第9話
合図とともに、窓の幕が引かれた。
審査はまず灯火での見え方を確かめ、その後、幕を開けて試験板の色と質を比べることになっていた。
大広間のあちこちで、ランプに火が入る。
カシアンは中央の展示卓のそばに立った。ここに並ぶ品だけでも、見るべきものは十分にある。審査員の道筋から外れた柱の裏まで、誰も回らないだろう。
アルノは手を落ち着けてから、灯芯へ火を移した。
小さな炎が立ち、青い硝子の面が明るくなった。
その背後の白壁に、ゆるやかな濃淡が浮かぶ。濃い青の隣では、薄い部分の色が朝の空のように透けていた。下縁の琥珀色も、台の近くに細い明かりを落とす。
エレーナは火の大きさを見た。昨夜と同じだ。
アルノが、ほんの少し頷いた。
「あの奥にも、作品があるのか」
大司教が足を止めた。
柱の脇からのぞく色に、国王も顔を向ける。
「近くで見よう。ほかの灯りとは、色の落ち方が違う」
典礼局長は手元の報告を畳み、二人に続いた。
カシアンの喉が鳴った。
柱の裏へ追いやった灯りが、広間から見えるはずがなかった。硝子を通った色が背後の壁に映ることなど、箱の中をろくに見もしなかった彼は知らない。
審査員たちが、柱の脇へ入っていく。
「へ、陛下! お待ちください!」
カシアンは思わず進み出た。
国王が振り返る。衛兵の手が、彼の前を遮った。
「典礼局のカシアンでございます。その作品は、正式な展示品ではありません。基準に合わないため、一時的にこちらへ」
「どの基準に合わない」
典礼局長の声だった。
「それは、技術面の問題が」
「検査済みの四十二番だと、今、報告を受けたところだ。説明しなさい」
局長が紙を開いた。
エレーナも、受領証を差し出した。
「こちらが頂戴した控えです。技術係の確認印と、カシアン様の受領の署名がございます」
局長が二つを並べる。
カシアンは自分の署名を見た。
先ほど、面倒だと思いながら書いたものだった。
「局長、配置図はこちらです」
ローエンが進み出た。
「四十二番の指定位置は中央の第二展示卓です。変更命令は確認できませんでした。カシアン殿からは、作品が粗雑なのでご自身の判断で場所を替えた、と説明を受けています」
「こいつの聞き違いです! 私は現場の混雑を避けるため」
「それでは、基準に合わないという今の説明は何だ」
カシアンの口が止まった。
局長は、近くにいた技術係も呼んだ。係官はその場で、試験板と書類を確認した。
「必要な検査はすべて通過しています。規定外ではありません」
カシアンはエレーナを睨んだ。
彼女が紙など残さなければ。余計なことを言わなければ。
「これは、エレーナが僕を陥れるために」
「カシアン!」
局長が一喝した。
「彼女が君に、虚偽の説明をしろと命じたのか!」
広間が静まった。
エレーナは受領証を持つ手に力を入れたが、言い返さなかった。今、答えるべきなのは自分ではない。
カシアンの額を汗が伝った。
「君を担当から外す。記録を保全したうえで、改めて事情を聞く。別室で待ちなさい」
「局長! こんな人前で、私を」
「人前で正規の出品者を侮辱し、虚偽の申告をしたのは君だ」
衛兵が両脇へ立った。
カシアンは一歩退き、エレーナへ顔を向けた。
「エレーナ、誤解だと言ってくれ! 君なら僕の立場が分かるだろう!」
アルノが半歩だけ、彼女のそばへ寄った。
エレーナは彼の腕に触れてから、カシアンに答えた。
「私たちは、審査を受けに来ただけです」
カシアンの腕章が外された。
自分の担当だと言って振りかざした印を、目の前で別の係官に渡される。
彼はなお何か言おうとしたが、誰も聞き返さなかった。
局長は出品者たちに謝罪し、四十二番を正規の位置へ戻すよう命じた。
マティス工房だけが有利にも不利にもならないよう、すべての作品を同じ順で見直す。
エレーナとアルノも、もう一度点火をした。
明かりの中で比べても、青は濁らなかった。幕を開けて試験板を窓辺へ移すと、昼の光ではまた違う明るさを見せた。
