12 : Day -21 : Kojimachi
かぽーん。
天然ヒノキとハーブの混ざった白い湯気がもうもうと空間を満たす、日本式に完成された──風呂。
さほど広くはない天然木と岩タイルの湯殿に響くのは、粗雑な高校生の突っ込み。
「呑気なもんですね、リョージくんは!」
叫ぶチューヤも、なんならひとっ風呂、浴びてはいる。
「いやあ、傷には温泉がいちばんだって言うからさ。……効くねえ」
隣にはリョージ。
傷だらけだった肉体は、速やかな「湯治」を受けて順調に癒されつつある。
菊ゐの「湯殿」は高級料亭の名に恥じない──否、それ以上の顧客満足度を担保する旅籠である、という評判に偽りはない。
「で、あのおっさんは?」
左右に視線を走らせながら問うチューヤ。
当然ここにいるべき人物の姿が見えない、気がする。
「おっさん? ああ、丹下さんなら下の共同浴場に行ってるよ。──それよりソージ、どうだった?」
丹下の薄汚い裸など見たくない。チューヤは安堵しつつ、
「ああ、ちゃんと生き返ったよ。おまえすげえな、まじ主人公キャラ。たとえるなら、牙一族をだましたケンシロウ、みたいな?」
「よくわからんが、助かってよかった。また強くなったソージと戦いたいな」
お湯から出した拳をグッとにぎるリョージ。
チューヤは苦笑するしかない。
こういう人間だから、いわゆる「仲間」が増える。「ナカマ」しかいない悪魔使いには、とうてい真似はできない……。
「ところで、神農ってどういうひと?」
「ああ、魔王も癒すと評判の神農さんな。紹介しろと、このまえマフユにも言われたよ」
「あーね、そういうつながりか」
話せば話すほど、納得できる部分が多い。
まだ友人らとじゅうぶんな情報共有がなされていないことを自覚しつつ、リョージのつぎの言葉を待った。
つながりというのは、とても重要だ。
その連鎖をたどって、いま、自分たちはここにいる。
「……菊ゐってのはさ、だいたい4階層あるらしいんだわ」
チューヤは目を閉じて、ぶくぶくと湯舟に鼻まで沈んだ。
リョージが長い話をはじめるのはいつものことで、最終的には納得できる答えに帰着することは知っている。おとなしくうなずきながら、
「だいたい、ってのがわからんが、まあそのくらいかな。地上は2階だったけど、地下はもっとあったような気も……」
「いや、そういう意味の階層じゃなく。1階層は地上部分、割烹・菊ゐの顔、まあ料亭ってことだ。美味なる料理をふるまい、客をもてなす場所だな」
日本とアメリカを除く海外には「0階」という概念があって、日本の1階は海外では2階に相当するので注意が必要だ。
地下1階の意味は世界共通である。
「なるほど」
「2階層は地上に近い地下部分、オレらも参加した娯楽の階。歌舞音曲から各種エンターテインメントをとりそろえてるって」
小菊が歌ったのも、リョージが戦ったのも、地下2階だ。
「その流れだと、3階層が、この温泉ってことか?」
「察しがよくて助かる。おおむねそういうことだ。ここは内湯だが、もっと下の階では銭湯だし、さらに下には混浴もあるってよ」
4階層以降の「仕組み」が、なんとなく察せられた。
「混浴……」
「あはは、お嬢でも誘って行くか?」
「リョージの場合、冗談にならないからそういうこと言うのやめて。……なるほど、丹下のおっさんが下に行った理由は、よくわかったよ」
と、そのとき湯けむりのむこうから、おどろくべき声が発されて、チューヤは文字どおり跳びあがった。
「18禁だからね、あんたらは下には行けないよ」
あわててリョージの影に隠れるチューヤというバカ者。
湯気に目を凝らすと、巨大な頭を揺らしながら近づいてくる──老婆。
「ああ、どうも、大女将。いい湯っスね」
意外に平然としているリョージに、逆におどろく。
「本場、銭瓶橋から引いてる伝統の湯だからね。あったまるだろう」
「いやあ、マジですわ。温泉はいいっスね。……ゼニガメ?」
温泉の本場がどこかという議論には、日本人であれば各人各様、一家言ある者もすくなくない。
しかし、その本場として「銭瓶橋」の名を出す者は、それほど多くはあるまい。
──ともかく現状はふつうにありうる状況らしい、と無理やり自分を納得させつつ、おそるおそるリョージの影から出てくるチューヤ。
「デバガメの語源かな」
「どっかの警部じゃね?」
どちらもちがう。
日本における銭湯(湯屋)は、1591年、銭瓶橋周辺に伊勢の与一が開業したのがはじまりといわれている。
現在の千代田区大手町あたりだ。
当時の銭湯は風呂というよりもサウナに近かったようだが、あっというまに600軒もの湯屋があらわれ、江戸文化として定着していったという。
「内湯ってことは、ここ大女将さんの部屋なの?」
「ふだんは客用だよ。ときには従業員用にも使われる。……それにしても、きょうはどうやら高い薬湯らしい。まあ、琴が奮発する気持ちもわかるね」
琴、つまり目のまえの老婆の娘である女将の判断で、リョージに高価な「薬湯」がふるまわれている、ということのようだ。
そこになぜ、この老婆まで混じっているのかはわからないが、チューヤも混ぜてもらったのだから、というロジックも正しいのかどうか。
