第十六章 海が呼んでいるのでpart2⑥
車に購入した荷物を置いた後、二人は再び海へ向かった。
昼間に歩いた道だった。
しかし、海へ近づくにつれて見えてくる景色は、わずかに異なっていた。
空はまだ明るい。
それでも太陽は傾き、建物の影が道の上に長く伸びている。
「結構歩いたね。」
璃子が言った。
「歩いたね。海だけ見て帰ると思ってた。」
「私も。」
「アジフライまで食べたし。」
璃子が笑う。
「また言ってる。」
「今日の重要事項だから。」
「じゃあちゃんと覚えといて。」
「覚えてるよ。」
「ほんとに?」
湊が横を見る。
「璃子が勝ち誇ってた顔も。」
「そこまで?」
「そこまで。」
璃子は小さく笑い、前を向いた。
海が見えてきた。
昼間は強い光の中で青く輝いていた水面に、今は橙色の光が細く差し込んでいる。
波打ち際にはまだ数人の人影があったが、昼間よりもずっと少ない。
二人は砂浜へ降りた。
「全然違うね。」
璃子が海を見ながら言う。
「うん。」
「昼も綺麗だったけど、こっちも好き。」
「俺も。」
璃子は靴先で砂を軽く蹴った。
「今日、来てよかった。」
「うん。来てよかったね。」
少し先を歩いていた璃子が振り返る。
「運転ありがとう。」
「どういたしまして。」
「帰りもあるけど。」
「そうだった。」
二人で笑った。
風が吹いた。
昼間の熱をわずかに残しながらも、肌に触れる空気の温度はすでに変わっている。
璃子は髪を耳にかけた。
湊は海を見ていた。
夕陽が横から顔に当たっている。
昼間、助手席から何度も見ていた横顔。
鼻に触れる癖も。
ハンドルを握る手も。
思っていたより長い脚も。
一日の中で、これまで知らなかった湊の姿をいくつも目にした。
璃子はわずかに視線を留める。
風で前髪が揺れた。
湊がこちらを向いた。
「どうした?」
「ん?」
「見てたから。」
璃子は一度、海へ視線を戻した。
「見てた。」
「そうなんだ。」
「うん。」
少し間を置いて、もう一度湊を見る。
夕方の光の中では、昼間よりも輪郭が柔らかく見えた。
璃子はその感情が胸を突くと、なんだかずるい。
そんな言葉が、自然と浮かんだ。
璃子は何も言わず、再び海に視線を戻す。
「写真撮る?」
湊が言った。
「撮りたい。」
二人は海を背にして、何枚か写真を撮った。
璃子が写真を確認する。
「これいい。」
「ほんとだ。」
「今日いっぱい撮ったね。」
「珍しく俺も撮った。」
「いつも撮らないの?」
「ここまでは。」
「じゃあ今日は特別だ。」
湊が画面を見ながら笑う。
「そうかもね。」
璃子も笑った。
二人はそのまま波打ち際を歩いた。
話して。
少し黙って。
また何かを見つけては言葉を交わす。
陽が海へ近づくにつれ、会話の間は少しずつ長くなっていった。
璃子は波の音に耳を澄ませていた。
隣には湊がいる。
風が再び吹いた。
肩が触れた。
二人はそのまま歩いた。
やがて足を止める。
水平線の近くにあった橙色は、ゆっくりと赤みを失い始めていた。
遠くの海は青く、そのさらに先はわずかに紫がかっている。
「綺麗。」
璃子が言った。
「綺麗だね。」
湊の声が近かった。
璃子は海を見つめたまま、ほんの少しだけ笑った。
しばらく、何も話さなかった。
昼間にはあれほど遠くまで見えていた海が、暗くなるにつれて奥行きを失っていく。
代わりに、波の音がより鮮明に響いていた。
璃子が空を見上げる。
沖の方に、いつの間にか濃い雲が広がっていた。
「雲、増えたね。」
湊も見上げる。
「ほんとだ。」
「雨降るかな。」
「どうだろう。車まで戻る?」
璃子はもう一度海を見る。
「もう少しだけ見たい。」
「うん。じゃあ、もう少し。」
湊も隣に立った。
遠くで低い音がした。
璃子が顔を上げる。
「今の雷?」
「たぶん。」
まだ遠い。
海の向こうで、空が一瞬だけ白く光った。
「結構近づいてるかも。」
「そろそろ戻ろうか。」
「うん。」
二人は歩き出した。
風が強くなる。
璃子の髪が大きく揺れた。
その時だった。
空が一瞬、昼間のように明るくなった。
ほとんど間を置かずに、
轟音が落ちた。
「っ――」
璃子の身体が反射的に縮む。
同時に、湊の腕が伸びた。
璃子の肩を抱き寄せる。
気づいた時には、璃子の身体は湊の胸元にあった。




