そして、その祭典の幕があがる
魔族の少女は杖を軽く振っただけ。
そして、その結果起こったことも彼女がいた場所からは小さな火柱が上がる程度にしか見えなかった。
だが、当然ながら攻撃を受けた場所がそのような生易しい状況で済んでいるはずがない。
阿鼻叫喚。
それが実際の状況を的確に表す言葉だった。
少女が杖を振ってからほんの僅かだけ時間が進んだ渓谷内のフランベーニュ陣地。
「突然攻撃を受け、私の部隊のすぐ近くに待機していた魔術師は全滅した」
「こちらも同じだ」
前線と渓谷入口付近を繋ぐ第二列の指揮官であるクロヴィス・シャッスイヌとオーレイアン・ポアティアは大量の人が焼かれた煙と匂いに苛まれながら対応に動いていた。
「……とりあえず後方へ魔術師の応援を仰いだ。彼らが到着するまで周辺の被害情報の確認をおこなおう」
だが、次々とやってくる伝令の言葉によって被害状況がわかってくると、ふたりは顔色を変えざるを得なくなる。
「……つまり、渓谷内の魔術師が軒並みやられたということなのか?」
ポアティアの呻き声に似た問いに、シャッスイヌが同類の声で応える。
「入口付近の警備をおこなっているケランネックからの伝令の話では、入口周辺の魔術師駐屯所もすべてやられたらしい。つまり、クペル城からの応援が来ないうちは渓谷内で我々の防御魔法は復活しない」
「それでは攻撃を受ければひとたまりもないではないか」
「そのとおり。とにかく前線のアンジュレスの部隊が大変なことになっているのは間違いない。準備が整い次第前線にいこう」
「その前にクペル城から魔術師を派遣してもらうように再度伝令を出すようにケランネックに伝えよう」
防御魔法を消滅させたのち全面攻勢に出る。
フランベーニュ軍のふたりの将軍シャッスイヌとポアティアは魔族軍の意図をそう推測した。
むろん自身の目の前で起こった状況から推察すればそれは正しい。
そして、その直後。
「ポアティア将軍。火球が現われました。真上です」
「くそっ」
「お、落ちます」
ポアティアの言葉を遮るように兵士の金切り声が上がったと同時に彼らの場所よりも入口に近い場所に着弾する。
むろんその後にやって来るのは轟音と悲鳴。
とりあえず生き残ったことに安堵し、少しだけ冷静になったところでポアティアの頭に疑問が浮かんだ。
「……今の火球は北から来たようには見えなかったぞ。火球はどの方向から飛んできた?」
「東からです」
それは彼の記憶と同じもの。
そして、もちろんそちらには誰がいるかはその場にいる者は皆知っている。
出かかったその言葉を飲み込んだポアティアはシャッスイヌを見やる。
「私も言いたいことはあるし、おまえも同じだろう。だが、我々は前線指揮官であり、お返しをすべき相手が誰かということを決めるのはクペル城。そして、我々が今やらなければならないことは攻撃相手の特定ではなく前線の崩壊を食い止めること」
ふつふつと湧き上がるアリターナへの疑念を強引に心の奥に押し込んだふたりの将軍は猛烈な魔法攻撃に晒されているはずのアンジュレス率いる最前線部隊の掩護のため急いだ。
だが、そこで見たものは、予想とはまったく違うものだった。
「な、なんだと……」
「いったいどういうことなのだ」
兵たちとともに前線にやってきたポアティアとシャッスイヌと見たもの。
それは……。
いつもと変わらぬ人間と魔族の剣と剣との戦い。
たとえば、前線の魔術師が無傷であるのならこの状況はいつもと同じ。
何も問題ない。
だが、実際にはフランベーニュ側には魔術師がいない。
それにどこがどうのとは言えぬものの、目の前の様子には奇妙な違和感のようなものがある。
だが、その直後、咆哮、または怒号と呼べるこの声がポアティアとシャッスイヌの思考を遮る。
「何しに来たのかわからないが、ここは私の戦場だ。消えろ」
その声の主はむろん最前線の指揮官ドミニク・アンジュレスである。
「アンジュレス。話が……」
「私はおまえたちとする話などない。必要なら呼びに行く。それまでは下がっていろ」
「そうなってからでは遅いだろうが」