──落ち着け、おばあさんじゃないか、と煩悩を振り払おうとするチューヤの努力は空を切った。
逆に老婆のほうが、リョージに好色な視線をむけているような気がする。
そしてそれをチューヤ自身、理解して同意した。
なんなら自分も、リョージの肉体美については惚れてもいいくらいだ。
「で、あの……4階層って?」
煩悩に首を振りつつ、チューヤは問いを重ねた。
老婆は地味にリョージに寄りながら、
「いまはあまり時間を区切ることもなくなったが、真夜中に虹がかかるのは、もっぱらこの下、4階層だね。飯を食い、娯楽を楽しみ、温泉につかったあと、さあどうするね」
寝る、と答えた瞬間、あんたはアホなのかい、という視線を受けて、チューヤはさらに考えを深めた。
「ええと、真夜中に本番を迎える、温泉のあと……」
「なるほど、夜の歓楽街ってことか」
何事か考えこむリョージ。
真夜中にかかる虹の意味が、ひどく生々しく心に襞にすべりこんでくる。
「このご時世、もちろんそんな宣伝はしないがね。この手の〝接客業〟は全国各地にある。日本全国……いや、全世界に同じ需要があるからだよ」
「……あのう、それじゃ、俺らがこうして呑気に温泉につかっている理由って」
チューヤが要点に切り込んだ。
真夜中はずっと真夜中だが、問題は「虹」らしい。
入浴をはじめた正確な時間は忘れたが、1時は過ぎていたように思う。
とすれば2時までは、あと30分くらいだろうか。
「油断がならない瞬間が、必ずある。その瞬間だけはね、だれにも防げないんだよ。だから殺し屋にとっての狙うべき瞬間も、逆算できる」
すでに必要な情報を得ているチューヤは、必死に考察を進めた。
──菊ゐに潜入した殺し屋は、真夜中の虹に合わせて動く、ということか。
「それで、ええと、政治家のみなさんは」
「お客さまのことを、あたしの口から言えるわけがない」
ここまで甘やかしておいてそれはないだろう、と苦言を呈したいくらい、老婆の答えはそっけない。
そのとき湯けむりのむこうから、艶を帯びた女の声──どうやら女将のようだ。
「カンタの息子……リョージさん、お召し物の洗濯が済みました。新しいものも、置いておきますね。よろしければお見立てしましょうか?」
「あ、どうも、琴さん。ええと……」
横では母親である老婆が首を振りながら、わが娘の態度をなじる。
「若い娘みたいな声を出しょって、気恥ずかしい……。まあ、このタイミングならなにごともなかろう。甘えときな、カンタの息子」
「そっスか、それじゃ」
拘泥なく立ち上がり、出口へ向かうリョージのあとを、中腰で追おうとするチューヤの腕をむんずとつかむ、骨ばった老婆の腕。
ひっ、と短い悲鳴を漏らすチューヤに、老婆は憮然として、
「なんだい、その態度は。いいからここで、すこし待ちな。男が嫉妬深いってのは、いただけないよ」
チューヤはリョージの去った方向を未練がましく眺めつつ、しかし老婆の手を強引に振り払うこともできない。
「あ、いや、そういうつもりじゃないんスけど、でもねおばあさん」
「大女将とお呼び。あんたにはあんたで話がある」
ぽちゃん、としかたなくその場に沈むチューヤ。
リョージにはリョージの、チューヤにはチューヤのシナリオがある……。
湯船のなか、チューヤは静かに大女将の言葉を待った。
たしかに彼女には世話になっている。リョージに対して張り巡らされていた罠も、彼女の助言のおかげで解決したようなものだ。
冷静に考えれば、店の被害を最小化するために利用された、という見方もできないこともないが。
「それで、話って?」
「頼みがある。聞いてくれるだろうね?」
チューヤは短く嘆息し、なるべく話をややこしくしない最短距離を選んだ。
「えーと、もちろんです。それがRPGですから」
「それじゃフラグ立ててあげようね。あんまり広言されたくない話なんだが」
チューヤは短く嘆息する。
この手の流れには、いいかげん慣れきった。
「よくありますよね。名門の一族なんかを筆頭に」
「まあうちは名門ってわけじゃないけど、人気商売の娘はいる」
「コッコちゃんからずっと、俺はチーム・ベジタブルのファンということになってますから、安心してください」
「最近の商売についちゃよくわからないが、もちろんあんたは味方だろうね。……うちの娘には、小菊以外にも子どもがいてね。小菊とちがって、父親がだれかはわからないんだが」
うちの娘、つまり琴さんだ。
彼女の子ども、つまり小菊ちゃんは、AKVNのセンターである。
それ以外に子どもがいて、父親がだれかはわからない──。
「なるほど」
うなずいて納得する以外の選択肢は、チューヤにはない。
大女将は、ひそめた声にかすかな悲しみをにじませ、
「その子がね、六本木で……ホストってのをやってるんだよ」
「あー……」
あまりにもわざとらしすぎて、若干気持ちわるくなってきた。
とりあえず朝4時に、サアヤをたたき起こして相談する理由は見つかった。
「その子がね、もうすぐ殺されるらしいんだわ」
「えー……」
さっきからアホのような間投詞のさきがつづかない。
要するに彼女の孫が、だれかに殺されるという予告を受けているのだろうか?
