第十四章 海が呼んでいるので part2④
駐車場に車を停めると、璃子はシートベルトを外した。
「着いた。」
「着いたね。」
ドアを開ける。
風が入ってきた。
車の中から見えていた海とは、匂いが違った。
潮の匂い。
風の音。
遠くから聞こえる波。
璃子は車を降りると、そのまま海の方を見た。
「うわ。」
湊も隣に立つ。
駐車場の向こうに、海が広がっていた。
写真で見ていたより青い。
沖へ向かうほど色が深くなり、岸に近いところでは、光を透かしたような明るい青が広がっている。
璃子は少し目を細めた。
「綺麗。」
「綺麗だね。」
「写真より全然いい。」
「ほんとだね。」
璃子は鞄からスマートフォンを取り出した。
何枚か撮る。
少し歩いて、また撮る。
「全然違う。」
「何が?」
「写真だと、この青にならない。」
湊も海を見る。
「難しいね。」
「肉眼の方が綺麗。」
璃子はスマートフォンを下ろした。
しばらく、そのまま見ていた。
光が水面で細かく揺れている。
波が来るたび、岸近くの色が少し変わる。
「来てよかった。」
璃子が言った。
「まだ着いたばっかりだよ。」
「もういい。」
「早いね。」
「海見たかったんだもん。」
璃子は笑った。
湊も笑う。
二人は海へ向かって歩き始めた。
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砂浜へ下りる。
璃子は数歩歩いたところで立ち止まった。
「もう入った。」
「何が?」
「砂。」
「早いね。」
「ちゃんと歩いたのに。」
「砂浜だからね。」
「知ってる。」
靴を気にしながら歩く。
波打ち際まで来ると、璃子はしゃがんだ。
水が近づいてくる。
手を伸ばす。
波が届く前に引いた。
「冷たいかな。」
「触れば分かるよ。」
「靴濡れる。」
「じゃあ脱げば?」
璃子が湊を見る。
「湊も脱ぐ?」
「俺も?」
「一人だけ嫌じゃん。」
「なんで。」
「いいから。」
璃子は靴を脱いだ。
湊も少し迷ってから脱ぐ。
「付き合わされた。」
「いいじゃん。」
璃子が先に水へ入った。
「冷たっ。」
すぐに笑う。
「思ったより冷たい。」
湊も入る。
「ほんとだ。」
波が来る。
二人とも少し下がる。
次の波が来る。
今度は璃子がそのまま立っていた。
足首まで水が来る。
「気持ちいい。」
風で髪が顔にかかる。
璃子は笑いながら耳へかけた。
少し離れたところで、子どもが波から逃げている。
その横で父親が写真を撮っていた。
犬が水際を走っている。
璃子はそちらを見る。
「犬。」
「ほんとだ。」
「楽しそう。」
犬が波に向かって走り、慌てて戻ってくる。
璃子が笑う。
「かわいい。」
湊も笑っていた。
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しばらく海沿いを歩いた。
貝殻を拾ったり、遠くに見える船を眺めたり。
璃子は何度も海を撮った。
「湊。」
「ん?」
「写真撮って。」
スマートフォンを渡す。
「どこで?」
「あっち。」
璃子が少し先へ行く。
海を背にして立つ。
風が吹く。
髪が顔にかかる。
「待って。」
璃子が髪を押さえる。
湊はそのままスマートフォンを構えていた。
「まだ撮らないでよ。」
「撮ってないよ。」
「ほんと?」
「ほんと。」
風が少し弱くなる。
璃子が手を離す。
「今。」
湊が何枚か撮った。
璃子が戻ってくる。
「見せて。」
湊の隣へ入る。
二人で画面を見る。
「これいい。」
璃子が指を伸ばす。
湊も同じ写真を見ていた。
肩が触れた。
璃子はそのまま画面を見る。
「こっちは?」
湊が次へ送る。
「これもいい。」
「風すごいね。」
「髪ぐちゃぐちゃ。」
