15 : Day -21 : Ichigaya
「陸の正義は信じて進み、海の正義は耐えかねる。ママの怒りはもっともで、いっそ殺せと敵をせっつく。殺さないなら、こちらが殺す。その切っ先が、機械のシノビ」
べべん、と三味線がリズムを刻む。
流しの芸人、座頭イッヒさんの声が聞こえた気がしたが、正体を確かめることはできなかった。
短い着信音に、チューヤは意識を止める。
斜め前方を歩くミカはわずかにふりかえるが、着信を気にする日本の高校生に、それ以上の注意を払おうとはしない。
チューヤ自身、よく意味のわからないメッセージだったが、すくなくともリョージが後藤田を仲介に、大牟田とのやりとりをまとめたらしいことは伝わってきた。
ただしそれは入り口にすぎず、品川の沿岸を舞台にする新しい物語のチケット・トゥ・ライドを約束されただけのこと、らしい。
──らせんの塔はバベルをなぞらえ、背負うカゴメを押し上げる。
憎悪を噛んで息絶えた女たち、ときに道連れ男たちの悪霊が、自縛の土地をかたげて連れ添い、あらゆる命数あるものを取り殺そうと襲いくる。
まあまあの難易度、とゲーム脳が評価する塔を這いあがる途次、邂逅の舞台は用意されていた。
ごろん、ごろん、と転がり落ちてくる──首。
ハッとして視線をあげた瞬間、チューヤとミカに降り注ぐ致命傷の流星。
……クナイ、と呼ばれる忍者特有の暗器だ。
戦の準備は整っているとばかり、すべての攻撃をはじき返したミカは、悠然と上方を見据える。
ぎりぎりで致命傷を回避したチューヤは、どきどきしながら場の展開を見つめる観客でしかない。
「──テロリストを発見した。オプション・ブラボー規定に基づき、通常武器使用を全承認。わが同盟国の治安にとってのリスクを、排除する」
かつて谷中の地下で見た、美しいばかりの戦女神、ペルセポネのガーディアンをまとって武装するミカ・城之内。
その視線が駆けあがるのと同じ速度で、デフコンが2から1を目指して急上昇。
アメリカが創造した、壮大なカテゴリー、「テロとの戦争」。
悪名高いロジックは、史上屈指のおどろくべきジャイアニズムを象徴している。
──テロリスト。
この犯罪者でも捕虜でもない、いっさいの権利を剥奪すべきモンスターは、他国の政権を打倒してでも抹殺すべきものと、アメリカ合衆国によって定義された。
閉じ込められた洞窟で殲滅され、あるいは砂漠で蠢くムシケラとして、高精度爆撃の餌食となるべく運命づけられたもの。
ミカ・城之内は、かの国家によって定義された戦争の準備を終えた。
「…………」
チューヤの視線の彼方、どこかで見たことのある美しい顔は、覆われて目だけが見える。
忍者の装束は全身を黒ずくめに閉じ込め、己が任務を妨げるべく登ってきた者らを睥睨する。
落ちてきた首は、彼女によって切り捨てられたものだろう。
チューヤ以外の「カゴメのバイト」が、あまりにもゆっくり塔を登るものだから、後続の敵に追いつかれた、その事実に対する制裁があの首だったのかもしれない。
──サイシの霊鳥は羽根を閉じ、静かに急降下爆撃のタイミングを待っている。
対するミカは死の国からやってきたガーディアンを背負って、すべての武装の安全装置を解除した。
「連邦捜査官の地位に基づいて、武力を行使する」
背中に浮き上がる、連邦政府によって再整備された、悪魔の武装。
公務執行中の軍隊および関連の構成員等は、その滞在目的の範囲内で行なう公務について、受入国の法令の執行や裁判権等から免除される。
「法に守られも、縛られもしない。邪魔をするなら殺すだけ」
サイシの背後に浮かぶ悪魔の武装は、高度に機械化されていた。
殺し屋が守るのは依頼人の利益であり、法律や地位協定は関係ない。任務を妨げると判断した敵は、ただちに消すのみだ。
舞い上がるふたつの肢体。
FBI捜査官、ミカ城之内。ガーディアン、死神ペルセポネ。
殺し屋、サイシ。ガーディアン、霊鳥ヴィゾフニル。
ミカは軽武装のように見えるが、その「死神」の武装が米軍特殊部隊を超えて、中ボスを瞬殺する破壊力であることをチューヤは知っている。
ペルセポネの手足は武器庫であり、つづけざまに引くトリガーのさき、炸裂する魔力の徹甲弾は薄っぺらな防御を貫通する。
