18.◯王たちの裁定
だけど……その空気をきれいさっぱり壊してしまうほどの大きな怒声が、会場に響き渡った。
「ちょっと待て!!」
壁にめり込んでいたオージが、ようやくといった感じで這い出しながら叫んだ。
「相手がルーメンの王子だったとはいえ、この場をここまで荒らしておいて、まさか何のお咎めもなしということはないだろうな!?」
「ほんとだよ」
ジナーンが髪を手で梳かしながら、いつもの笑顔で壁から抜け出してくる。
だけどその笑顔の端は、わずかに引きつっていた。
「ルーメン魔法国としてこの場を収めるつもりがあるなら、相応の誠意を見せるべきだよね」
「同意見ですね」
メガーネが眼鏡を押し上げながら、冷静な声で続く。
乱れた髪を片手で整えながらも、その目だけは鋭くこちらを見ていた。
「それに……今回は収まったとはいえ、あの力が再び制御不能になる保証はどこにもない。アリアナを危険な環境に置くことになりかねない」
「その意見には賛成だ」
キッシがぼそりと呟きながら、最後に壁から抜け出した。
あのキッシでさえも、さすがに若干ふらついている。
「アリアナを危険に晒した奴に預けるくらいなら、俺たちが守ってやった方がいいだろう」
その言葉を聞いた瞬間、隣でカインさんが小さく息を吸う。
唇をぎゅっと噛み締めて、それでも堪えきれなかったように、低い声がぽつりと漏れた。
「……お前らが、それを言うのかよ」
誰に向けたわけでもないような、ひとり言みたいな呟きだった。
だけど静まり返った会場ではしっかりと届いてしまっていたようで、オージが何か言い返そうと口を開きかけた、その刹那だった。
「静粛に」
アンドリュー陛下の声が、鋭く会場に響く。
たったの一言だったけど、その声には有無を言わさない重みがあって、口を開きかけたオージがぴたりと固まった。
ジナーンも、メガーネも、キッシも、それ以上何も言えなくなったように口をつぐみ、強張った表情を陛下に向ける。
彼らの視線を受けて、アンドリュー陛下は四人をゆっくりと見渡す。
「お前たちの言葉は、間違ってはいないようには聞こえる」
「父上! でしたら」
「黙れオージ。……そもそもこの事態が引き起こされた原因はなんだ」
「それは見て分かる通り、あのカインが暴走して」
だけどジナーンの言葉を、アンドリュー陛下は鋭い視線だけで黙らせると、重いため息とともに言った。
「たった今、私はこのクロエから全ての報告を受けた。嫌がる女子生徒に執拗に付きまとい、逃げ回る彼女を侮辱した末に、それに怒った者が力を解放した……そういうことだな」
その言葉を紡ぐアンドリュー陛下の声は静かだったけど、奥に滲む怒りの色ははっきりと伝わってきた。
「加えて言えば、お前たちはルーメン国の王子をここまで怒らせた。たとえ身分を知らなかったとはいえ、それは言い訳にはならない。攻め込まれても文句は言えぬのは、むしろ我が国の方だ。ルーメン国に対して首を垂れるべきは、我が国の方だ」
四天王は何か言いたげに口元をパクパクさせたけど、異論は認めないと言わんばかりの陛下の視線に、一人また一人と押し黙っていく。
「……お前たちの行いには、深く失望した」
オージが、はっと顔を上げる。
だけど陛下はもうそれ以上オージを見ておらず、ゆっくりと視線を上げて、会場全体を見渡した。
「そして今回の件は、間違いなく親である私の責任でもある。妻を早くに亡くし、愛情だけは人一倍注いできたつもりだった。だがそれが、かえって足りないものを作ってしまったのかもしれない」
陛下はそう言って、まっすぐこちらを向いた。
そして、一男爵令嬢である私やカインさん、ルーメン国王陛下夫妻やノーランド子爵夫妻に向かって、深く頭を下げた。
「長きにわたり、不快な思いをさせてしまった。誠に、申し訳なかった」
私は呆然と、頭を下げる陛下の姿を見つめることしかできなかった。
だって、この国の王が頭を下げている。
一国の頂点に立つ人が、私たちに向かって。
それがどれほど異例のことか、私にだって分かった。
陛下にとって、今回の件がそれだけ許しがたいことだったということも、そして、息子たちへの後悔と謝罪が、言葉の重さの全てに滲み出ていることも。
オージも、ジナーンも、メガーネも、キッシも、この異常とも呼べる事態に誰一人口を開かない。
やがて陛下はゆっくりと顔を上げて、四天王を静かに見渡した。
「お前たちの処分については追って沙汰する」