「楽しそうだけどね。」
璃子が少し笑う。
「じゃあこれも残す。」
「うん。」
璃子はスマートフォンを受け取った。
少し歩いてから振り返る。
「湊も撮る?」
「俺はいいよ。」
「せっかくだから撮ろうよ。」
「じゃあ一枚だけ。」
「そこ立って。」
璃子が場所を指定する。
湊が立つ。
「もうちょい右。」
湊が動く。
「行きすぎ。」
「細かいな。」
「海がちゃんと入らない。」
「はいはい。」
「そこで。」
璃子が何枚か撮る。
画面を見る。
「うん。」
湊が戻ってくる。
「どう?」
璃子が画面を見せる。
「普通。」
「いいじゃん。」
「璃子の方が写真映えするね。」
「知ってる。」
湊が笑った。
「言うね。」
璃子も笑った。
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海沿いを歩いているうちに、昼を少し過ぎていた。
璃子がスマートフォンを見る。
「お腹空いた。」
「俺も。」
「何食べる?」
「海鮮とか?」
「海来たしね。」
二人は一度駐車場の方へ戻った。
近くの店を見ながら歩く。
海鮮丼。
寿司。
魚介の浜焼き。
観光客向けの看板がいくつも並んでいる。
「ここどう?」
湊が海鮮丼の写真を指す。
璃子も見る。
「美味しそう。」
「入る?」
「んー。」
璃子は少し先を見る。
「ちょっと待って。」
「なに?」
歩き出す。
湊もついていく。
少し先に、小さな定食屋があった。
色の褪せた暖簾。
入口の横に、手書きのメニューが貼られている。
焼き魚定食。
生姜焼き。
アジフライ。
璃子が立ち止まった。
「ここ。」
湊が店を見る。
「ここ?」
「うん。」
「海鮮丼は?」
「こっち気になる。」
湊はもう一度店を見る。
璃子を見る。
「璃子ってさ。」
「なに?」
「焼き鳥屋といい、ここといい、こういう古い店好きなの?」
璃子の眉が少し動いた。
「……それどういうこと?」
「いや。」
湊が笑う。
「なんとなく。」
「絶対ちょっと馬鹿にした。」
「してないって。」
「した。」
「悪い意味じゃないよ。」
璃子は店を見る。
それから湊を見る。
「入る。」
「はい。」
璃子が先に暖簾をくぐる。
湊も後に続いた。
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店内は外から見たより少し広かった。
テレビがついている。
壁には短冊状のメニューがいくつも貼られていた。
二人は奥のテーブルへ座る。
璃子がメニューを見る。
湊も向かいで開いた。
「怒ってる?」
「別に。」
「ちょっと怒ってるでしょ。」
璃子はメニューから目を上げる。
「古い店好きって何?」
「そのままだよ。」
「言い方。」
「ごめん(笑)」
「絶対茶化した。」
「ちょっとだけ。」
璃子が目を細める。
「ほら。」
湊は笑っていた。
「でも悪いって言ってないよ。」
「知らない。」
璃子はまたメニューを見る。
「私アジフライ。」
「決まるの早いね。」
「ここ絶対アジフライ。」
「なんで?」
璃子が湊を見る。
「なんとなく。」
湊が吹き出した。
「出た。」
「なに。」
「いや、なんでもない。」
「また茶化した。」
「してないって。」
「した。」
「じゃあ俺もアジフライにしようかな。」
「真似しないで。」
「いいじゃん。」
結局、二人ともアジフライ定食を頼んだ。
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少し待つ。
テレビから昼のニュースが流れている。
璃子は水を飲む。
「美味しくなかったらどうする?」
湊が聞いた。
璃子はすぐに見る。
「美味しいから。」
「まだ食べてないよ。」