──が、当たらなければ意味はない。
日本が誇るシノビの術を極めたヴィゾフニルは、世界の夜明けを告げる雄鶏の沈黙を裏付けに、闇夜に溶けて任務を遂行する。
空気よりも軽く舞い踊る忍者の暗器は、爆音を発する正規兵の武装と対照的に、静かな切っ先で敵の喉首を狙う。
交錯する特殊武装の捜査官と、忍術をインストールした殺し屋。
物語はじまって以来の──リョージにはわるいが──最高のバトルが、チューヤの目前で展開されていた。
「すげえ……かっけえ……」
言葉は要らないし、文字にもしづらい。
高速、高度、美麗、必殺の一撃が、塔の天井桟敷で交錯する。
弾丸は当たらず、手裏剣は弾かれる。
闇に浮かぶ影分身は弾け散らされ、魔力の銃弾はいくらリロードしても足りない。
双方に一流の職業人は、ともに最高の仕事をしている。
この戦いは、金を払ってでも観る価値がある──。
このままで、どちらかが死ぬ。
あるいは両方が。
──卒然、チューヤは理解した。
この戦いは、まずい。
「そうだ、俺、どうしたら」
ただの観客然として、ぽかーんと口を開け、最高のバトルを楽しむ。
チューヤにその役割をまっとうする資格は、ない。
彼は思い出した、自分が当事者のひとりであることを。
流れでいえば、ミカとともにやってきたのだから、ミカの側についてサイシ攻撃を手伝うべきだ。
だがサイシがマフユの親友であることはすでに知っているし、彼女の理屈や背景を掘り下げることもなく、ただ攻撃はできない。
できない、はずだ。
ここは冷静に考えなければならない。
なにより、一刻も早く決断しなければ──。
「ち、ちょっと待ったァ!」
叫んだ瞬間、爆弾つきの手裏剣が降ってきた。
チューヤの直上で炸裂する弾丸は、防御しなければ死んでいた。
サイシはすでに決めている。
ミカを連れてやってきた時点で、チューヤは倒すべき敵だ。
「無事か、少年?」
「……なるほど、しぶといらしい」
戦いながら、下層にぽつねんと立ち尽くすチューヤを見下ろす女たち。
その放つ一撃一撃は、確実に相手の息の根を止める決意と威力に満ちている。
自分がどれだけ周回遅れの認識にいるか、チューヤはあらためて意識した。
「はいはいはい、すいませんでした。そうだよね、俺は実力を示さなきゃいけない、話し合うのはそれからだ……ってか」
いま揃う最強の陣容を整え、戦線に参加する決意を示す。
右につくか、左につくか、あるいは──。
一介の悪魔使いが参加することによって、戦いは複雑化した。
戦場を支配するのが仕事の悪魔使いだが、ミカもサイシもチューヤよりレベルが高い。
どう考えても瞬殺されるか邪魔者でしかない役割を割り振られるべきところ、しかし彼は健闘した。
だれかが褒めてくれないなら、自分で自分を褒めよう。
自身、そう信じて疑いのない戦果に達した。
現に戦闘は、彼の「管理」によって一定の「結末」に収束しつつある。
チューヤのフィールド管理がある程度使える、と判断したミカの戦法の切り替えは、果断に新世界を切り開く新規開拓傾向の民族に連なる血筋だけあって、ドラスティックだった。
防御を切り捨て、攻撃に特化する。
1対1では微妙に相手のほうが上だったし、負けも覚悟すべきだったかもしれない状況を好転させる役に立った。
そう、彼女は悪魔使いの準備した舞台上で踊ることを肯じたのだ。
──要するに、守りはチューヤに任せた。
悪魔使いの張ったフィールドの隙間、張り巡らせた弾幕の裏側へ、ミカの弾丸が降り注ぐ。
サイシにおどろきはない。
もちろん彼女は最初から、チューヤが敵であることは理解していた。つまりいま、着実に増した負担への対応力が、ついにピークを越えてあふれただけのことだ。
全方位に対処しきれなくなった忍者が、重篤なダメージを受けて傾く。
ほぼ戦闘不能のようにみえる──サイシの機能中枢に向け、必殺の銃弾を放とうとしたミカの腕を跳ね飛ばしたのは、チューヤの悪魔だった。
あまりにも意想外の方向からやってきた妨害に、ミカは対処が間に合わない。
役に立つ味方だと思っていた、チューヤという存在への意識を再ストーミングする。
こいつはやっかいな……敵か?