「孫が死ぬというのを黙ってみているのは、あんまり気持ちのいいことじゃない」
「で、しょうね。いろいろ問いただしたいことは、山のようにありそうな気はしますが、とりあえずそのひとのお名前は?」
「セイ、とかいう源氏名らしいよ。本名は聖だ。祇園精舎とかいうホストクラブのナンバーワンらしいね」
「ギオン……いや、ただのショージャですね、たぶん……はい、残念ながら知ってます」
もちろんサアヤほどくわしくはないが、ナンバーワンのセイというひとを遠くから見たことは、たしかにある……。
大女将は、すこし安心したように言を継ぐ。
「あの子は言っていたよ。ペンネは岩のように固くて指紋がつくし、浅漬けのパックは三回ほど裏ごしが足りないだろうってね」
「さっぱりわかりませんが」
老婆の飛躍した誤解を正すためには、きわめて高度な連想を必要とする。
頭のいいヒナノなら、頭をやわらかくして正解にたどり着いたかもしれない。
たとえば、ペテロは岩のような信仰のシモンで、パウロが朝までに三回裏切る、というような「物語」を下敷きにしているのではないか、と。
出典はもちろん『新約聖書』だ。
「人類のために、犠牲になるんだとさ」
そこまで言われると、チューヤもなんとなく察するところはある。
聖書を熟読したことなどはもちろんないが、ヒナノと話を合わせるために、また天使との交渉においても、素養としてあらすじくらいは知っておいて損はない。
「つまりそのセイさんは、キリスト教徒なんですね?」
「とんでも発奮、歩いて十分。ごりごりの仏教徒さね」
「……はあ?」
混乱が止まらない。
チューヤは首をかしげて、仏教店にそのような神話、仏説、エピソードがあるのかと考えてみる。
さっぱり答えは見つからなかった。
すると大女将は、どうやら重要らしいキーワードで締めくくる。
「西と東をつなげるんだとさ。東で生まれ、西へ旅立ち、極東へもどった聖の意味は等しいとかなんとか」
「なるほど、わからん。月刊『ヌー』の編集長に意見を聞いたほうがいいのかな」
チューヤの脳裏には、謎のワードが未解析の形で、そのままホールドオンされる。
──ブッダとキリストの共通性について議論になることは、よくある。
敷衍すれば、キリストと聖徳太子は同一人物である、という話まで広がるのだが、もちろん都市伝説だ。
どちらも厩で生まれ、宗教的な聖人となった。
ユダヤの失われた十支族とともに、極東の聖地に契約の箱を運んだ。
そしてキリストは、青森で死んだのだ……。
徐福がきたり、アヌンナキがきたり、アレキサンダー大王が神武天皇になったりと、この界隈にはおもしろい話が多分にある。
もちろん隣人はレプティリアンであり、プレアデス星人は広島に多いのだ。
「冗談じゃなくなってきている部分は、すくなくないよ」
「ああ……耳が痛いですな」
考えてみれば、悪魔を使役して神と戦っている時点で、すでに突拍子もない。
荒唐無稽な世界に生きている事実を、重ねて理解せねばならぬ。
「……ほんとは18禁なんだがね、これをやろう。あまり迷惑をかけるんじゃないよ」
老婆はそう言うと、肩までつかった湯舟のなかから、木札のようなものをヌッと差し出した。
手首にかける紐のようなものがついているところをみると、ロッカーのカギか、あずけた荷物の受け取り証のようなものとも思われる。
白い湯をしたたらせる、赤い線のはいった小さな板。
ぽーんと放られ、あわてて受け止める。
「18禁、ですか」
どうやらこれで、4階層から下の世界に行けるらしい。
──そこで、やるべき仕事をやる。その後、老婆の仕事を請け負う、と。
チューヤは湯屋で油断していた脳細胞に、新たな情報をたたきこむ。
あいかわらず眠っている時間はなさそうだ。




