選択肢なき選択
フランベーニュ側でグワラニー軍による苛烈な魔術師狩りがおこなわれたほぼ同じ頃のアリターナ側の渓谷内。
いうまでもなく、彼らのもとにもフランベーニュと同じ災難はやってきていた。
それによって起こった状況も全く同じ。
そこにあらたな悲劇の種が姿を現わす。
「チュプラーノ様。火球です」
「クソッ。魔術師は全滅している。防ぎようがない」
兵たちとともにそれを見上げた将軍バルダッサレ・チュプラーノが呻く。
さらに渓谷の最前線に近い場所にも別の火球が姿を現わしていた。
ふたつ目となるそれを睨みつけたアドルフォ・ペトロイオがこう怒鳴り散らしていた。
「今の我々にはひとつで十分だろう。死ね。クソ魔族……」
そこから知っているかぎりの罵詈雑言を火球に向けてぶちまける。
もちろんそれを言ってどうにかなるものではないのはペトロイオだってわかっている。
それでも叫ばずにはいられなかったのだ。
だが……。
「弄ばすにさっさとやれ。魔族」
緊張の糸が切れた兵士のひとりがそう叫んだとき、奇跡が起きる。
なんと、ゆっくりと、だが、確実に火球が遠ざかっていったのだ。
「ペトロイオ様。か、火球が消えました。ふたつとも」
「ああ。私も見ていた。まあ、事実は消えたというよりも飛んでいったというのが正しいのだが」
安堵から半分涙声の兵士の言葉に応えながらペトロイオは呟く。
「……あの方向はフランベーニュ側の渓谷とクペル城。なるほど。フランベーニュにはあれをお見舞いし、我々と同じ思いをさせるわけか」
事実を言ってしまえば、ペトロイオのこの言葉は半分だけが正しい。
なぜなら、フランベーニュもすでに攻撃を受け魔術師を失っており、その火球はさらなる一撃となるのだから。
むろんはフランベーニュの事情など知るはずがないペトロイオはアリターナ軍人の代表としてこれから不幸になる大嫌いなフランベーニュ人に祝いの言葉を盛大に吐きだしたところで、部下たちを見やる。
「……それはそれとして……再びあれの仲間が我々のもとにやってこないうちに前線に救援にいくぞ」
ペトロイオはそう言うと自らが率いる第二陣とともに最前線に向かう。
だが……。
「何?」
前線に到着したペトロイオはその様子を見て思わず声を上げる。
なんと一方的な攻撃を受けているはずの自軍は何事もなかったかのように戦っているのだ。
もちろんペトロイオは知らないが、それは別の場所でフランベーニュの将軍ポアティアたちが見たものと同じ光景だった。
ただし、有能な剣士であったことから、フランベーニュの将軍たちよりも少しだけ見る目があったペトロイオはすぐにそれに気づく。
……もちろん我が軍も魔族も真剣だ。だが……。
……どう見ても十分有効な一撃となっているにもかかわらず相手は倒れない。
……いや。相手だけではなく、こちらの兵士も普段なら致命傷になるものを食らっても平気で戦い続けている。
……どういうことだ?
