14 : Day -21 : Kojimachi
北の橋詰にむかうと……なるほど、あきらかに雰囲気がちがった。
これまできた道に連なっていた、飲食店や飲み屋による看板や装飾はきらびやかだったが、それらとは一線を画する濃厚な色合いが、この世界にはある。
「……虹の橋だ」
言われてみればたしかに、それは地底に架けられた虹の橋だった。
朱色に塗られた数メートルほどの形だけの橋は、虹色に光る擬宝珠と、欄干にべたべたと貼られた「ゆ」の札、ところどころアクセントを放つ市松模様のタイルに彩られ、湯の果ての悦楽を象徴している。
見まわせば、とても深い時間とは思えないほど、客足は絶えない。
黒い影のような亡霊たちが、1円札を握りしめて虹の橋をわたっていく。
ここは昭和の赤線地帯──。
ごくりと息を呑むチューヤ。
その場違いな姿を暗がりから見つめていた「門番」が、ずいと姿を現して言った。
「未成年ははいれませんよ」
ハッとして顔をあげる。
高校指定のブレザーのまま、こんなところにやってくる自分自身、たしかにアホかと思わないこともない。
門番は──亀だった。
正確には、亀と蛇が合体した四神の一角、ゲンブだ。
ゲンじいによろしく。
大女将が言っていた、これがゲンじいだろうか?
戦って推して参る、とイキたいところだが、もちろんチューヤにそんなことをする必要はない。
大女将からもらった赤線の札を差し出し、どうだとばかり胸を張る。
そのまま橋を渡ろうとした彼の襟首をつかみ、ひょいともちあげるゲンブ。
「へ……?」
「大女将から聞いとるよ。カゴメのバイトは橋の下だ。ほれ、さっさと仕事しなんせ」
そのまま、ぽいと投げ込まれる橋の下。
──どうやらこの札は「客」ではなく「スタッフ」を意味するものらしい。
真っ黒になって働くオキクムシたちに取り囲まれてしばらくしてから、チューヤはようやく、自分が遊郭を支えるバックヤードにいることに気づいた。
遠くから歌声が、聞こえる。
♪
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
労働者たちはみな、それぞれいそがしそうに立ち働いていた。
ほどなく彼に目を止めたカエルに、チューヤも見覚えがある。
「あ、イモリのカエル」
「ゲコッ。浮気じゃないよ、本気だよ」
言ってから、勝手にビクッとして、周囲をきょろきょろと見まわす。
そんなにおそろしい意味なら、言わなければいいのに。
「そーいやあんた、カノジョが探してたよ。むかしのアイドル追っかけてないで、現実に向き合ったらどうかな」
チューヤごときがえらそうによく言った、とサアヤが聞いたら猛然と突っ込むだろう。
カエルはゲコッ、と鳴いて、
「イモリは男のロマンだ。おれはいつか群馬に行く」
「それより東京のために働いたらどうかな。あんた……いや、失礼しました、あなたダイコク先生の秘書さんだってね? どうも、どこかで見たおぼえがあったんだ。こんなところでなにやってんスか?」
忘れていた現実を思い出したかのように、再びゲコッと鳴くカエル。
国つ神タニグクは、あらためてチューヤに視線をむけると言った。
「わが主君、大黒天は八面六臂、無双の努力で三足の草鞋を履きつぶす。おれも負けてはいられない。都政のため、国家のために、情報を集めなければならない。政治家秘書とはそういう仕事だ。……しかし、いまはただのカエル、番頭さんの言われるとおり、北の番所の差配をせねば」
きょろきょろと周囲を見まわし、手近の箒をとって仕事をするふりをする。
どうやら天井から見下ろしているゲンさんの視線を気にしているらしい、と気づいた。
しかたなくチューヤも自分の役割を思い出し、
「それで俺、この札なんですけど……」
「カゴメのバイトか。ちょうどいい、新しいカゴがそこにある。そうだ、われわれは働くことでしか、存在を認識できない。仕事があってよかったな、少年、さっさと運びな」
仕事をください、仕事をください!
