第十三章 海がよんでいるので part2③
待ち合わせの十分ほど前。
璃子は鏡の前に立っていた。
髪を見る。
服を見る。
鞄を持つ。
もう一度、鏡を見る。
「……うん。」
玄関へ向かったところで、スマートフォンが震えた。
『着いたよ』
璃子は画面を見る。
『今行く』
靴を履く。
ドアを開けると、朝の光が眩しかった。
九月になっても、昼間はまだ夏だった。
階段を下りる。
少し先に停まっている車が見えた。
近づくと、運転席の湊が気付いて手を上げる。
璃子も軽く手を上げた。
助手席のドアを開ける。
「おはよう。」
「おはよう。」
車内はよく冷えていた。
璃子が座る。
「涼しい。」
「外暑いでしょ。」
「暑い。今日ほんとに九月?」
「まだ夏だね。」
シートベルトを締める。
湊が璃子を見る。
「大丈夫?」
「うん。」
「じゃあ行こっか。」
「お願いします。」
車がゆっくり走り出した。
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最初は、いつもの話をしていた。
昨日の仕事。
璃子が朝少し寝坊しかけたこと。
湊が来る途中で見た、妙にゆっくり走る自転車。
「ほんとに遅かったんだって。」
「おじいちゃん?」
「いや、若い人。」
「じゃあ何してたの?」
「分かんない。たぶん歩いた方が早かった。」
「そんなことある?」
「ある。抜くのちょっと申し訳なかったもん。」
璃子が笑う。
「車で?」
「うん。」
「絶対向こう何も思ってないよ。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
信号が赤になる。
車が止まる。
湊がナビを見る。
璃子は窓の外を眺めていた。
歩道を親子が歩いている。
子どもが何かを指差して、母親がそちらを見る。
その後ろを犬が歩いていた。
「かわいい。」
「ん?」
「犬。」
湊も少し横を見る。
「ああ。」
信号が青になる。
車が動き出す。
「犬飼いたい?」
「見るのは好き。」
「飼うのは?」
「大変そう。」
「毎日散歩あるしね。」
「そう。かわいいだけじゃ無理。」
「璃子、ちゃんと現実見るね。」
「見るよ(笑)」
「もっと勢いで飼う人かと思ってた。」
「どういうイメージなの。」
「なんとなく。」
璃子が笑う。
「それ私のやつ。」
「便利だね。」
「でしょ。」
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高速道路へ入る。
街の景色が少しずつ遠ざかっていった。
璃子がスマートフォンを車のオーディオへ繋ぐ。
「音楽いい?」
「どうぞ。」
「何聴く?」
「璃子が選んで。」
「文句言わない?」
「言うかもしれない。」
「じゃあ選びたくない。」
湊が笑う。
「嘘。言わないよ。」
「信用できない。」
そう言いながら、璃子は曲を選ぶ。
少し前に流行った曲が流れた。
「あ、これ知ってる?」
「知ってる。」
「ほんと?」
「なんで毎回疑うの。」
「湊こういうの聴かなそう。」
「じゃあ俺、何聴いてそう?」
璃子は考える。
「なんか……夜に聴くやつ。」
「何それ。」
「暗いやつ。」
「俺そんな暗い?」
「違う(笑)。雰囲気の話。」
「全然分かんない。」
璃子は笑いながら次の曲を見る。
「じゃあ湊選んでよ。」
「運転してるから無理。」
「私が押す。」
「それならいいよ。」
湊が何曲か名前を言う。
璃子が検索する。
「これ?」
「そう。」
流す。
イントロが始まる。
璃子は少し聞いてから湊を見る。
「やっぱり夜じゃん。」
「夜じゃないよ。」
「夜だよ、これ。」
「曲に昼夜ある?」
「ある。」
「初めて聞いた。」
「あるの。」
璃子は窓の外を見る。
少しして、曲に合わせて指先を動かした。
「でも好きかも。」
「よかった。」
