真のマンジュークの戦い その始まり
その開始から三年間にわたって続いていた膠着状態。
それが嘘だったかのようにグワラニーの部隊が表に出てきたとたん、たった一日で終わったマンジューク防衛戦。
もちろんグワラニーの言葉を借りれば、見えない場所で「百日でも足りないくらいの入念な準備」がされてきたのであるが、多くの者の記憶からはその地味で退屈な部分はすべて抜け落ち、最後の仕上げでしか過ぎないその日の出来事だけが残り、こう呼ばれ賞賛されることになる。
真のマンジュークの戦い。
そして、その真のマンジュークの戦いの始まりは、ほんの少し前にふたりの魔術師が苦労して登った山の頂から始まる。
その日の早朝。
そこには四人の男女の姿があった。
と言っても、女性はひとりだけであるのだが。
「ありがたいことに非常に眺めがいいですね。クペル城も見えます」
「そうだな」
そのうちのひとりである若い男が隣に立つ老人にそう声をかけると、その相手である老人はいつもどおり愛想の欠片もない声で応じ、小さく頷く。
「それで、どうですか?」
老人の不愛想さを気にする様子もない若い男から続いてやってきたのは何を示すかもわからぬほど大幅に省略された言葉だった。
だが、すべてを把握している老人にはそれで十分だった。
相手の顔をチラリと見た老人の口が開く。
「アリターナ側の渓谷には四か所。フランベーニュ側の渓谷には八か所確認できる」
「渓谷の外は?」
「アリターナ側は入口付近、つまり有名なベンティーユだけだな。フランベーニュ側は入口付近のほかにクペル城に相当強力なものが施されている」
「ということは、合計十五か所ということですか?」
「そうなるな。どうだ?デルフィン。他にあるか?」
「いいえ」
その言葉を確認すると、若い男がもう一度口を開く。
「……ここからクペル城までは相当距離がありますが、ピンポイ……魔術師を狙い撃ちにした攻撃は可能でしょうか?」
言葉の形をしてやってきたそのリクエストに老人は苦笑いで応じる。
「城ごと破壊するならともかく、魔術師だけというのは私には無理だ」
「副魔術師長は?」
「渓谷内はともかく、城の中にいる魔術師のみを攻撃するというのはさすがに私にも難しいのですが、周辺を少し含まれてもいいのならなんとか……」
「それで構いません」
老人は薄い笑みを浮かべる。
完璧主義のその男にとってそれは大いなる妥協だと。
「では、決まりだ。それで……」
「順番はどうする?」
「フランベーニュ、アリターナの順で渓谷内の魔術師を掃討し、続いて、周辺の魔術師を消してください」
「わかった。一応始める前に確認するが、後始末については大丈夫なのだな。まあ、例の仕事をやるためにベメンテウとノウトを奴の弟子とともに配置しているからいざとなればそれなりの処置をするだろうが……」
「ご配慮ありがとうございます。ですが……」
「アライランジアとナチヴィダデには念を押してあります。前線に張り付いている彼らの配下の魔術師がこれ幸いとばかりに余計なことしないように指示を出してくれているはずです」
「信用できるのか?その者たちは」
「信用しましょう」
「グワラニー殿がそういうのは構わん。では、始めてもいいかな?と言っても、おこなうのはデルフィンだが」
「ここにいるのは、バイアを含めて四人だけ。問題ありません。どうぞお好きなように」
「では、いきます」
そう言うと、その少女にしては珍しく杖を顕現させる。
それだけ微妙な技術が必要だということを示すものだと将来の結婚相手である若い男は心の中で思った。
少女は男の顔を一度眺め、頷くのを確認すると、杖を少しだけ右に向けた。
そして、声に出さない言葉を呟きながら、ゆっくりと何かを指し示すように九回振ると、渓谷内外で火柱が上がる。
「入口から渓谷内と入口のフランベーニュ側の魔術師の痕跡は消えた。では、次はアリターナ側だ」
祖父となる者の言葉に少女は無言で頷き、続いて左側に杖を動かして四回振ると、先ほどの同じような光景が再び起こる。
「終わりだ。では、難関のクペル城だ」
「いきます」
少女は城に鋭い視線を向け、城に向けていた杖を三回小さく動かすと、城から白煙が上がる。
「おや?今頃になって防御魔法を張った者がいる」
「ですが、大丈夫です」
ふたりだけにしか見えぬもので城内にまだ魔術師がいることを確認すると、再び少女は杖を振るう。
「……終わりました」
「最後に、ベンティーユの砦を……」
祖父の言葉に少女が頷く。
そして……。
「終わりました。渓谷の中、それから周辺から魔術師の痕跡が消えました」
「お見事です」
「……ですが、以前魔術師長がおこなったように魔法を使わず隠れていることはありませんか?」
それまで無言を通してきた四人目の人物からのやってきたその言葉に応じたのは老魔術師だった。
「まあ、これだけのことをやれば、大概の魔術師は本能的に防御魔法を使ってしまうものだ。だが、豪胆な者がいるかもしれない。あぶりだしてみるか」
「そういうことなら……」
最側近の男の言葉にそう応じた老魔術師が何をするかは想像できる。
そこに付加するよう若い男が提案したものに黒い笑みとともに頷いた老人は促すように少女に目配せする
一瞬後、アリターナ側の渓谷にふたつの大きな火球が現れる。
「さすがにこれを見ても魔術を使わない者はいない。火球に手だししないということは……」
「少なくてもアリターナ側にはいないと思っていいだろう。さて、火球を目的地まで動かすが……」
「これだけ念入りに仕込まれたらこちらの仕事が終わる前に奴らがこちらの意図、そのすべてを解き明かすのは無理だ……」
「……デルフィン」
祖父の言葉に無言のまま頷いた少女は杖を動かす。
そして……。
「本当に終わりのようだな」
老魔術師の言葉に若者が頷く。
「ですが、仕事はまだ三分の一が終わっただけです」
「主賓が待っていますので移動しましょうか」
「では、私に掴まれ」
三人が老人に手を触れる瞬間、全員の姿が消える。
まるで、最初からそこには誰も存在しなかったかのように。