもってしても、その笑みが「友好の証」にはみえない。
死体の筋肉が引きつって、口角があがっただけ。
端的にいえば、そのように見えた。
「おおォ? どっかでェ、見た顔だァなあ、えェ?」
ただの泥酔した輩、という見方もできた。
アルコールは、しばしば筋肉を弛緩させるからだ。
いま、その表情が彼の持ち前の自然体で、あらゆる「邪悪」を詰め込んだ物理現象であると理解する端緒に、チューヤはついた。
一方、あらかじめ多くの知見をもつサイシは、即座にその意味を把握して臨戦態勢を整える。
「……田宮」
遠くに聞こえる、悪名高い北の暴れん坊……これが田宮飛猿黄か。
チューヤの視線は緊張の度を増す。
「女衒の巷をさすらうゥ、おれァもう待ちくたびれちまったぜェ、さっさと届けねえからよォ、自慢の娼婦を迎えにきた客のためにィ、ハラワタァぶちまけてもらおうかァ」
彼を「客」にとらねばならないとしたら、全身全霊でその女に同情する。
どんなプレイが行なわれるか、想像の域を逸脱するが、それでもなお彼の異常性を忖度しえたとは言いがたい。
「聞いていないぞ、田宮」
用心深く腰を落とし、サイシは油断なく相手を凝視する。
彼も彼女も、いうなればマフユの派閥だ。
しかし北の組織が一枚岩だなどという妄想は、マフユ自身をもって頭から排除している。
田宮は酔っぱらった勢いで、あおられて菊ゐに乗り込んできたいちばん迷惑な酔客だと、すくなくとも当初は思われた。
もちろん店側の対応は、できるだけ早くお引き取り願うことだが、ダークウェブが絡んでいるのでやっかいだった。
ブーン、と田宮の周囲にも飛んでいるイツマデは、いったいなにを記録してきて、これからも記録するのだろうか。
虹の橋のまんなかで、出会った男と女。
ロマンチックな言い回しの対極に、現状ある。
本来、女がむこう側に運ばれるべき橋を逆流してきた彼の両手は──血みどろだ。
「待ちくたびれちまったぜ、よォ、サイシ。てめえ仕事をなんだと思ってやがんだ、あ?」
くたびれた黄色いジャケットのところどころ、かなりの量の赤い染みがあるのも……おそらくそういうことだろう。
──あとから思い返して、チューヤは彼女を止めるべきだったのかどうか、しばし煩悶せざるをえない。
だが結局のところ、彼にできることはなかった。
なにひとつ、カケラたりとも。
そこで展開された事象は、さきほどの死神と霊鳥のバトルよりも、はるかに次元の異なる戦いであった。
人々はこれを一般に、チートと呼ぶ──。
脳みそが、追いつかなかった。
チューヤは硬直し、その顛末を眺める以外の選択肢がない。
ごろり、とサイシの首が木製の床に転がった。
どう、と倒れる身体。
一瞬のうちに、殺し屋は──死んだ。
彼女を殺したモノは、いぜんとしてそのむこう側に立っている。
田宮の横に一瞬みえた、崩壊した顔面の女がぶんまわされていく。
それが田宮のガーディアンであると気づくのに、しばらく時間がかかった。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
オイワ/幽鬼/C/17世紀/日本/四谷怪談/都電雑司ヶ谷
伸びた髪を引っ張られ、それがぶちぶちと抜ける痛みに、崩れた顔面がさらに歪む。
痛切な悲鳴を漏らしながら、引っ張りもどされた場所に立つ男が、こんどは彼女のしなびた足をつかんで、バックブリーカーのように肩にかつぎあげた。
男が力をこめると、ぎりぎりという音を立て、女はさらにひしゃげた骨の痛みを訴える。
「痛い、痛い、痛い、田宮、痛い、痛い」
自分のガーディアンを痛めつけるという、まさに狂気の所業。
許容範囲の広いチューヤすら、にわかに自分の目が信じられない。
「ううるせえェ、黙ってろォ、岩ァア!」
田宮は右手に女の髪の毛を巻きつけながら、その拳で彼女の顔面を殴りつけた。
彼は、みずからのガーディアンである幽鬼を、素手で殴りつけたのだ。
悲鳴をあげる化け物。
たとえ彼女の見た目がどれほど化け物であったとしても、より凶悪な化け物はその下にいる。
「なんなんだ、あんた……」