一方、ただちに反撃に転じようとするサイシを、押さえつけて身動きとれなくしたのもまた、チューヤだった。
彼は手足のように動く悪魔たちを支配し、ミカとサイシの中間に立って、いつもどおり戦場のコントロールを試みる。
いや、この場合は「シナリオ選択」だ。
ミカとサイシの視線が交錯する場所に立つチューヤ。
それだけで彼は皮膚がヒリつくのを感じた。
焼灼するような視線と対照的に、冷えきった女たちの声音が耳朶を打つ。
「どういうつもりだ、少年? その女は殺し屋だ、さっさと消さないとまずいことになる」
「そうだ、殺せ。でなければ、あたしが殺す。言っておくが……」
「はいはい、懐柔はできない、だよね。マフユの友だちだからな、その点は理解してるよ」
チューヤは言って、細心の注意を払いながら薄氷の戦場を俯瞰する。
現状、ふたりのプレイヤーの動きを止めているように見えるが、下手な動きをしたら両方から切り裂かれ、殺される。
覚悟を決めて、慎重かつ的確に動かなければならない。
彼はゆっくりとミカに視線を移し、
「欧米の利益のため、外務大臣のカツラさんを殺されるわけにはいかない、それがアメリカの立場ですね、ミカさん」
「……まあ、表向きそうだけど」
両手のゴツい銃口を下げてはいるが、コンマ1秒後にチューヤにむかって発砲する可能性は、いぜんとして高い状態を維持している。
ヒリつく表情を保ち、チューヤはサイシを一瞥する。
「きみはカツラさんを殺せと依頼を受けた。だれからだ?」
「そんなこと」
「言うわけない、もちろんそうだ、わかってる。だがきみの依頼人が、もしきみへの依頼を撤回したら、どうする?」
「…………」
サイシは疑いの視線でチューヤを見る。
このガキが、いったい殺し屋仕事のなにを知っているというのか?
だがチューヤには、賭けるべきものがある。
塔を登りはじめるとき、ケートから届いた短いメールに封じられた魔術回路は、現代社会が選んだ道のりについての懐疑──そんなたいそうなバックグラウンドまで、チューヤに読み込めたわけではない。
ただ現に、世界の行く末日を占うために用意された道は、陸と海の方向にそれぞれむかって伸びている。
──どちらを選ぶか?
いずれにしろそれを選ぶのは、選ぶ権利、実力を有するものだけだ。
すなわちサイシに「殺せ」と命じた依頼人である。
「この仕事の執行を依頼したが、速やかな結果を求めているわけではない。……まだホッブスは決めていない。意味はわかるか?」
正直、チューヤにもよくわかっていない。
だがこの言いまわしが意味する世界と、サイシは確実につながっている。
眉根を寄せるミカ。
「どういうつもりだ、少年」
「日本はアメリカのケツ舐めるばっかじゃないんですよ、ミカさん。……退いてくれませんかね、この場は」
ミカは眉根を寄せ、しばらく考え込んでいたが、すぐに嘲るように彼を見下ろすと、
「あたしがいなくなったら、即、その女に殺されると思わないのか?」
「……思いますよ。ただ、彼女に選択肢を与えたほうがいい気もする。それを使ってどうするかに興味をもっていいくらいの資格が、俺にあればいいけど」
この一両日に、マフユと重ねたいくつかのミッションの意味。
他の3人と比較して、マフユのシナリオにはだいぶ遠い位置に自分がいることは、なんとなく理解している。
だが完全に離れてしまったとも思わないし、思いたくない。
マフユの道理をつなぎ留めておく必然性は、いぜんとして──ある。
「結論が知りたいなら、まずその女が消えることだ。その後、自分の首がつながっていられるかどうか、知りたければ」
居丈高に出ようとするサイシを、チューヤは鋭い視線で射すくめた。
「調子に乗るな、殺し屋。おまえは、ただの道具だ。信じないのは勝手だが、俺は依頼主の意志を中継している」
一瞬、気圧されたことを不快に思ったらしく、サイシに殺意が盛り返す。
「殺し屋を脅して、生きていられると思うなよ」
「思ってねえよ。……ミカさん、さっさと消えてくれませんかね」
チューヤにしてはめずらしく、人間への対応が乱暴だ。
ミカは軽く肩をすくめ、数秒ほど考えてから、音もなく姿を消した。
彼女にとっての判断が奈辺にあるかは、国際政治のフィルターを通してみないとわからない。
直後、チューヤの配置した悪魔を消し去るサイシ。
イニシアティブを握り返したことを実感したサイシだが、なぜかチューヤを殺す決断が下せない。
チューヤは悪魔たちの召喚を止め、非武装でサイシに向き直る。
選択肢が、積み重なっていく。




