不思議な工事とおいしい食事
グワラニー率いる二万人の大部隊が山岳地帯に姿を現わしてから二日後。
アルタミアたちが山登りの最中に言及していた工事が始まる。
もちろんそれはグワラニーの自らが用意した策の肝となる部分と称したものであり、それを担うのは一万人を超える戦闘工兵である。
ただし、そこは駐留部隊の根拠地と前線を結ぶ唯一のルートであり、そんなところで始まった工事は通行する者にとって「邪魔」以外のなにものでもない。
だが、グワラニーから将軍たちへの例の通達がある。
当然手出しはできない。
「全く邪魔だな」
「ああ。だが、奴らには絶対に関わるなと将軍たちから厳命されている」
「俺はケイマーダ将軍から奴らにも奴らの現場にも手出しをしたらその場で殺すと言われた」
「ウルアラー将軍も同じことを言っていたな」
「もしかして、寝返ったのか?」
「あれだけ威勢の良いことを言っていながら意気地がないな。将軍たちも」
「まったくだ」
末端の兵士にはその真の理由を伝えずに、ただ「工事の邪魔をしたら殺す」とだけ言っているので、様々な噂は流れたものの、さすがに本当に殺されるか試してみようなどと考える猛者はおらず結果工事は順調に進む。
その間にグワラニーはもちろんペパスやプライーヤなど幹部たちも頻繁に顔を出す。
その中で駐留軍兵士たちの視線を集めた人物が三人いた。
ひとりは人間種の、いや正真正銘の人間の男。
剣を下げているので剣士であり、さらにつき従う兵士たちを見れば、彼らの上官。
そのうえ、その中には騎士長の地位にある者までいる。
「どういうことだ?」
「これは噂であるが……」
多くの者が疑問符を頭の上に乗せるなか、情報通を自称するひとりがその前置き後語ったもの。
それはほぼ正しかった。
「……元ノルディア軍の将軍で、請われた司令官の軍に加わったアーネスト・タルファという人物だ。一応司令官の部隊内での地位は将軍となっている」
そして、もうひとりは老人とともに歩く少女。
人間種の女性。
しかも子供。
魔族の常識では連れて来てはいけない要件をすべて満たしていた。
もちろんほぼ全員が顔を顰める。
ただし、老人と少女に付き従う者たちから、彼女が何者かは、考えることが苦手な下級兵士たちでも凡その見当はつく。
「魔術師だな。あれは」
「そして、あれだけ多くの魔術師がいるにもかかわらず、戦場に連れてきているのだ。あの子供は相当な能力者なのだろう」
彼らの想像は正しい。
いや。
実際はその遥か上をいく。
そして、彼女の魔法は今回の戦いの重要な鍵となる。
その先の戦いにおいてはさらに。
もちろん彼らがそれを知るはずがないのだが。
そして、最後のひとりは、再び人間。
しかも、女性。
どうやら、こちらは魔術師ではない。
これはひとこと言わねばならないという気になる。
だが、出かかった言葉はすぐに止まる。
「なんだ?あれは」
やってきた彼女に群がる戦闘工兵の兵士たち。
いや。
それだけではなく、なんと頭領らしきいかつい顔をした男たちも大急ぎで作業をやめてもてなしを始めるという異様な光景。
「あれでは飼い主に群がる子犬ではないか」
「まったくだ。先ほどやってきた将軍たちにだってあんなことはしていなかったぞ。奴らは」
だが、彼らが異常ともいえるその光景の理由を手に入れるのにはそう時間は必要なかった。
同じ魔族。
しかも、下級兵士。
話は合う。
険悪な雰囲気さえ醸し出さなければ情報交換は簡単なことなのだ。
そして、その結果は……。
「食事?」
「ああ、そうだ」
「あの女がつくるのか」
「あの女とか言うな。アリシアさんと言え。まあ、俺たちはアリシア様と呼んでいるのだが」
「わかった。そのアリシアさんが食事をつくるのはわかったが、なぜそこであそこまで媚びるのだ?もしかして、そうしないと食事抜きになるのか?」
「まさか」
「では、なんだ?」
「死ぬほどうまい」
「陣中食が?」
「そうだ。あんたがあれを食べたら今食べているものが犬の餌に思えてくること請け合いだ。ハッキリ言って、王都にある俺たちが行けるくらいの食堂の数段上のものを俺たちは陣中で食べられる。それもすべてアリシア様のおかげだ」
「……それは本当なのか?」
「もちろん。しかも……」
戦闘工兵とは名乗っているものの、本業は鉱山労働者であるその男は小さな布袋から焼き菓子を取り出す。
「アリシア様は、我々のためにこのようなものをつくって来てくださる」
男はその菓子を半分に割り、相手に渡す。
恐る恐るそれを口にいれた瞬間、男は幸福感に包まれる。
「うまい。うまいな。これは」