「うるさい。目障りだ。消えろ。それとも斬り倒してやろうか」
その勢いに押され、ふたりはその場を離れる。
「奴だって配下の魔術師がやられたのは知っているだろうに。いったい何を考えているのだ?」
「知るか。だが、奴の蛮勇が通じるのも魔族どもに魔法防御ないことが発覚するまでだ。本来であればその言葉に従いぶざまな姿になった奴を笑い倒したいところなのだが、残念ながらそうはいかない」
「ああ。戦線が崩壊してはこちらにも被害が及ぶ」
「そうならないよう、こちらはこちらで準備をするしかあるまい。とにかく、クペル城から魔術師の補充をしてもらわねばとても戦線は維持できない。まだ来ないのか。増援は」
クペル城には多数の魔術師が待機している。
そこから来る増援によって魔術師の補充ができ次第、防御魔法を張り直す。
それがまずやるべきこと。
むろん、ポアティアとシャッスイヌのこの判断は正しい。
だが……。
転移魔法が使えずやむを得ず徒歩での移動を余儀なくされ、ようやくクペル城へ辿り着いた伝令の言葉によって前線の状況を知ったロバウであったが、その直後、申しわけなさそうに口を開く。
「残念ながら、ポアティア将軍たちの希望には応えられない」
「……実はこの城にも魔術師がいないのだ。ひとりも」
そして、ロバウがその言葉を口にしている頃、フランベーニュ軍と魔族軍が盛大に剣を交えている最前線でありえるはずのない奇妙な出来事が始まっていた。
「……貴様。我々を揶揄っているのか?」
自らの耳に届いた言葉にアンジュレスは怒鳴り返す。
だが、その声に黒い笑みを浮かべたアンブロージョ・ペパスと名乗った魔族の男はもう一度口を開く。
そして、流暢とは言い難いものの、とりあえず十分に通じるフランベーニュ語で挑発するように言葉を吐き出す。
「だが、私の言ったことは事実だ。もし、どうしても信じられないのであれば、自らの目で確かめたらよかろう。……フランベーニュ王国軍将軍。ドミニク・アンジュレス」
ドミニク・アンジュレス。
むろんそれはアンジュレスのフルネームであるのだが、その名を口にしたのはアンジュレスと同じフランベーニュ人でない。
いや。
人間ですらない。
「おい、魔族。貴様。なぜ私の名を知っている?」
アンジュレスの動揺と怒りに満ちた問いに、その言葉の相手となる者は黒味がかった笑みを浮かべる。
「もちろん我が新しき友人から聞いたのだ。最前線で怒鳴り散らしている赤い甲冑を身に着けた男はそのような名だと」
新しい友人。
つまり、アリターナ人。
「……裏切り者どものが……」
もちろんその情報の入手先はアリターナなどではなく大海賊ワイバーンである。
つまり、ペパスの言葉はアンジュレスをミスリードさせるための簡単なトリック。
だが、突然魔族に自分の名を呼ばれてパンクした今のアンジュレスの頭ではそれを看破することはできない。
その効果を十分に堪能したところで、魔族の男が再び口を開く。
「さて、アンジュレス将軍。そろそろ終幕の時間ようだ。では、さらば」
その言葉とともに、最後のひとり、いや、隣には人間にも見える少女とその兄のような男、それに年老いた男がいるので、正確には最後の四人となる、その魔族たちは消える。
だが、相手には届かぬ声でペパスと名乗ったその男はその続きとなるこのような言葉も口にしていた。
「……活躍を大いに期待しているぞ。グワラニー殿に選ばれし人間」
それとともに、背を向けて次々と引き上げる魔族兵を追いかけるフランベーニュ軍兵士たちを阻んでいた見えない壁もなくなり、この戦いが本格的に始まって初めてのものとなる静寂がやってくる。
その静寂の中、幕僚たちが指揮官のもとに集まる。
そして、その中のひとりで素晴らしい装飾が施された甲冑を身に纏う男が口を開く。
「アンジュレス殿。これからどうする?まあ、この状況を見れば聞くまでもないのだが」
現在アンジュレスの部隊に属する将軍のひとりであり猛将として名高いオーレイアン・ラシャルテからやってきたその問いは、あきらかに進軍を催促するものだった。