建築局の技師が、板の厚い部分を指した。
「この色を、高窓へ使う時はどうする」
アルノは一礼した。
「大きな一枚にはせず、小さな面を枠で支えます。同じ焼き方で何度か試し、割れや曇りを確かめてから、建築局の方と寸法を決めたいと思っています」
「量を揃えられるか」
「そこは、他の工房の手を借りたいです。配合と焼き方の記録は残してあります」
声は硬かったが、話すうちに、いつもの仕事の顔になった。
大司教はエレーナへ尋ねた。
「この青を選んだのは、あなたなのか」
「二人で選びました。濃い青ばかりにすると、火を灯しても暗く見えましたので、明るい部分を残しました」
エレーナは指さす前に手を止め、アルノを見た。
彼が頷いたので、試験板の端を示す。
「ここです。隣の色が濃いと、この薄いところがよく見えます。朝の光でも、同じところに目が向くようにしたくて」
「よく見ている」
技師が記録を取った。
国王はアルノへ視線を戻した。
「製作者として、申し添えることはあるか」
「はい」
アルノは今度は迷わなかった。
「配合の試験は私がしました。ですが、どの色を残すかを決めた記録は、彼女がつけています。採用していただけるなら、助手の名も、仕事の記録に残してください」
エレーナは彼を見た。
王の前でも、彼は先ほどと同じ調子で、自分のしたことと彼女のしたことを分けていた。
「名は」
「エレーナ・ヘンドリックです」
今度は自分で答えた。
書記官がペンを走らせた。その音を、エレーナは聞いていた。
すべての審査を終え、夕方になって結果が告げられた。
採用は、マティス硝子工房の「暁光のランプ」と、その色彩設計。
本工事は建築局の監督のもと、窓枠の工房や大きな窯を持つ工房と協力して進めることになった。
アルノは一度、聞き間違いを確かめるようにエレーナを見た。
エレーナが頷くと、ようやく笑った。
その手が伸びてきたので、今度は右手でしっかり握った。
「できましたね」
「ああ。親方に、早く知らせよう」
拍手の中で二人の手が離れずにいるのを、エレーナはしばらく忘れていた。
三日後、典礼局の査問室で、カシアンは木の椅子に座っていた。
机には、受付の原簿、配置図、署名した受領証が並んでいる。職人たちの証言も揃っていた。
言い訳を変えるたび、自分の署名を示された。口の中が乾き、借りた水差しも空になった。
最後には、自分が場所を変えたと認めるしかなかった。
「カシアン・ラインフェルト。典礼局より免職とする」
局長が処分書を置いた。
「出品者への恫喝、独断による展示変更、審査員への虚偽の申告。公務を任せることはできない。王宮への出入りも禁止する」
「待ってください! 父に知られたら、私は」
「伯爵家にも、経緯を送付する」
カシアンは処分書を押し戻しかけた。だが、取り上げてくれる手はなかった。
私物をまとめるために自席へ戻ると、名札はすでに外されていた。
隣の同僚へ声をかけたが、「鍵を返してくれ」とだけ言われた。
実家で待っていた伯爵は、怒鳴るより先に手を差し出した。
「家の印章を返せ」
「父上。私は、セレナを守ろうと」
「そのためなら、王宮の仕事まで偽ってよいと教えた覚えはない」
伯爵の机には、典礼局からの報告と、店から届いた請求書があった。
「今日限りで、この家を出ていけ。今後の手当も打ち切る。この家を支払先にした買い物も認めん。すでにお前が作った借りは、お前自身で返せ」
「そんな! 給金まで失ったのに!」
「失った理由を、まだ人のせいにするのか」
カシアンは兄を見た。
いつもなら父を宥めてくれる兄が、今日は視線を戻さなかった。
家の印章が刻まれた指輪を抜く手が震えた。
屋敷を出る時、従僕は彼の荷物を渡したが、馬車は用意しなかった。車寄せの屋根の外では雨が降っていた。
「セレナ」
カシアンは荷物を抱えた。
あの子のためにやったのだ。あの子だけは、自分を受け入れてくれる。
そう呟きながら、彼は雨の中へ走り出した。