「そうだろう。そして、仕事が終わった我々にはこの菓子をつくったアリシア様特製の夕食が待っている」
「な、なるほど。そういうことなら、先ほどの光景も頷ける」
歴史書には絶対載らないが当事者たちにとっては重要な出来事。
そのようなことあった日の、夕食の支度が始まる少し前となる時間。
山岳地帯の麓に突如現れたあらたな町。
そこに設えられた居住スペースを兼ねた執務室にやってきた人間の女性が丁寧な挨拶をおこなうと、その部屋の主もそれに負けないくらいのもので応じる。
「いかがでしたか。現地視察は」
「喜んでくれています。彼らも」
「それはよかったです」
「ところで、グワラニー様。今日、上でビニェイロスさんから提案があったのですが、昼食を現場でとるようにすれば、もう少し長く仕事ができるのではないかということでした」
「つまり、弁当持参で仕事をするということですか……」
もちろん昼食をとるために一斉に休みにしてこの世界の一時間、つまり百分プラスアルファ作業を止めるのはもったいないという気持ちをグワラニーが持っていなかったわけではない。
だが、そこに多くの難題が立ちふさがる。
その中で最も大きいのは、二万人の朝食を用意しながら一万人分の弁当をつくる手間。
食事をつくる専門としてアリシアの提案に従って、クアムートから二十人の料理人と百人ほどの料理の腕に自信がある女性を呼び寄せたものの、それは二万人の食事をつくることを前提にしたものであり、これ以上を負担はかけられないのだ。
「それをおこなうべき理由と、効率的におこなう提案がありますが、話してもよろしいですか?」
そして、グワラニーが頷とアリシアは話し始める。
「上で寝泊まりしている兵士の少なくない数の方が戦闘工兵の方々にお配りした菓子を口にしています」
「奪ったということですか?」
「いいえ。戦闘工兵の方々が分け与えたようです」
「それで?」
「羨ましがっていると」
「それを踏まえてここでもう一段階ことを進める」
「彼らに昼食を振舞うというのはいかがでしょうか?」
さすがにこれは予想外のものであった。
その驚きの隠すように小さな咳払いをしたあとにグワラニーは口を開く。
「……駐留軍の昼食を我々が用意するのですか?」
グワラニーの問いにはすぐに答えとなるものが返ってくる。
「最終的には。ですが、その前段階としてその芳しい香りを味わってもらうというのはどうでしょうか?」
「それで弁当を持参させると?」
「いいえ」
「せっかくですから、出来立ての昼食を上に上げるというのはどうでしょうか。幸いなことに運搬係に適した力自慢はこの陣地には山ほどいますから」
「なるほど」
「出来上がった昼食を運搬すれば、弁当をつくるより料理をおこなう者の負担が圧倒的に少ないことや、それをおこなうことが可能であることはわかりました。ですが、その利点はそこからは浮かび上がってきません。そこをもう少し説明していただけますか?」
「もちろんです」
「グワラニー様に反発している将軍が、旗下の兵士たちがその昼食に手を出そうとしているのを知ったらどうするでしょうか?」
普段ろくなものを食べていない下級兵士なら、その食事に飛びつくのは確実。
それを上官が禁止すれば、兵士たちには不満が残る。
では、禁止せずにそれを許したら?
将軍や騎士団長、騎士や騎士長といった士官級の者が兵より粗末なものを食すことになる。
そうかといって、彼らがグワラニーの部隊のもとに食事をしにやってくるかといえばそれはない。
では、どうなるか?
彼らは厳しい選択を迫られる。
全面禁止するか、兵士にだけ食事することを許すか、それとも自分も食事にありつくか。
各将軍の器が確認できるうえに、その後の参考にもなる。
さらにこれをテコにして将軍たち上層部と下級兵士の分離もできる。
「悪くないですね。それは」
「では、早急に準備をしておこないましょうか。その餌付け作戦」
「それにしても……」
「策士ですね。アリシアさんは」
グラワニーのその言葉に女性は微笑むだけだった。
こうして、それはすぐに始まったわけなのだが、せっかくだから、その結果も簡単に述べておこう。
自分たちだけが貧相な食事をするという選択肢を選んだ将軍は当然ゼロ。
自分もその食事を口にしたのはひとり。
それ以外は全面禁止となるわけだが、こっそりと戦闘工兵の食事の現場に現れる者が後を絶たなかったのはいうまでもないことである。
もちろんそのような者たちにもアリシアの指示によって食事は気前よく振舞われたのだが、これがこの後起こったアリシア自身に関わるある出来事で重要な役割を果たすことになる。