その言い方が少し嬉しそうに聞こえて、璃子は横を見る。
湊は前を見ていた。
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しばらく走ると、璃子は話しながら湊の手元を見ていた。
ハンドルを握る手。
信号もない高速道路では、大きく動くこともない。
指が長い。
手の甲に薄く血管が浮いている。
璃子は少し見てから窓の外へ視線を戻した。
何度も会っているのに、湊の手をこんなに見たことはなかった。
「どうした?」
「ん?」
「いや。」
「なに?」
「なんか見てたから。」
璃子は少し笑う。
「運転。」
「運転?」
「うん。」
「面白い?」
「普通。」
「普通なんだ。」
璃子が笑った。
「ちゃんと前見て。」
「見てるよ。」
湊はまた前を見る。
璃子も窓の外を見る。
少しして、口元に小さく笑みが浮かんだ。
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一時間ほど走ったところで、湊が左の車線へ入った。
「ちょっと休憩しよっか。」
「うん。」
サービスエリアへ入る。
車を停める。
外へ出た瞬間、熱気が身体を包んだ。
璃子が顔をしかめる。
「暑っ。」
「車の中涼しかったから余計だね。」
「戻りたい。」
「休憩しに来たのに。」
「中入ろ。」
二人で建物へ向かう。
入口の近くには大きな看板が出ていた。
璃子が見る。
写真付きのスイーツ。
何人かがその前で写真を撮っている。
「これ有名なの?」
璃子が聞く。
湊が看板を見る。
「あ、それ。」
「知ってるの?」
「昨日見た。」
璃子が湊を見る。
「調べたの?」
「ちょっとね。」
「へえ。」
「ここ寄るなら食べてみようかなと思って。」
璃子が写真を見る。
クリームと果物が綺麗に盛られている。
「美味しそう。」
「でしょ。」
「食べよ。」
「うん。」
列に並ぶ。
それほど長くはなかった。
待っている間、璃子が売店を見る。
「帰りお土産見たい。」
「いいよ。」
「あ、あれも美味しそう。」
「さっきこれ食べるって言ったじゃん。」
「見るのはいいでしょ。」
「もちろん。」
順番が来る。
二つ買った。
外の日陰にあるテーブルへ座る。
璃子はスマートフォンを出した。
「ちょっと待って。」
「写真?」
「うん。」
何枚か撮る。
「はい。」
「食べていい?」
「どうぞ。」
二人で一口食べた。
璃子が止まる。
湊も何も言わない。
璃子がもう一口食べる。
湊を見る。
目が合った。
「……どう?」
湊が聞く。
璃子は少し考えた。
「……美味しくないね。」
湊が吹き出した。
「やっぱり?」
「湊も思った?」
「思った。」
「なんか……。」
璃子はもう一口食べる。
「見た目の方が美味しい。」
「それは分かる。」
「クリームかな。」
「たぶん。」
「果物も普通。」
「結構言うね。」
「だって美味しくないもん(笑)」
湊も笑いながら食べる。
「調べた時、評価よかったんだけどな。」
言いながら、少しだけ鼻の横を指で触った。
璃子の目がそこへ行く。
「……。」
「なに?」
「ううん。」
璃子はスイーツをもう一口食べる。
「湊が作ったわけじゃないんだから。」
「まあね。」
「なんでちょっと残念そうなの。」
「美味しいと思ってたから。」
「ふーん。」
璃子は少し笑った。
「でも面白いからいいじゃん。」
「美味しくないのが?」
「二人とも同じ顔してたのが。」
湊が笑う。
「璃子、最初止まったよね。」
「湊も止まってたよ。」
「言うか迷った。」
「私も。」
「先に言われた。」
「正直だから。」
二人で笑う。
結局、残さず食べた。
「ごちそうさまでした。」
璃子が容器を置く。
「もう一回食べる?」
湊が聞く。
「食べない。」
即答だった。
湊が笑う。
璃子も笑った。
