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アグリニオン戦記  作者: 田丸 彬禰
第九章 クペル平原会戦

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姿を現わしたもの Ⅰ

 敵の大軍が現われてから四十ドゥア後。

 つまり、別の世界での一時間以上が過ぎた頃。


 三杯目の茶を飲み終わったところでグワラニーはようやく立ち上がる。


「さすがに客人をこれ以上待たせるのは申しわけがない。では、そろそろ行こうか」


 もちろんこれは出陣準備の命令である。

 だが、その言葉は命令内容とは大きくかけ離れ、ピクニックにでも出かけるかのような軽さがあるものだった。

 しかも戦場で待つのは十万の大軍。

 そういうことも考え合わせれば、その場違い感はさらに増大する。

 だが、その場にいた全員がグワラニーと同じようにのんびりと構えていたわけではない。


「出陣準備」

「我が部隊の幹部全員を集めろ」


 留守番役であるバイア、ペパスも含めてほぼ全員が一斉に動き出し、それぞれの部下たちを呼び寄せ指示をおこなう。

 グワラニーの分を取り返すように。


 そして、あっという間にその場に残ったのは、グワラニー、アリシア・タルファ、それからアンガス・コルペリーアと孫のデルフィンだけとなる。


「魔術師団の準備は終わっているのですか?魔術師長」


 薄い笑みとともにグワラニーからやってきたその問いに、まず同じような笑みで応じると、老魔術師は言葉を加える。


「もちろんだ。まあ……」


「私とデルフィンに同行するのは、昨日出番がなかったセンティネラだけだからな。もっとも、あの男がやるのは特等席での見物程度のものなのだか」


 グワラニーの言葉にそう応じてから、幾分小さな声で老人はグワラニーに問い直す。


「結局あれの代案は見つからなかったのか?」

「……残念ながら」


 グワラニーから戻ってきた言葉に老人はため息で応じる。


「……三十万対二万の戦いで完勝を得られる策などそうはないからな。まあ、仕方がないことではあるのだが……」


「すべてが終わった後はあまり見たくない光景が広がりそうだ」

「まったくです」


 一セパ後。

 マンジューク銀山を抱える渓谷地帯の北方にある野営地、というよりも小さな町と言ったほうがいいような賑わいを見せる場所に整列した二万人を超える者たち。

 そこにグワラニーが姿を現わす。

 いつものように全体を眺めるようにしてから、グワラニーが口を開く。


「これから我々は戦いに行く」


「ついでに言っておけば、現在姿を現わしている敵の数は十万人。つまり、我々の約五倍。そして、我々がその敵とぶつかった後にやってくるのはその倍。二十万人。つまり、我々はこれから三十万人の敵と戦うことになる」


「三十万人対二万人。さらに言えば、その部隊を率いるのはフランベーニュ軍だけではなく人間世界最高の将とされるアポロン・ボナール。普通に考えれば我々に勝てる見込みはない。だが……」


「そうであっても戦う以上我々は勝たなければならない」


「どんな手を使ってでも」


 実をいえば、最後の言葉はこれから起こることについての予告したもの。


 だが、多くの兵士はそれを別の意味に受け取った。


 わざわざ彼我の戦力差を強調したということは、さすがに今回ばかりは勝つことは厳しい。

 つまり、敗死は免れない。

 

 実をいえば、それはグワラニーから作戦概要を聞かされた将軍たちの半数ほどの心の奥底にもあった。


 絶対に勝てると司令官は言った。

 そして、悲惨な結末が待っているのは相手だと。

 だが、本当にそのようなことが起こるのかと。


 もちろんそう考えない者もいる。

 そのひとりが、「クアムート殲滅戦」をグワラニーの敵方として経験した男だった。


「タルファ様。三十万の敵相手に我々は勝てるでしょうか?」

「まあ、軽く勝つだろうな」


 従卒となる少年が、おずおずとそう尋ねると、その男タルファは自軍の整列状況を確認しながらあっさりと答えていた。


「私がまだノルディア軍に籍を置いていたとき、グワラニー殿は実質二千人の兵で、四万人のノルディア軍を打ち破った。完璧な形で」


「あのとき私は偶然命を拾ったが、それはグワラニー殿が無用な殺戮をしなかったからだ。あの戦いでノルディア軍は二万人を失ったが、グワラニー殿がその気になればノルディア軍はさらに二万人を失っていた」

「はあ……」

「わからぬか?」


 緊張のあまり頭が働かない少年にはタルファが語るそれを単なる思い出話に聞こえた。

 それに気づいたタルファは苦笑いする。


「あのときは二千で四万の敵を簡単に打ち破ったグワラニー殿なら、二万人で三十万人の敵を打ち破るくらい雑作もないということだ」

「……味方が十倍になったから、倒せる数も十倍になると?」

「そういうことだ。それに……」


「今回の戦いには、私の妻であるアリシアも同行する。幕僚とはいえ、勝ち目がないどころか、妻に危険が及ぶ可能性があるのならグワラニー殿は妻を同行させない。だが、実際はそうではない。その一点だけでグワラニー殿はすでに完勝を確信しているということだ。ただし……」


「戦いが終わった後、我々は昨日のような高揚感を得られるかといえば、違う」


「それどころか、戦いに参加したことを後悔するかもしれない。それは覚悟しておくことだ」


「そして、その時知る。戦場で生き残るということがどのようなものなのかということを」


 むろん少年はこの時タルファの言葉を理解できなかった。

 だが、その日のうちにその言葉を思い出すことになる。

 苦い気持ちとともに。


 そして、それからまもなくグワラニー率いる魔族軍がクペル平原に姿を現わす。

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