「美味しい。」
「自信あるね。」
「ある。」
「なんとなくで?」
「そう。」
湊が笑う。
璃子はまだ少し不機嫌そうな顔をしていた。
料理が運ばれてきた。
大きめのアジフライが二枚。
千切りのキャベツ。
味噌汁。
漬物。
璃子が見る。
「美味しそう。」
「ほんとだ。」
箸を取る。
アジフライを切る。
衣が軽く音を立てた。
璃子が一口食べる。
「……。」
湊が見る。
璃子はもう一口食べた。
顔が変わる。
「美味しい。」
「ほんと?」
「めっちゃ美味しい。」
湊も食べる。
少し黙る。
「あ、うま。」
璃子が湊を見る。
さっきまでの不機嫌そうな顔はもうなかった。
「ほら。」
「はい。」
「ほら。」
「分かったって(笑)」
「こういう店好きとか言ってた人。」
「古いとは言ったけど、美味しくないとは言ってないよ。」
「言い訳。」
「すみませんでした。」
璃子は上機嫌でアジフライを食べる。
「SAのやつより全然美味しい。」
「それと比べるの?」
「だって湊調べたじゃん。」
「調べたね。」
「私は調べてない。」
「そうだね。」
「やっぱ調べすぎるの良くないんじゃない?」
「璃子、もう分かったよ(笑)」
「私は勘で当てた。」
「はいはい。」
「なんとなくで。」
「出た。」
璃子が箸を止める。
「なに?」
湊は笑った。
「いや、ちょっと茶化したかっただけ。」
「なんで?」
「璃子、そういうの好きじゃん。」
「そういうのって?」
「なんとなく気になったとか、なんとなく良さそうとか。」
璃子は少し考える。
「いいじゃん。当たってるんだから。」
「今回はね。」
璃子がゆっくり湊を見る。
「今回は?」
湊は一瞬黙った。
璃子は待っている。
「……参りました。」
璃子の口元が上がる。
「今の顔、ちゃんと覚えといて。」
「なんのために(笑)」
「私が正しかった記念。」
湊が笑った。
「お嬢様厳しいな。」
「分かればよろしい。」
璃子も堪えきれずに笑った。
二人で笑う。
しばらくして璃子はまたアジフライを食べ始めた。
「これほんと美味しい。」
「うん。」
「もう一枚食べられる。」
「二枚あるよ。」
「そういう意味じゃない。」
「三枚目?」
「三枚目。」
「食べすぎじゃない?」
「今日はいいの。」
「海来たから?」
「アジフライが美味しいから。」
湊が笑う。
璃子も笑った。
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店を出る頃には、璃子の機嫌は完全に戻っていた。
というより、来た時より良かった。
「当たりだったね。」
「当たりだった。」
「私のおかげ。」
「はい。」
「なんとなくの。」
「はいはい。」
璃子が湊を見る。
「またはいはいって言った。」
「すみません、お嬢様。」
「よろしい。」
二人で笑いながら歩く。
午後の日差しはまだ強かった。
璃子が少し前を歩く。
歩道の端に小さな段差がある。
それを越えて、振り返る。
「海もう一回行こ。」
「行こうか。」
湊が隣へ並ぶ。
璃子は歩きながら、ふと湊の全身を見る。
朝から何度も隣にいた。
車では座っていた。
海では景色ばかり見ていた。
今は少し前を歩く湊の姿がよく見える。
思っていたより脚が長い。
璃子は少しだけ視線を下げた。
また顔を見る。
「なに?」
湊が気付いた。
「ん?」
「今見てたでしょ。」
璃子は少し笑う。
「見てた。」
「何を?」
「湊。」
「俺?」
「うん。」
湊が少しだけ鼻の横を触った。
璃子の目がそこへ行く。
また。
「……。」
「なに?」
璃子は笑った。
「なんでもない。」
今度は本当に少し面白かった。
二人はまた海の方へ歩いていった。
風の向こうから、波の音が聞こえていた。