その言葉が落ちた瞬間、四人は声すら出せずにその場に崩れ落ちた。
……あの四天王のこんな姿を見る日が来るなんて。
私は半ば呆然としながら、項垂れる四人をぼんやりと見つめていた。
その静寂を破るように、ゆったりとした足音が響く。
そちらへ首を向けると、マデラス陛下がアンドリュー陛下の傍らに歩み寄っているところだった。
「アンドリュー王よ」
「……マデラス陛下」
「今回の件、我が息子カインが暴走してこの場を荒らしたことは事実だ。それについては、こちらこそ詫びねばならない。だが、今後とも我が国はこの国との関係を変わらず望んでいる。どうか気に病まないでほしい」
アンドリュー陛下の表情が、わずかにだけどほぐれた。
「……かたじけない」
短い言葉だったけど、その声に滲む安堵は、隠しようもなかった。
私も同じようにそっと息を吐いていた。
もしもルーメン国が本気になったら、この国はあっという間に飲み込まれることを知っている。
それほどに王族に受け継がれる魔法の力は強大だというのが、この世界での常識だから。
マデラス陛下はそれを見届けてから、くるりとカインさんの方を振り返った。
その顔には、これまでの重い空気を吹き飛ばすような楽し気な笑みが浮かんでいる。
「さて。奇跡的に怪我人は出なかったとはいえ、折角のパーティーを台無しにした責任は取ってもらわないとな。とりあえず、この惨状をなんとかしてもらおうか。カイン」
なんとかって、一体どうやって?
と不思議に思って私は首を傾げていたけど、当のカインさんはマデラス陛下の意図を読み取れていたようだった。
カインさんは小さく頷くと、静かに手を頭上にまっすぐ差し伸べる。
次の瞬間、会場いっぱいに淡い金色の光が広がった。
光に触れたものから、横倒しになったテーブルが元に戻り、砕けた窓ガラスが元通りになり、歪んだシャンデリアが輝きを取り戻した。
オージたちがめり込んでひび割れていた壁も、並んでいた料理やドリンクも、会場の中で粉々に吹き飛んでいたピアノも。
私の頬の傷も、破れかけていたりほつれていたドレスも、何もかもがまるで何事もなかったかのように、あっという間に元に戻っていた。
「……すごい」
これが、ルーメン国の王族に受け継がれる魔法……。
思わず感嘆の声を上げたら、隣のカインさんが少し照れたように頭を掻いた。
「実は俺もびっくりしてます」
しばらくして、恐る恐るといった様子で、外に避難していた人たちも戻ってきた。
当然、会場の中は騒然となった。
さっきまであれだけの嵐が吹き荒れていたのに、まるで何事もなかったかのように元通りになっていたんだから、当たり前かもしれない。
二人の国王が順に今回の経緯を説明すると、ざわめいていた会場も少しずつ落ち着きを取り戻す。
やがて、ざわめきが少しずつ落ち着いてきた頃、アンドリュー陛下がにこやかに告げた。
「せっかくカイン殿下が元に戻してくれたのだ。パーティーを再開しよう」
その言葉が合図になったかのように、演奏者たちが顔を見合わせてから楽器を構え直すと、柔らかな音楽が会場に流れ始めた。
そんな中、
「アリアナさん」
カインさんが、少し照れくさそうに手を差し出した。
「よかったら一曲、踊ってくれませんか?」
「はい、喜んで」
私は迷わずその手を取った。
だけど踊り始めてすぐに分かったことがある。
カインさん、あんまり上手じゃない。
それに私も、そんなに上手じゃない。
だからうっかり肩がぶつかって、足を踏んでしまって、二人して転びそうになって、そのたびに慌てて笑い合った。
音楽に乗れているなんてとても胸を張って言えないし、きっと傍から見たらひどいダンスだったと思う。
それでも、こんなに楽しいダンスは初めてだと思った。
私はカインさんとへんてこなダンスを踊りながら、ふと思った。
ゲームの結末は、こんなのじゃなかった。
四天王の誰かに連れ去られるか、四天王の全員に連れ去られるか、その二択しかなかった。
だけどカインさんと出会えたから、私はきっと彼らから逃れる未来を迎えられたんだと思う。
だから。
「カインさん、私と出会ってくれてありがとうございます」
そう伝えたら、カインさんは耳を赤くしながら、それでも嬉しそうに笑ってくれた。
「それは俺の台詞です。……アリアナさんと出会えてよかった」
これからどんな未来が待っているのか、まだ何も分からない。
だけど今この瞬間、カインさんの手を握りながら、私は不思議と何も怖くなかった。




