第七章 少しだけ鮮やかに①
週が明けると、璃子の日常はいつもの調子に戻っていた。
朝、駅のホームで電車を待つ。
まだ早い時間なのに、日差しはすでに強かった。
電車が来ると、冷房の効いた車内へ乗り込む。
会社に着けば、昨日までと同じ仕事が待っている。
午前中はほとんど席を立てなかった。
昼休みも少し遅くなった。
「やっと食べられる。」
同僚が向かいに座りながら言った。
「ほんと。今日長い。」
「まだ半分だけどね。」
「それ言わないで。」
二人で笑った。
食事をしながら、最近入った人の話や、上司の話をする。
「そういえば、来週休み取ってたよね。」
「うん。」
「どっか行くの?」
「映画。」
「いいな。何観るの?」
璃子が作品の名前を言うと、同僚が少し考えた。
「あ、それ小説のやつ?」
「そう。」
「一人で?」
璃子は水を飲んでから答えた。
「友達と。」
「へえ。」
同僚はそのまま、昨日買ったサンダルの話を始めた。
「ネットで見た時は絶対かわいいと思ったんだけどさ。」
「失敗した?」
「歩くたびに痛い。」
「最悪じゃん。」
「しかも結構高かった。」
璃子が笑う。
「それは履くしかないね。」
「でしょ? 意地でも履く。」
昼休みが終わる頃には、二人とも午後の仕事の話をしていた。
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数日後。
仕事を終え、璃子は友人と電話をしながら駅へ向かっていた。
「だから、それはそっちが悪いって。」
『なんでよ。』
「待ち合わせに四十分遅れたんでしょ?」
『でも連絡したよ。』
「三十分遅れてからでしょ。」
電話の向こうで笑い声がする。
璃子も笑った。
「それは連絡したって言わないから。」
『璃子はそういうのちゃんとしてるよね。』
「普通でしょ。」
『普通じゃない人もいるんです。』
「知ってる。」
話はそのまま、最近買った服の話に変わった。
友人が写真を送ってくる。
璃子は信号待ちで画面を開いた。
「かわいいじゃん。」
『でしょ?』
「こっちの方が好き。」
『えー、そっち?』
「絶対そっち。」
しばらくそんな話をして、駅の近くで電話を切った。
「じゃあまたね。」
スマートフォンを鞄へ入れる。
夕方の商店街には、仕事帰りの人が増えていた。
店先で風鈴が鳴っている。
少し先を、小さな女の子と母親が歩いていた。
女の子は何かを見つけるたびに足を止め、そのたびに母親の手を引いている。
母親も立ち止まり、女の子が指差す方を見る。
二人で顔を見合わせて笑った。
璃子はその後ろ姿を見ながら歩く。
なんとなく、いいなと思った。
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小さな雑貨屋の前を通った。
ガラス越しに、器や小物が並んでいる。
夕陽が店の奥まで差し込み、いくつかのガラス製品に反射していた。
璃子は少しだけ歩く速度を落とした。
ふと、以前バーで湊が話していたことを思い出す。
同じものを見ていても、人によって見えているものは少し違う。
だから誰かの話を聞くと、自分だけでは気付かなかったものが見えることがある。
そんなことを言っていた。
璃子は店の中を見る。
色の違うグラス。
小さな花瓶。
何に使うのかよく分からない置物。
一つずつ眺めながら、湊の言葉を思い返した。
自分なら「なんかいい」で終わるようなものを、湊は時々、きれいに言葉にする。
璃子は少し笑った。
「……素敵なのかも。」
口に出した瞬間、璃子は周りを見た。
誰もこちらを見ていない。
少し笑って、そのまま駅へ向かった。
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翌日は朝から電話が続いた。
午後には予定になかった仕事まで入った。
夕方、ようやく席へ戻ると、同僚が小さな菓子を机の上に置いた。
「糖分。」
「ありがとう。」
「顔死んでるよ。」
「そっちもね。」
「お互い様か。」
璃子は袋を開けた。
「これおいしい。」
「でしょ。最近ずっと食べてる。」
「太るよ。」
「今それ言う?」
二人で笑って、また仕事へ戻った。
外へ出た頃には、もう暗くなっていた。
駅へ向かいながらスマートフォンを見る。
湊からメッセージが来ていた。
> 今日も暑かったね。仕事おつかれ。
璃子は歩きながら返信する。
> おつかれ☺️
今日はほんと疲れた笑
少しして返事が来た。
> じゃあ今日は早く寝な笑
璃子は画面を見て笑った。
> そうします!
信号が青になる。
璃子はスマートフォンを鞄へ戻し、人の流れに混じって横断歩道を渡った。
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休日。
午前中に掃除をして、洗濯機を回した。
昼は冷蔵庫に残っていたもので簡単に済ませた。
午後はテレビをつけたまま、乾いた洗濯物を畳んでいた。
スマートフォンが鳴る。
先日電話していた友人からだった。
写真が一枚送られている。
> やっぱこっち買った
璃子は写真を拡大した。
> そっちにしたんだ笑
でも似合いそう
すぐに、
> でしょ?
と返ってきた。
璃子は笑って、スマートフォンを置く。
テレビでは映画の予告が始まっていた。
聞き覚えのあるタイトルに顔を上げる。
今度観に行く映画だった。
予告が終わると、璃子はスマートフォンを手に取った。
カレンダーを開く。
上映時間。
待ち合わせの時間。
画面を閉じる。
洗濯物を持って立ち上がり、クローゼットへ向かった。
服をしまっている途中で、一着を手に取る。
鏡の前で合わせた。
少し見る。
「……違うかな。」
戻す。
隣の服を取る。
今度は横を向いて見る。
それも戻した。
三着目に手を伸ばしかけて、璃子の手が止まった。
鏡の中の自分と目が合う。
少し間があった。
璃子は吹き出した。
「まだ先なのに。」
クローゼットを閉めた。
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夜。
風呂から上がり、髪を乾かす。
テレビではバラエティ番組が流れていた。
スマートフォンが光る。
友人から、くだらない動画が送られてきた。
璃子は途中まで見て笑った。
> なにこれ笑
返信して、スマートフォンを置く。
髪を乾かし終え、ドライヤーを止めた。
窓の外から車の走る音が聞こえる。
鏡を見る。
雑貨屋の前で一人で呟いたことを思い出す。
少し恥ずかしくなって、また笑った。
クローゼットの前で何着も服を合わせていた自分も思い出した。
璃子は鏡の中の自分を見る。
また笑っている。
「なんだか今日は、一人なのによく笑う日だ。」
窓の外では、まだ夏の夜が続いていた。