田宮はチューヤなど最初からいないかのように無視して、転がってきたサイシの生首を足で止めた。
そして死体に対する敬意のかけらもなく、そのうえにペッと唾を吐いた。
「満足に仕事もできねえ殺し屋に、殺し屋を名乗る資格はねえんだよォ。てめえの商売、もう終わりだ。あとはおれが引き継いでやんよォ」
生首の右目につま先を突っ込むと、そのまま蹴り上げる。
壁に跳ね返って、チューヤのほうに転がってくるサイシ(の頭)。
「なにすんだ!」
本能的、反射的な怒りで叫ぶチューヤ。
すると、はじめて気づいたように田宮は視線を動かし、濁った眼で彼を凝視した。
地獄というものが視線をもったとしたら、まさにこのようなものであったろう。
「あ? なんだてめえァ」
女衒の手先、娼婦の運び屋、いろいろな自己紹介が思い浮かんでは消えた。
そんな自分でありたくはないが、問われて名乗るもおこがましい自己紹介が、にわかに見当たらない。
それでも、ある程度慣れてきた生首に手をかけ、丁寧にその泥を払いながら、
「彼女の知り合いだ。……なぜ殺した?」
「ふん、仕事のできねえ殺し屋だからだよォ。金は代わりに受け取ってやる。仕事ってのはな、こうやんだよォ」
その視線が斜めに動いた瞬間、階上から爆発音。
「やりすぎだ、田宮、殺すのは、ひとりでいいはず」
ゆがんだ顔で言うお岩の眼球に親指を突っ込んだ田宮は、空気を吸うように女の悲鳴を引っ張り出しながら、
「もののついでだ、代金はサービスしてやんよ。さァて、ロキのクソに後始末してもらうとすっかい」
さっさと踵を返して立ち去ろうとする田宮に、チューヤはどう対応していいのかわからない。
ここで彼を倒したほうがいいような気もする。
だが……。
つぎの瞬間、倒れていたサイシの身体から金色の雄鶏が飛び出し、弾丸となって田宮の背中を狙った。
直後、田宮の腕が岩の髪の毛をつかみ、ふりまわす。
その場にたたき伏せられる霊鳥ヴィゾフニル。
いかに高レベルの霊鳥とはいえ、憑代を失った霊体のみで、稀代の悪役を倒しきる力はなかったようだ。
「首が飛んでも動いてみせるわ、かァ? 上等だ、砕けろ!」
田宮はげらげら笑いながら言って、もう一度、お岩をぶん投げた。
横たわっていたサイシの肉体が、めしゃり、とつぶれた。
フェイタリティ、と海外の格闘ゲームなどでは表現するような結末。
人体の破壊にともない、チューヤには意味のわからない「不愉快な笑い」を発する田宮。
チューヤならずとも、この男の精神状態を忖度することは容易ではない。
いや、そもそもそんなことができる時点で、心が病んでいる。
彼こそ、現代東京が誇る三大悪人の一角、田宮という男だからだ。
「粉砕女子! どうよ、金払う価値あるもん観れたろうが、感謝しろよな、ああァ?」
ゆっくりと、斜めうえを見上げる田宮。
カメラ目線でカウントダウンしている彼の姿に、ようやくチューヤはハッとした。
──配信者だ。
田宮の視線のさきには、イツマデがいる。
それに見せつけるように、田宮は首のなくなったサイシの肉体をひんむき、その内臓をまき散らした。
完全なるグロ動画。
──この動画は一部のユーザーに適さない可能性があります。
ダークウェブに暮らす田宮には、もちろんそんなガイドラインなど存在しない。
「おお、投げ銭かい。へっ、好きだなてめェらもよ、ヒヘヘ……」
殺人は、いまやエンターテインメントになった。
録画や配信は、すなわち証拠を残すという意味だから、犯罪者にとっては愚かな行為のようにも思われる。
しかし一方で、そこには強い「需要」がある。
たとえばリアル殺人を実況する「赤い部屋」という都市伝説。
視聴者が、首を締めろ、目をえぐってくれ、指を落とせ、などの凄惨な要求をだし、それぞれの行為に対して何十万という報酬を支払う。
実況者は金を受け取り、みずからが実行犯として拷問や殺人を行なう、というフレームワークだ。
古来からあるスナッフビデオなどの系列に連なり、この手のいわゆる「悪趣味」な人間の旺盛な需要に応えている。