乱戦の中、味方兵士をかき分けて、戦況を把握しやすいように用意された脚立の上から渋い表情で戦況を眺める前線指揮官のひとりバルドィヴィーノ・モイアーノの元に辿り着いたペトロイオは大声で自らの疑問を口にすると、同じくそれに気づいていたモイアーノは苦笑いしながら、こう答えた。
「先ほどからずっとこうだ。もちろん兵士の損害が出ないので悪くは言わないが、相手も倒せない。なぜこんな茶番になっているのかさっぱりわからん」
そう言ってモイアーノの笑みは苦みを帯びる。
「まあ、本来であれば、防御魔法が消え一方的にやられている我々にとっては今の状況はありがたいことではあるのだが、問題はこれがいつまで続くかということだな」
「なにしろこの奇跡が消えたらそれこそ茶番劇が惨劇に早変わりになるのだから」
「できれば、そんなものに立ち会いたくもないな」
「だが、そうかと言ってこのような混戦状態では状況で撤退もできまい」
そして、引きたくても引けない状況のためやむを得ず意味不明な茶番につき合っているペトロイオたちの前に幕引き役の四人の男女が姿を現わす。
ひとりはこの方面の魔族軍の司令官であるアルディーシャ・グワラニー。
もうひとりはデルフィン・コルペリーア。
三人目となる者は、剣を差している人間種、いや人間の男アーネスト・タルファ。
最後のひとりは、魔術師長アンガス・コルペリーア。
そして、彼らを出迎えたのは、この地区の戦いを指揮する将軍ジルベルト・アライランジアと現在魔術戦を指揮しているアンガス・コルペリーアの高弟アウグスト・ベメンテウ。
「状況は?」
「予定通り」
「まあ、奴らの中にも異変に気づいた者もいるでしょうが、まさか我々が自分たちの方に防御魔法をかけているとはアリターナ軍の誰も思いますまい」
グワラニーの問いに対するアライランジアの短い返答に続いたその言葉を口にしたのは黒い笑みを浮かべたベメンテウ。
そして……。
「では、始めましょうか」
状況を確認したグワラニーがその言葉を口にした直後、少女が心の中でこう呟く。
……魔法無効化結界。
実を言えば、現在おこなわれている壮大な茶番の肝がこの魔法無効化結界であった。
この魔法は魔法が展開された領域内では術者を含むいかなる者も他の魔法を行使できない。
そして、魔法効果を帯びた者は結界内に入ることはできないという縛りもある。
ただし、そうでない者は自由に出入りできる。
グワラニーはこの魔法の特性を最大限に利用した。
まず、通常では絶対にない対物理攻撃用の防御魔法を敵方となるアリターナ軍兵士に施した。
これによって、アリターナ軍の兵士は一時的ではあるが剣を使った攻撃によるダメージを一切受けない無敵の体を手に入れた。
ただし、「自らは完璧な防御魔法を纏ったうえで、相手に対して完璧な攻撃をおこなうことは不可能」というこの世界の魔法の鉄則がある。
当然アリターナ人兵士は手に入れたものと同じ対価を支払う。
そして、そのような状況下でデルフィンが魔法無効化結界を自陣内に壁状に張り巡らせた。
「まさか、彼我を分離するためだけにこの大魔法を使用するとは……」
そう。
ベメンテウが呻いたとおり、グワラニーは文字通り見えない壁としてこの魔法を利用したのである。
そして、その直後、魔族軍の兵士たちはアライランジアの指示で撤退を始める。
当然のようにアリターナ軍はその背を追う。
だが……。
「進めない」
「見えない壁がある」
「これが結界とかいうものか」
「だが、なぜ魔族どもはすり抜けられるのだ?」
「知らん」
まさか気づかぬうちに敵方によって自分たちに防御魔法が施されているなどという奇怪なことが起こっているなどとは思いもしないアリターナ兵士たちは騒ぎ立てる。
「さて、兵士たちはすべて引き上げたことだし、そろそろ通常の結界に切り替えようか」
その様子を薄い笑みを浮かべながら眺めていたアンガス・コルペリーアはそう言って孫娘に目配せすると、一瞬のタイムラグで結界の種類が変わる。
「ベメンテウ。おまえは兵士たちを連れて一足先に帰っていろ」
「アライランジア将軍もご苦労様でした」
四人を残してすべて転移していったのを確認したところで、グワラニーが人間の男に目をやる。