どの世界でも同じなのだが、部下となる者から最初に積極策を提案されてしまうと、それがどれだけ危険であっても指揮官がそれを否定するのは難しい。
特に猛将と自負している者にとっては。
つまり、この瞬間、流れは決まったといってもいいだろう。
「もちろん前進だ」
「少々お待ちを」
「アンジュレス様。さすがに先ほどの魔族の話は出来過ぎています。罠である可能性が高いです」
アンジュレスの決定直後に強引に割り込んだ副官アドリアン・マルマンドのその言葉は間違いなく負の要素を並べたもの。
一見指揮官の決定を拒む、副官らしくない言葉だが、これこそがマルマンドの役目。
常に暴走気味の上官を抑えるという。
そして、もしこの前進案がアンジュレスから出たものであったのなら、このマルマンドの役割は成功したかもしれない。
だが、今回は部下であるラシャルテが示されたもの。
さらにそれは自分の勇ましさに期待する多くの兵たちの前。
猛将と自認しているアンジュレスは簡単に引き下がるわけにはいかない。
たとえどちらの言葉が正しいのかわかっていても。
アンジュレスがマルマンドを見やる。
「奴らの言葉が嘘臭いのはわかる。いや、間違いなくこれは我々を罠に誘い込むための嘘。だが、そうであっても、今は距離を稼げる絶好の機会。これを逃す手はない。それに……」
「奴らの言ったことが本当かどうかを確かめる必要はあるだろう」
「それはそうなのですが……」
「いやいや、ここはまずロバウ総司令官に報告し、指示を仰ぐべきでしょう……」
新任の幕僚のひとりオーバン・サルバロンが自らの言葉を遮って口にした言葉に含まれていたロバウの名を聞いた瞬間、マルマンドは心の中で特大の舌打ちをする。
同格だったロバウの下に配属された三年前から指揮官の前でロバウの名を出すのは厳禁。
それがこの軍に所属する者たちの暗黙の了解となっていた。
マルマンドは口には出せない言葉で名ばかり貴族の男を罵るものの、出てしまったものは変えられない。
そして、当然のようにそれはやってくる。
「不要だ」
自らの言葉が上官の激発の引き金になったことも気づかぬまま気圧されるサルバロンを睨みつけたアンジュレスがさらに五段階ほどギアを上げた怒号に乗せて次の言葉を吐き出す。
「敵が引き、我が部隊が前進する。これは前線指揮官である私の裁量の範囲内である。そのようなことにいちいちロバウの指示を仰ぐ必要などない。違うか?」
もう言葉を発することもできず完全に沈黙したサルバロンに代わって口を開いたのは再び有能な副官だった。
「……むろん前進はすべきでしょうし、そのための準備はただちにおこないます。ですが、この急変についての詳細を後方に伝えることはそれを手に入れた者として最低限やるべきことだと思いますが……」
「お、おう」
マルマンドにとってはこれであっても大いなる妥協である。
だが、「最低限やるべきこと」という言葉は、ロバウなどに知らせず独断でことを進めたいと考えたアンジュレスも容易には拒めない。
一瞬の百倍ほど使って抜け道を探したものの、遂に見つからず、ここは副官の進言に従う以外にないと観念する。
もちろん渋々ではあるが。
「たしかにマルマンドの言うとおりだな」
「我々は出発するが、ポアティアとシャッスイヌには一応知らせておけ。そうすれば、クペル城に居座っているロバウにも情報は届くだろう」
どうにか後方へ詳細を伝えることはできることになったものの、マルマンドができることはここまで。
「出発だ。これより逃げ出した魔族の腰抜けどもを追撃し、マンジュークを落とす。手柄を上げたい者は私に続け」
アンジュレスのこの声とそれに続く地鳴りのような雄叫びの連鎖ともにフランベーニュ軍は動き出す。
実はこの大部分は生きてこの場所に戻ってくることはなかったのだが、フランベーニュ軍を死地へと駆り立てるきっかけとなったペパスと名乗った魔族の男が口にした言葉。
それがこれである。
「我々は、アリターナ王国の休戦条約を結び、その証としてマンジューク銀山を含むこの一帯の鉱山をすべて譲る決定をした。そして、アリターナ軍は現在マンジュークに向けて前進中である」
