10
「わたし、猫じゃないのに……! 猫の真似をさせられたり、首を掴まれてぶら下げられたり、食事も、猫の『ラツィア』が食べてたのはそれだけなのにおかしいわって……猫が服着てるのも変ねって、雪の日に、首輪だけで外に出されたこともありました。恥ずかしくて寒くて惨めで……こんな名前、未練なんかない! ないんです! 嫌なの……!」
ぎゅっと、拳が白くなるほどにサクラの手を握りしめて体中を震わせ、血を吐くかのように泣きながら叫んだラツィアを、サクラはたまらず抱きしめる。つらいことを、思い出させたかった訳じゃない。未練がないなら、名前などいくらでも贈る。
「今まできちんと話を聞かなくてごめんね。名前、どんなのがいいかな。わたし、この世界の名前の由来とかよく知らないんだけど、好きな名前とか、こんな風に呼ばれたいとか、希望するもの、ある?」
肩に顔を押し付けて泣くラツィアに問えば、顔を上げないまま、首を横に振る。激しい嗚咽がおさまるまで背中を撫でて待てば、五分ほどで落ち着いてきたラツィアはすんすんと鼻を啜りながら、顔を上げて言った。
「さ……サク、ラ様、の、世界の、名前、欲しいです。わた……わたしのこと、ちゃんと、『所有』、してください」
ままならない呼吸、それでもまっすぐに目を見て放たれた言葉に、サクラは頷く。
サクラがいた世界の名前、と一口に言っても、日本語では浮きすぎるだろう。英語の教科書や試験にやたら出て来た女性名はルーシーとエレンだったが、ピンと来ない上に理由としては適当過ぎる気もして除外する。彼女がこれから一生使う名前だ。幸せな意味合いのある名前を贈りたい。
ラツィアの金色の髪を撫でながら考えを巡らせれば、サクラにひとつの花が思い浮かんだ。和名はこの世界の名前として音が適さないが、学名は確か。
「アドニス、はどうかな」
言えば、彼女は潤んだ紅茶色の瞳でサクラを見上げた。




