17.◯嵐のあとの告白
カインさんの頬に、わずかに手が触れた瞬間だった。
これまでで一番強い風が、私の体を真正面から叩いた。
「…… っ!」
これまでなんとか踏ん張っていた足が、為す術もなく地面から離れた。
やだ、飛ばされる……!
必死に腕を伸ばしたけど、掴めるものが何もない。
体が宙に浮いて、風に飲み込まれそうになって、もうだめだってそう思ったら、ぐっと強い力が私の体を掴んだ。
「へっ……?」
さっきまでは私の知っているカインさんとは、まるで別人のような顔をしていたのに。
その表情には、生気が戻っていた。
そして気づいたら、私は強い腕の中に包まれていた。
その途端に、ぴたりと嵐が止まる。
さっきまであれだけ吹き荒れていた風が、まるで最初からなかったみたいにきれいさっぱり消えていた。
「…………」
よかったと、安堵の息が唇から小さく漏れる。
だけど、私は色々と力が抜けて、カインさんに抱き締められたまましばらくその場から動けなかった。
ただ、頭はまだ追いついていなかったけれど、私を包んでいる腕の温かさだけがやけに現実感があった。
やがてゆっくりと顔を上げると、カインさんと目が合う。
その瞳は、今はもう元の黒の面影がないほどに、太陽にも似た黄金色を宿していた。
それでも、その顔には、ちゃんと私の知っているカインさんがいた。
彼はあの不器用な、それでいて穏やかな笑顔で私を見ていた。
「ごめん、アリアナさん。 俺……」
「よかった……」
カインさんが何かを言いかける前に、私は思い切りカインさんに抱きついていた。
「よかった、よかったです、カインさん!」
カインさんのいる嵐の中心へ足を踏み出した時は全然怖くなかったのに。
今になって、カインさんが戻ってこない可能性があったんだという恐怖が這いあがってきて、私の声は自然と震えて、涙が滝のように溢れた。
だけど、カインさんは無事だった。
ちゃんと戻ってきてくれた。
それだけでもう、十分だった。
泣き続ける私に、カインさんはそれ以上何も言わない。
ただ静かに私の背中に腕を回して、もう一度、ぎゅっと抱きしめてくれた。
どれくらいそうしていたか分からない。
ふと我に返った私が急に今の状況に気恥ずかしくなって顔を上げて、そこでようやく会場の惨状に気づいた。
横倒しになったテーブルと椅子に、砕け散って地面に散乱する窓ガラスと、落下はしなかったものの明らかに歪んでしまっているシャンデリア。
逃げ遅れた人たちは、元凶を作り出したカインさんのことを恐る恐る窺っている。
壁に張り付いたままの四天王だって、瞬き一つせずにどこか怯えた表情でこちらを見ていた。
……こ、これって、この後一体どうなっちゃうんだろう。
だってゲームとは全然展開が違うから。
普通に考えたらかなりまずい気がする。
だけど、カインさんが私を守ろうとしてくれたから起こった事態なのだ。
だったら、私がちゃんと説明しなきゃ。
カインさんが私を守ろうとしてくれたこと、全部ちゃんと話して、絶対に守ってみせる。
もしも牢屋行き……なんてことを言われたって絶対に回避してみせるし、無理だとしても代わりに私が入ったっていい。
そんなことを思っていた時だった。
閉ざされていた会場の入り口が、ゆっくりと開くと同時に現れたのは、とんでもない顔ぶれだった。
まず先頭にいたのは、この国の国王陛下アンドリュー様。
続けて、見覚えのない夫妻が二組。
だけど、初めて見る顔だったのに一人だけ、どうしても視線が外せない人がいた。
陛下のすぐ後ろに立っていた、男性の方だ。
カインさんにそっくりな顔で、何よりその瞳は、カインさんと全く同じ鮮やかな黄金色だったから。
ならあの人がルーメン国の国王陛下のマデラス様で、カインさんの実の父親ってことになるのかな。
だとすると隣の方は王妃殿下のミーナ様とか?