遠くから小さな妖怪たちが叫んでいる声が聞こえる。
そう、ここでは仕事がなければ、消えるしかないのだ……。
チューヤは首をふり、カエルの指さす場所を見つめた。
そこには六つ目の大きな背負いかご。
ちょうど人間がひとり、はいるくらいの大きさ──。
「あの、カゴメのバイトって」
「けっこうな太客ばかりだ。せいぜいご丁寧に太鼓持ちゃあ、黄色いカタマリのひとかけらももらえるかもしれねえぜ。遣手ババアにばかり稼がせるのはシャクだよな、せいぜい気張りな、仕込みは済んでる。
なかなか、ふるいつきたくなる女だ、イモリほどじゃあないけどな。背負えるもんならおれが運びたいくらいだぜ。言っとくが、商品に手だけはつけちゃあならねえよ。地獄が待ってるからな」
カエルは親指を立てると、そのままスタスタと立ち去っていった。
たしかにカエルが背負うには大きすぎる荷物だ。
体力バカのチューヤでも、めいっぱいかもしれない。
どうやら、このかごを背負ってどこかに届ける、というバイトのようだが、いったいどこに……なにを……。
かごに近づくまでもなく、そのなかに人間らしい影があることに気づいた。
デリヘルの片棒を担がせる気かよ、あのババア、と内心突っ込みながら、こわごわと近寄るほどに、その正体が見えてくる。
最後にはとびつくように、かごに顔を近寄せて小声を張り上げた。
「ちょ、ミカ・ジョノウッチさん! なんしてんスか、こんなとこで!」
問い詰めながら、こうなった来歴について高速に思い返す。
そう──あれは、まだ1時間ほどまえのことだ。
菊ゐにもどった瞬間、こちらを目ざとく見つけたオキクムシに、まっすぐリョージのところへ連れて行かれた。
当然、旅は道連れ世は情けで同道していたミカは、一瞬考えてから、とりあえず自分なりの方法で潜入してみる、と言って別れることになった。
どこかで落ち合うことができるだろう、と漠然と考えていた矢先、まさかこんなところで。
チューヤはあわててかごを開こうとした瞬間、ハッとして動きを止めた。
周囲からの厳しい視線が突き刺さっている。
……地獄が待ってるからな。
べつに商品に手を出すつもりはないのだが、ここでかごの封を開けると、たぶんそういう意味になってしまうのだろう、と理解した。
ミカと意思疎通ができればいいのだが、なんとなく惚けているような感じがある。
介抱したいが、この場でやるのはまずそうだ。
一瞬考えてから、チューヤはかごを背負って立ち上がった。
カゴメのバイトがすべきことを、とりあえずやるのだ。
「しかし、あんたよく捕まるね。こういうプレイが好きなのかな?」
チューヤとしては突っ込んだつもりなのだが、背中に負った女からはなんの返事もない。
呼吸音や、揺れに合わせて動く重さは感じるので、意識があることはまちがいない。
意識のない肉体を運ぶのはけっこうつらいが、相手が揺れに合わせて動いてくれると運びやすい、という実感はある。
「……ふぁあ?」
惚けたような吐息が聞こえるにおよんで、ついに我慢できなくなったチューヤは、周囲をきょろきょろ見まわしつつ、隠れるように木陰に飛び込んだ。
地底に木が生えているというのもシュールだが、植栽、盆栽、プランターはどこであろうと風景として溶け込むようにできている。
──行き先は、札が指し示してくれていた。赤い線が示す方向に向かえばいいのだ。
そしてその札に導かれるまでもなく、自分がどこに向かっているかも理解していた。
遊郭が立ち並ぶ区画を取り巻くように、坂が伸びている。
そこを登ったさきには「塔」がみえる。
その塔のうえを見上げれば、地上に近い位置、空中回廊で菊ゐの上層階と直結しているさまが見て取れる。
菊ゐの上階で飲食できるレベルの太客のために、街角娼館からデリバリー、という仕組みなのだろうと察した。
そのような「客」のところに、どうやらなにか薬物か魔法らしきものに囚われているミカを運んでいくことは、まさに女衒、ポン引き、娼婦にまたがる吸血鬼の所業に等しいのではないか、と冷静に判断したチューヤ。
とりあえずミカを助け出さなければならない。
封印に手をかけ、軽い痺れを感じつつ、ビリッと剥ぎ取る。
蓋を開き横倒しにすると、ぱたり、と出てくるなまめかしい腕。
さきほどまでの切れ味のいいスーツはそのままだが、上着だけははぎ取られ、薄赤い絹の肩掛けで包まれていた。
彼女は封印の解かれたかごから出た瞬間、最初に見つけた男……チューヤに這い寄ってきて、
「おきゃーく、さん?」
べったりと抱き着き、接吻した。
濃厚に漂う女と媚薬の香り。
わなわなとふるえ、なにごともできずにしばらく硬直するチューヤ。
据え膳食わぬは……と、一瞬でも考えなかったとは言えない。
もちろん男である以上に小市民であるチューヤは、道具袋からありったけの「毒消し」系アイテムを取り出し、適用する。
かなり強力な催淫、いわゆる「魅了」の状態だったが、効果はてきめんだ。
しばらく頭の痛みに顔をしかめていたミカは、ほどなく意識をとりもどすと、
「あたしとしたことが。すまなかったね、少年」
「いえ、すまんことはないですが……どういうことですか、ミカさん」
はたと考え込んでから、彼女は照れたように笑い、
「いや、バイトをしないかと誘われてね。菊ゐの上客のところまで連れて行ってくれるっていうから、乗っかってみたんだよ」
「あんた危ないことすんね! 親御さんも、さぞかし心配でしょうよ」
「ははは、パパ・ドント・プリーチ♪ ……さて、あの塔だね。目的地は定まってきたじゃない。行こうか、相棒」
ぽんぽんとチューヤの肩をたたき、歩き出すミカ。
彼女の唇の感触を思い出しながら、あわててあとを追うチューヤ。
おとなの国へ、真夜中の虹をわたって。