あらゆる性的少数者と同様、生まれつきその手の趣味をインストールされてしまっている人間は事実いて、世界を足し合わせていけばけっこうな数にもなる。
そうして田宮は、自分が必要とされる人間だ、という自己認識を新たにするのだ──。
彼は自分が、だれよりもすぐれており、なによりも正しく、好きなことをする全権があると思っている。
まちがいを指摘されても理解できないタイプというのがたまにいるが、性根から腐っている、と表現されるべき人間の典型が、まさにこの田宮だ。
──チューヤはナノマシンを調整し、返り血に薄汚れた田宮の横顔にフォーカスする。
通常はダークウェブの配信などまともに観られるものではないが、目のまえに配信者自身がいるという都合上、プロテクションされる以前の生データを拾える。
おそらく田宮が観ているだろう同じ画像をミラーリングすることに、チューヤは成功した。
共有プラットフォームである悪魔相関プログラムを経由して、視界の端に田宮と同じコメント欄がコピーされる。
やはり田宮はダークウェブを経由して、殺人の配信を行なっていたようだ。
そしてリアルタイムで、視聴者たちの感想を横目に眺めている。
そんななか、長文のコメントに「!」がついた。注目している人間が多いということだ。
──いま警視庁のデータベースにログインした。なにが総理大臣爆殺だよ。ちょっとした手違いで起こった花火の事故、ってことで処理されてるってよ。被害は軽微、何匹かカエルが死んだだけだとさ。おつかれさん、黄色い猿。投げ銭返せよ。いや、いいや、再生乞食にくれてやらあ。
田宮の動きがピタリと止まる。
煽られるように、さっきまで殺人動画を称賛していたコメントの流れが変わる。
──だから言ったろ、前世紀の遺物みたいな爆弾なんか使えねえって。
──さんざんデカい口たたいてたな、おい、口だけ野郎。
──だれが死んだんだ? え? てめえが壊したのは、そこの人形一個だ。
──あーあ、こんな配信じゃ1コインも払う価値ねえな。
──なにがイエモンだよ、黄色い猿が、死ねよ。
チャットスペースを罵詈雑言が埋めるのは、どこの業界も同じだ。
それに対して切れる者の存在も。
「おい、だれが猿だ? てめえよ、命を大事にしとけよ。おれが行くまでな」
──は?
一瞬、静まるチャット。
つぎの瞬間、濁流のようにログアウトする回線。
田宮は悠然とイツマデ・カメラを凝視して、地獄の底から響くような低音で言った。
「おせえんだよ、てめえらがどこに接続してるか、その意味を理解してから書き込むんだったな。──よし見つけた、てめえだ。おれさまを侮辱した全責任をとれよ。境界ダークウェブを甘くみんじゃねえぞ。
探知完了、なんだ、すぐそこじゃねえか。豊島区雑司ヶ谷2丁目98-4のやつ、聞いてっか? カメラ乗っ取り、顔面把握、よォし、おっさん、もう逃げらんねえぞ。
名前は羽鳥啓介、46歳、IT会社勤務か。ははは、いまさらPCぶっ壊してもおせえんだよ。いいかおい、自殺なんかすんじゃねえぞ、おれさまが行くまで生きてろよ。きっちり時間かけて殺してやっからよ」
回線のむこうで個人情報をさらされた相手が、どれだけ戦慄しているか。
あるいはとっくに痕跡を消して境界から逃げ出しているかもしれないが、モバイル回線の一個でも所有していれば端末IDから追跡可能だし、個人情報に紐づいた出金や支払いなどを実行した瞬間、居場所が割れる。
ダークウェブを敵にするとは、そういうことだ。
彼は田宮という悪魔を煽る危険を冒し、その命をかけて清算を迫られることになる……。
この新たな獲物の出現が、どうやらチューヤを助けたらしい。
いつもの田宮なら、殺す理由は「そこにいたから」でじゅうぶんだ。
しかし言うまでもなく小物であるチューヤごとき、殺す価値すらも見いだしづらい。
その場にいたから、という理由だけで必ずしもパンピーが殺されるわけではない、という例証として記録されるべき展開だ。
いまの田宮にとって、どうでもいいチューヤなどより、自分を侮辱した池袋のおっさんを血祭りにあげるほうが、よほどの重大事。
そう気づいたときには、とっくに田宮の姿は消えていた。