「では、タルファ将軍。お願いします」
「承知しました」
グワラニーの言葉にそう応じた元ノルディア王国軍の将軍で、現在は魔族軍の将軍格という肩書が与えられているノルディア人が前に出て口を開く。
「……アリターナ軍の諸君に告ぐ……」
そして、その四ドゥア後。
ペトロイオ、モイアーノに、同じく前線指揮官バルトロメーノ・ピッコラ、アブラーモ・モンタウトが加わったアリターナ軍の指揮官たちは、共通語で語られたその男の言葉を聞き終える。
むろん、驚きの感情をもって。
「我が国が魔族と講和したなどありえぬ話だが、その交換条件でここを引き払い、さらにマンジューク銀山を譲るだと」
「どうする?」
そう。
まさに魔族軍が提示したものはフランベーニュ軍が聞いたものと同じ。
厳密に言えば、グワラニーたちはまずアリターナ軍にそれを話し、あることが起きるように絶妙なタイミングでそれと同じことをこの後フランベーニュ軍に聞かせたのだが。
難題に悩むのもまったく同じである。
フランベーニュではアンジュレスが独断で前に進むことに決めてしまったのだが、こちらはほぼ同格の四人がその場にいたため、別の対応がとることになる。
協議。
アーネスト・タルファと名乗ったその魔族の将に少しだけ時間をくれと申し出て、話し合いを始めた。
最前線、しかも、殺し合う敵を目の前にして随分と悠長なことだとも思えるが、相手は四人を残してすべての兵を引き揚げ攻める気などない。
そうかと言って、これ幸いとばかりに攻撃に転じられるかといえば、例の壁がありそれはできない。
つまり、これは一種の停戦状態が成せる業といえるだろう。
そのような状況のなかで、まずモイアーノが口を開く。
「とりあえず後方に伝令は送るが、転移魔法が使えない以上、指示を得られるまで相当時間がかかる。いくら相手が魔族でもそう待たせるわけにはいかないだろう。そうなると……」
「この四人で決めねばならないな」
「ああ」
「では、とりあえず聞く。魔族の言葉を信じて前に進むべきだと思う者?」
先任であり一番の年長でもあるペトロイオの問いに、手を上げるものはいない。
「つまり、ここに留まるべきということなのか?」
「いや。俺は前進すべきだと考える。ただし、相手を信じてという部分には賛同しないが」
「同じく」
心の中で呟いた「いつもながら本当に面倒な奴らだ」という言葉をおくびにも出さず、ふたりの言葉の上澄みだけを掬い取ったペトロイオが言葉を続ける。
「なるほど。では、モンタウトはどう考える?」
ただひとり賛意を示さなかったアブラーモ・モンタウトはペトロイオからやってきたその問いにこう答える。
「これは罠だろう」
まず結論を口にしたモンタウトが続いて主張したのは話が出来過ぎているというものだった。
「ただし、皆がそう言うのであればそれに従う」
「わかった。では、モンタウトは最後尾を任せる。危なくなれば、我々を見捨てて逃げろ」
「おまえたちは?」
「当然最前列」
「同じく」
「いいだろう。承知した」
ペトロイオはもう一度口を開く。
「もちろん後方にいるチュプラーノにはこの旨を伝えておく。これで強襲されてもいいような備えもできるというわけだ」
「では、行こうか」
「ああ」
四人によるハドルは解かれ、薄い笑みを浮かべて待つ魔族軍に属する人間の方を振り向く。
「待たせたな。では、その言葉を信じて今からマンジュークに向かうことにする」
「承知した」
四人のなかで共通語がもっとも堪能なペトロイオからやってきた回答にそう応えながら、タルファは心の中で皮肉めいた言葉を口にした。
……何を相談していたのかは知らないが、そもそもおまえたちには選択肢などないのだ。
……おまえたちがどんな答えを示そうが、我々はこの場を去る。
……そして、我々がいなくなれば、おまえたちアリターナは当然前進し、一度そこに踏み込んでしまえば、どれだけ罠の存在を疑っていても、進み続けるのだ。
……宴が始まるまで。
もちろん心の声など微塵にも出すことなく、タルファはこう返答する。
「では、マンジューク手前でおこなう歓迎の準備あるのでこれで失礼する。諸君らアリターナ軍に道中での幸運があることを祈る」