こちらは温かな琥珀色をされていて、金の瞳はお持ちでないようだったけど、やっぱりどこかカインさんの面影があった。
それにしては、その背後に控える女性もカインさんに似ている……いや、マデラス陛下にも似ている。
どいういうことなんだろうと思っていたら、驚きとも戸惑いとも取れない複雑な色を乗せて国王陛下たちをじっと見つめていたカインさんが、ふっと私の方に視線を向けた。
「あー、多分アンドリュー陛下の後ろにいるのがルーメンの陛下たち……俺の本当の両親? に間違いないと思います。で、そのさらに後ろがこの国で俺を育ててくれた両親なんですけど」
ここでカインさんは私にしか聞こえない声で続きを答える。
「実はうちの母さんってルーメンの陛下の実の妹らしいんですよね。だから俺とも顔が似てるんです」
「ふぇっ!?」
しかもそのことをカインさんが知ったのは、本当に最近のことらしい。
……なんだか話のスケールが大きすぎて、ついていけなくなりそうだった。
やがて、金色の瞳を持つマデラス陛下が、カインさんをまっすぐに見つめながらゆっくりと口を開いた。
「……その力、とくと確認させてもらった。そして黄金の瞳。間違いない。お前が、行方不明になっていた我が国の第二王子にして、私たちの息子のカインだ」
宣言された言葉に、会場がしんとなる。
その時、マデラス陛下がすっと視線を動かした。
「ご苦労だった、クロエ」
その声に反応して、一人の女の子が陛下の傍らで静かに頭を垂れていた。
いつの間に移動していたのか――それは、嵐の中で私にカインさんを助けるヒントを教えてくれた、あの子だった。
「彼女は我が国が密かに配した、カインの護衛兼報告役だ。カインの動向は随時、我々に報告が届いていた」
マデラス陛下の話によると、子爵家の敷地内で保護されていたカインさんがルーメンの第二王子だということはずいぶん前から分かっていたらしい。
だけど、瞳の色が変わって力が解放されないと証明が難しいということで、今までノーランド子爵家の子供として育てられていたそうだ。
続けてアンドリュー陛下も口を開く。
「カイン殿下が隣国の王子であることは、我々も把握していた。今日この場に来たのは、証明の場に立ち会うためだ」
「つまり、マジで俺だけずっと、蚊帳の外だったってことだよなぁ……」
カインさんが複雑な表情でそう呟いた。
若干遠い目をしている。
私はそっと隣を見上げて、小声で言った。
「お、お気持ちはお察しします」
「……ありがとうございます」
と、ここでマデラス陛下がカインさんの名前を呼んだ。
「カイン・ノーランドよ」
「はい」
カインさんの腕に、わずかに力が入った気がした。
カインさんは緊張した面持ちで、マデラス陛下を見据える。
「お前の力も、瞳も、証明された。今日をもって、お前をルーメン魔法国第二王子として正式に迎える。帰還の準備をせよ」
カインさんは予想していたのか、静かに頷いた。
「……分かりました」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸に冷たいものが広がった。
そうだ、カインさんは隣国の王子だったんだ。
私なんかとは住む世界が違う。
ここまで助けてもらって、一緒にいて、色々なことがあって。
でも、これでお別れなんだ。
本音を言えばすごく寂しい。
四天王の問題が解決して、それでもカインさんとは、もっとずっと一緒にいたかった。
だけどそれは無理だから。
私は痛む心を押し殺して、そっとカインさんから離れようとした。
その瞬間。
「ちょっと待ってください」
カインさんがそう言うのと同時に、離れかけた私の腰をぐっと引き寄せる。
「…… っ!? カインさん!?」
「離れないでください」
こちらにだけ聞こえる低い声できっぱりと言われ、私はなんとなく動けなくなって固まってしまう。
カインさんはマデラス陛下に向かってゆっくりと頭を下げた。
「隣国へ帰還することは、お受けします。 ただ……一つ、お願いがあります」
「ほう、どんな願いかな。ようやくこうして再会できた息子の頼みだ。どんな内容であっても聞き入れよう」
「このアリアナさんも、一緒に連れていくことを許可していただけますか」
「……はぇっ!?」
え、えっと、今カインさんはなんて言ったの?
連れていく?
私を?
どうして?
頭の中がぐるぐると回り始める。
カインさんがそう言ってくれるのは純粋に嬉しいけど、でも待って、なんでなの???
もしかして四天王の問題はまだ完全に解決していないとか?
例えば続編ゲームとかあって、その護衛のためにとか?