「つまり、フランベーニュ王国はこの地域の権利をいかなる手に入れることはできない。そして、我々もこの地域を放棄するのだから、当然これ以上フランベーニュ軍と戦う必要がなくなった。そういうことで我々はこれより撤退を開始する」
だが、マルマンドの言葉を待つまでもなく、魔族軍の後退はあきらかに怪しく、罠の存在は間違いないものだった。
それにもかかわらずアンジュレスが前進した理由。
距離を稼ぎ膠着状態を打破する絶好の機会。
それがアンジュレスの口にしたものとなる。
実をいえば、侵入そのものには成功したものの、フランベーニュ軍、アリターナ両軍、ともにそれ以降の戦況は順調とは程遠いものであった。
三年で一アケトも進んでいないのだ。
しかも、その間におびただしい数の死傷者を出している。
だが、この状況を利用すれば一挙に前進できるというアンジュレスの主張は正しい。
ただし、それだけが理由なのかといえばそうではない。
いや。
それはあくまで取り繕ったものであり、本当の理由は別にある。
その答えとなるものは魔族の将ペパスが口にした言葉に含まれていた。
「我々は、アリターナ王国の休戦条約を結び、その証としてマンジューク銀山を含むこの一帯の鉱山をすべて譲る決定をした。そして、アリターナ軍は現在マンジュークに向けて前進中である」
さらにペパスはこうも言った。
「……我々はこの地域を放棄する」
もちろん、停戦の証として魔族がマンジュークをアリターナに譲り渡すというこの話はどこをどう見てもおかしい。
現在の魔族軍は「二正面作戦どころか多正面作戦だ」とグワラニーが心の中で口にしたとおり、ノルディアの戦線離脱後も国土の外縁、その三分の二で絶望的な戦闘をおこなっている。
つまり、魔族がアリターナと停戦することは有力な敵がひとつ減るのだから大きな利があることは事実。
だが、その代償に自国経済の中核を担う鉱山群を手放すことはあり得るのかといえば、ノーである。
なぜなら、それをやってしまえば、魔族の国の経済は一挙に崩壊し戦争継続は困難、いや、不可能となり、アリターナと停戦した利など吹っ飛んでしまうからだ。
そもそも絶対に手放すことができないからここまで戦ってきたのだ。
鉱山群の金や銀をすべて掘り出したということでも起きないかぎり、そのような判断をすることはありえないのである。
しかし、魔族軍が撤退しているのも厳然たる事実。
そして、これらの状況を自分たちに都合よく再構成すると、このような理論も成り立つ。
自分たちフランベーニュ軍がアリターナ軍より早く到達すれば、無人のマンジュークはフランベーニュのものとなる。
そうすれば、その功績によりアンジュレスは三年前に作戦失敗の責任により失われた地位や名誉を取り返すことができるどころか、間違いなくそれ以上のものが手に入るということになる。
そう。
口には出さなかったものの、アンジュレスの心の中にそのような思いがあったのだ。
だが、そのような黒い期待など表面上どこにも表すことなくアンジュレスは大声で指示を出す。
「言われるまでもなく魔族の言っていることなどすべてが嘘。当然罠が用意されている。だが、それさえわかっていれば逆にそれを利用することは可能だ。つまり……」
「罠にかかったフリをして前進する」
「さらに相手の予想以上の速さで進めば迎撃の準備が整っていない相手と戦うことが出来る。つまり、これはマンジュークを落とす絶好の機会」
アンジュレスはその言葉どおり軍を物凄いスピードで前進させる。
そして、フランベーニュ軍は何の妨害もなく、グワラニーが「バルクマン・コーナー」と名づけた地点まで到達するのだが、彼らはそこで出会ってはいけないものを出会う。
あまりの驚きにアンジュレスの口からうめき声が漏れるほどに。
フランベーニュ軍とは別ルートからマンジュークを目指していたアリターナ軍。
アンジュレスたちが「バルクマン・コーナー」で見たのは彼らだった。
では、なぜそのようなことが起こったのか。
それを説明するためには、時間を少しだけ戻し、舞台も別の場所に移さなければならない。