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売店を見る。
璃子は棚から棚へ歩く。
湊も少し後ろをついていく。
「これ何?」
璃子が商品を持ち上げる。
「知らない。」
「ご当地っぽい。」
「買う?」
「いらない。」
「なんで持ったの。」
「気になっただけ。」
元に戻す。
別の棚を見る。
璃子が何かを見つけて立ち止まった。
小さな置物が並んでいる。
湊も気付く。
「また買う?」
璃子が振り返る。
「なにを?」
湊が置物を見る。
璃子も見る。
意味が分かって、笑った。
「買わないよ(笑)」
「俺の家、増えていくのかと思った。」
「一個で十分。」
「十分なの?」
「十分。」
璃子は並んでいる置物を一つずつ見る。
「でもこれより私の方がセンスいい。」
「それはどうかな。」
「え?」
湊が歩き出す。
璃子が追いかける。
「ちょっと待って。どういう意味?」
「そのまま。」
「私のやつかわいいじゃん。」
「何なのか分かんないじゃん。」
「それがいいんだよ。」
「そうなの?」
「そう。」
「じゃあ大事にします。」
璃子が笑った。
「してください。」
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飲み物を買って車へ戻る。
璃子が助手席へ座る。
湊も乗り込む。
「涼しい。」
「生き返るね。」
湊がエンジンをかける。
璃子がペットボトルを開けた。
「あとどれくらい?」
「一時間かからないくらい。」
「近いね。」
「ここからはね。」
車が動き出す。
サービスエリアを出る。
璃子は窓の外を見る。
さっきのスイーツのことを思い出して笑った。
「なに?」
湊が聞く。
「スイーツ。」
「まだ言う?」
「思い出しただけ。」
「忘れて。」
「無理。」
璃子が笑う。
「湊、ちょっとショックだったでしょ。」
「ちょっとね。」
「やっぱり。」
「せっかく調べたからね。」
「ありがとう。」
湊が少しだけ璃子を見る。
「ん?」
「調べてくれて。」
「うん。」
「美味しくなかったけど。」
「最後いらなくない?」
璃子が声を上げて笑った。
「でも楽しかった。」
湊も笑う。
「ならよかった。」
璃子は窓の外へ顔を向けた。
しばらくして、さっきの湊の顔を思い出した。
少し罰が悪そうに鼻の横を触った顔。
璃子は小さく笑う。
かわいい。
そう思ってから、一瞬だけ自分の中でその言葉が残った。
窓の外には、街よりも緑が増えていた。
遠くの山が少しずつ低くなっていく。
璃子はペットボトルを持ったまま景色を見る。
曲が変わる。
さっき湊が選んだ曲だった。
「これ、さっきの。」
「うん。」
「やっぱり夜っぽい。」
「まだ言う?」
「でも好き。」
湊が少し笑った。
璃子はその横顔を見る。
今度は鼻には触らなかった。
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高速道路を降りる。
景色が変わった。
背の低い建物。
広くなった空。
道路脇に並ぶ木々。
窓の向こうを流れていくものを、璃子はしばらく見ていた。
「もう近い?」
「近いよ。」
「海見えるかな。」
「もうちょっとじゃない?」
道路が緩く曲がる。
建物の間が開けた。
その向こうに、一瞬だけ青が見えた。
璃子が身体を起こす。
「あ。」
湊も前を見る。
また建物に隠れる。
璃子は窓の向こうを追う。
少し走る。
今度はもっと大きく見えた。
光を反射した海が、遠くまで続いている。
「海。」
璃子は笑った。
湊も少し笑う。
「見えたね。」
璃子は窓の方へ身体を寄せた。
青が広がっていく。
写真で何度も見た場所だった。
それでも、画面で見ていたものとは違った。
「綺麗。」
璃子はそのまま海を見ていた。
しばらく、湊のことを考えるのを忘れていた。