それとも……。
ちらっとカインさんを見たら、カインさんは普段よりも熱っぽい目で私を見ていた。
もしかしてもしかしなくても、カインさん、私のこと……。
でももし私の勘違いだったらものすごく恥ずかしいし。
そんな感じでどうしようどうしようと一人でぐるぐるしていたら。
「ちょっとよろしいかしら」
凛とした、だけどどこか楽しそうな声が響いた。
声の方を見ると、カインさんの育てのお母様が、ふわりと微笑みながら口を開いていた。
「連れていく、なんて言っちゃっているけれど。そもそもあなた、ちゃんと告白の一つはしたの?」
「……か、母さん! それは」
動揺でひっくり返ったようなカインさんの声が会場中に響く。
「だって、あなたが逃がさないって言わんばかりに腕の中に閉じ込めているその子、ねえ? 訳が分からないって顔をしているじゃない。なのに意思確認もしないなんて、先走りすぎよ」
お母様がにこにこしながら私を見た。
全くもってその通りすぎて、私は何も言えなかった。
だって、告白!?
なんで、どういうことなの!?
私の頭の中はパンク寸前だった。
一方でカインさんは一瞬固まって、それから耳まで赤くなっていた。
「い、今からするんだよ!」
「あらそう」
「あ、あと、色々吹っ飛ばして先走ったのは認める……」
お母様がおかしそうに笑う声が聞こえた気がしたけど、気づいたらカインさんがこちらをまっすぐ向いていて、私はそれどころじゃなくなった。
「ア、アリアナさん!」
「えっ、は、はいっ!」
カインさんは耳まで赤いままで、だけど視線だけはしっかりと私を見ていた。
彼はごほんと一つ咳ばらいをすると、
「その……無事あの四人からあなたを守り切れたら、伝えたいことがあるって言ってたの、覚えてますか?」
「は、はい」
ちゃんと覚えてる。
期待しないようにしながら、でも本当はどこかそうだといいなと思いながら、私は今日を待っていたから。
神妙な顔で頷いたら、カインさんは私の緊張をほぐすように優しく目を細めた後、口元を引き締めた。
「俺は、アリアナさんのことが好きです」
「!?」
会場がしんとした。
私の心臓が、どきんと大きく跳ねる。
好き。
カインさんが、私のことを、好きって言った。
頭では言葉を理解しているのに、うまくその単語を処理できなくて、私はただ呆然とカインさんの顔を見上げることしかできなかった。
カインさんはそんな私を見て、はにかむように笑った。
「アリアナさんって、いつだって一生懸命だったじゃないですか。それにまっすぐで、明るくて、何があってもめげなくて。さっきだって、自分の身が危ないって分かってたのに、俺のところへ来てくれたでしょう?」
「……それは」
「俺はアリアナさんを守ってるつもりだったけど、アリアナさんだって俺を守ろうとしてくれてた。一緒にいると楽しくて、あなたのそういうところが……全部、どうしようもないほどに好きなんです」
私の息が、止まる。
カインさんの声は普段よりも上ずっていて、でも嘘は一つもないって分かった。
「だから……俺の我儘かもしれないけど、一緒に来てほしい」
「カインさん……」
だけどそこでカインさんは、慌てたように早口で追加する。
「あ、あれです、無理やり連れていく気はないので! 嫌なら、ちゃんと言ってください。それに別に今すぐにとかじゃなくて、じゅ、準備とか挨拶とか色々あるんですけど、でも、その……っ、できれば、これからずっと、俺の隣にいてほしいです……」
最後の方は少し声が小さくなって、耳まで赤くなっていた。
さっきあれだけの嵐を起こした、大陸随一の魔法国の王子様なのに。
やっぱり、カインさんは私の知っているカインさんだった。
立場が変わっても、きっとずっとカインさんはこのままなんだろうって、そんな気がした。
そのことがたまらなく嬉しくて、胸の奥がじんわりと熱くなる。
だから、その言葉は自然と私の口から出た。
「カインさん、私もカインさんのこと、大好きです。だからこれからも、カインさんの隣にいさせてください」
そう言ったらカインさんが大きく目を見開いた後、本当に嬉しそうにくしゃりと笑う。
その顔がどうしようもなく好きだと思った。
まるでこの世界には私とカインさんしかいないような、そんな気持ちになる。
周囲がどんな目で見ているかなんて気にもならなくて、二人で真っ赤になりながらも笑い合った。




