第十七章海が呼んでいるのでpart2⑦
轟音が落ちた。
璃子が一瞬、身を縮める。
その直後だった。
大粒の雨が、いきなり砂浜を叩いた。
「あ、やば――」
言い終わるより先に、風が吹き抜けた。
璃子の髪が大きく乱れる。
湊が咄嗟に璃子の肩を抱き寄せた。
「璃子、走ろう!」
「うん!」
二人はそのまま走り出した。
数秒もしないうちに、雨は景色を白くした。
「なにこれ!」
「急すぎるだろ!」
「前見えない!」
「こっち!」
湊の腕が璃子の肩を抱いたまま、身体を引き寄せる。
突風が吹くたび、二人の身体がぶつかった。
璃子も湊の服を掴む。
髪も服も、もう濡れることを気にする意味がないくらい濡れていた。
雨粒が顔に当たる。
息をするたび笑いそうになる。
「湊、ちょっと待って!」
「大丈夫?」
「大丈夫、走れる!」
「あそこ!」
少し先に屋根が見えた。
二人は雨の中を駆け抜け、その下へ飛び込んだ。
「っはあ……!」
璃子が壁際まで走り込む。
湊もすぐ隣へ入った。
屋根を叩く雨音が、頭の上で弾けている。
外はもう、少し先も霞んで見えなかった。
「璃子、大丈夫?」
湊がすぐに顔を覗き込む。
距離が近い。
「うん。」
「怪我してない?」
「してないよ。」
湊の視線が璃子の顔から腕、肩へ動く。
「寒くない?」
「まだ大丈夫。」
「タオルは?」
「車。」
「そっか。」
湊が外を見る。
「体冷やすなよ。少し弱くなったら、すぐ車戻ろう。」
「うん。」
璃子は頷いた。
湊はまだ璃子を見ていた。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だって。」
「ならいいけど。」
濡れた前髪から、水が落ちている。
シャツも腕も、全部びしょ濡れだった。
璃子はそれを見ていた。
数秒して、
「……ふふっ。」
「なに?」
「湊もびしょびしょだよ。」
「え?」
湊が自分を見る。
胸元。
腕。
ズボン。
「……ほんとだ。」
璃子が吹き出した。
「今気づいたの?」
湊も笑った。
「全然見てなかった。」
「なんでよ。」
「璃子が大丈夫かしか見てなかったから。」
璃子の笑いが、一瞬だけ止まった。
湊はそんなことにも気づかず、もう一度外を見る。
「これ、しばらく無理そうだな。」
璃子は黙って、その横顔を見る。
雨水が顎から落ちている。
さっき夕陽の中で見た横顔とは、全然違う。
髪もぐしゃぐしゃで、服も濡れていて。
少しも格好なんてついていない。
なのに。
また胸の奥を、何かが突いた。
「……ふふ。」
「だから何(笑)」
「なんでもない。」
璃子は笑いながら濡れた髪を掻き上げた。
外では雷が鳴っていた。
風が吹き込み、璃子がわずかに肩をすくめる。
湊がすぐに気づく。
「寒い?」
「ちょっとだけ。」
「こっち来な。」
湊が風の入る側へ立った。
璃子との距離が、また近くなる。
「もう少ししたら車戻ろう。」
「うん。」
さっきまでなら、湊を見ながら何かを考えていた。
手とか。
横顔とか。
癖とか。
けれど今は、もう何も探していなかった。
雨音の中で、璃子はただ隣に立っていた。
少しして、湊が璃子を見る。
「寒くなったらすぐ言って。」
璃子は頷いた。
「分かった。ありがとう。湊。」
その声は、自分でも少し驚くほど素直だった。




